第8話 変貌少女が得たものは
うあああああああああああああああああああ!!
サラは内心で叫んだ。
自分で制御することができない身体を動かそうと足掻くもピクリともしない。だが、サラの足掻きのおかげか、身体はアヒトに向けて攻撃する様子がなかった。
ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。
許して、どうかこんな化け物に成り果てた私に罰を下さい。
お願いします。
誰か…………。
そう願った時、視界の端で見覚えのある少女2人がベスティアに杖を向けている事に気がついた。
「まだだよ! 死なせないから……『時間停止』!」
その言葉により、ベスティアの身体が淡い緑色に光り、それが内部に浸透していく。
「な、なにが……」
アヒトが目を丸くしていると、その場に1人の少女がやってきた。
「大丈夫。この子はまだ死んでない」
「君は、アン、さん」
「アンで良いよ。同い年でしょ? サラもまだ体験していない一つ屋根の下で一夜を過ごした仲なんだからさ」
「ご、誤解を招く言い方を本人の前で言わないで貰えるかな。そ、そんなことより、ティアはまだ生きているのか?」
アヒトの質問に力強く頷くアン。
「間違いない。この魔術は死んでいる人には使えないから」
「何をしたんだ?」
「空間魔術と回復魔術の応用で、ベスティアさんの生物学的機能を一時的に停止させたの。これで本来死ぬはずだった心臓や他の臓器、細胞といった機能を延命させることができた。まぁ応急処置なんだけど、ひとまず今は安心して」
ベスティアが生きている。
それだけでアヒトは嬉しかった。
動くことも話すこともできない状態であれども、この灰色の身体の中では僅かに命が燃えているのだ。
アヒトは感謝を述べようとアンに視線を向けるが、アンは別の方向へと顔を向けていた。
釣られてアヒトもその方向へと視線を向けると、もう1人の魔術士少女、リオナがアリアとアキヒの元へと駆け寄っていた。
「……ようやく来たか」
「ごめん、なさい。遅くなりました」
そう言ったリオナはアキヒからアリアの右手を受け取り、「再生」魔術を唱える。
左腕にも魔術を使うが、右手のように欠損した部位が残っていなければ元には戻せない。
リオナは「治癒」魔術を使い、細胞を活性化させる。
すると、アリアの左肩先の切断部位が肉と皮膚で包まれ丸みを帯びていく。
「これで大丈夫です。ホルモン放出を活性化させたので時期に失った血も戻るはずです」
そう言ってリオナは腰から水筒を取り出し、眠るアリアにゆっくりと水分を与える。
「サンキューリオナちゃん。まじ天使だわ、可愛すぎる」
「!! そ、そういうの良いですから」
「へへへ、んじゃ、ちょっくら俺も行ってくるわ」
アキヒが剣を地面に突き立てて立ち上がる。
「待って、これ忘れないでください」
リオナはアキヒに視線を向けずにあるものを渡す。
アキヒは手を差し出して受け取り、それを見つめる。
「良いもんくれるじゃん。早くも婚姻届書くべきかな、ぐへへ」
アキヒの掌に置かれたのは2個の指輪だった。
「私とアンで頑張って作りました。それを先に渡しておいた物に装着してください」
アキヒの言葉を無視してリオナは指示する。
「りょーかい。んじゃな」
「援護はします。無理はしないように」
リオナの言葉にヒラヒラと手を振ったアキヒはサラの元へと歩んでいった。
アキヒの姿を捉えたサラはその方向へと身体を向ける。
「……! もう近づかないで! はっ、声が、出せる?」
先ほどベスティアに使った魔法により魔力が大幅に削られたおかげか、暴走も穏やかになり、身体はまだ制御できずとも声は出せるようになったようだった。
「なんだ、可愛い声出せるじゃん。唸り声上げてるより何億倍好きだわ」
「な、何を言って……」
「んー? わかんねぇの? 俺と結婚しよう! って言ってんの」
そう言ってアキヒは自分が持っていた剣をどこかへと放り投げる。
「……! ば、バカなこと言ってないで早く剣を拾ってよ! 死にたいの!?」
アキヒが目の前まで迫ったことで、サラの身体が意思とは無関係に動き出す。
アキヒの身体目掛けてサラの鋭利な左腕が振り下ろされる。
「うぐっ……へへっ何のこれしき」
アキヒの顔面から血が噴き出すが、アキヒは倒れない以前に今まで他の人に与えていた威力と同じはずなのに傷が圧倒的に浅かった。
「ど、どうして……」
「……死ぬのは、慣れてるからな」
アキヒがそう言葉にした時、リオナによって回復魔術がかけられ、傷が癒えていく。
「さて、仕切り直しと行こうじゃん? 初めのは順序を飛ばしすぎたな。んじゃあ、俺と一緒にならないか? ぶへぁ!?」
アキヒがサラの左拳によって地面に埋まる。
「い、言ってること同じってこと理解しているかな!?」
「ま、待て待て、話を最後まで聞けぶごぉ!?」
身体を起こしたアキヒが宙に飛ばされ、落下する。
「わ、私の意思で動かしてるわけじゃないから」
「ははー、そうだったそうだった。じゃあ順序よく説明するから、よっと!」
サラの横蹴りを今度は横へ跳ぶことで躱したアキヒはまるでボクサーのように小刻みにステップを踏みながら言葉にする。
「よく聞いてくれ。サラさん、まず君は人の血が欲しい、飲まないといけないはずじゃん? ごぶへぁ!?」
「う、うん」
アキヒが吹き飛ばされるのを見ながら、サラは血の事をあまり意識しないようにして頷く。
そしてすぐにリオナの魔術によってアキヒの身体の傷が治っていく。
「じゃあ、俺の血を飲めば良い代わりに、俺と付き合ってくれって話、ぶへら!?」
「面白くない冗談、や、やめてよね。今、私があなたの血を飲んだら、あなたを死なせちゃうかもしれないんだよ?」
「ふふふ、ごふっ、安心、ぶへっ、しろ……そのためにこれがある。あっぴ!?」
アキヒがサイドポーチから指輪が2つ取り付けられたブレスレットを取り出す。
「これには空間魔術によって太陽光を逸らす効果と、再生魔術が組み込まれている」
サラの左手によって繰り出された拳をアキヒは自分の腕を縦に構える事で軌道を逸らす。
一瞬、アキヒの腕とサラの拳が触れた際、火花のようなものが散ったが、サラはその事よりもアキヒの取り出したブレスレットに興味が湧いていた。
「おまけに空腹を満たす効果と魔力を抑える効果も付いている。うぐっ」
それをつければ、太陽の下に出られると言うのだろうか。そんな上手い話があるはずがない。
「まぁ完全には太陽光をカットできるわけじゃないんだけどな」
「それじゃあ、意味がないでしょ?」
「なんでさ、日光を防ぐ対策なんざいくらでもあるじゃん、ぐふっ」
心なしか徐々にアキヒが倒れにくくなってきている気がする。
攻撃の威力は同じ、なのに、最初と比べて今は宙に浮かすこともできなくなっている。
「日傘を使うなり、日焼け止めを使うなり、このブレスレットが及ばない範囲は自分の力で防いでいくしかない」
衝撃波を伴ってアキヒの胸を穿ったはずのサラの拳は、まるでダイヤモンドであるかのようにアザひとつなく、アキヒはそこに立っていた。
「そういった努力をしないで、誰かに助けてもらうつもりだったのか?」
「……!!」
人一倍努力してきたサラに、人一倍努力していないような人間に言われたサラは、正直何も言葉が出なかった。
生まれつき少ない魔力ながらも自分が扱えるように魔術を研究し、作り出し、実践する。
それを繰り返してきて、ようやく多くの人に認められたサラに、何もせずフラフラとしているだけのような人間に努力していないなど言われたくなかった。
「何も、知らないくせに!」
「それはこれから知っていく。知りたいんだ。だから契約してくれ。俺はサラの可愛いところをもっと知りたい」
「私は……あなたのことが嫌い」
もう殴っても無駄だと理解していても身体は勝手にアキヒを殴り続ける。
「あなたのその軽々しく言う好きとか可愛いとかが信用できないのと同じで、あなたという存在が信用できない。だからあなたが嫌い」
ただの人間が、魔族の全力の拳を受けて血飛沫ひとつ上げない人間がどこにいるというのだ。
死ぬのは慣れている? 意味がわからない。まるで死んだことがあるみたいな言い方だ。
そんな人間かどうかも怪しい人物と契約する者がいるのだろうか。まだ詐欺師に騙された方がマシである。
だが、人間でないのはサラも同じである。今以上の地獄などもう訪れることはないだろう。
ならば、一筋の希望に手を伸ばしてみても良いのかもしれない。
そこに1パーセントでも幸せがあるのなら。
「……嫌いだけど、あなたの企みに乗っても、良いかな」
若干照れた表情を見せ、轟音を響かせながらアキヒを殴りつけたサラは、その左手をアキヒが受け止めていたことに目を見張り、思わず視線を向ける。
「うっ……」
アキヒの顔が超絶キモい表情を見せていた。
「今の表情もっかい見せて! 頼むよ!」
「や、やに決まってるでしょ! てかこの手離してよ!」
「ん? それこそ嫌だな。だってこれからこのブレスレットをサラさんの右手に付けるんだからさ」
そう言ってアキヒはサラの左手を勢いよく引っ張り、サラの身体が前に出たところで腰を抱く。
「な、何するのかな」
抱く必要がどこにあるというのか。サラの瞳がジトっとしたものになる。
アキヒは流れるようにサラの右手首にブレスレットを付ける。
途端にサラの体内で暴れていた魔力が鎮まっていく。
同時に自分の意思で身体を動かせるようになり、無意識にサラは自分の右手を開いたり閉じたりしてしまった。
「すごい……」
「ほら、契約の証として、一杯どーぞ」
アキヒが自ら首筋を差し出してくる。
ゴクリとサラは唾を飲む。
初めての吸血は好きな人と決めていたけど、まさかこんな怪しげな人物が最初になるとは思いもしなかった。
今はもう好きな人というのも誰だったのか思い出せないけれど、これが幸せになるための第一歩と言うのなら、誰の血でもどうでも良かった。
「……い、いただきます」
「召し上がれ」
首筋をペロリとひと舐めしてから、ゆっくりと歯を立てて血を吸い上げる。
「……!!!!!!」
とても美味しかった。今まで飲んだもの、食べたものの中で最も美味しいと感じてしまった。
もっと飲みたい。この空腹が満たされるまで飲み続けたい。
こんなにも人間の血が美味しかっただなんて、なんでもっと早くに血を飲んでおかなかったんだろう。ニワトリの血やシカの血とは比べるまでもなかった。
サラはアキヒの身体を押し倒す。
「お、おいおいがっつくなよ。慌てなくても、血は逃げないさ」
なにせ吸えば出てくるのだから。
アキヒの視界が徐々に明滅し始める。貧血になり始めているのだ。
サラは恍惚とした瞳で夢中になってアキヒの首筋にかぶりついて血を飲み続けており、アキヒの体調の変化など気にする余裕がない状態だった。
「うーん、これは死ぬかもな……」
そう呟きながらもサラの表情に愛おしさを感じているアキヒは止めることなく、ただ優しくサラの頭を撫でるのだった。




