第7話 最強の剣士 その1
周囲の仲間たちが優勢に事を進めている中、アンの表情はとても芳しくなかった。
アン1人で戦っていたならばまだこれほどまでに苦い表情をする事はなかったのだろうが、今アンの目の前にはデキルという少年が剣を両手に魔族に向かって攻撃を仕掛けているところだった。彼は鮮花祭の選手であったことから実力もあるのだが、如何せん自信過剰で周りを見る事ができない。そのため、一体の魔族を倒すことに少しでも時間をかけてしまえば他の魔族が襲いかかって来ている事が全く認知できないという危なっかしい人物である。
そんな存在がアンの目の前で戦われてしまっていては性格上見ないふりなどできるはずもなく、かなりの頻度で援護魔術を送っていたりする。
「ちょっと! そこ外さないでよね! 何のために強化魔術かけてると思ってるの!」
「余計なお世話だ。オレだって人間なんだ。たまに外す事くらい、あるだろうが!」
「これで5度目なんだけど!? これだけの数の敵がいてどうしたらそれだけの数の技を外せるのよ! 『重力』!」
アンの魔術により、デキルの周囲にいた魔族たちの動きが極端に遅くなる。
「後は任せたよ!」
そう言ったアンは他の魔族に向けて攻撃魔術を放つ。
「言われなくても! オレはできる男だからな」
デキルはフンと鼻を鳴らし、動きが鈍い魔族たちを次々と倒していく。
こういう場面で大技を使わないあたり、戦況の理解はできているのだろう。中途半端に秀でた存在ほど扱いが面倒くさい者はいないなとアンはうんざりとしたため息を吐く。
「気にすることないよアン。ああいう男は救われないって知ってるから」
戦闘を行いながら負傷した兵士や騎士の治療を行っていたリオナがアンに向けて軽い調子で言葉にする。
「りっちゃん、そういう事は戦場では禁句になるんじゃない?」
「そう? 私にとってはどうでも良い事」
「あはは、さすがりっちゃん。ブレないね。ちょっと! 今また外したでしょ! ちゃんと見てるんだからね!!」
デキルの斬撃が魔族たちの上空を過ぎ去っていくのを見たアンがすぐさま指摘する。
「うるせぇ! いちいち見てんじゃねぇよストーカーか!? 生憎オレはお前みたいなやつはタイプじゃねぇんだよ」
「はぁ!? あんたもっかい言ってみなさい! その脳天に超高温緑鉱石を叩き込んであげるわ!!」
「はいはいマントルの事だね。だけどアン、マントルの一部を地上に取り出した時にそれがどれほどの熱量をもっているかは分からないよ?」
「それくらい怒ってるって意味なの! 真面目に回答しないでよりっちゃん」
アンは魔族の群れに攻撃魔術を撃ち放つ。心なしか火炎系の魔術が多いのは気のせいではないはずだ。
「あらあら、喧嘩は良くないわよぉん」
そう言ってアンとリオナの横に並んだのは空中に様々な武器を浮遊させる巨漢ーーロマンだった。
「ロマンさん、どうしてここに? てっきり最前線で戦ってるものだと思ってました」
「んんー、どうしてかしらねぇ。なんだか嫌な気配を感じたのよ」
いつになく真剣な表情で語るロマンにアンとリオナの表情も僅かに曇った。
最強と言われるロマンが警戒するほどの何か、もし本当にそんな存在がいるとしたら、今のアンとリオナに勝ち目などあるのだろうか。考えただけで胃が痛くなる。
アンはロマンの話を聞かなかったことにしたのか、無言で魔族に攻撃魔術を撃ち込んだ。
「あ、ロマンさん。肩のところ怪我してます」
リオナがロマンの筋肉質な体にそっと手を添える。
「……『治癒』」
ほんのりと淡い緑色の光を放ちながらロマンの傷が綺麗に消えていく。
「んふふ、ありがとねぇ小さな治癒術士さん」
「いえ……」
「そう言えばりっちゃんって男嫌いなのにロマンさんは平気なんだ」
「え、うん。そう、みたい」
ロマンは性別上は男なのだろうが、言葉遣いや振る舞いが男とかけ離れているためかは不明だが、不思議とリオナはロマンに対する抵抗はなかった。
だがしかし、突如激しい爆発音がすぐ近くで鳴り響いたことで、会話をしていたアンたちは表情を硬くした。
「なに!?」
「……っ!」
「なんだ!?」
「…………」
順調に魔族を倒していたデキルも轟音と地響きで流石に動きを止めてアンたちの元へと退避する。
その間終始ロマンの眉間には皺が寄せられていた。
それまで人界側の気概に溢れていた戦場も突如恐怖や悲鳴と言った負の喧騒に塗りかわってしまっている。
一体何が起きているのか。何人もの騎士たちが爆発が起きた方向へと走って行き、数分もせずに逃げて来る者が多数現れる。
「ロマンさん……」
「……みんな、気をしっかりもちなさい」
アンの不安そうな一言にロマンは静かに返答した。
そして、逃げる騎士たちを追いかけるようにして現れたのは、1体の魔族。そしてその後ろから黒い人型の影のような存在がゆらゆらと歩いてきていた。
「はぁ♡ 本当は魔王城で待機しないといけないんだけどぉ、こんなにたくさんのオスがいるのに我慢できるわけないじゃない♡」
衣類という衣類がほぼなく、声色の高さと胸元が大きく膨らんでいることから女性型の魔族と見て取れ、長い耳を持ち、尾骶骨からは先端が三角の黒く細長い尻尾が生え、ゆらゆらと揺れている以外、目の前の魔族は人間と大差なかった。
「何だあれ、本当に魔族なのか!?」
アンとリオナもデキルの言葉に同意見であるとでもいうようにごくりと唾を飲み込む。
だが人間側を襲っている以上魔族側なのは間違いない。
そのため、デキルが剣を構えて前に出ようとしたのだが、ロマンがそれを手で制する。
「お待ちなさい」
「なんだよ」
デキルはロマンに怪訝な表情を向けるが、対するロマンは相手の女魔族を見つめ続けていた。
釣られてデキルも視線を向け、その瞳を見開いた。
多くの騎士たちが女の魔族の周りにいるのだが、誰も戦うような素振りを見せず、操られているかのように自ら女魔族の懐へと歩いて行っている。
それを女魔族が優しく抱き止めた時、女魔族の下腹部が粘着質な音を立てながらくぱっと開き、中から管上の物が騎士の腹部へと接着した。その瞬間、騎士の体がビクビクッと痙攣し始め、女魔族は苦しそうに震える騎士の顔をそっと撫でると、その唇に自身の唇を重ねる。直後、騎士は鎧だけを残し、まるで吸収されるかのように女魔族の下腹部の中へと取り込まれていった。
「……な、何を……オレたちは……」
何を見せられているんだ。そう言葉にしようとしたデキルだったが、何故か動悸が激しく自然と息が荒れ始め、上手く言葉がでなかった。
「はぁ……はぁ……あれ、何でだろう。こんな状況なのに……どうしてドキドキ、してるんだろう」
「わか、らない」
デキルだけでなく、アンとリオナも同様の症状に陥っているようで、頬を赤く染め、瞳が完全に潤んだ状態になってしまっていた。
思うように体が動かせず、女魔族から目が離せない。
「……『魅了』ね。見た者を虜にしてしまう強力な魔法よ」
「ロマンさんは、平気、なんですか?」
「平気じゃないわよん。悔しいけどアタシもあの魔族から目が離せないわ。少しでも気を抜けばあの魔族の元へ行ってしまうかもしれない」
そうなれば先ほどの騎士と同じ運命を辿ることになる。そうならないために、相手がこちらに狙いを定めていないうちにこの魔法から抜け出さなければならない。
だがどうしたら抜け出せるのかがわからない。既にリオナは完全に体の力が抜けて地面にへたり込んでいる。
その時、次々と魅了した騎士を取り込んでいた女魔族は突如動きを止め、少しだけ前屈みになる。次の瞬間、女魔族の足元の影が広がり、そこから複数体の黒い人型が這い出てきた。
「あぁ♡ 愛しいあたしの子供たちが産まれる。あぁすごい。どんどん、くるぅ♡」
自身の体を抱きながら恍惚とした表情をする女魔族が甘美な嬌声をあげた。
「ーーっ! ふん!!」
刹那、カッと目を見開いたロマンは、勢いよく右腕を振り上げた。
宙に浮いていたロマンの武器1本が高速回転しながら女魔族の方へと飛翔し、生まれたばかりの影たちを一刀両断して行く。
「ひゃあああああ!! あたしの子供たち……」
両手を頬に当てながら悲鳴を上げた女魔族は、キッと鋭い視線をロマンへと向ける。
「……あなたたちはここにいなさい。もし魔法が解けたならすぐにここから離れなさい」
静かにそう言ったロマンはゆっくりとした足取りで女魔族のところへと近づいて行く。
「くっ、どうしてあたしの能力が効いてないの?」
「効いていたわよん。でも自力で解いたわぁ」
「あ、ありえない! あたしの魔法を解くには自慰行為で絶っする必要が……っ!!」
そこまで言葉にした時、女魔族がロマンの股間に視線を向けて目を見張った。
ロマンの履いているズボンが僅かに濡れていた。
「あ、あんたどうやって……あたしの魔法がかかっていたんなら指先一本動かせないはずなのに」
「お馬鹿さんねぇ。手なんて使う必要があるかしらん?」
「…………は? ま、まさか……」
女魔族はロマンの言葉を理解し、動揺したのかそれとも幻滅したのか、頬を引き攣らせながら僅かに後退する。
「うふん、あなたをおかずにさせて貰ったわよん。ご馳走様♡」
「くっ、この変態がっ!!」
女魔族は素早く屈み、両手の先を地面に擦らせると、そこから赤い瞳を持った犬の形をした影が数体、這い出て来てロマンに襲いかかる。
……死霊使い?
ロマンはそう思考しながら、腕を横に振るう。
それだけで宙に浮いている複数の武器が縦横無尽に飛び回り、最も容易く犬の影を消滅させる。
「ふーん。なかなかやるじゃない」
「それはどうも。それより教えてくれるかしらぁん。あなたは何者? サキュバス? でもサキュバスが死霊を操るなんて聞いたこともないわよん」
ロマンの問いに女魔族は髪を払い、不貞腐れたように返答する。
「ふん、あたしをあんな快楽を貪るだけの女と一緒にしないでもらえる?」
そう言った女魔族は手を胸元に当てながら誇らしげに自身の名を口にした。
「あたしの名はシェディム。この世界で唯一の魔族と人間の混血種よ」
シェディムはくるりと回転し、腰を曲げて上目遣いでロマンに向けて「すごいでしょ」と言葉にした。




