第8話 呪いの真実 その2
だがそこで、ルシアがあごに指を添えて、小さく唸った。
「ふぅむ? 先程から『呪い』という単語を使っているようだけれど、それは比喩表現なのかな?」
「……? 私は戦うたびに自我を失ってしまうんです。そのせいで私はーー」
「それは知っているとも。視てきたからね。しかし、君のは呪いとは別ものだよ」
「え!?」
サラが驚愕で目を見開いた時、後方に集っていたオークたちが一斉にこちらに向かって来ているのを感じ、視線だけをそちらへと向ける。
おそらく、チスイに干渉している女性の魔力が異常過ぎて、サラの魔力に関してはもはや怖気付く事すらなくなったのだろう。
オークたちがその巨体をのしのしと着実に距離を詰めて来ていた。
「うぃええ、やべぇ数じゃん。どうすんのさサラさん!」
現在負傷中の身であるアキヒに戦闘力は皆無である。
しかし、そんなアキヒの問いにサラはただ静かに立ち尽くすだけだった。
「戦わないのかい? あの数なら何もしなければ全滅だと思うのだけどね」
「でも……」
「言ったはずだよ。君の抱える問題は、そう複雑なものではない。君は戦えば今の君の人格が破壊され、別人格が生まれると思い込んでいるようだけれど、それは間違いだ」
「何を言って……」
「言葉の通りさ。君はあの生き残りの子猫とは違う。誰彼構わず暴力を振い続ける君もまた君自身という訳さ」
「そんなはずがない! 私には戦っていた時の記憶がほとんどないんですよ? それが私自身だなんて……」
そこまで言うと、ルシアは困ったようにため息を吐き、ゆっくりと前に進み出す。
「……!!」
咄嗟にサラは身構えるが、ルシアはそれを無視し、サラを庇うようにまだ少しだけ距離があるオークに対峙した。
「君はまだ自身の魔力を制御する事ができていない。戦うために魔力を消費する際に、放出ではなく、無意識に魔力を君の脳……主に大脳新皮質へと逆流させてしまっているんだ」
ゆっくりと腕を前に出し、人差し指をオークの群れへと向ける。
「それによって脳機能が麻痺し、君の理性の抑制がなくなり、暴走状態に近くなる。そして、逆流した魔力が大きくなることで君は戦っていた時の記憶が綺麗さっぱり失うといのが真実だ。要は君は酔っ払ってるだけなのさ」
指先に魔力がほんの一瞬集まったかと思われた時には、攻めて来ていたオークの群れの一列分が消え失せていた。肉塊一つ残す事なく。
その出来事に思わずオークたちの足取りが止まる。
そんな光景にアキヒは目を丸くし、あんぐりと口を開けたまま石像のように固まった。
同様にサラも驚愕の表情を浮かべる。ルシアからは何一つ魔力というものを感じられなかった。そのため、初めて会った時、サラはルシアが人間なのか魔族なのかの判別を付ける事ができなかった。
「酔っ払い…………私はてっきり、血を失いすぎてるからだとーー」
「君は賢い子だと思っていたんだけどね。私の見込み違いかな? 血を失ってまともに動ける生物はいない。ましてや万全の状態より戦闘力が優れてる生物など、生態として矛盾が生まれる。血を飲んでいる時に自我を取り戻しているのは、戦闘を終えて急激な魔力の逆流が抑えられていることと、血液にも魔力が含まれるているため、他人の魔力によって魔力同士の中和作用が生じているためだ」
もう理解できただろう? と優しげな笑みを浮かべたルシア。
サラはぎこちない動きながらも首を縦に振る。
「でもよぉ、ルシア姉さん。サラさんの姿が変わっていっちまうのは止めれないのか?」
「良い質問だね再来者君」
「…………」
アキヒはルシアから呼ばれた言葉にドキリと鼓動を僅かに早めた。
「初めは単純に血液を取り込まなかった彼女の自業自得だけど」
「うぐっ……」
「先程の戦いでの変化は彼女自身が望んだものだ。血液を取り込んだ今、彼女が願わない限り、『吸血畸』への変化は行われないはずだ」
「お、おう……」
小さく呟いたアキヒはそれ以降口を開こうとはしないのか、サラの陰に隠れる。
それを見届けたルシアは両手でパンと音を鳴らす。
「よし、理解できたのなら物は試しだ。オークを相手にやってみるといい」
そう言ってサラの隣に並ぶルシア。そしてサラに視線を向ける。
「その前に、手を出してくれないかな」
「え? あ、はい」
出された掌の中心にルシアは人差し指を軽く乗せる。
「はい、これで良いだろう」
「え、何をしたんですか?」
「ただのプレゼントさ。君の魔力回路を狭めたんだ。一度に解放できる魔力は弱いが、今は新しい魔力の制御に君はなれなければならない。制御できない魔力放出など、宝の持ち腐れだからね」
そう言ってルシアはサラたちに背を向けて歩いていく。
「君にかけた魔法は君の意思さえあればいつでも解除ができるから安心すると良い」
「一緒に戦わないんですか?」
「勘違いしないで欲しい。私は助言に来ただけのただの無害なお姉さんだ。観客は観客らしく席に座ってポップコーンでも食べているさ」
それだけ言葉にすると、サラが一度瞬きした時には既にルシアはいなくなっていた。
残されたサラとアキヒは、ルシアがいなくなったことで再び動き出したオークの群れと対峙する。
「良かったじゃん。これからもサラさんのままでいられるぞ」
アキヒはまるで自分の事のように嬉しそうに笑う。
「うん、まぁ私に居場所がないのは変わらないけどね」
いつの間にか縦に割れていた瞳孔が元の人間と同じ形へと戻っていたサラは、困ったように眉を寄せながらぎこちない笑みを浮かべる。
そんなサラにアキヒは彼女の肩を強く掴んだ。
「サラさん、居場所がないなら作れば良いじゃん! 人界は少し難しいかもだけど、ここ! 魔界なら、他の人たちと協力して魔王を倒して、サラさんが次の魔王になれば良いじゃん!」
「な!? そ、そんなことーー」
「できる! サラさんなら。俺が保証するから!」
ニカッと満面の笑みでそう答えるアキヒに、なぜか心の内から自分でもできるような気持ちが湧いて来たようで、ふっと一度微笑むと、強い眼差しをアキヒに向けた。
「あまり期待できない保証かな」
「なんで!?」
「あはは……じゃあ、そろそろやる?」
「良いぞ。俺はいつでも覚悟はできてる」
「分かった……」
その短いやり取りを終え、サラはアキヒの背後に周り、その首筋にそっと歯を立てた。
「うっ……」
僅かな痛みにアキヒは小さく声を漏らす。
首筋から流れ出る血液をサラは一滴も溢さないように丁寧に飲み込む。
「ごめんね。少し飲みすぎたかも、辛くなったら言ってね」
「へぇ、忘れたのか? 俺は女の子の攻撃には強いんだゼ☆」
「な!? 忘れてないから! もう私に「忘れた」とか「覚えてる」とか禁止にするからね!?」
「それは困っちゃうなぁ、サラさんをいじれなくなっちゃうじゃん」
「お願いだからいじるのはやめて欲しいかな!! もう私行くから! 危なくなったら叫んでよ!」
「へいへい」
羽根を広げて飛び立ちながらそう言葉にしたサラにゆらゆらと手を振って見送るアキヒ。
「ま、ただ俺が見てるだけだと思ったら大間違いじゃん? 好きな子を危険な場所に1人で行かせるとか男として最低だっつーの」
アキヒは近くに転がっているオークの死体の側にあった手斧を拾い上げる。
並の人間が持つにはかなり不適合な重量だったが、全く持つ事ができない訳ではなかった。
アキヒは自分の腹の傷を確かめ、動ける限度を脳内で計算する。
「ま、なんとかなるっしょ」
そう呟き、アキヒはサラが飛んで行った先を追って駆け出すのだった。




