第1話 結界の崩壊
冬という季節は、日常の大半が厚い雲で覆われている事が多い。
そんな中でもこの日は珍しく快晴であり、夕方には太陽が地平線に沈んで空が赤く染まっていた。
誰もが一度は立ち止まり、見上げてしまうほどの情景だったはずが、『魔王』という最大の敵が現れた事でその時に限っては地獄の業火にいるような空の色に感じていた。
着実に時間が流れ、いずれ近くの荒野が戦場と化す。
それまでの間、ケレント帝国現国王のマックスは避難誘導に勤しみ、城内又は付近のシェルターへと住民を誘っていた。
そして、日が完全に沈みきり、闇と化した空には点々と小さな星が瞬き始める。
「いよいよか……まさか、こんなに早く魔王とご対面するとは思わなかった」
アヒトが誰に聞かせるまでもなく、1人静かに呟いた。
「緊張してる?」
「いや、大丈夫。と言ってもさっきまでは心臓が爆発するんじゃないかってくらいにドキドキだったけどな」
ベスティアの問いかけに笑みを向けて答えたアヒトにベスティアも小さな笑みを作る。
「おれたちはここから魔王城まで向かうけど、サラとチスイはどこから向かうんだろうな」
同じ場所から向かってもよかったのだが、それでは魔王に誰が魔王を狙っているのか勘繰られてしまうとマックスに指摘されたため、それぞれが別々の配置となっていた。
「私にも見えない」
「ティアの目でも見えないとなると相当離れてるみたいだな」
「間に他の人がいるからかもしれない」
「なるほど」
誰が攻めるか把握されないようにするための小さな悪足掻きと言ったところだろう。
ちなみに、アヒトの後方には学園の生徒たちが待機している。
戦場の中心に出るのは、数時間前にマックスにより紹介された面々ではあるが、学園の生徒たちも魔術や剣技が使える以上、立派な戦力であるため、傷付きつつも前線を突破した魔族を確実に仕留めるために配置されている。
もちろん配置場所はアヒトのいる場所だけではなく、サラやチスイ、バカムやアホマルなどにも生徒たちが配置されている。
そしてその中には何人かアリアの騎士が紛れるようにして配置されている。
おそらく彼らが生徒たちに指揮してくれるのだろうとアヒトは推測した。
出し惜しみはしない。初めから全力で最大戦力を投入する。
側から見れば無駄死にさせるだけの無謀と捉えられるかもしれないが、この世には何をしても勝ち目がみえない相手もいるという事だ。
ならば初めから全力を出し、死に物狂いで足掻くだけだ。
アヒトは大きく深呼吸する。
これから共に戦う人たちを思い浮かべ、そして敵対する相手を思い浮かべる。
必ず、ここに戻って来ると信じて、アヒトはやがて訪れる結界壁の崩壊を待つのだった。
アヒトたちがいる場所から西に700メートル離れた場所にサラとアキヒは佇んでいた。
周囲は不気味に思えるほど静かで、近くに生物がいるようには感じられなかった。
物音ひとつ聞こえない状況に、ついつい魔王が攻めて来るのは嘘なのではないかと疑念を抱きそうになる。
「魔界にもエイプリールフール的な日ってあるのだろうか」
そんな事を呟いていると、ふと視線を感じたため、アキヒは横へ視線を向けると、隣にいたサラが顰めっ面で見つめていた。
「……随分と余裕だね、アキヒ君。魔王が攻めて来るっていうのに」
「えぇ、だってさ、なんか実感ないじゃん? もしかしたらあっちの嘘だったりとか考えるわけじゃん? そしたらなんか緊張とか不安とかぶっ飛んだっていうか……」
口元を引き攣らせながら言い訳がましく言葉にするアキヒにサラは頭を抱えてため息を吐く。
「もぉ、ぶれないね。ちょっと羨ましく思っちゃうかな」
サラの言葉にアキヒは照れたように頭を掻きながら笑みを向ける。
こんな状況だというのに、アキヒはいつも通りに会話を行い、いつも通りに笑う。
魔族はすぐ近くまで集まってきており、今のサラには魔力の波長で他の魔族を感じることができるようになっているため、現在、目の前にある結界壁の向こう側に大量の魔族が並んでいる事が把握できている。
だから、これは嘘でも幻でもない事がサラには分かっていた。
それでも、隣にいる青年が笑うだけで、安心し気持ちが楽になる自分がいた。
出会ったあの日からまだ数日だというのに、心の底からアキヒという青年を信頼してしまっている自分がいた。
そのためサラは既に気づいている。
アキヒがサラにとってどれだけ大切な存在であるのかという事を十二分に理解していた。
「そうだ。サラさん。もうすぐ戦いが始まるだろうから今のうちに聞いておくけど良き?」
いつになく真剣な瞳で見つめるアキヒにサラも吊られて見つめ返す。
「なにかな?」
「あの時、これから生きていく上で何か目標や憧れを見つけようって言ったけど、それはもう見つかった?」
あの時とは、サラとアキヒが契約を結んだ時の事だ。
生きる意味を見出せないサラにアキヒはそう言ったのだ。
「目標、憧れかぁ。そうだね、一つ見つかったかな」
「え、なになに!?」
アキヒが瞳をキラキラと輝かせながら距離を詰めて来る。
「なんでそんなに嬉しそうなのかな」
「気にすんな。んで! 何が見つかった!?」
先程の真剣な表情が台無しである。
話を逸らそうとも考えたが、アキヒの事である。聞けるまで何度も聞いて来るはずだ。
そんな無駄な疲労の蓄積だけは避けたいため、サラはアキヒに半分だけ答えを口にする。
「……太陽、かな」
「それって、憧れ?」
「うん」
サラの返答を聞くと、アキヒは腕を組んで「なるほど」と小さく唸り始めた。
「やっぱ、日の下に出られないって辛いよな」
「ちょっと! 何でそこで同情するかな? その憐れむような目を今すぐやめろ!! 言った私が馬鹿みたい」
そこまで言葉にした時、前方から轟音が鳴り響き、空間が揺れ、地面が脈動する。
「うぉー、いよいよか!」
アキヒは僅かに興奮したように声を上げ、次にサラの方へと手を差し出した。
「どうしたの?」
「サラさん。一緒に生き延びようぜ!」
満面の笑みを向けて言葉にしたアキヒに、サラは思わず苦笑する。
「もう、当たり前でしょ!」
そう言ってサラはアキヒの手を握り、同時に羽根を広げて地を蹴った。
背後にいた学生や騎士たちからは動揺する騒めきが響いていたが、気にする事なく飛んでいく。
チラリとアキヒに視線を向けると、アキヒもサラの視線に気がついたのか、空中というにも関わらず大丈夫だと言うかのように笑みを向けて来る。
そんなアキヒにサラは内心で言葉にする。
私が太陽に憧れた理由は外に出られないからだけじゃない。
常に眩しく、温かく、安心させてくれるあなたが、太陽にそっくりだったから。
あなたの笑顔が、私は好き。
あなたが笑顔でいる限り、私はこれからを生きて行ける。
あなたという存在が、私の憧れであり、私の生きる目標なんだよ。
背中の羽根を強く羽ばたかせ、サラはアキヒの手を強く握り、ガラスのように崩壊する結界壁へ向けて速度を上げていくのだった。




