第3話 暴走を止める者
魔界に入って既に数時間が経過している。
オークの群れに突っ込んで行ったサラを見送ったアキヒだが、その場に居続けるというのも落ち着くことができずに岩場の陰からゆっくりと移動を開始していた。
せめてサラの戦いを見ることができる位置まで移動することができれば良いという思いでの行動だったのだが、至る所にオークがいてあまり身動きが取れないでいた。
「くそっ、何でこんなに多いんだよ」
自分が深手の怪我を負っていなければ、今頃サラと一緒にチスイを止めるために戦うことができたかもしれないというのに、といった自責の感情をぶつぶつと呟きながら低速度でサラのいるところへ向けて移動していく。
幾度か爆発音が聞こえており、未だ戦闘が終わっていない事だけは確かだった。
オークたちもその音に反応して集まって来てはいるが、戦闘による強烈な破壊音と膨大な余波がチリチリと肌に痛みを与えてくるため、戦いに参加するような奴は一人もいなかった。
アキヒは身体の痛みを抑えながら地面を転がるようにして岩場の陰から陰へと移って行く。
そして、最も戦闘音が大きく聞こえる場所までやって来た時、サラが羽根を広げて上空に停滞し、チスイに向けて様々な遠距離魔法を大量に撃ち抜いているのをアキヒは視界に収めた。
「あはははははははははは!! ほらほら頑張って避けないと死んじゃうよ! 潰れて死ぬかな? 焼けて死ぬかな? 引き裂いてあげても良いよ! あははは」
サラは完全に本来の目的を忘れ、本能のまま戦闘を繰り広げていた。
「まずいなありゃ。暴走状態じゃん」
今のところサラの魔法がチスイに直撃している様子はなく、全て軽傷若しくは打ち消し、又は魔法ごと吸収しているような様子であった。
腹に響くほどの轟音を響かせ、土煙が舞い上がる中、その死角からサラに向けてチスイの斬撃が飛来する。
目を見張り、一瞬行動が遅れたサラだったが、羽根を羽ばたかせて縦横無尽に攻撃を全て避けきって行く。
「危ないかなぁ。当たったら私許さないよー。そんな事ができないようにきついお仕置きをしなくちゃだね!」
サラが両手を前に出すと目の前に魔法陣が浮かび上がり、そこから目を焼く程の熱量、直径約3メートルの巨大なマグマの焔柱がチスイに向けて降り注がれた。
人間の速度を遥かに凌駕する速さで回避したチスイの背後を灼熱の渦が地面に着弾すると、ドロリと粘着質な液体が周囲に飛び散り、辺りを炎で埋め尽くして行く。並みの人間が少しでも触れればその熱量によって一瞬で溶解する事だろう。
岩場の陰から見ているアキヒでさえ、その熱波に耐えかねて咄嗟に腕で顔を覆ったというのに、より近くにいたチスイは何も感じていないかのように素早く移動し、肩越しに刀の切先をサラに向ける。
「……『鶺鴒』」
低く呟いた時、チスイの周囲に空気状の球体が複数浮かび上がる。
同時に剣先を突き出した瞬間、周囲に浮かんだ球体がサラに向けて高速で射出され、サラの左脚と脇腹を貫通した。
「かはっ……!?」
受けた反動で飛行バランスを崩したサラに向けてチスイは地を蹴ると同時に剣先を後方へ向け、魔力を爆発させることで一気にサラの高さまで跳躍してみせる。
「……!?」
サラが目を見開いた時には既にチスイの刀は大きく振りかぶられ、そして無慈悲に振り下ろされた。
体重の乗った一撃にサラは宙に居続ける事ができずにチスイとともに落下し、地面が陥没する激震を周囲に轟かせた。
「サラさん……」
土煙が舞い上がる中をアキヒはじっと見つめる。
今のチスイの攻撃でサラが死ぬような事はないはずである。なぜなら人では持ち得ない自己再生能力が彼女にはあるからだ。
今は不利でも戦い続ければ相手にもミスが生まれ、隙が出来るかもしれない。そこを狙って、当初の「チスイから刀を奪う」という目的を完遂する。後は暴走したサラをどう止めるかだが、それはその時考えれば良い。
土煙が晴れ、隠れていたサラとチスイの姿が見えた時、アキヒは目を見張った。
振り下ろされた刀はサラ肩口から入り、心臓部で止まっており、サラは地に片膝を付いてチスイを見上げている状態だった。
そして、止まっている刀はそのままにサラの傷が再生されてしまい、刀身がサラの身体に埋まる形となってしまっていた。
「ぐぁ……ぁはは私の魔力が、欲しいのかな? あげたりしない、から……ぁう」
痛みと著しい魔力の減少に苦悶の声を漏らすサラ。
対するチスイは静かにサラの身体に刺さる刀を強引に捻る。
「ああ……んんぁああ!!」
刀を引き抜こうと両手で触れるサラだが、触れた瞬間魔力を奪われて行く感覚に視界が明滅し始める。
サラの悲鳴など意に介さずにチスイは地を蹴り、体重を乗せてサラごと岩壁に突き刺し、身動きを封じる。
「…………タリナイ」
チスイの口から小さく言葉が漏れ、それと同時に更に刀を捻る。
「うぐ……そろそろ、引き抜いてくれるかな。そしたら必ず殺してあげるから!」
許せなかった。勝手に魔力を強奪して、こんな冷たい岩に張り付けにされたことがサラにとって何より許せなかった。
サラの殺意が膨れ上がる。縦に伸びた瞳孔が収縮し、目の前の少女だけに視線を捉える。
今すぐ殺したい。刀をへし折って首に噛み付きたい。血をぶちまけて身体全身に浴びたい。そのためには今のままではダメだ。遠距離での攻撃では避ける余裕を与えてしまう。今よりもっと、接近に特化した力が欲しい。
そう考えた時、サラの背中が熱く疼いた。
「うっ……ああああああああ!!」
突如、背中にある片方の羽根の形状が歪み、巨大な人の拳のような形へと変化させ、チスイへ向けて豪快に振り抜かれた。
激烈な威力を伴って放たれた背中の拳の一撃はチスイを大きく後方へと吹き飛ばす。
刀から手が離れ、軽々く宙を舞いながら落下したチスイは口から血を吐き出しながら、身体をビクンビクンと痙攣させてしまっていた。
「あは、あははははははははははは!! すごい、すごいね!! また私の身体変わっちゃったよ? どうしてくれるかな! かな! 死んで償ってくれても良いんだよ。あはははははははは」
胸に刺さったままの刀ごと岩壁から離れ、チスイに向かって歩いて行くサラ。
だがしかし、突然刀がひとりでに震え出した事でサラは呻くようにして膝をつく。
「うっ……な、に……かはっ」
痛みで背筋を反らしたサラは刀を押さえようと手を動かしたが、それよりも速く振動する刀がサラの胸から勢いよく飛び出した。
サラの血液を散らし、回転しながら、まるで磁石のようにチスイへと戻り、柄が掌へと自動的に乗っかる。
すると、それまで動けずにいたチスイがムクリと人形のように上半身を起こし、刀を支えに立ち上がった。
「……へぇ、まるでゾンビ、それとも『操り人形』かな。もう容赦しないから。あなたなんてぬいぐるみみたいに千切って引き裂いて握りつぶしてあげるんだから」
口端を不敵に持ち上げ、もう片方の羽根も巨大な拳へと変化させたサラはチスイへ向けて駆け出した。
「ぉぉおおああああ!」
それとほぼ同時にチスイも濁った声を発しながら駆け出し、サラが間合いに入ったところで乱雑に刀を振り下ろす。
サラは右背の拳に魔力を纏わせてチスイの攻撃へ重ねる。
青白い閃光を迸らせながらサラは刀を押し返す。
「あはは、魔力を重ねれば斬れないんだね!!」
サラは連続で背中の拳による打撃を繰り出し、その悉くをチスイは打ち払っていく。
青白い閃光が飛び散り、凄まじい風斬り音を周囲へと響かせ、やがてサラとチスイの足下がお互いの覇気と魔力によって地割れし、陥没する。
時折りサラは手をかざして魔法を撃つ事でチスイに避けさせる動作を強制することで隙を生ませ、徐々にその身体に傷を与えて行く。
そんな光景を見て、アキヒは岩陰から身を出した。
「ダメだサラさん! それ以上は彼女を殺す事になるじゃん!」
だがサラの動きは止まらない。
今のサラにはチスイの事しか目に入っていない。魔力と血が尽きない限り、チスイを殺すまで永遠と攻撃をし続けるだろう。
サラの動きを止め、振り向かせるだけの絶大な一言は何かないだろうか。
一瞬の逡巡後、痛む身体に鞭打って、アキヒは大きく息を吸ってその言葉を発した。
「サラのおっぱいはHカップだぁあああああああ!!」
周囲にその言葉が反響し、2、3秒の間木霊する。
「……………………へ?」
その声を耳に入れたサラは硬直し、瞬く間に顔を赤面させながらアキヒの方を振り向いた。
「よし!」
「よしじゃないかな!? 何で私の胸の大きさ知ってるの!? ていうかHじゃないし! じ、G! Gなんだから! ひゃ!?」
遠く離れた先にいるアキヒに叫びながらも、襲ってくるチスイの攻撃を無意識に背中の拳で防いで大きく距離をとる。
「え、あ、あれ!? 何なのこのゴツい奴!! 羽根は!? 羽根はどこにいったのかな!?」
自分の記憶を遡ってもチスイを見つけて戦いに向かうところまでしか思い出せず、混乱するサラ。
その慌てふためく姿を見て、素のサラに戻った事を確認したアキヒは安堵する。
だがしかし、莫大な声量で叫んだ事でサラだけでなく、周囲にいたオークたちにも伝わったようだった。
アキヒを囲むようにして多数のオークが集まってくる。
「……こ、これ、ガチやばい感じじゃん」
その様子にサラは慌てて上空へ向けて地を蹴る。
だが、背中の羽根がない事を思い出し、僅かに動揺したサラだったが、自分が空を飛ぶイメージを思い描くと、背中の拳がもとの羽根へと形状を変化させた。
「良い子だね。このまま行くよ」
腐っても自分の身体である。初めての事でもある程度は自然とやり方を把握しており、息をする様に扱える。
後方から素早くチスイが追いかけて来ているが今は気にしない。アキヒが危険な状態なのだ。優先順位を間違えてはならない。
アキヒとの距離を一瞬で詰めたサラは、オークの1体が斧を振り上げたタイミングでアキヒを抱えて脱出する事に成功し、離れた位置に着地する。
「何であそこにいたの? 待っててって言ったよね?」
「ごめん。けど、心配だったからさ」
アキヒの言葉に少しだけ目を丸くするも腕を組んで気丈に振る舞う。
「そ、それに、私のこと呼び捨てしたでしょ」
「はははー、ついうっかり」
「もお! いきなり呼ばれるとびっくりするからね? べ、別に悪い気はしなかったけど……」
サラは照れ隠しのため、アキヒに背を向ける。
「……あ、ありがとうね。アキヒ君が叫んでくれなかったら私、ずっと暴走したままだったんでしょ?」
「いやいや当然のことをしたまでじゃん。それと、何でブレスレット外したの?」
「それは……えと、また飛んで行っちゃうと困るから……っ!!」
背を向けたまま言い訳がましく呟いたところでサラは息を呑んだ。
サラの視界にこちらへ向かって歩いてくるチスイの姿があったからだ。
「おいおいまじかよ」
これにはアキヒも眉を歪める。
先程の場所からはかなり離れたはずだ。それなのに追いついてくるチスイの脚力、又はチスイの持つ刀の能力には唖然とさせられてしまう。
「……アキヒ君。私って、まだ人でいられるかな」
何を聞いてくるんだとアキヒは首を傾げる。
「聞くまでもないじゃん。サラさんは人だよ」
「それって、私が吸血畸になったとしても?」
「ああ、そのとおり」
たとえ『吸血畸化』が進行して姿形が人でなくなったとしても意思と心がサラのままであれば人なのだ。
「……また、私が暴走したら、声をかけてくれるかな?」
「いいよ、サラさんのためならこの喉が潰れるまで声を掛け続けるじゃん」
「ふふ、ありがと。じゃ、ちょっと行ってくる」
そう言ってサラはチスイへ向けて駆け出した。
チスイはだらりと力を抜いていたがサラの姿を見るなり、怒りと悲しみの混じった声を振るわせる。
「うぅおぁぁぁああぁ!」
「ナミヒラさん、今度こそあなたを助けるから!」
サラが背中の羽根を巨大な拳の形へと変えて突き出す。
チスイも刀を振り上げ、サラへ向けて上段から振り下ろした。
しかし、それらがぶつかり合う直前、間に割って入る一人の女性がいた。
サラの背中の拳を片手で受け止め、弾き飛ばす。
「ぃああ!?」
ただ軽く弾かれただけのはずなのに、サラの体は球のように吹き飛び、アキヒのいるところまで転がる。
そして、チスイの振り下ろされた刀を素手で、それも指先でつまむように刀を止めた。
「よくやった……幻月」
間に入った、額に角の生えた黒髪の女性は、そうチスイに、否、チスイの持つ刀へと優しく声をかけた。




