第6話 選択
「しごと?」
鍔鬼の言葉におうむ返しをする智翠に、鬼人の女性ーー鍔鬼は大きくため息を吐いた。
「今回、私は任務を受けてここにいる。智翠、貴様がいるこの世界を昇格させるためにだ」
「しょ、昇格だと?」
「そうだ。貴様は世界は一つしか存在しないと思っているのだろうが、そうではない」
鍔鬼はその辺に落ちていた木の枝を拾い、地面に何やら絵を描き始める。それは三角形の図の中に何本か線を入れたものだった。
「この分割した部分が世界だ。頂点に行けば行くほど文明技術の発展が優れた世界となっている」
「……どういう事だ? つまり私たちの世界はどのあたりにあるのだ?」
「ここだ」
そう言って鍔鬼が指したのは三角形の底辺となる場所。
「貴様らのような世界は山ほどある。通常ならば技術の発展速度が早いものから世界が自動的に昇格されていく。だが何の因果か、我々の世界の者がゲートとかいう馬鹿げた物を作り上げた結果、この世界と繋がった。そして我々の技術や能力、存在の認識がこの世界に多大なる影響を与えてしまっている。今やこの世界は崩壊寸前だ」
それは、鍔鬼自身の事やベスティアという存在、智翠が持つ『幻月』の事を指しているのだろう。
この世界に異物を入れてしまった事で世界のパワーバランスが崩れ、鍔鬼の言う階層世界から抹消されかけているのだろう。
「これまでは誰も世界の往来など出来はしなかった。いや、今の発言には語弊がある。我々の世界より上位の世界の者にはできたかもしれない。だが少なくともこちら側にこれまで異世界へと繋げる技術者はいなかった。当初は私も新しい技術に浮かれていたのかもしれない。たまにこちらの世界で一人旅などしてしまうほどであったからな」
結果、智翠の育て親に出会い、そして……
「おかげで私と出会ったというわけだな?」
智翠が頬を染めながらニヤニヤと笑みを向ける。
媚薬のせいもあり、智翠の頬が少しだけ赤らんでいる。
「フン、調子に乗るな馬鹿者」
「あたっ」
鍔鬼は容赦なく智翠の額にデコピンを打ち込む。
ゴツっという鈍い音と共に智翠が仰け反りながら倒れ込んだ。
「貴様も聞いた事があるだろう? 外来種を持ち込んではならない。持ち込めば生態系が崩れ、動物や植物、我々のような存在にも影響を与えることになるとな。それと同じだ」
そこまで言うと鍔鬼は一呼吸置いて、座り込んでいる智翠に再び視線を向ける。
「要するに上からの命令は、持ち込んだ者がしっかりと後始末しろと言うことだ」
つまり世界の崩壊を防ぐためには、この世界でのイレギュラーを排除すれば良いというだけの話。そうすれば多少のズレはあるだろうが、緩やかに元の世界の技術水準に戻るはずだ。
「…………!」
それを理解した智翠は咄嗟に起き上がり、鍔鬼から距離を取り、幻月を抜刀しようとして動きを止める。
今幻月は鍔鬼の手に握られていた。
智翠が装備のない丸裸の状態であることに気づき、少し赤かった顔色が一気に青ざめさせる姿に、鍔鬼は僅かに肩を揺らした。
「早まるなよ? 曲解も良いところだぞ智翠。私は最初にこの世界を昇格させるために来たと言ったはずだぞ」
「あ、ああ、そうであったな」
「私も関わった者を無情に殺すほど堕ちてはいない。救いようがないやつは別だがな。故に、我々ヘキサグラムという組織は、通常とは逆の方法で貴様らの世界を救うことにした」
そこまで言われてしまっては智翠も理解せざるを得ない。
この世界を昇格させる方法、通常ならば新しく増えた異物を取り除くのが最も有効的な方法であり、その逆とはつまり……
「この世界から古い人間には消えてもらう」
鍔鬼の言葉に智翠は息を呑んだ。
「古い、人間とは……?」
「今のところ、貴様らを基準に25年以上長く生きている者には消えてもらう予定だ」
「な!? ま、待て鍔鬼! それはいくらなんでもやり過ぎだ!」
「何を言う。この世界の平均寿命は50前後、丁度良いくらいだ。治癒魔術とやらを乱用しているおかげか、医療技術は全くと言って良いほど進んでいないようだな」
「ふざけるな! 戯言も度が過ぎれば不快でしかないぞ鍔鬼。お前にそのような事は決してさせぬぞ!」
智翠は鍔鬼に鋭い視線を向ける。
だが、対する鍔鬼の視線は冷徹で、氷のように冷酷なものだった。
「ならばどうする。貴様が私を止めるのか?」
「あぁ! 無論だとも」
「武器もない貴様に何ができる」
「ーー!!」
幻月は今、鍔鬼の手の中にある。鍔鬼は最初からこうなる事を予想して、自分の刀を抜かず、幻月でリザードマンを倒していた事をようやく理解した智翠は己の不甲斐なさに歯噛みする。
「選べ智翠。私に刃向かい世界と共に虚しく死ぬか、世界を救うために他者を犠牲にするか」
犠牲の数なら正当な方法で行く方が限りなく少なくて済む。だが、鍔鬼たちは新しい存在を否定するのではなく、古い考えを持つ者たちを捨てる方を選んだ。
何しろ、鍔鬼たちからすれば、この世界の住人などどうでも良い存在であるからだ。
智翠は初めて鍔鬼という存在がどういった者なのか、理解せざるを得なかった。
何度も助けられてしまっていたため、無意識に見ようとしなかった鍔鬼の額。彼女は世界は違えど魔族であり、智翠たち人間が倒さなければならない存在であった。
そして今、鍔鬼たちはこの世界の人間を蹂躙しようと企んでいる。
止めなくてはならない。そう考える自分がいるのに、言葉と行動に表すことができない。なにせ、どうせ助けたところで世界が滅んでしまえば同じことなのだから。
だがそこで智翠の思考を遮るように、遠くから別の魔族の群れが押し寄せて来るのが視界に入った。
人型の魔族だが、頭が牛のような形であることから、ミノタウロスであることが伺えた。別の方向からはオークの群れがやって来ていた。
「ここは私が受け持つ」
そう言った鍔鬼は苦慮し続ける智翠の目の前の地面に『幻月』を突き立てた。
「っ! 鍔鬼」
「それで私の背中を刺したければ刺せば良い。だがこの世界が壊れることに変わりはない。そんな無駄足を踏んでいるくらいなら貴様の友人とやらを助けに行ったらどうだ。動かねば友人の身に危険が及ぶことになるぞ」
「…………!!」
鍔鬼の言葉に智翠は幻月を手に取り走り出す。
そうだ。初めから理解していたことだった。見ず知らずの人間と、心から信頼できる仲間とでは天秤に賭ける必要さえない。世界を救えば、仲間も救われる。それで良いではないか。何も悪いことなどない。
智翠の瞳から涙が溢れて来る。
結局のところ、鍔鬼たちとは見ている規模が違うだけで、考え方は同じなのだ。
何かを犠牲にして何かを得る。それを平気で行うのが魔族であり、倒さなければならない存在。
そして、それを容認して仲間の元へ向かってしまっている自分自身の心もまた、魔族と同類だという事に智翠は涙を浮かべずにはいられなかった。




