第5話 小鬼との戦い その1
大地を引き剥がさんとするほどの風の渦が周囲の木々を暴乱させている。
当然、この現象は自然によるものなどではなく、アリア・エトワール……その使い魔であるシナツの魔法によるものであり、『分身』により百以上の数で連続的にトルネードを巻き起こし、敵群のゴブリンたちを次々に宙へと舞わせる暴風を吹き荒らしていた。
巻き込まれたゴブリンたちはトルネード内で不可視の刃により無惨に引き千切られ、地面を赤黒く染め上げていく。
2万体のゴブリンに対してアリア、そして約百体の分身を行ったシナツという数で言えば、側から見れば圧倒的に不利に見えるこの状況下で、現在、アリアは戦闘を開始してから5分経過しても尚、敵群の攻めを抑える事ができていた。
それはアリアとシナツが上位種の魔族を相手にしても、ある程度は戦いらしい戦いをする事ができる事の証明であり、周囲から奇声が轟く惨劇を目前にして、それを理解したアリアは無意識に口端を上げて笑みを形作った。
「どんどん舞うと良いわ。そして絶望と恐怖を抱いて、私たちに挑んだ事を後悔しなさい!」
ゴブリンという下級種族にアリア・エトワールを倒すことなどできはしない。相手に対して、はたまた自分に対して意識させるために、再び高らかに声を張り上げる。
対するゴブリンたちは仲間がいくら犠牲になろうがお構いなしに動き続けている。
複数のゴブリンたちがシナツの攻撃の隙を見つけ、トルネードを擦り抜けて前進してきたのを目視したアリアは、右手を前に、杖剣の先をゴブリンたちに向ける。
「無駄よ。『火炎球・1番』!」
そう唱えると同時に杖剣の先から鮮やかな橙色をした円球状の炎が浮かび上がる。
そして、アリアが杖剣を右下に振り下ろす動作で円球状の炎は迫り来るゴブリンたちへ向けて飛翔していく。
飛翔した炎の先にいたゴブリンは右手に持つ木製の棍棒を横へ振り払うようにする事で回避措置を行ったが、棍棒が炎に触れた瞬間、一気に燃え上がり、かつ、周囲の突風による飛び火で、自分だけでなく共に攻めてきていた別のゴブリンもまた、ものの数秒で黒焦げになっていく。
「魔術は応用ができるところが利点ね」
初級魔術であるただの火炎球であっても、その場の環境によっては中級以上の威力を発揮することができる。
今回はシナツが出した暴風を利用して炎の伝達速度を上げる作戦を行ったが、どうやら上手くいったようだった。
しかし、それでも攻めてきた全員を無力化する事などできるはずもないことはアリアも理解している。すり抜けて続々とやってくるゴブリンたちに向けて、同様の魔術でアリアは対抗していく。
そしてゴブリンたちもまた、先程焼死したゴブリンと類似した防御方法を行い、黒焦げになっていく。
「いくら炎を叩いたところで無意味な動作であることがまだ分からないのかしら? 核は分散配置してあるから余程のことでもない限り、あなたたちに打ち消すことは不可能よ」
魔術には魔法と違い、内部にそれぞれ核というものが存在する。それを破壊してしまえば、いくら強力な魔術であっても一瞬にして消失させることができてしまう。
しかし、そのことは術者も理解していることであり、魔術を生成する過程で、核の大きさ、場所、数等を瞬時に判断して行なっている。だが、大抵の種族には核を見る事ができないため、毎回同じ核を設定する術者が殆どであることは否めない。
「だけどそうね。いちいち相手に狙いを定めるというのも面倒な工程だわ。もう少しだけ手を加えてみようかしら」
そう呟いたアリアは脳内で術式を構築し、杖剣を持つ右手を左へと振る。
「……『2番』」
言葉と同時に複数の円球状の炎が横一列に並んで生成され、飛翔する。
先程は直線的に飛翔していた炎が、今回は放物線を描くようにして飛翔するものもいれば、ジグザグにブレながら飛翔、はたまたあらぬ方向へと飛翔するものと様々であったが、その全てが最終的に攻めてくるゴブリンたちへと確実に着弾していく。
ゴブリンたちも必死に回避しようとする者や、弾こうとする者がいたが、如何せん、軌道が読めないため、見事に直撃し声も上げる事なく燃えていく。
「……たわいないわね」
風になびく金髪が燃え広がる炎を反射して美しい茜色を見せながら、アリアは思う。これならばサラと戦っていた時の方がよっぽど危機感があった、と。
戦場にいることによる興奮で体温が上昇したせいか、無くした左腕が疼く。
ゆっくり深呼吸し、自分の魔力残量のおおよそを計算する。アリアの魔力量も無尽蔵ではない。2万体もいれば、いずれ枯渇し、命の危機に陥るかもしれない。
そのため、できるだけシナツの魔法で多くのゴブリンを足止めしなければならない。
アリアは視線のみで後方を確認する。
そろそろアヒトの指示が各部隊に回った頃だろうか。
だとすればアリアがここに留まるのは残り数分ほどだろう。
「お願いシナツ。もうちょっとだけ、頑張ってくれるかしら?」
肩に乗る本物のシナツに声をかけると厳しい表情を見せながらも強く頷いてくれるパートナーにアリアも表情を引き締める。
トルネードの数もだいぶ減ってきている。シナツの体力も限界に近いのだろう。
そう考えている間にも多くのゴブリンたちがアリアに向けて攻めてきていた。
「……それじゃ行くわよ!『3番』!!」
そう叫んだアリアは右手に持つ杖剣を勢いよく右上に振り上げた。
指揮官、参謀たちが集まる天幕内に同席していたアヒトは、腕を組み瞼を落として静かに佇んでいた。
現在はアリアの命によりアヒトが作戦指示を行うことになっているが、周りの参謀たちは、もし計画通りに事が運ばなかった時に即応できるように段取りを話し合っている。
外では周囲の木々が振られるほど強く激しい風が吹き続けており、アリアの頑張りが否が応でも伝わってくる。
そんな時、一人の伝令兵が天幕に飛び込んできた。
「ほ、報告します! 各部隊、正面隊、右翼隊、左翼隊それぞれ所定の位置への配置完了しました」
全力で走ってきたのか額から大量の汗が滝のように流れている伝令兵に向けてアヒトは言葉をかける。
「敵群の状況……アリアの様子はどうなっていますか?」
「はっ、敵ゴブリンの群れにあっては依然アリア様に注意が向けられており、部隊それぞれいつでも実行に移れます。アリア様はほぼ限界のご様子でした。早急に事を動かすべきと思われます」
ここまでに至るまで約15分。アリアは2万ものゴブリンのヘイトを見事に引き付けてみせた。
伝令兵が言う通り、アリアの体力もそろそろ限界の頃合いだ。何も悩むことなどない。いつでも動けると言うのなら動かすまでである。
「……よし。決行します。すぐに伝達を!」
「御意!!」
そう短く答えた伝令兵は速やかに天幕から去っていった。
アリアを退かせることができるまで僅か数分ほど。その数分をアリアがどれだけ耐えられるだろうか。
いかにアリアが優秀な使役士であろうとも、数で押されれば負ける可能性は遥かに高い。
群れで行動する種族はいつでもそうやって孤高の強者を数で取り囲み、勝利を掴みとって来た。それをされてしまえばアリアを助けることなど皆無に等しくなるだろう。
だから、相手よりも先にこちら側が動き、相手の注意を拡散させる。
単純な作戦、誰もが思いつくものだが、基本であるが故に、相手が油断することだってあり得る。
アヒトは事が動く展開を直接見ようと天幕から外へ出る。
先ほどまで強かった風が穏やかになっている。やはりアリアの退き時のタイミングは悪くはなかった。
急いで丘の端まで走り、見下ろすと既に右翼と左翼がゴブリンたちを囲うように攻め始めていた。
突然の増援にゴブリンたちは対応ができずに続々と淘汰されていく。
そして正面隊と入れ替わるようにアリアがおぼつかない足取りだが、速やかに後退している姿が見えた。
「よし、このまま押し込めばーー」
遠くない時間に勝利を収める事ができるだろう。だが、それを口にする前にアヒトは目を見張った。
ゴブリンの群れの最後尾、そこから飛び立つゴブリンの姿を見たからだ。
身体を小さく丸め、回転しながら飛ぶ姿は、巨大なボールのようで、放物線を描きながら落下して来たゴブリンは門壁に衝突する直前に手に持っていた大きな斧を振り下ろし、見事に国を守る外壁を破壊してみせた。
土煙が舞い、その中からゆっくりと起き上がる影が映る。
体格は今までのゴブリンより僅かに大きく、痩せ型、右手には大きな両刃の斧を持っている。
「サテ、ココガ本陣デアッテルカ? 弱者ヲ殺シタイガ、先ニ面倒ナヤツヲ排除スルカ」
おまけに人の言葉を話す事ができる。
そんなゴブリンをアヒトは知っていた。もしかしたら一緒に紛れてるのではないかと、そう思っていたところがあったが、どうしても容易に成功する流れの道を捨てきれなかった。
知能が高いゴブリンは2種類いる。
ゴブリン全体を統率する主導者、小鬼の王、そして…………
「……小鬼の勇士者……!!」
ゴブリンの小部隊を指揮する存在、そんな奴が今、アヒトの目の前に悠々と佇んでいた。




