第9話 亜人娘が目覚めた場所は
水の音がした。川の流れる音や水道の蛇口を捻った時に出る水の音ではない。溜まっていたものが一気に流れ落ちる音。
額に冷んやりとしたものが置かれる感触によりベスティアは目が覚めた。
「……ん」
「目が覚めたか、ティア」
ぼんやりとしながらも声のした方へ視線を向けた。そこには知り合ったばかりの顔、だけどともに戦った顔がいた。
その瞳は少し安心したようなものが見受けられた。
ベスティアの意識はまだどこかおぼろげに感じられる。
「ティア?大丈夫か?」
「………………ん」
脳が言葉を理解するまでに時間がかかったのかベスティアはゆっくりと返事をした。
「目が覚めたんなら、大丈夫だな。おれは授業があるからもう行くぞ」
「……ぁ……」
アヒトは授業を受けに行こうと椅子から立った。が、制服の裾を摘まれて動きを止められた。
「……捨てにゃいで……私を……ひとりにしにゃいで」
まだ夢現なのか潤んだ瞳で、ベスティアはアヒトの制服を掴む手に力を込めて懇願してきた。
アヒトは一度目を見開いたが、すぐに優しい目つきになり椅子に座った。
「捨てたりなんかしない。君みたいな子を捨てるはずがないだろう」
アヒトはベスティアの手を握り、優しく語りかけた。
「……ほんと?」
「ああ、本当さ。だから安心して休め」
「……ん」
アヒトの優しい温もりを感じて落ち着いたのかベスティアは目を閉じるとすぐに夢の中に入っていった。すぅすぅと寝息が聞こえ始める。
「いい子だ」
アヒトはベスティアの頭を優しく撫でた。柔らかくとてもサラサラした髪だった。
「……んん」
頭を撫でられてくすぐったさを感じたのか、ベスティアの三角の耳がぴょこぴょこと動いた。
それに若干苦笑し、アヒトは手を離した。
「捨てないで、か……」
ベスティアの子供っぽさが残る行動には何か訳があるのだろうか。そんなことを考えながらアヒトは保健室を出ようと扉の方へ向かった。
「あらあら、行っちゃうのね」
扉に手をかけようとしたところで背後から声がかけられた。
「はい、授業をサボるわけにはいきませんから」
アヒトは振り返って声の主である養護教諭の女性に向けて応える。
「そう。それじゃあ後は私がこの子を見ておくわね」
「お願いします。えっと……」
「あら、ごめんなさい。自己紹介がまだだったわね」
養護教諭の女性は両手を合わせてアヒトに謝った。
「私はユカリ。多くの生徒たちの手を掴むためにここにいるわ」
そう言ったユカリ先生は優しく微笑んだ。その表情からはとてもアヒトよりも年上とは感じさせない綺麗な人だった。
「あ、アヒト・ユーザスです。ありがとうございました」
アヒトは頭を下げる。
「いいのよ。これが仕事ですもの。それにしてもあなたたちは昨日もここを訪れたわね?見た目と違ってかなりわんぱくなのかしら」
「ははは、そうかもしれませんね」
学園に通い始めてから数日も経っていないというのにすでに授業をサボってしまっているあたり、否定ができず、アヒトは苦笑いを浮かべるしかなかった。
「えと、じゃあおれ授業行きます。ティアをよろしくお願いします」
「わかったわ。いってらっしゃい」
アヒトはもう一度ユカリ先生に頭を下げて保健室を後にした。
午後の授業も終わり、アヒトとベスティアは帰路についていた。
ベスティアを迎えに言った時はユカリ先生の姿はなかった。
勝手に出ていくのは申し訳ないと思ってしまったが、ベスティアが帰ろうと急かしてきたため、仕方なく学園を出ることにした。
「帰る頃には熱が下がっててよかったな」
「…………」
ベスティアはうつむいたままアヒトの一歩後ろを歩いている。
「ティア?まだ体調悪いんじゃないだろうな?」
アヒトはそう言って歩みを止めてベスティアの顔を覗き込もうとした。
「……ッ」
アヒトとベスティアの目が合った。ベスティアの顔が赤くなっていく。
「……にゃ、にゃにも、どこも悪くにゃい!」
「けど、まだ素の口調だし……まあティアが大丈夫ってなら信じるけど」
ベスティアの首がぶんぶんと何度も縦に振られる。
アヒトは止めていた歩みを再開した。
ベスティアはまたアヒトの一歩後ろをゆっくりとついてくる。
――なんてことをしたんだろう。あんな、子供みたいに……
「〜〜〜〜っ」
ベスティアは保健室での出来事をぼんやりとだが思い出し、自分の行動に理解できず頭を抱えて縮こまりたい気持ちになっていた。
「そう言えば、バカムとの戦いのときに火球魔術を蹴りで返してたよな。あれどうやったんだ?」
「えっ……えっと……すぅーはぁ」
ベスティアはアヒトの急な質問にビクッと肩を跳ねさせしどろもどろになったが、深呼吸をして一旦落ち着きを得てから話し出した。
「……身体強化を使うと五感も強化されるの。それで、強化された視覚であの男の放った火球を見たら火球の中心に核があった。だから、核を破壊しないように蹴って返した、それだけ」
「魔術に核だと?今まで全く気がつかなかった」
「たぶん、この核が魔法みたいに魔術を構成しているんだと思う」
「なるほどねえ、やっぱベスティアは強いな」
アヒトがベスティアに感心し口にすると、ベスティアは俯いて口を開く。
「私は……強くない。実際に戦闘では苦戦した。結局私は足が速い、それだけ」
なかなかアヒトの言葉を認めないベスティアに、溜息を吐きながら頭を掻く。
「あーもうわかった、わかった。ティアはすごいだけで強いわけではないんだな」
「なんかそれムカつく」
「えぇ……」
そんな事を話しつつ二人は学園寮に向かって歩を進めるのだった。
これで3章は終わりです。次からは4章となります。
まだまだ続きますので温かい目で読んでいってくれると嬉しいです。




