第3話 小鬼戦の決着
木の枝を足場にしてほぼ無限に上空を闊歩しながらウォーリアーを追いかけていたディアは、視線を目的とは違う方向へと向けてボソリと呟いた。
「ゴブリン……ゴブリン……なんだここ、どんだけ人界に押し寄せてんだよ」
だがどれも統率が取れていないように見て取れ、おそらく魔王直々に指示を出しているわけではなさそうだとディアは結論づける。
逃げたウォーリアーたちも全員着地したのを目視で確認したディアは、一瞬だけ瞼を閉じる。
「さて、どーすんだシャイな姫さん? 世界は違えど相手は同じ魔族だ……何か思うところはあるか?」
自分の内側にいるもう1人の人格。主にこの身体の本格と言っても良い存在ーーベスティアに問い掛ける。
石化が解けた時点でベスティア自身も既に目が覚めていたのだが、どうしてもという事で主導権をディアに渡していた。
ーー……ない。あひとに危害を加えようとした時点でこいつらに未来はない。
端から眼中にないとでも言うように冷たくあしらう。
「フン、なら自分でやれよ。麗しきディアちゃまは掃除屋じゃねぇんだ」
ーー今は……いい。それにディアの方がこの場合は都合が良い、それだけ。
そう言うと、それきりベスティアが何かを語ることはなかった。
ディアは面倒そうに小さく舌打ちする。初めはゴブリンという種族全員を滅殺するつもりでアヒトの前に立ったが、戦闘に制限をかけるとどうしても冷めてしまい、今はこんな低級魔族の事などどうでも良く感じてしまっていた。
「かぁー、しゃあねぇな! 誰に見せるわけでもねぇが、この最強なるディア様が特別にすっげぇの見せてやる」
ディアは一度木の枝に着地し、再び天高く跳躍する。
そして上空で空間を裂き、一本の『無限投剣』を取り出し、そっと撫でる。
「これがオレ様とベスティアの格の違いだ。テメェもいい加減に集団戦に対する技力を身に付けろ」
ディアはそのナイフを軽く手首をスナップさせる事で垂直に落下させる。
それは下手すれば国一つ滅ぼしかね無い危険な能力。
そしてディアが持つ唯一の特大範囲攻撃魔法、それは……
「……『浅爆』」
1本のナイフがウォーリアーを含めたゴブリンたちがいる集団の中へと落下していき、地面に剣先が触れた瞬間起爆し、轟音と激震を同時に響かせ、目の前にいたゴブリンたちは肉片一つ残さずに蒸発、周囲の木々は根こそぎ剥ぎ取られ、付近にいた者も空気の急激な膨張による超高圧な衝撃波により、肉体が耐えきれずに破裂していく。
その衝撃波はケレント帝国にも届いてきており、全ての魔術士たちは国と民、そして自分を守るために、全魔力を注ぎ込んだ鉄壁の防護障壁を展開し、その衝撃を何とか防いでいた。
だが、その場にいたゴブリンたちにはそんな事が起こるなど露知らず、回避や防御する行動すら許されずに強烈な衝撃波の圧力をもろに受けて吹き飛ばされ、肉体は残れども内臓が耐えきれずに即死していった。
後には起爆地である事の証跡として、巨大なクレーターが惨たらしく残された。
その中心に軽く降り立つディアは腰に手を当てて周囲の跡を眺める。
「ここまでいくと、どっちが侵略者かわかんねぇな。あ、けど世界で見るならオレらは異世界人だから侵略者で間違いねぇか! にゃはははは」
誰もいなくなった閑散とした場所でただただ笑い声が木霊する中、ベスティアの声が鮮明に脳内に冷たく響き渡る。
ーーディアぁ?
「チッ、わーってるよ、やり過ぎたって事くらい。真面目なディアちゃまなりの反省に決まってんだろ、は・ん・せ・い」
反省の色が全く伝わってこないディアの言動に、ベスティアが大きな溜息を吐くのをディアは静かに聴きながら、ケレント帝国の方へと歩き出す。
「主様、ご褒美何くれるかな!?」
ーーなしでしょ。
「はぁ!? なんでだよ! オレ様の誘導完璧だったろ。オメェに同じことができんのか!? あぁ?」
ーー最後の技でマイナス2億点。
「黙れ傍観者。身体乗っ取るぞ。主様にあんな事やこんな事してもらおうかにゃぁ?」
冗談のつもりで言った言葉だったが、ベスティアからは無言の返答であり、わずかに心拍が上がったのをディアは確認した。
「は? オメェ期待してんのか!?」
ーーしてにゃい!
「何でだよ、良いじゃねぇか。結婚してんだろーが」
ーー……まだ、早いかなって。
「はいはい、ベビティア様もらいましたありがとう」
脳内で顔を真っ赤にしてうずくまるベスティアを想像しながら、ディアは速度を上げてアヒトたちがいるケレント帝国に帰還する。
ずっと待っていてくれたのか、天幕の残骸のある丘で1人アヒトは立ち尽くしていた。
「おかえりディア」
「戻ったぜご主人」
数秒間、静かに視線だけを交える2人。
最初に口を開いたのはディアだった。
「ご褒美ある?」
「ふっ、考えておくよ」
「キスでも良いぜ」
「お、おぉう?」
唐突な一言にアヒトが僅かに動揺する。
だがそれ以上にディア、もとい、ベスティアの身体が慌てたように後ずさる。
その言葉と行動が相反する姿を見て、アヒトは気が付いてしまった。
「もしかして……ティア、も目覚めてるのか?」
「ん? 当然だろ」
「な、何で表に出ないんだ?」
「恥ずかしいから」
「……はい?」
アヒトの腑に落ちない表情にディアも深く頷き、自分の胸に親指を当てながら言葉にする。
「こいつな? 一丁前にさよならして死んだつもりでいたからよ。こうして生きてるこだぁああああ!!」
愉快そうに話していたディアの表情がいきなり赤く染まり、前屈みになりながら叫び出した。
「勝手に人の気持ちをは、はにゃすのやめてディア!」
そう語気を荒げたのは、ベスティア本人。いつの間にか落ち着いた空色の瞳に戻っており、自分が身体の主導権を得ていたことに気がついた事で「あ」と呟き、アヒトと視線を合わせてしまった。
「あ、えと……その……」
「ティア」
「ひゃ、ひゃい」
「おかえり」
アヒトの表情はとても穏やかなもので、今にも泣き出しそうなほどに瞳が潤っており、雫がこぼれないように瞼が細められていた。
そのため、ベスティアも自然と涙が溢れ、ゆっくりとアヒトの身体に抱きつく。
「ん……ただいま」
離れていた時間はそう長くはなかったが、このまま一生会うことがないと思っていたベスティア、助けることができないと思っていたアヒト、両者に空いた穴は相当大きなもので、再び会うことができた時の感動は計り知れないものだった。
二人は数分間その場で抱きしめ合い、互いの温もりをたっぷりと確かめあった後、ふとそのままの状態でアヒトはベスティアに質問した。
「そういえば、何で石化が解けたんだ?」
「ふぇ!? えと……それは、あひとが……」
「おれが?」
「き、ききききす……したから」
「は? キス?」
「ん」
アヒトは自分の記憶を思い返す。
すると、アヒトはこの戦場へ来る前に、ベスティアに必ず助けるという意思を込めて唇にキスをしたのを思い出した。
「あ、あのキスで、ディアが興奮して、石化が溶けた」
解除ではなく文字通り、溶解を意味する言葉をベスティアは言う。
ベスティアが意識を失ったことで、それまで眠っていたディアが目覚めたのだが、石化により身体が動かせずにストレスを感じてしまっていたところに、アヒトが口付けをした事で感情が昂り、体温の上昇とともに表面の石化が融解、蒸発して行ったのだった。
「そっか、お姫様の眠りを覚ますのは王子様の口付けって事か……」
ありきたりな結末だったが、ベスティアという初心な少女には効果覿面だったようだ。
アヒトはベスティアから少しだけ身体を離し、少女の両肩に手を置き目線を合わせる。
「ティア、おれはもう二度と君から離れたりしない。二度と君の瞳を閉じさせない。これはその魔法だ」
そう言ってアヒトはベスティアの唇に自分の唇を重ねた。
「ん!?」
初めは目を見張り身体を硬くしたベスティアだったが、すぐにその瞳も穏やかになり、静かにその目尻から雫を流し、アヒトの気持ちを受け入れていった。
やがてそっと唇を離したアヒトはベスティアと額を合わせる。
「これはディアへのご褒美も含めてるから、伝えておいてくれ」
「ん、伝えた。ディアはむっつりだから、今頃喜んでると思う」
「それは良かった」
いつの間にか空は赤く染まり、太陽が半分だけ山脈に隠れてしまっていた。
丘の端に二人で座り、夕陽を眺める。
「ね、あひと。もう一回いい? 今度は私だけに」
「ディアはもう良いのか?」
「ん、満足して眠った」
「そうか、もう恥ずかしくないのか?」
アヒトはベスティアの頬に手を添える。
「恥ずかしいけど、心が暖かくなるから好き」
そのベスティアの返答を受け、アヒトは再度、ベスティアへと顔を近づけた。
「ぐおっほん!」
「「……!?」」
背後からした明からさまな咳払いに、アヒトとベスティアは顔を瞬時に離して振り返る。
「良い雰囲気のところ申し訳ないのだけれど、従者アヒト、いつまでサボっているのかしら?」
そこには笑顔である筈なのに、どこか恐怖を感じるほどに冷たい視線をアヒトたちに向けたアリアが腕を組みながら立っていた。
「あ、アリア!?」
「何をボサッとしてるのかしら。早急に壊れた壁の復興と、帰宅用の馬車を手配しなさい!」
「わ、わかった」
「承知しました、でしょ?」
「しょ、承知しましたお嬢様」
「よろしく」
アヒトが急いで身体を起こしてアリアの横を通り過ぎ、それを理解が追いついていないベスティアがキョトンとした表情で眺めているのを見て、アリアが思い出したように言葉を付け足す。
「それと、従者であるアヒトの使い魔ということだから、ベスティアさんも私の命令には従ってもらうわよ」
「げっ」
「何よ不満なのかしら? 文句があるならあなたのご主人様に言うことね。私の命を一生をかけて守り、仕えると誓ったのだから」
その言葉をアリアの背後で聞いていたアヒトの動きが止まる。
ギギギと錆びついた機械のようにゆっくりと振り返ると、瞳が死んだジト目をアヒトに向けるベスティアがそこにはいた。
「ち、違うんだティア! これはーー」
「早く行きなさい」
弁明も許されずに急かされるアヒトは、泣く泣く遠ざかって行った。
その寂しげな背中を見て、ベスティアは小さく息を吐くと、アヒトを追って歩き出す。
「……後で詳しく聞くから」
「ええ、あなたが眠っていた間私とアヒトが何をしてきたか、いくらでも話してあげるわ」
「っ……あひとに変な事してたら殺す」
そう言い残し、ベスティアはアヒトのところへ駆けて行った。
1人残されたアリアは、星が輝き出した空を見上げて白い息を吐く。
「……私にも、譲れない気持ちはあるのよ……」
この冷えた空気で頭を冷やしたら帰ろうと考え、アリアは空を見上げたまま瞼を閉じた。




