第4話 己との戦い その1
霧だけが立ち込める何もない空間。
上下左右の全てが同じ色、同じ景色であり、己が地に足を付いているのか宙に浮いているのか混乱しそうになる。
そんな閑散とした空間に金属がぶつかり合う異音が鳴り響く。
同じ顔、同じ刀を持った己自身と戦う少女ーー智翠は、不敵に笑いながら攻撃を繰り出す虚像の智翠の表情に苛立ちを感じていた。
戦いが始まり既に15分以上が経過していた。
繰り出す技は全て同じ。攻撃も防御も全て智翠自身が使う動き、それ故に次に相手がどのような行動をするかなど容易に把握できる。なのに未だ一撃と与えることができずにいる。
同様に、相手からの攻撃も未だ受けたことはないのだが、何故か負けている気がしてならなかった。
故に智翠は苛立ち歯噛みし、己の持つ刀を強く握りしめる。
癇に触る存在を打ちのめし、早急に試練を勝ち終わらせる。そうすれば、鍔鬼からの信用も取り戻せるはず。
『何か目的を履き違えてないか?』
「え?」
それまで一言も話さなかった虚像が、唐突に話しかけてきた事で智翠の動きが一瞬鈍る。
その隙を虚像は見逃さなかった。
下段から振り上げられた虚像の刀は智翠の刀を弾き、体勢を大きく崩す。
両腕は打ち上げられ、丸出しになった腹部に虚像の回し蹴りが叩き込まれた。
「かはっ」
智翠は、衝撃を吸収できずに息を詰まらせながら吹き飛び、地に背中を強打し転がっていく。
最終的にうつ伏せの状態で止まり、その場で智翠は盛大に咳き込んだ。
『目を逸らすな。己の弱さを認めろ』
そう呟いた虚像は、刀の切先を智翠へと水平に構える。
それを見て智翠も奥歯を噛み締めながら気合いで立ち上がり、相手と同じ構えをとる。
「戯言も良いところだ。私に弱みなどない」
『フン、否定を突き通すか。良かろう。戯れはここまでだ。ここからは本気でお前を堕とす』
「黙れ。お前みたいな偽物に私の敗北は有り得ない!」
その言葉を終えた時、智翠は地を蹴った。
腹部に受けた鈍痛は裂帛の気合いで抑え込み、虚像を掻き消すように剣戟を繰り出す。
刀同士が打ち合うことで橙色の火花が飛び散る。
『偽物、か。私からすればお前のほうが偽物だがな』
互いに鍔迫り合ったそのタイミングを見計らって、再び虚像が智翠に語る。
「五月蝿い。動揺を誘うつもりだろうが、その手には乗らぬ。第一、偽物に偽物と言われて動揺する奴が何処にいる!」
智翠は両腕の力で刀を押し込み、その反動で後方に跳んで距離を取る。
『フ、確かに。私を偽物と思い込んでいる限り、そうなのだろうな』
「何?」
どういう意味かと、智翠の問いに答える事なく虚像は素早く距離を詰めて、横薙ぎの斬撃を打ち放つ。
それを智翠は掬い上げるように刀の切先を下から上へと回転させて弾き返し、同時に、切先を相手に向ける。
ーー波平琉剣術・突ノ型……
「……『戴勝』!!」
戴勝は八連突き技、ひと突きでは防がれる、又は避けられると予想した智翠は相手が動く場所を先読みして技を繰り出す。
だがそれは一般的な戦い方であり、目の前にいるのはもう1人の智翠。
すなわち、虚像にも智翠と同じ技が繰り出せる事を念頭に入れなければならなかった。
『浅はか也』
一言呟いた虚像は、智翠のひと突き目を僅かに身体を横にずらす事で躱す。
そして、左足で踏み込むとほぼ同時に智翠に向けて刀の切先が差し出された。
『……『戴勝』ッ』
智翠の技が虚像の繰り出された技によって全て霧散させられていく。
「……くっ!!」
ひと突き目を躱されていることで、霧散させられたのは7つ。
つまり、智翠に対する攻撃はまだ一つ残っていた。
すぐさま突き終えた体勢を立て直し、剣先を縦に構える事で相手の突きの軌道をずらすように防御する智翠。
刀同士が擦れ合い、激烈な火花を散らせる。
しかし、通常の型と技では乗せている魔力の量が違うため、虚像が繰り出した刀の重みを完全に捌けなかった智翠は左肩を見事に貫かれた。
「ぐっ、があぁああああああ!?」
智翠は激痛で脳が焼ける感覚に視界を明滅させながら膝をつく。
肩を押さえるが、刺された箇所からは一滴も血は流れてこなかった。
だが、ただ肩を貫かれた感覚ではなかった。通常ならば我慢できる痛み。それを逸脱した感覚に叫ばずにはいられなかった。
まるで、直接脳を握られているかのような激痛に、智翠は一瞬、その激痛から解放されたいが故に自害の選択肢が浮かんだほどだった。
『まず一つ。私の勝ちだな』
そう言った虚像は苦しむ智翠を蹴り飛ばす。
地を滑り、一度バウンドして転がった智翠は、息も絶え絶えに刀を支えにしてゆっくりと起き上がった。
「はぁ、はぁ……い、今のが負けだと? 戯言を吐くのも良い加減にしろ」
『戯言? フン、たわけたことを抜かしているのはお前だ。私の刀が届いた時点で敗北の証明なのだ。だが安心しろ。まだ2本ある。まぁそれまでにお前の心が折れれば私の勝ちだがな』
愉快に話す虚像に智翠は苛立ちを表すように一度地に刀を強く突いてから立ち上がる。
静かに構え直し、呼吸を整える。
『どうした。随分と静かになったが、それとも、臆病になっただけか?』
「…………っ!!」
カッと目を開いた智翠は脱兎の如く肉薄する。
挑発する虚像は笑みを崩さぬまま智翠の行動を見続けている。
その表情、その言葉、その立ち振る舞い。全てが癇に障って仕方がなかった智翠は、焦燥に駆られるままその口を落とさんとばかりに、首元を狙って横薙ぎに刀を振う。
だが、それを読んでいたのか、虚像は刀を軽く振り上げるだけで弾き飛ばし、智翠の横腹に蹴りを叩き込む。
「ぐぁっ」
力の籠っていない蹴りだったのか、智翠はよろけるだけで止まる。
『なんだ、自棄か? そんな見え透いた攻撃が当たると思っていたのなら片腹痛いぞ。見るからに力が入りすぎている。師匠に何を教授された? 私ながら忸怩たる思いだぞ』
「……五月蝿い。おまえに言われなくても、理解済みだっ!」
そうして再び始まる何度目かの剣戟。
何もない空間に甲高い音と苛烈な火花が飛び散る。
常に攻めを見せているのは智翠であり、虚像は受けの体勢を主としていたが、時折、ちょっとした智翠の隙を見抜いてはカウンターで攻撃してくる。
それをギリギリのところで防ぎ、躱してなんとか凌いでいる。
拮抗状態、と言ってしまえば楽な響きかもしれないが、実際のところ、智翠の方が先程の苦痛を受けた分、体力的、精神的に押されてしまっている状況だった。
『遅い遅い! やはり弱くなったのではないか? 私よ』
「黙れ! 私は私のままだ! これまでにも強者と思える奴らと相見え、戦い、そして勝ってきた。決して弱くなる筈がなかろう!」
『それは一人でか?』
「……な……に?」
いつの間にか自身の刀を虚像の刀で上から押さえられ、虚像が身体を極限まで寄せて来る。
『それはおまえ一人で倒したのかと問うている』
「そ……れは……」
なかった。
こっちに来てから智翠は一人で強大な敵を倒した事がなかった。
とどめを刺した事はあれども、そこに至るまでの戦いでは常に隣に誰かがいた。
『今やおまえは一人では何もできない臆病者だ』
「ちがう……」
『己の理想を忘却し、脆弱な奴らと連む事で己の牙を抜いた事を隠匿した醜態者』
「違う!!」
『何も違わぬ! 己が現を抜かしていた事を認識しろ。さすれば理解できよう』
その言葉の直後、突如智翠の視界が暗闇に呑まれた。




