第3話 新しい生活 その3
そして30分後。
アリアが屋敷の玄関を開けて帰宅して来た。
「ふぅ、ただいま」
新しい学園長がやって来た事で生徒会の仕事が一気に押し寄せ、少しだけ帰るのが遅くなってしまった。
まだ勤め始めたばかりのアヒトには申し訳ない事をしたとアリアが感じていると、ふと目の前に1人の少女が立っている事に気が付いた。
「あら、ベスティアさん。わざわざ出迎えに来てくれるなんてどういう心境の変化かしら」
その質問にベスティアは答えず、ただ恥ずかしそうに視線を泳がせたまま立ち尽くすベスティアに、アリアは怪訝に眉を寄せる。
「どうしたの? 何か言いたい事がーー」
アリアはベスティアに詰め寄ろうと一歩前に足を踏み出した時、ベスティアは両手を体の前で重ね、綺麗に45度くらいの角度まで頭を下げてくる。
「お、おかえりにゃさいませ。お嬢さにゃん」
最後の言葉と同時にベスティアは上目遣いで両手を顔の横に持っていき、にゃーと指を丸めた猫の手ポーズを行った。
「か……!?」
そのあまりの愛くるしさに思わずアリアの口から声が漏れる。
「か?」
ベスティアがジト目でアリアを見つめた事でアリアも我に返る。
「か、かかからかってるのかしら。そんな作法を教えた覚えはないのだけれど」
「別に貴様に教わった覚えもない」
「うっ……とにかく! いったいどういうつもり?」
その言葉の直後、ベスティアの背後からジュジュとアヒトがやって来る。
「お帰りなさいませ。お嬢様」
「お帰りなさいませお嬢様」
「ただいま2人とも。これはどういう事なのかしら?」
アリアの質問にジュジュが答える。
「お嬢様に一つ提案を聞いてもらいたいのです」
「提案?」
「はい、誠に勝手ながら本日の夕食は私たちも同席する形にしてもよろしいでしょうか」
「同席? あなたたちは一番最後よね。なんで今日に限って」
そこまでアリアが呟いた時、ベスティアのお腹から何度目かの可愛らしい音が鳴った。
ベスティアの視線が床へと向けられる。
「……そういうこと。私の機嫌を良くして許可を得ようという作戦だったのね」
「あ、あれ、バレました?」
「当たり前じゃない」
第一、普段殺意を飛ばしまくって来る相手がいきなり潮らしくなっては怪しさ100%で何かあると思うのが普通だろう。
おそらくジュジュはベスティアがアリアを嫌っている事を知らないため、こういう結果になったのだとアリアは推察した。
アリアは一息吐く。
「まぁ、今回は初めてという事もあるでしょうから、特別に許可しましょう」
決して可愛かったからなどとは言わない。
言ってしまえばその後の数日、弱みを握られたような屈辱的な日々を送りそうな予感がしたからだった。
「ありがとうございます! 良かったねティアちゃん」
「ん、ジュジュのおかげ」
ベスティアも嬉しそうに食堂へと向かっていく。
「それじゃ夕食にしましょう」
アリアの言葉でその場にいた全員が食堂へと向かい、アリアを先に座らせてから各々席に着く。
食事に手を付けるのもアリアが行った後に使用人であるアヒトたちが食べ始める。
ベスティアは空いた胃袋を埋めるように次々に食べ物を口の中へ放り込んでいく。
食事のマナーとしては決して良いとは言えないが、ベスティアのあまりにも幸せそうな表情で食べる姿を目の当たりにしてしまっては、世話焼きのジュジュはおろか、アリアでさえ黙認してしまうほどだった。
働かされる事に関してはベスティアは嫌々だったが、以前までの食生活と比べると確実に豪華な物を食べているのだから、案外ベスティアはこちらの方が合っているのかもしれないと、食事をしながらアヒトは考えていた。
「ご馳走様。今日も美味しかったわ。流石ね2人とも」
「いーえいえ! これらは私とアヒトさんだけで作った料理ではないので、私たちだけが褒められるのは少し違うかと」
「良いじゃない。そこは素直に褒められておきなさい」
「は、はい」
ジュジュがペコリと頭を下げ、アヒトも軽く頷いて見せる。
「早速で悪いのだけれど、お風呂に入りたいわ。今日はすごく疲れたから、少しでも体を休めたいの」
「あ、はい! お風呂の準備ならティアちゃんが既に完了済みです」
「ふーん、そう。ベスティアさんが」
アリアがベスティアの顔を見つめる。
「何?」
ベスティアは軽く視線を合わせるが、すぐに逸らし、テーブルに飾られたフルーツに手を伸ばす。
「いいえ、別に。それじゃあ入らせてもらうわ」
「承知しました。お着替えは後ほど脱衣所に置いておきますので、そのまま浴室へとお向かい下さい」
「ありがとう」
そうしてアリアは脱衣所に向かい、そこで制服を脱ぎ、タオルを1枚体に巻くと浴室に繋がる扉を開ける。
刹那、浴室内にこもっていた尋常ではない熱気がアリアに襲いかかった。
猛烈な暑さに一瞬でアリアの身体から玉の汗が浮かび上がって来る。
「………………………………」
アリアは一度浴室の扉を閉め、その場で大きく深呼吸をする。
「……シナツ」
「キュイ!」
その一言により、屋敷内をシナツが生み出した烈風が走り抜ける。
向かう先は食堂。
そこにいた亜人の少女に一瞬で風が纏わりついていく。
「にゃ!? これはいったい!?」
「ティア!!」
ベスティアの異常にアヒトも席から立ち上がり、駆け寄ろうとするが、それよりも速く、ベスティアの身体が強制的に運ばれて行く。
「うぇぇえあああ!?」
謎の浮遊感にベスティアが変な声を漏らしながら抵抗虚しく運ばれ、気が付けばアリアの足下に転がされていた。
「今晩はベスティアさん。今日は私と一緒にお風呂に入る予定よね」
「え……にゃんの事」
「喜ぶと良いわ。大浴場ですもの。庶民では味合えない空間で気持ちよぉく疲れを癒せるのよ? 光栄に思いなさい」
アリアは失った左腕の代わりに風の魔術で生み出した義手を作り出し、その腕でベスティアの両腕を逃さないように拘束する。
「うぐっ、断る!!」
ベスティアは振り解こうとするが、アリアが生み出した風の義手はあまりにも高性能で、まったく解ける様子はなかった。
「あらそぉ? シナツ」
アリアはベスティアに笑いかけながら、シナツに命令する。
途端に、ベスティアの着ていたメイド服が一瞬でビリビリに裂かれ散り、ベスティアの裸体が露わになる。
「ちょ!? 服!!」
「安心なさい。替えの服くらいいくらでも用意してあげるわよ」
アリアが不敵に笑いながら浴室の扉を開け放つ。
その瞬間、再び全身に浴室内の熱気が襲いかかって来る。
それを受けたベスティアが思わず目を見開き、頬を引き攣らせる。
こんな場所に閉じ込められたら、間違いなく死ぬ、とそう感じずにはいられなかった。
「ま、まま待って! あやまる、あやまるから!!」
ベスティアは逃れようともがくが、既に身体にはシナツの風が纏わり付いて宙に浮かせられており、思うように体が動かせなかった。
「お先に味わって来ると良いわ。私も後で入るから」
そう言ってアリアはベスティアに手を振る。
同時にベスティアの浮いた体が自動的に浴室内、それも超高温と思われる湯船の上へと向かわれる。
「い、いや、待って! ここはダメ! 絶対ダメ!」
自分が入れたお湯なので分かる。
入ればタダじゃ済まない。
下から上がって来る湯気だけで既にお尻が火傷しそうなほど赤く腫れ上がっている。
「生きている事を願っているわ」
そう言ったアリアはバタンと浴室の扉を閉めた。
同時にベスティアに纏わりついていた風がパタリとなくなる。
「うにゃぁぁああああああああああああああああああああああああああああああ」
浴室内にベスティアの絶叫が響き渡り、それを扉越しに心地良さそうにアリアは聞いていた。
「はぁスッキリした」
アリアは腰に手を当てた時、巻いていたタオルの感触がない事に気がつき、下を見る。
「あら、シナツの魔法の時に飛んじゃったのかしら」
アリアはすぐ近くの床に落ちていたタオルを拾い上げようとした時、
「ティア!! 大丈夫か!!」
脱衣所内に追いかけて来たアヒトが現れた。
「あ、あああアヒト・ユーザス!? み、見ないで欲しいのだわ!」
「うわぁあ! ごめん!」
アヒトが瞬時に背中を向け、アリアも急いでタオルを拾い上げる。
だがそのタイミングで、浴室の扉が勢いよく開かれた。
「な!?」
驚愕に目を見張ったアリアだったが、その時には既に真っ赤に腫れた亜人の少女の腕がアリアの肩を掴んでいた。
「貴様も……来い」
「ひっ!!」
アリアは咄嗟に逃げようとするが、時既に遅し。
力の差があり過ぎるせいであっさりとアリアは浴室内に引きづり込まれていった。
「きゃあああああああああああああああああああああああああああああああ」
すぐにベスティア同様に悲鳴が響き渡り、背中を向けていたアヒトが思わず振り返る。
そしてそこにいたはずのアリアの姿がない事に気がつき、アヒトは唾を飲み込んだ。
「いったい何が……」
恐る恐る脱衣所内へと入って行くアヒトだったが、突如背後からパサっと布が落ちる音を聞き、そちらへと振り向いたアヒトは無意識に固まった。
脱衣所の入り口にはジュジュが立っていたからだ。
床にはアリアの着替えが落ちており、ジュジュ本人もアヒトの姿を見て固まっていた。
「…………変態!!」
「違うよ!?」
ジュジュの叫びにアヒトは反射的に否定したが、この空間では誤解は解けそうになかった。
翌日、屋敷に医療魔術師を呼び寄せ、アリアとベスティアは治療を受けた事ですぐに回復した。
一時は屋敷内で大騒ぎになったが、アリアとベスティアが意識が残っている範囲で事の説明をした事で何とか大事にはならなかった。
アリアの皮膚が剥がれ落ちそうになっていた姿を見た時はジュジュが失神していたが、彼女も今は回復している。
そんなこんなで、アヒトとベスティアの新しい日常生活はこれまで以上に休む暇を与えてくれなさそうだとアヒト自身は深くため息を吐くのだった。




