第7話 親友
魔界の一角にあるオークの群れが居住する領域。
サラとアキヒはチスイが目覚めるのを待ちながら、幾度となく襲いかかって来るオークを倒し続ける。
アキヒの血を貰い、本当に自身の魔力の過剰分泌を抑えられているかどうかの違いを確認する為に戦った。
結果として、確かにサラは自我をなくす事なく、戦闘の記憶を保持したままでいる。保持できているのはいいのだが……
「いったい、何体出てくるのかなぁ!?」
サラは倒しても倒しても湧き出てきて、捨て身の突撃を繰り返すオークたちに絶叫した。
オーク達からすればサラとアキヒは、領地を侵す侵略者である事には違いない。
そのため、何が何でも抹殺しに来るというのも理解できるのだが、
「はぁ、はぁ、げ、限度ってものがあるよね!? これだけやって勝てないってわかったんなら普通退くなり、逃げるなりするんじゃないの?」
オークの首を風で斬り飛ばし、背後から襲って来る別のオークを背中の異形で握り潰す。
無意識にやっている行動だったが、やはりサラの中では、こうしたいという気持ちがどこかにあるのだろう。
血肉が飛び散る光景は見るも耐え難いものであるのに、なぜかサラは気分が悪くなったり吐き気等を催したりする事はなかった。
度重なる戦闘で疲労はあれども、それ以上に圧倒的な戦力差に自分がこれ程までに強くなれていたのだという事に高揚感を覚え、もっともっと相手が恐怖し逃げ回るまで嬲り殺したいという気持ちが膨れ上がってくる。
「はっ! だめだめ。暴走しかけてる」
一度の魔力放出は少ないとはいえ、それを長時間続ければ流石にサラの脳が麻痺してくる。
アキヒから貰った血による中和効果も切れてしまっているため、これ以上無理な戦闘はできない。
サラは周囲を見渡し、アキヒの姿を探す。
アキヒはサラがいる場所から数十メートル先の僅かに斜面となっている場所の上方で数体のオークを相手に戦っていた。
オークが使っていた手斧を振り、なんとか倒してはいたが、サラとは違い、感覚も戦える手段も多くはないアキヒは横から襲いかかるオークに気が付いていなかった。
「危ない!!」
サラはそう叫ぶが、アキヒには聞こえていない。
聞こえていたとしても、もはや並の人間が躱せるタイミングではなかった。
視界に一瞬だけ捉えたアキヒは、回避が間に合わない事を認識するや背中を向けて体を丸める。
直後、アキヒはオークによって背中を切り付けられ、斜面を転がり落ちた。
それを見てサラは急いで駆け寄り、転がってきたアキヒを抱き抱える。
「ばか! 怪我してるのに何で戦ったの?」
かなり深く斬られたのか、サラの手にはアキヒの血がべっとりと付着し、地面をアキヒの血液が流れていく。
サラの魔法に回復系の魔法はない。杖があるなら治癒魔術くらいは今のサラでもできるが、生憎、ここにはそれはない。
「……へへ、目の前で、大好きな女の子が、戦ってるんだ。ここで戦わなかったら男として、最低だっつーの」
激痛な筈なのに、それを表に出さないようにサラにはケラケラと笑ってみせるアキヒ。
だがその表情が余計にサラの心を傷つける。
「笑わ、ないでよ。なんでそんな時まで笑ってるの……?」
サラを不安にさせないようにする為なのはわかる。
だが、明らかにアキヒが死にかけていて、不安の解消もあったものではない。
素直に痛い、苦しいと言ってくれるだけで、まだ冷静でいられたのかもしれない。
サラの瞳から涙が溢れて来る。
「私には、女の子なんて呼ばれるような資格はないのに……」
まだ息のあるアキヒをそっと寝かせたサラは立ち上がる。
「待ってて、すぐに終わらせるから」
そう言葉を残し、サラはオーク達に向かって駆け出した。
この戦いを早々に終わらせ、アキヒを助けなければならない。
そのためなら、たとえ自分が暴走しようとも構わない。
制限がかかっていようとも、出せる魔力を全て出してでもオークの群れを倒す。
「はああああああ!!」
サラは怒りと気合いのこもった叫びを上げながら立ち向かう。
火で炙り、風で斬り飛ばし、水で貫き、土に埋める。
凍らせて砕き、感電させて息を止め、背中の拳で引き裂き、握り潰す。
誰もサラを止めることなどできはしない。
そのため、一部のオークは倒れているアキヒにとどめをさそうと近づいて行く。
「さわらないで!!」
「ギョエ!?」
空中に氷柱を出現させて素早く放ったサラの魔法は寸分違わず近づいていたオークの全てに突き刺さり、絶命させる。
それでも、オークの数は減らない。
オークは知能はあるが、人間ほど高くはない。繁殖力が非常に高いと言われていることから、この異常な数はそのせいだろう。
どうにかして、この群れを退かせる方法はないだろうか。
サラの体力も限界に近い。いずれ負ける事になるのは明白だった。
だがその時、どこかからシャリンと鈴のような音が鳴り響く。
その音に動きを止めたサラは音の方向へと視線を向ける。
オークの群れを左右に分け、歩いてきたのは、他のオークより一回り大きいオーク。
だがその手には錫杖のようなものが握られていた。
「我らが領地を汚す不届者めが。我が種族の力をさぞ思い知ったであろう?」
サラはその姿のオークを知っていた。
一度会ったことがあるわけではない。
魔術士育成学園での授業、その中でオークについて教わる時期があったのをサラはほとんど忘れてしまった記憶の一部に残っていた。
その名はオーク・キング。オークの群れを統率する者。
だがそんな知識、今のサラにはどうでもいいことだった。
ただ、目の前に現れた存在が、この群れを鎮まらせる唯一の方法である事だけは理解でき、その理解と同時に、サラは殺意を全身から溢れさせながら豪壮に地を蹴り、オーク・キングへと肉薄する。
悪魔のような左手の拳に魔力を注ぎ、渾身のストレートを打ち抜いた。
しかし、サラの拳が届く直前、オーク・キングが持つ錫杖が一度地を突き、シャリンという音が響いた時、サラの拳が相手に当たった瞬間、一瞬にして弾かれた。
「ぐっ、何今の……障壁? うんん、そんな感覚じゃない」
サラが自身の左手に視線を下すと、手首から先が決して向いてはいけない方向へと向いてしまい、5本の指もそれぞれ在らぬ方向へと歪んでいた。
腕に響く痛みから推測するに、おそらく手首だけでなく、肘あたりにまで骨にひびが入ってしまっているだろう。
そして、弾かれた理由は自身の攻撃の反動が大きいと考えられることから、つまり、錫杖を地面に突くことで魔法により、
「防御力の強化、じゃないよね。身体の硬質化を行っている、でいいのかな?」
それもただの硬質化ではないとサラは思考する。
弾かれた際に感じた重い衝撃が未だ脳裏に焼きついているサラは、確証を得るための行動に移す。
「異端者如きに我を倒すなど不可能! いくらでも相手をしてあげよう」
余裕の表情で立ちつくすオーク・キングに向けて、サラは右手を前に出し、火炎球を遠間隔で撃ち放つ。
「フン、なんて見窄らしい魔法だ。ホイ!」
一定の速度で飛翔する火炎球をオーク・キングは錫杖を横に振ることで着弾前に容易く打ち消す。
「…………」
それを無言で確認しながら、サラは次と言わんばかりに再び火炎球を放つ。
今回は先程より火炎球同士の間隔を狭めた状態にする。
「無駄だ! ホイ! ホイ!」
これも錫杖で綺麗に霧散させる。
「すごいね。全部打ち落とすんだ」
「フ、フ、フ、分かったか。貴様なぞにオークを絶やす事など出来ーー」
「じゃ、次行くね」
サラは先程とは比べ物にならない速度と近間隔で火炎球を大量発射させる。
「ギョギョ!?」
その数に度肝を抜かれたオーク・キングは、流石に打ち落とすのは不可能と判断し、錫杖で地面を突く。
シャリンと鈴のような音が鳴り、オーク・キングに火炎球が次々と着弾していく。
だが、まともにサラの攻撃を受けている筈なのに、傷一つ付かず、体勢すら微動だにしていなかった。
硬質化状態でいるキングを他所に、サラはそのすぐ隣に立っていたオークを火炎球で焼き殺す。
「き、貴様! 我の仲間を狙うなど卑怯な真似を!!」
「んー? 別に1対1でやり合おうなんて聞いてないよ? それにすぐ隣にいたんだから、そのお硬い身体で護ってあげればよかったんじゃないかな?」
「ぐ、ぐぬぬ」
苦虫を噛み潰したような表情をするオーク・キングを見て、サラは確証に至る。
オーク・キングの硬質化は、自身の身体を重金属化させるもの。
人間の平均身長よりはるかに大きい身体が一時的に金属になってしまえば、その重さ故に身動きが取れなくなるのも納得がいく。
「貴様がそういう手段を取るのなら、こちらにも考えがあるぞ」
キングがニヤリと笑みを作る。
すると、サラの背後でオーク達が密かに倒れているアキヒに近づいて行く。
だが、その程度ならばサラは息をするように気配を感じ取れる。
サラは背後を見ることなく、背中の拳でアキヒに近寄ってていたオークの全てを叩き潰して放り投げる。
「んな!?」
オーク・キングが目を見張る。
そんな表情を見てサラの口元が弧を描く。
キングというからには、ある程度の知能があると予想していたが、拍子抜けするほど間抜けで、心の底からもっと弄びたい衝動に駆られる。
だがサラはその気持ちを押し殺すように首を振る。
アキヒが眠っている以上、サラを止められる者は存在しない。
目の前のキングを倒せれば全てが終わると信じて、額に汗を浮かべながらサラは意識を保つ事だけに集中する。
すると、オーク・キングは先程のアキヒを守るサラの姿に激昂したのか、錫杖を高く振り上げる。
「行けぇ! 我が同胞たちよ! 奴らを喰らいつくせぇええええ!!」
シャリンという音と共に周囲のオーク達が一斉にサラに飛びかかる。
サラの頬に汗が伝う。
この数から自身とアキヒを守るために魔力を消費すれば確実に暴走する確証があった。
どうするか。その僅かな思考だけでサラの行動が遅れる。もはや逃げる手はなくなった。
暴走しても構わない、そう考えた時、一人の少女がサラの前に姿を現した。
「え……」
それは、いつの間にか光の空間から解放されたチスイであり、彼女が刀を横に振った瞬間、攻めてきていたオーク達が全員吹き戻される。
「な、何だ貴様は!?」
オーク・キングが何度目かの驚愕に目を見開く。
「名乗る必要があるか? どうせお前はここで死ぬ。なれば聞く必要もなかろう」
「何をぅ!?」
チスイはサラには目もくれず、相手のオーク・キングを一点に見つめていた。
「逃避は許さぬ。せっかくの腕試しが無駄になるからな」
そう呟くと、チスイは身につけていた拡制手套に魔力を込める。
すると、僅かに手甲が暖かくなり、手の甲のみにあった藤の紋が手首まで伸び、増幅された魔力がさらに高まるのをチスイは感じた。
病み上がりのため、能力の最大解放まではしない。
鍔鬼に言われたとおり、自身の状態に応じた、適切な魔力量で戦う。
「花蕾……二重咲」
そう呟くと、左手に藤色の魔力で形成された刀が出現する。
「な、何だそれは!? 貴様、本当に人間なのか!?」
「……現月、抜刀」
チスイが現月と銘打った自らが生み出した刀を左手に握り、鍔鬼から譲り受けた幻月を右手に握ると、オーク・キングへ向けて地を蹴った。
その異様な魔力にキングは慄き、素早く後退し、代わりにキングを庇うようにオークの群れが盾として前にでる。
それを確認したチスイは両手に持つ刀を下段で交差させる。
「波平琉剣術・斬ノ型……『叫天子』」
チスイは二振りの刀を振り上げる。
目の前にいたオークがいとも容易く切断され、それだけでなく、斬撃の拡張により、チスイが振り抜いた軌道上の全てのオークが絶命していく。
さらに、チスイの斬撃は超光熱な白亜として残留し、中心にいたオーク・キング及び、斬撃が当たらなかったオーク達の逃げ場が完全に失われた事で、オーク・キングは狼狽した。
チスイはゆっくりと腰を落とし、両方の刀を自身の右側へと持っていき、切先を相手に向け平行に構える。
「波平琉剣術・突ノ型……すぅはぁ……天雷『奴延鳥』ッ!」
そう言ったチスイは左手に持つ現月を突き出した。
現月は黄金の霆を迸らせながら、刀身が一瞬にして伸びていく。
それはオーク達の腹部を貫いていき、やがてキングにもその刀身が突き刺さる。
「ぐぇああ! この、化け物がぁ!」
オーク・キングは死に物狂いで錫杖を振り上げ、地に突ける。
激しく鳴り響いた鈴のような音で、キングの体が硬質化する。
だが、チスイはそんな能力などお構いなしに、今度は右手に持つ幻月を突き出した。
幻月から生み出される黒い魔力が小さな弾丸となって、現月をレール状に霆を纏いながら次々と発射されていく。
魔力の弾丸は、音速を超え、光の速さでオーク達を貫いていく。
複数体貫通してもなお、速度を衰えさせない弾丸はオーク・キングの元へ辿り着き、硬質化した身体に蜂の巣のような風穴が大量に作られていく。
「ごぉおああああああ! 魔王様ぁああ」
腕がもげ、腹が開き、脚が跳ぶ。
最後に、自身の首が飛ぶ寸前、オーク・キングはチスイの額に薄紫色の角のようなものが浮かんでいたような気がしたが、次の瞬間には意識を飛ばし、その生命を終わらせた。
その瞬間、チスイの残留していた白亜の壁も消え去る。
周囲にいた残りのオークたちは自分の長が死んだ事を理解するや否やチスイたちから一目散に逃げ去って行く。
その光景を見たチスイは満足気な表情で現月を消滅させ、幻月を鞘へと納める。
「……あ、あの……」
サラはチスイの背中へ呼びかける。
何故だろうか、チスイが目覚めてくれて嬉しい筈なのに、どうしても笑顔にはなれなかった。
それどころか、笑顔を作ろうとすればするほど、胸の辺りがズキリと痛んだ。
「む? その声はサラか? 久しいな、また会えて嬉しいぞ」
チスイはサラの方へ振り向くと、サラの容姿には一切触れる事なく、そう答えた。
もうほとんど記憶にないチスイの変わらない振る舞いに、何故かホッとし、サラの瞳から涙が溢れてくる。
ゆっくりと近付いていき、チスイの体に抱きつく。
「ごめん、なさい……傷つけてしまって、ごめんなさい!!」
「もう良い。こうしてサラはここにいて、私も生きている。何も問題はござらん」
「でもっ、私はもう人じゃないから……」
「たわけ、見た目など関係なかろう。大切なのは心だ。他人に信頼される心さえ捨てなければ、いずれまた大切な人を見つけられるはずだ」
チスイは泣き続けるサラを落ち着かせるために、優しく頭を撫でる。
「一先ず、泣くのは後にするのだ。そこの見かけぬ男を安全なところへ移動せねばならぬだろ?」
その言葉にサラは深く頷き、チスイから離れる。
アキヒの下へと駆け寄り、呼吸が安定している事を確認したサラはアキヒを抱き抱える。
「お、おぉ、大の大人を安易と……流石であるな」
「うん、これくらいは余裕だよ。なんならナミヒラさんも一緒に抱えられるけど、どぉ?」
サラは手をチスイに差し出すが、当の本人は僅かに眉を寄せ、不機嫌な表情になる。
「む、ナミヒラ? 先の件はもう許したであろう。いつも通り智翠と呼んでくれて構わん」
どうやらサラに抱えられる事に対してではなく、名前に対して不満を持ったようで、サラは慌てて取り繕う。
「あ、ああ! そ、そうだったね、うん! えっと……」
彼女のことをなんて呼んでいたかなど、全く思い出せず、いつも通りと言われてサラは目を泳がす。
「……チスイ……さん?」
「…………」
「チスイ……くん?」
「怒るぞ」
「ご、ごめん冗談だよ冗談、大丈夫だから」
何が大丈夫なのかはチスイにはさっぱりだっただろうが、サラは一度深呼吸を挟んだ後、チスイに向き直る。
「じゃあ改めて、こんな姿になっちゃったけど、またよろしくね、チスイちゃん」
サラの言葉を聞いたチスイは満足気な笑みを浮かべ、首を縦に振る。
「うむ! 元よりそのつもりだ」
そう言ったチスイはサラの手を握る。
チスイの温かな手を感じながらサラは背中の異形を羽根に変化させ、大きく羽ばたき宙を飛ぶ。
そして、魔界へ入ってきた場所へ向けて速度を上げていった。
「そういえばさ」
「ん?」
「チスイちゃん、ずっと病衣着てるけど、本来の服ってまだ病院なのかな?」
「…………あ」
チスイは知らなかった。
既に病院が倒壊している事を、そして、制服は既に塵とかしている事を……。




