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亜人娘が得たものは  作者: 戴勝
第22章
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第7話 呪いの真実 その1

 軽々と吹き飛ばされてしまったサラは、予想外の出来事に対応できず、ろくに受け身を取れないまま地面を転がった。


「けほっけほ……何? どういう事なの、かな」


 打ちどころが悪かったのか、腹部に痛みがあり、押さえながらゆっくりと起き上がる。


 背後にはアキヒが付き添い、サラを心配するように両肩に手を置く。


 突如割って入って来た女性は、チスイが持つ刀の攻撃を指先だけで安易と受け止め、ただ「よくやった」と、まるで刀に話しかけるように、その刀を労うように呟いていた。


 額からは2本の角が生えた長い黒髪の女性。彼女は人間と瓜二つではあるが、その特徴的な角がサラと同様、人あらざる者であることは明白だった。


「ぐっ!うぅ……」


 チスイはその女性に対し、明らかに動揺を示し、後退る。


 既に指先で摘まれていた刀は離されていたが、チスイは攻撃するそぶりを見せなかった。


「なんだあの女の人……すっげぇ美人じゃん、握手してもらおぐへっ!?」


「時と場合を考えてよね!」


 アキヒの下心見え見えの発言にサラが静かに黙らせる。


 あの女性は何者なのか、チスイとの関係はどういったものなのか、それとも、チスイではなく、チスイが持つ刀『幻月』と何か関係があるのだろうか。


 その女性は何やらチスイに話しかけているようで、そんな静寂が続く空間でも周囲にいるオークたちは近づいて来ようともしなかった。


 その理由はサラでも理解できる。チスイに語りかける女性の背中は隙があるように見えるが、実際のところ全くの逆であり、滲み出る魔力はこの世界のものとは全く異なる色をしていた。


 サラとチスイの戦いにオークたちが乱入してこなかったのと同様で、彼女に対しても、一歩でも近づけば殺されると無意識に感じてしまっているのだろう。


 それはサラも同様で、静寂な空間で少しでも動きを見せようなら、周囲の張り詰めた冷たい空気に殺されるのではないか、そんな感覚に陥ってしまうほどだった。


 そのため、この時間が速やかに流れて行くのをただ茫然と眺めることしかできなかった。


 そんな時、チスイと女性のやり取りに僅かな変化が起こった。


 刀が小刻みに震え始め、チスイの手がだらりと力なく垂れる。


「智翠の事を随分と気に入ったようだな」


 言葉を紡がれ、嬉しいのだろうか、チスイの辛そうな表情がみるみる穏やかになっていき、感謝を込めた声色に絆されるかのように力が抜けて行く。


「少しは満たされたか?」


 そっとチスイに近づき、そっと優しく『幻月』に触れる。


 刃に注がれる女性の魔力を喰らい、貪るように『幻月』は腹を満たして行く。


 自分の創造主の血統から送られるその魔力はこれほどまでになく、濃く、香りたつものだっただろう。


 女性は腰に収めていた空の鞘を取り出し、そっと前に出す。


「来い幻月」


 その呼びかけに応えるかのように、刀はひとりでに宙を舞い、差し出された鞘にゆっくりと収まっていく。


 手から離れた瞬間、チスイはその場に糸が切れたように膝から崩れ落ちる。


 だが、完全に倒れるよりも前に女性がチスイの体を支え、瞼が閉じたままの少女を軽く一瞥する。


「まったく……手を焼かせてくれる……」


 呆れたような物言いだが、その顔はどこか優しく微笑んでいるように感じられた。


「ここからは自分との戦いだ。せいぜい私を飽きさせるな」


 チスイの額に人差し指で軽く触れた瞬間、2人の体が薄青い半透明な光に包まれる。


「ま、まって! その子に何をしたの!!」


 咄嗟にサラが女性に向けて叫ぶが、その声は届いていないのか、女性はチスイと同じように瞼を閉じ、その場から動かなくなってしまった。


「何が……どういう事なの?」


 サラの問いかけにアキヒが髪を掻きながら隣に並ぶ。


「んー。とりあえず触ってみよう! 住所とか聞きたいし」


「む、あーきーひ君?」


「えへへ、冗談冗談」


 笑顔でそんな戯言を言っているが、アキヒの場合、これを本当にやりかねないため、恐ろしい。


 それに、おそらくあの光に触れた場合、ただでは済まないとサラは直感的に感じていた。


 だがそこで見知らぬ女性の声がサラたちに向けて告げられた。


「そうだね、あれには触れない方が良いのは確かだ」


「……!?」


 その声の方へと振り向けば、そこには桜色の髪の女性が平らな岩の上に優雅に腰掛けていた。


「見てみると良いさ」


 その女性はチスイたちを包んでいる光のある方へと指示する。


 サラは罠である事を考えて、身体を半身の状態で視線だけをそちらへと向ける。


 光のところにはオークたちが集まっており、そのうちの1体が光に触れた。


 刹那、そのオークは瞬きの間に一瞬で蒸発し、その存在を掻き消されていった。


「理解したかい? ならば今はそっとしておいてあげようか」


 その女性はそっと立ち上がり、サラたちの方へと近づいて来る。


「うっひょー、スタイルぱねぇ。ねねお姉さーー」


「待って」


 アキヒが前に出ようとしたところを腕で制したサラは、庇うように代わりに一歩前に出る。


「あなたは人間ですか? それとも魔族ですか?」


「それはプライバシーに反するのではないかな?」


「茶化さないでください。あなたは何者なんですか」


 サラは女性を威嚇するように睨みつける。


 だがそんなものに何も意味はないと思わせるかのように、女性は歩行速度を変えずに歩いて来て、サラの2メートルほど手前で足を止めた。


「何者か、その質問に対して名前で許されるのなら答えるさ。うん、その方が君たちも呼びやすいだろうからね」


 そう言って女性は胸に手を当てて、軽く腰を曲げる。


「初めまして、私はルシア。ルシア・ニコーレ・ヴァルーチェ。親しみ易く『ルシアお姉さん』と呼んでくれたまえ」


 それだけ言うとルシアと名乗った女性は元の姿勢に戻る。


「な、名前なんてどうでもいいんです! あなたが人なのか魔族なのか、それによって私はあなたへの警戒度が変わります」


「なら、君はどっちなんだい?」


「え……?」


 ルシアの唐突な問いかけに、サラの思考が停止する。


「君は人間なのかい? それとも、魔族、なのかな?」


「わ、私は……」


 サラの視線が泳ぐ。


 先ほどまで相手の目から逸らさないという強い意志が感じられていたその視線が、ゆっくりと地面へと落とされる。


「どうだっていいでしょ……そんなこと」


「良くないね。君がそう言ったんだろう? ならばまずは君から答えるべきだ。自分が何者なのか、それが理解できていない以上、君に生きる資格はないと思うのだがね」


 違うかい? とルシアはサラの瞳を真っ直ぐ見つめる。


「私は……人間です。今もこれからも」


 小さく、そしてとても弱々しく呟かれた回答に、ルシアは僅かに目を細め、胸の前で腕を組んだ。


「ふーん。そうなんだね。よく理解したよ。ありがとう」


「あ、あなたはどうなんですか!」


 やり返しとばかりに声音を上げて質問したサラ。だがルシアは当然のように、即答する。


「人間であるわけがないだろうね。こんな薄汚いところに好き好んでやって来る人間は浮浪者くらいなのではないかな」


 それに、とルシアは呟き、今いる場所から一歩だけサラとの距離を縮める。


「……!!」


「君に一つだけ助言だ。良いかい? 自分が人間であるかを考える。その時点で君は人間ではない。人間は生まれた頃より人間で、獅子は生まれた頃より獅子だ。そこに疑問の余地はない」


「そ、それはーー」


 サラが反論しようとするが、ルシアは指でそれを制する。


「自分の存在を疑い、拒絶した時点で君は拒絶したものである他ない。人間であろうとする心は人間でない者でしか持ち合わせないものだ」


「…………」


 それを聞き、サラは黙り込む。


 反論できなかった。できるはずもなかった。


 戦うたびに自我を忘れ、戦うたびに人の姿からかけ離れていく。


 もはや誰がどう見ても、今のサラは人に嫌われ、悪として語られる魔族そのものだった。


「……サラさん。お、俺は、サラさんは人間だとおもーー」


「良いんだよ。もう、分かってるから……」


 サラは完全に俯いてしまい、顔を上げる事ができないでいた。


 地面には小さな染みができており、サラが今どのような表情なのかが大方推察できてしまう。


「魔族であること、それの何がいけないんだい?」


「え?」


 ルシアの言葉にサラは重い首を持ち上げる。


 目が赤く腫れ、まだまだ目尻から溢れるのではないかと思うほどに涙袋に雫が浮かんでいた。


「人間にはない力を手に入れたんだ。それは喜ぶべきことのはずだ。ただの人間ほど無能な生物はいないからね」


 ルシアはサラの頬にそっと手を触れる。


 鼻と鼻がぶつかるのではないかという程に顔の距離が近い。


「不完全ではあるけど、君の姿も人間にはない立派な力。この世界くらいなら君1人でも十二分に掌握可能だろうね」


 ルシアが何を言っているのかサラには理解できなかった。


 世界を掌握する、そんなこと一度も考えた事がなかった。誰かのために強くなりたい。助けられるように強くなりたい。そう願った事くらいなら少しはあれども、こればかりは微塵もなかった。


 だからサラはルシアの手を払い退ける。


 アキヒの手を取り、数歩だけ後退した後、再びルシアを睨む。


「こんな姿になって何を喜べって言うんですか。確かに初めは力が手に入って舞い上がっていた自分がいましたけど、今は違います。こんなものは呪いでしかない。自分を代償に力を得たところで、何も良い事がない! アキヒ君に……他の人たちに迷惑をかけるだけ!」


 こんな力があるせいで、大事な人を何度も失いかけた。この力がなければ、今頃大切な友人たちと幸せに過ごせていた。


 サラの訴えにルシアは眉一つ動かさなかった。


「君の気持ちはただの理想論に過ぎない。おそらく魔族に堕ちていなかったとしても君に今より良い幸せなど来なかっただろうね」


 まるで心を読んだかのように、ルシアは語る。


「どうして、そんな事が……」


「分かるさ。記憶がないのだとしても、人はそう簡単に性格は変わらない。むしろ忘れているおかげで君のストレスは限りなく軽減されている」


「…………」


「君は恐れているだけなのだよ。仲間に嫌われ、捨てられ、居場所を失う事が」


 だから「人」であり続けたいと思案する。そう、まさしくその通りだった。


 サラは自分が変わることで元は同じ種である「人」という存在から嫌悪され、迫害されることを何よりも危惧していた。


 自分の現状を再認識させられ、もはや自分の在り方を見失いつつあるサラは、懇願するようにルシアへと問いかける。


「私は……どうしたら良いんですか。もう人として生きていけないなら私に居場所はない。私が私でなくなるまで、この呪いと一緒に密かに過ごしていかなければならないんですか」


「君が歩む道に私がどうこう口出しする事はできないさ。君がそうしたいのならそうすれば良い」


 自分はサラの味方ではない。そう遠回しに言われているような気持ちをサラは感じた。


 自分で考えて歩んでいかなければならないのはサラも理解している。だが、今のサラは思考すればするほど混乱し、ぐちゃぐちゃになってしまっている状況だった。


 呪いを進行させないようにしていたとしても必ずどこかで戦う羽目になる。


 人界で上手く人に近い姿になれたとしても、長期間隠し通すことなど不可能だろう。魔界に関しては全ての魔族からはサラは異端者であり、排除すべき対象であることに違いない。


 こんな呪いさえなければ……そう考えずにはいられなかった。

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