第3話 すべき事
石化したベスティアに触れていた手をアンはそっとしまい、ゆっくりと立ち離れる。
「ごめん、やっぱこれ以上は何もできない」
アンはリオナの方へと視線を向ける。
それに気づいたリオナも、一度眼鏡を外し指で眉間を軽く揉んだ後、申し訳ないと言った表情でアンの隣に立つ。
「……今の私たちではここまでが限界です」
「そうか……」
「だけど、死んではいないから! それだけは保証させて!」
アンの言葉にアヒトは拳を強く握る。
死んではいなくとも、ベスティアはこれからずっとこの状態のままだとでも言うのだろうか。
魔術が永遠と続くとも思えない。いつかはベスティアの心臓も本当の意味で止まってしまうだろう。
打つ手がなくなったアヒトたち、彼らがいる部屋の扉が勢いよく開かれる。
「ティアお姉ちゃん!!」
そこには大粒の涙を浮かべたテトと、暗い顔つきのレイラがいた。
とてとてと駆け足でベスティアの眠るベッドに近づき抱きつくテト。
どうやら、テトはアヒトたちが戦っている間、レイラのアパートで過ごしていたようで、何かしらの手段でベスティアの状態のことを知ってやって来たようだった。
「すまないテト。ティアを……守る事ができなかった」
アヒトはそう言葉にするもテトはただベスティアの身体に顔を埋めて泣き続けるだけだった。
何を言ってもテトがベスティアから離れようとはしなかったため、ベスティアのことはテトに任せ、アヒトたちは一度部屋を出てリビングで休憩する事にした。
アンとリオナも着替えを取りに行くために一度学園寮へと戻って行ったため、今はレイラとともにアヒトはコーヒーを飲んでいる。
「これからどうするの?」
「どうするって、ティアを助けるためならなんだってするさ」
「……悪いことはしないでよね兄さん」
「悪いこと? 何でそう思うんだよ」
「それをする覚悟を決めた目をしていたから」
「…………」
肯定を意味する沈黙にレイラは大きくため息を吐く。
「いい? 兄さん。兄さんはバカなんだから、あまり深く考えるような事だけは絶対にしないで。兄さんは信じるだけでいいの。他人を信じて、仲間を信じて、世界を信じて、今までだってそうやって乗り越えて来たんしょ?」
レイラの言う通りだ。
アヒトはこれまで起きた出来事の全てを誰かに頼り、誰かを信じて、そして解決していった。
成るようになる。そう思い続けて今まで生きてきた。
「そのツケが今来たんじゃないのか?」
自分で自分の道を作ろうとはせず、他人に言われ他人に道を作ってもらい、その上を歩いて行く。
そんな事ばかりを繰り返していたが故の罰。当然の報いだとアヒトは思った。
「ツケ? そんなものあるわけないでしょ。ツケなんてあったら今頃この国の多くの人が不幸になっているはずよ。他人に頼って生きるのも一つの道の歩き方。石橋を叩いて渡ってたら日が暮れるし、誰もが何かしら誰かに頼って生きてる。兄さんはそれが少し度が過ぎてるだけ。何も問題ない」
レイラはアヒトの鼻先に指を突きつける。
「馬鹿兄さんは自分のやるべき事をただこなすだけで良いの。やれない事には手を出さない。私の知るヒーローはそういう人よ」
「変わったヒーローだな」
「私の好みは私が決めるわ」
レイラの言葉にアヒトが苦笑する。
落ち込んでいた気分が少しだけ晴れたようだった。
コーヒーを飲み干し、立ち上がる。
「ちょ、どこ行く気?」
「おれのやれる事をやる。だからまずはマックス陛下のところに」
その言葉にレイラが驚愕に目を見張った。
「マクシミリアヌス陛下と知り合いなの!?」
「ああ、まあな」
「どんな人? 噂では爽やかイケメンで超クールって聞いてるけど」
「マックス陛下が? それは尾鰭がつき過ぎだな。いい奴なのは確かだけど」
イケメンかと言われればどちらかというとそうなのかもしれない。ただし、クールでもないし、爽やかでもない。頭脳も良いのか悪いのか掴めない青年だ。
アヒトは玄関の扉を開けてレイラの方へと振り返る。
「あ、一つ聞いてもいいか?」
「何よ」
「ティアの件があったからかもしれないけど、おれを励ますような慣れないことはしなくていいぞ。普段はもっと毒吐くくせに、今日に限ってしおらしいの何でだよ」
一瞬キョトンとした表情をしたレイラだが、すぐに頬をわずかに赤らめ、小さな笑みをつくる。
「そんなの、好きだからに決まってるでしょ。言わせるな馬鹿」
そんなレイラを見て照れ臭くなったのか、アヒトは頬をポリポリと掻いて、背を向けて外へ出る。
「……家族愛って良いもんだな。たまにはあいつと旅行にでてみようかな」
そう呟いたアヒトはすぐに真剣な表情を再び作るとともに、ケレント城へと足を向けるのだった。
魔界と人界を隔てる結界壁。
それは数千キロ先まで続き、魔獣や魔族は安易に人界へとやってくる事はできない。
そして、そんな壁の前に刀を手に持ち立ち尽くす少女ーーチスイがそこにいた。
「ああ……」
ぶつぶつと呟くチスイは、ゆるりと刀を地面と水平に構え、一気に突き刺した。
チスイの刀が、結界壁の魔力を吸い上げることで黒い閃光が周囲に弾け、亀裂が生まれて行く。
蜘蛛の巣状に伸びて行った亀裂が、ある一点のところで止まり、ガラスのように砕け散り、チスイの目の前に巨大な穴が出来上がった。
中からは淀んだ空気が流れてきており、まるで別世界であるかのように、そこからは紫色の空が続いていた。
チスイは何かを探し求めるかのようにゆっくりとその穴の中へと足を踏み入れて行く。
そんな姿を100キロ以上離れた先の山林に生える木の枝から1人の女性が桃色の髪を揺らしながら見つめていた。
隣には額から二本の角を生やした女性も瞼を閉じながら立ち並ぶ。
「へぇ、あれが鍔鬼ちゃんが言っていた少女だね。素質はあるから今すぐにでもこちら側へ来てほしいところなんだけど、君はどう考えているんだい?」
桃色の髪の女性は鍔鬼と呼んだ隣の人物へと言葉をかける。
「……『幻月』の魔力があそこまで膨れ上がってしまったのは私の考えが甘かった事が原因です」
「人間は楽な道へ進みたがるものだよ」
どんな努力家でも目の前でゴールへの近道を見せつけられてしまえば、そちらへ足が向くというものである。
脆弱であるが故に人は群れを成す。群れを成し得ながらも強さを求めて誰かを犠牲にする。
目標を作る過程で何かを犠牲にし、誰かを騙し、騙した事に対する自分を騙す。それが人間の性質というものなのだ。
冷静に言葉を紡いだ女性に対し、鍔鬼は腰の刀をそっと撫でる。
「司令、この件は私1人に委ねてもらいたいのですが、よろしいですか」
「構わないよ。策があるなら遠慮なく実行に移してくれて」
にこやかな笑顔で桃色髪の女性は答える。
それに一礼した鍔鬼は静かにその場から姿を消していく。
残された女性は肌に冷たく刺さる風に桃色髪をなびかせながら1人呟く。
「……この世界の歪みはもう止められない。このまま崩壊するのか、それとも適合するのか、道を作り出すのは彼らの仕事だね」
女性は別の方向へと視線を向ける。
その瞳には青年を抱えて家屋を足場に飛んで走る少女の姿が映っている。
「このルシアお姉さんが見届けてあげよう。私の家族が関わった特別な子たちだからね」
自分の事をルシアと呼んだ女性はゆっくりと瞼を閉じるのだった。




