第2話 金髪お嬢様の気持ち
人間と魔族との戦争が休戦してから約150年。
それまで平穏な日々を過ごして来た人界に、今日、突如魔族が強襲したことによって再戦の火蓋が切られた。
進行魔族種「ゴブリン」の総数約2万。対して、人界側はゴブリンを上回る数の約2万5千。
だがしかし、突然の襲撃に混乱した事による、不適切な指揮系統や連携のミスが相次ぎ、苦戦を強いられていた。
各部隊長が必死に指示を回しているが、それぞれの部隊修正にはかなり時間がかかりそうだった。
「平和ボケね」
アリアは戦況を一望できる丘上から失望の眼差しを向けていた。
ゴブリンたちの動きには作戦というものは何も感じられないと言っていいほど適当な配置をしており、部隊が複数あるようにも見られない。裏で魔王が指揮しているとは到底思えず、そこに山があったから登った。みたいな感覚で襲撃して来たとしかアリアには考えられなかった。
そんなゴブリンの群れ相手にこちら側は急速な編成ではあったが部隊を別け、部隊長を置いているにも関わらず、苦戦している状況。
アリアの騎士隊を援軍として向かわせてもいいが、襲撃魔族がゴブリンだけとは限らない事を考慮すれば、なるべく消耗を抑えたかった。
「仕方ないよな。150年ぶりなんだからさ。平和ボケというより、世代が変わってるせいで戦争というものがどういったものかの引き継ぎが上手くできていなかったんだろうな。教材や史書を読んでも実際にやってるわけじゃないから想像しにくいだろうし」
アリアの隣にアヒトが並び、同じようにして戦況を見下ろしながらそう呟いた。
「意外と冷静なのね。てっきり戦況を聞くなり一人で飛び出していくものだと思っていたわ」
「いや、冷静じゃない。今もあの中に飛び込んで戦いたい気持ちでいっぱいだ。だけど……」
アヒトは血が滲むのではないかというほど拳を強く握る。
眉間にしわを寄せ、瞳孔を開いて見つめる、鬼のような形相をしたアヒトをアリアは視線を逸らして見て見ぬふりをする。
「だけど、なにかしら?」
アヒトが何を言おうとしているのか、大方予想が付いているアリアだったが、ここはあえてアヒトの口から聞くことにした。
少しでも後の戦いに貢献できるよう今はストレスは溜めない方が良い。
「……おれは魔術士でも剣士でもない。今は、使役士でもないけど、そんな未熟者があの戦いの中に飛び込んだところで何も変わらない、と思ったんだ」
「そう。あなたは無力よ」
アリアは間髪入れずに肯定する。
たとえそれでアヒトが怒りを覚えたとしても、アリアは今伝えるべき事を少年に告げる。
「けれどね。あなたには知識があるはずよ。この戦況を直接見て、指示が出せるだけの知識。だから今もあなたは飛び込みたい衝動を抑えていられる」
追い風で髪が揺れ、表情が隠れてしまったアヒトを見つめ、アリアは言葉を続ける。
「いいかしら? 何も自分が戦う事だけが力じゃないの。あなたがもつその努力の証も立派な力よ。このアリア・エトワールが保証するわ。あなたは本当の無力者ではない。そうじゃなきゃ私はあなたを従者になんて選んだりしないわ」
アリアは誇らしげに腰に右手を当て、片目を閉じて微笑む。
その姿を見たアヒトは、拳の力を緩め、大きく深呼吸を行った。
「……ありがとう。アリアがいてくれて良かったよ。おかげで気持ちが落ち着いた」
「そ。なら良かったのだわ。それじゃあ早速なのだけれど聞いても良いかしら」
「ああ。まずは今の戦況を立て直さないといけないから、悪いがアリアの力を借りたい」
「ええ、そう言うと思ったわ。時間稼ぎくらいなら今の私でも容易よ」
アリアは胸に手を当てて了承する。
「くれぐれも無理はしないように」
「誰にものを言ってるのかしら? 従者の分際で生意気よ?」
そう言葉にするが、アリアは特段怒っているわけでもなく、優しげな瞳でアヒトを見つめていた。
「ふっ、ああ悪い。行ってらっしゃいませ、お嬢様」
「もう少し頭を下げなさいよ」
「え? こうか……!?」
アヒトが頭を僅かに下げた瞬間、アリアは唐突にアヒトの頬へとキスをした。
1秒も満たずにアヒトから離れたアリアは何をされたのか理解できずに呆然とする少年に背を向ける。
「期待して私の帰りを待ってなさい。それが従者の役目よ!」
そう言葉に残し、アリアはシナツの魔法で宙に浮き、丘を下って行った。
それを静かに見送ったアヒトはゆっくりと体を起こし、頬にそっと触れる。
少しだけ、ほんのりとアリアの温もりが残っているような気がした。
「ご相言の直後ですが、急速と思われるため失礼します」
「!! い、いやそんなことしてないですから!?」
アリアの身の危険を考えて護衛が近くにいた事を忘れていたアヒトは咄嗟にそう言葉にしたが、おそらく初めから見られていただろう。
全てを見透かしたような表情を僅かに見せるが、特にアヒトの言葉に対して言及する事なく、護衛は静かに指示を待つ。
「んごっほん……一度部隊を全て引かせてください。立て直します。その間はアリアが何とかしてくれるはずです」
「はっ、して、その後は?」
「部隊を落ち着かせるのが先です。その後は折って伝えます」
「承知しました」
アヒトに向けて敬礼を行った護衛は素早く去って行く。
それを見届け、アヒトは再び丘下の戦場を見下ろす。
血が飛び散り、土が黒く変色し、異臭が昇ってくる。敗れ去った兵士たちに心の中で手を重ね、視線を別の方向へと移す。
彼らの頭上をアリアが颯爽と飛んでいる姿が見える。
今回の戦いはアヒトが指揮しなくても冷静な人間がいれば誰にでも対処できる戦いだ。そのため、アリア一人で十分に場を収めることができたはず。それをしなかったのはおそらく、アヒトに自信をつけさせるためだったのだろう。
ベスティアがいない今、アヒトに戦う術はほぼ無いに等しい。ましてやここへ来る前にアリアにこっぴどく叱られた後でもある。自信もなく戦いの集中力を阻害する要因もある人間を前線に出すわけにはいかないとアリアは判断したのだ。
「頼んだぞ、アリア」
そう呟いたアヒトは、急いで指揮官テントの方へと走っていった。
アヒトに見送られ、丘を下ったアリアは、ゴブリンの群れの最前線へと向かっていた。
向かいながら先ほどの自分がした事について思い返していた。
勢いでアヒトにキスをしてしまい頬が未だに熱々に火照っていることが風を浴びながら感じたアリアはそっと自分の唇に指を当てる。
「……いっそのこと、唇にしてしまったほうが良かったかしら」
その方が自分の気持ちが伝わってくれるだろうと思ったが、何を考えているんだと頭を振る。
アヒトは既婚者だ。重婚は許されない。キスはしたが頬だ。これは浮気には該当しないはずだとアリアは内心に言い聞かせる。
アヒトを従者の立場にまで持って行けただけでも計画通りと言った方が良いだろう。
そんな事を考えていると、戦っていた兵士たちが一斉に後方へと下がって行く様子を上空から確認したアリアは、思考を切り替えるべく、頬をパチンと片手で叩いて気合を入れる。
「行くわよシナツ。私たちの絆をここで見せましょう!」
「キュイ!」
アリアの言葉に強く答えたシナツは風を強め、アリアとともに急降下して行く。
そして、アリアが上空から杖剣を構え、最前線のゴブリンたちの前に上空から火炎球を撃ち放つ。
突如地面が爆発し、焼き焦げるゴブリンと立ち止まるゴブリンに別れ、兵士との間に空間が生まれる。
そこに着地したアリアは、杖剣を高々に天へと掲げる。
「我が名はアリア! エトワールの名にかけて、この国は私が守ります!」
そう叫んだアリアは、杖剣を横に振る。
それを見て、シナツは一斉に『分身』を行った。
全てのゴブリンの前にシナツの分身が並び、ゴブリンの進行を完全に食い止める。
百以上の分身を行うのは初めてだが、シナツには頑張ってもらうしかない。
「さあ、私たちの華麗なる大円舞曲を聴かせましょう!!」
そう叫び、アリアは杖剣を大きく振り上げた。




