第4話 世界を跨いだ友情
サラがアキヒと共に空を駆け抜けていると、突如行く手を阻むようにしてガーゴイルの群れが現れた。
この戦いを早々に終わらせるためには魔王と決着をつけなければならないのだが、やはり容易には辿り着かせてはくれないようだった。
「アキヒ君下がってて!」
「いや、無理無理! ここ空中じゃん!」
アキヒを掴んでいた手を離しそうになっていたサラはその言葉でしっかりと握り直す。
「ご、ごめん」
咄嗟に謝罪し、すぐにガーゴイルに向き直る。
個々の強さはそれ程高くはない。だが集団となると、アキヒを連れている状態での戦闘はこちらが不利である。どうにかして敵に囲われる前に切り抜けるしかなかった。
サラが左手を前に出し、掌の中心に魔力を集めていく。
だがその時、サラたちの背後から1人の少女が悲鳴を上げて飛来し、高速で横を通り過ぎて行った。
「……へ?」
まさか人が飛んでくるとは思ってもいなかったサラは悲鳴を上げて飛んでいく少女を呆然と見送ってしまった。
ガーゴイル側も突如飛んできた少女に驚愕や狼狽した者たちがいた事により対応が遅れ、まるでボーリングのピンのように少女が激突した場所を中心にガーゴイルたちが弾け飛んでいった。
しかし、ガーゴイルの群れを蹴散らす程の勢いと威力があったにもかかわらず少女は無傷で、尚且つ彼女は自身の背中の羽根で空中に留まった状態でいた。
そこでようやくサラは目の前に現れた少女が誰なのかを理解する。
「あ、アニ……ちゃん」
その呼びかけに、アニと呼ばれた小さな吸血鬼は肩をビクッと跳ね上げ、恐る恐るサラの方へと振り返る。
「あ、えっと……そのぉ……」
指先同士をツンツンと突きながら何を話せば良いのか分からないと言った様子のアニ。
「良かった……戻って来てくれたんだね。もう会えないと思ってたんだぁ」
瞳に涙を浮かべながら語りかけるサラに、膝を抱え、体を固くし縮こまり、ぎこちなくなっていたアニの態度が、まるで氷が溶けたように抱えていた膝が伸び、ゆっくりとサラに近づいて行く。
「私のこと、嫌いじゃないの?」
アニの言葉にサラは大きく首を振る。
「嫌いじゃないよ。アニちゃんは今の私にとってすごく大切な友達だよ」
アニがいなければとっくにサラは死んでいた。なんの知識もないままただの化け物に成り果てるはずだったサラをアニは短い時間だが繋ぎ止めてくれた。
「……私も、サラが好き。サラは大事な友達!」
そう言ったアニは母親の胸に飛び込む子どものように勢いよくサラを抱きしめた。
もう二度と放さないとでも言うかのように、あの時、変わって行くサラを見捨てて離れて行ってしまった自分を叱咤するかのように、腹の底から自身の思いを口にする。
「ごめんなさいサラ。ごめんなさい。私のせいで……ほんとうに……」
「うんん、私の方こそ、酷いこと言っちゃった。アニちゃんは私を心配してくれてたのに、無責任で身勝手な私を許して」
「うん、私って良い子だから許しちゃう」
そう言葉にするアニの背後から、飛ばされたガーゴイルが再び集結する。
堂々と隙を晒しているアニの背中に狙いを定め、攻撃しようと動き出そうとして、自身の身体に異変が起こっていることに気がつき動きを止めた。鼻や耳、目といった穴という穴から自身の血が流れ出ていく。
その現象は全てのガーゴイルに起きており、とめどない出血に各々が慌てふためき、最終的に口から血を流して全てのガーゴイルたちが力無く落下して行った。
「おいおい、何が起こってんだよ」
サラの陰にいたアキヒがその光景を眺めてそう呟く。
「うぇ!? だ、だれ!?」
アキヒの存在に気がついていなかったアニは反射的にサラから距離をとる。
「大丈夫だよ。この人はアキヒ君。えっと……私を絶望から救ってくれた人だよ」
「うぃっす! アキヒだ。アッキーって呼んでくれて良いぞ」
「あ、うん。アニだよ。じゃなくて! なんで生きてるの? 私がそばにいるのに……」
アニには近づく生物を自分の意思とは関係なくその生命力を吸い取る「呪い」を常に持っている。
サラはアニの呪いの影響を受けにくい魔力体質であった事からアニは彼女を気に入った。そしてアニの血を取り込み半魔族となったサラはもはやアニの呪いなど全く影響を受ける事はない。
だがしかし、アキヒはただの人間だ。魔力も一般人より少なく、サラのような特殊な魔力体質など持ち得てはいない。それなのになぜかアキヒは平然とアニの近くにいて、平然と会話していた。
「あ、俺女の子からの攻撃は効かないからさ。それがロリっ子でも同じだぜ。むしろより可愛さが増してるから俺としてはもっと近くでお話ししたいなって思ってぇえててて!」
「もう! どうしてそうやってすぐに他の女の子のところに行こうとするのかな! 私がいるんだからいいでしょ!!」
いつものようにガールズハントするアキヒにサラがその頬を引っ張り話を中断させる。
「ふぁい。しょうでしゅね……ん? 私がいるって、それって俺と正式に付き合ってくれるってこと!?」
「うぇ!? えぇっとそれは……あれだよほら言葉の綾というか……」
サラの頬がリンゴのようにみるみる真っ赤に染まっていく。
そんな2人のやりとりを見てアニは目を細め、表情を和げる。
「ふふ、サラは大切な人を見つけたんだね。今のサラ、すごく幸せそう」
アキヒという青年は異様だが、彼が今、サラの支えになっていることだけは確かだった。
アニの言葉を聞いたサラは一瞬だけ目を大きく開き、そしてゆっくりと細め、ほんのり赤みがかった頬に柔らかい笑みを浮かべた。
言葉にはしなかったが、サラの表情からは肯定の色が濃厚に浮かんでいた。
アキヒのことが好きだと自覚しているのに、それを伝える事はせず表にも出そうとはしない。
自分は好きだが、相手も同じとは限らない。自分よりもっと他の人の方が相応しいのではないだろうか。そんなサラの気持ちをアニには容易に汲み取れてしまう。
それもこれもアキヒという青年が手の内ようがない程に女好きでほいほいと知らない女の背中を追いかけてしまうのが悪い。アキヒの真意が分からず、サラが上手く気持ちを伝える事ができずにいる。だがサラ自身、独占欲がとてつもなく強いため、一度落とせば、アキヒは二度とサラから逃れる事はできないだろう。
臆病なくせに独占欲が強いというなんとも難しい性格のサラにアニは少しだけ憐憫に思っていると背後から再び敵がやって来るのを感じた。
魔力の質からしてガーゴイルではない。
「今度は何?」
サラが眉を顰めてやって来る敵を凝視する。
全身が硬い皮膚で覆われ、背中から羽根を生やし、竜の頭を持った人型の魔族。
「……ワイバーン」
空中機動力が凄まじく、体格は魔物の黒竜より遥かに小さいが、戦闘力はそれを遥かに上回る存在である。
それが今目の前に数十、否、数百とやって来ている。
「サラ、ここは任せて」
「アニちゃん!」
「大丈夫。私は絶対に負けないから!」
アニの強い意思にサラは頷き、いつでも動けるように再びアキヒの手を強く握る。
しかしそこで、アニはそっとサラの耳に顔を近づけ、何かを囁いた。
「…………!」
「また一緒に遊んでくれる?」
「うん! ありがとうアニちゃん。私頑張るよ」
サラの気合いの入った言葉にすぐ後ろにいたアキヒが困惑の表情を浮かべる。
「え、何? なんの話?」
「内緒。女の子同士の話だよ」
そうサラが照れた表情を浮かべながら答えた時、アニが自身の掌を薄く切って前にかざす。
「道は私が作るよ!」
アニは流れた血を振りまいた瞬間、その血が一瞬で膨張し、ワイバーンの群れの上空に女性の形をした巨大な血できた像が出現する。中心にある両開きの扉が金属を擦らせる不快な音を響かせながらゆっくりと開かれる。それは数百体ものワイバーンを一気に飲み込むほどの空間が広がっており、内部には極太の剣山が連なっていた。
「……『退紅処女』」
そう唱えたアニはかざしていた手の指を丸め、拳を作った時、それに合わせて巨大なアイアン・メイデンが下降していく。
ワイバーンたちは上空のアイアン・メイデンに攻撃をしかけるがびくともしない。
アイアン・メイデンの下にいたワイバーンたちは、逃げるタイミングを失い、そのまま巨大な空間へと飲み込まれていく。ガコンという音とともに重い両扉が閉まり、隙間から大量のワイバーンの血が溢れ出す。
「今だよ!」
アニの叫びと同時にサラはアキヒを抱えて全力で飛翔する。背中の羽根に風を纏わせ、通り過ぎ側に近くにいたワイバーンを弾き飛ばして行く。
「このまま一気に魔王城まで行くから!!」
「おう! ……ごほぁ」
「え!? ちょ、アキヒ君!?」
突如吐血したアキヒにサラは驚愕し飛行を止めようとするが、それをアキヒ自身が手で制する。
「大丈夫っ、少しだけあの子の能力の影響があるだけだから」
「女の子の攻撃は効かないとか豪語してたのが聞いて呆れたよ」
「ははは……そうなんだけど、流石にあの子のスペックが異次元すぎて完全には防ぎきれないみたいじゃん」
あの場に居続けたら間違いなくアキヒは死んでしまう。アニとはいつでも会いたい気持ちは大いにあるが、アキヒとは会わせない方が良いだろうとサラは考える。
「速度上げるけど、大丈夫かな?」
「オッケー。まだまだ余裕だぞ」
アキヒの頷きを確認し、サラは一気に速度を上げて行く。
今は魔王を倒す事だけに意識を集中しよう、そう結論づけてサラはアキヒとともに暗黒の曇天下を飛翔して行くのだった。




