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亜人娘が得たものは  作者: 戴勝
第23章
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第6話 己との戦い その3

「フハハハ! どうした我に歯向かうのではなかったのか? もっと足掻いて見せよ」


「くっ、ま、けにゃい……貴様なんかにっ!!」


 ベスティアは残った体力全てを使い切る勢いで床を蹴り、超高速でボレヒスへと接近する。


 だが、今のボレヒスにはその程度の速度は遅過ぎるほどだった。


「フハハ、日が暮れるわ!!」


「がはっ!」


 ボレヒスは跳躍して迫るベスティアに向けて右拳を振り上げる。


 剛腕が目にも止まらぬ速度で振り抜かれ、腹部に直撃したベスティアはボールのように軽々と宙に飛ばされた。


 それで終わる事なく、ボレヒスは軽く跳ぶと空中で追撃の回し蹴りを叩き込む。


 衝撃波をもたらしながら小さな身体が弾き飛ばされ、謁見の間の壁を突き破り、廊下の壁を陥没させてようやく止まった。


「う……ぐ、ごぼっ」


 額からは真っ赤な血が流れ、内臓がやられているのか、口からも大量に吐血しており、ベスティアの身体はもはやピクリとも動けなかった。


 そんなベスティアに近づき、片手で頭を掴み上げると、元いた謁見の間へと投げ飛ばす。


 ゴツっと硬い音を響かせながら自身の流れ出た血で床を滑って行くベスティア。


 だがまだ息はあるようで、速い呼吸を繰り返しながら、絶望と諦念を含んだ霞んだ瞳をボレヒスへと向ける。


「あーあ、残念であったな。歯向かわなければ我の妻として永遠の幸福を与えてやったというのに……その姿では萎えるだけだ」


 ボレヒスは左手を鋭利な刃へと変質させる。


 そんな状況を智翠は固唾を呑んで見つめていた。


 もはやベスティアには勝ち目はない。つまり、この状況で智翠がやるべき事は限られている。


 助けるか、助けないか。


 仲間を持つ事、友を持つ事が欠点でしかないのなら、この場で導き出す答えは「静観」である。


 そして、とどめを刺し、満足気に隙を晒したところを幻月の最大の一撃を持って討伐する。


 漁夫の利というのは正しくこの事だが、これこそが最も理想的な戦い方であり、智翠が臨むものだった。


 故に、今現在、ベスティアが死ぬ事になろうとも智翠はただ気配を殺し、その時が来るのを待っていればいい。だが……


「……それは、違うだろ」


 そう呟いた智翠は駆け出した。


 強さを得るために人情を捨てる。


 そんな事を成し得る人間などいる筈がない。それができるのは生粋の異常者だ。


 どんなに冷徹な人であろうとも、人である限り、その内側には必ず人を見る心が備わっている。


 目の前で命を失う可能性のある仲間がいて、助けない選択肢などある筈がなかった。


「さらばだベスティア。この世界にバグは必要ない」


 ボレヒスは刃を振り翳し、ベスティアに向けて一気に突き出した。


 だがその刃がベスティアに届く直前に智翠が割り込み、刀を振り上げる。


 ーー波平琉剣術・斬ノ型……


「……紅蓮『鳶穿(とびうがち)』っ!!」


 智翠が持つ刀が炎に包まれ、ボレヒスの刃と打ち合った瞬間、高温の熱波がボレヒスを襲撃する。


「ぐぁ!?」


 だが智翠の技はまだ終わらない。


 打ち上げた刃は高熱で赤く腫れ上がり、硬質性が緩んだところに追撃の二連撃を畳み掛ける。


 ゴトリといとも容易くボレヒスの左腕を切り落とした事で、ボレヒスは目を見張り明らかに狼狽える。


「な、何故だ。何故邪魔をする!? 先の試練で己の弱さを理解したのではないのか!?」


「無論だ。私は嫌と思える程に、己が弱い事を理解した」


「ならば何故だ。仲間がいるから己を犠牲にするようになる。友がいるから敵に回った際に動揺し、隙を見せる。これが弱いと言わずして何と言うか!」


「違う。それはただの欠点だ。弱さではない。仲間がいるから、友がいるから、己を犠牲にしてでも護りたいと思える心と覚悟を得られるのだ。これらは集う者が持つ欠点でもあり、最大の利点だ。決して弱いわけではない」


 智翠は今にも死んでしまうかもしれないベスティアを軽く見つめると、ボレヒスに向けて鋭い視線を送る。


「弱かったのは私の心だ。もしかしたらという負の側面に萎縮していた私の心が弱かった」


「……仲間は己の成長を阻害する。足手纏いにしかならぬ。それでは最強になど一生涯成れぬぞ」


「フン、何も孤高である事が最強なのではない。最強を目指す者同士が一致団結し、現段階で最強である者を倒せば、それはもう倒した皆が最強であろう? 人には限界がある。それを補うのが仲間なのだ」


「世迷言を……道楽に浸っていられるのも今のうちだぞ。そんな大きな欠点を抱えていれば、いずれ死を招く事になる」


「無論。今は欠点の方が大きい故、この状態で仲間に裏切られれば人を信じることも出来なくなるやもしれぬ。だが、それは相手の意図を理解できなかった己の汚点。共に生き、共に思考し、乗り越え、昇華していくのが世の定石なのではないか? 初めから欠点が大きいからと仲間といる事を避け、弱さの象徴と決めつけるのは、それこそ臆病者がすることよ」


 智翠の言葉をボレヒス……否、智翠の虚像は静かに、ただただ己の心に刻むかのように聞き入れていた。


「私はもう一人ではない。孤独な過去(おまえ)を乗り越え、未来(つばき)を目指す!」


 そう強く宣言した智翠に、虚像はボレヒスの姿から元の過去の智翠へと姿を戻す。


 それと同時にベスティア及び謁見の間が揺らめきながら透けて消え去り、何もない空間へと戻って来る。


『そうか、もう迷いはないと見た。なればこれを最後の仕合いとしよう』


 虚像は刀を身体の横へと置き、切先を上空へと向ける。


 対する智翠は刀を鞘へと納め、腰を低く落とす。


『決着をつけるぞ!』


「臨むところだ!」


 その言葉の直後、虚像が一歩足を踏み出した刹那には、既に智翠を仕留められる間合いにまで肉薄した。


 ーー波平琉剣術・斬ノ型……


『翡翠!『扇鷲(おうぎわし)』!!」


 裂帛の気合いとともに虚像は風を纏った刀を横薙ぎに振り抜いた。


 しかし、虚像の攻撃が智翠に届くよりも先に、智翠の刀が最速で抜刀された。


 ーー波平琉剣術『来伝』・居合ノ型……


 それは義父がこの世を去る直前に智翠に託した、対鍔鬼用必殺の反撃(カウンター)技。


「……『琴鳥(ことどり)』っ!!」


 智翠の刀は虚像の刀を弾くように下段から振り上げられ、短く鳴り響く剣戟に一瞬の火花を散らせたその刹那。


 智翠の刀の軌道とは別に、風で生成された横薙ぎの刃が虚像の胴体を引き裂いた。


 それは虚像が放とうとしていた技そのものであり、智翠が放った技は相手の攻撃を複製し反射する技だった。


『こはっ……驚嘆だな。おまえは決して……その技を使わない、と高を括っていたのだがな』


 背骨だけで繋ぎ止めている胴体を押さえ、ゆらゆらと後退しながら言葉にする虚像。


「故に私は勝った。過去を乗り越えると言ったが、それは過去(おまえ)を忘却するわけではない。それを伝える為、そして己の成長の為にこの技を解放したのだ」


『そうか……』


 虚像の身体が霧に吸われるように崩れていく。


 その表情はとても満足そうで、それ以上言葉にすることなく、静かに消滅した。


 残った智翠はゆっくりと刀を鞘へと納める。


 カチッと小気味良く鎺が鞘に納まる音を鳴らした時、一人の女性が霧の中から姿を現した。


「……鍔鬼」


「吹っ切れたか?」


「うむ、相応に」


 その回答に、鍔鬼の瞳は初めの時のような厳しいものではなく、穏やかで優しく、まるで孫でも見るかのような目をしていた。


「そうか、幻月は主人である貴様の心に呼応して強さを発揮する。そのため、極端に弱った貴様の心が幻月を暴走させ、魔力を喰う鬼と化した。結論から言うが、この試練を乗り越えたからといって、幻月を制御できるとは思うな。膨らんだ胃袋はそう安易と元には戻らん」


 腕を組んで体ごと向き直った鍔鬼は、最後の教示とでも言うかのように静かに言葉にする。


「良いか智翠。命を賭して守りたい程のものがあるなら、命を捨てるような真似はするな。守られたものは貴様の命を背負う事になる。貴様の命は貴様が背負え。命を捨てて守れるものなどありはしない。努々忘れるな」


 その言葉を聞き、強く胸に刻み込むように深く頷いた智翠は、成長した強い瞳で鍔鬼を見つめる。


「心得た」


 智翠の返答にふっと僅かに口の端を上げた鍔鬼は、すっと人差し指を伸ばし、智翠が装着している手甲を指示する。


「それを嵌めている限り、幻月の制御は可能だ。加えて、以前より幻月との結び付きが強くなるようにしてある」


 それはつまり、幻月の応え次第で、これからは今より強い技を放つ事ができるという事になる。


 その事実に智翠は驕る事なく、しかと受け止める。


 智翠が理解を示した表情をした事を確認した鍔鬼は、智翠から僅かに距離をとる。


「試してみるといい。外では貴様の友人とやらがこの世界の魔族と死に物狂いで戦っている」


「……! 相分かった」


「だが無理はするな。こことは違い、現実の身体は既に満身創痍だ。幾度の戦闘で疲労も蓄積されているだろう。だからーー」


「鍔鬼」


「何だ」


 鍔鬼の言葉を途中で遮った智翠は、右手を腰に当てながら少しだけ笑みを含めて言葉にした。


「まるで母親みたいだな」


「……………………………」


 完全に鍔鬼の動きが停止した。表情、視線、仕草、その全てが硬直する。


 智翠は産みの親を知らない。だが、何故か鍔鬼の事を見ていると、そう感じずにはいられなかった。


 決して嘲笑うために言った言葉ではなかったが、一度母親のようだと感じてしまったら、どうしても笑いを堪えずにはいられなかった。


 その笑い声とともに思い出したかのように鍔鬼の硬直が解ける。


「……その言葉、次に会う時まで取っておいてやる」


 そう言った鍔鬼は智翠に背を向ける。


 それは智翠の挑戦をいつでも受ける事ができるという意思の表れであり、それを汲み取った智翠は真剣な面持ちで強く頷く。


 それを傍目で確認した鍔鬼は霧の中へと消えていく。


 同時に智翠の身体も透け始めたことで、この空間の終局が伝えられる。


「……いずれ追い付き、超えてみせるぞ、鍔鬼」


 胸の前で拳を作り、強く握った時、智翠の視界は白い光に包まれていった。

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