第6話 魔力暴走 その1
あのアキヒという青年に斬られた背中がなぜか疼いて仕方がなかった。
傷は既に完治している。痛みではない。もっと別の何か。
あの青年に何かされたのだろうか。
「………………」
サラは自分の意識が朦朧とする中、必死に思考を巡らせる。
アニがいなくなった途端、サラの吸血畸化の進行が速くなった気がする。
今までアニが何かしらの対策をしてくれていたのだろうか。それならば感謝しなければならないと思う反面、無意味なことをさせてしまったと思ってしまう自分がいた。
どうせこのまま朽ちていくのだ。今思考が働いているのもアニが飲ませてくれた薬のおかげ。あんな錠剤でも動物の血肉より美味しく感じてしまった自分がいることに悔しさを感じずにはいられなかった。
もっと欲しいと感情が訴えかけてきている。これではまるで薬物中毒者ではないか。
だが、この苦しさももうすぐで終わる。身体が完全に化け物になる頃には意思などとっくになくなっているだろう。
サラはボロボロになった藤色の羽織を強く握りしめる。
傷つけてしまった彼女に、最後にもう一度会いたい。会って謝りたい。
宵闇色の髪をなびかせ、舞う姿はいつ見ても可憐で美麗で、傷ついてもその意思は真っ直ぐで……
そんな彼女にただ一言「ごめんね」って言いたい。今のサラの望みはそれだけで良かった。
とても大切な彼女……かのじょ?
「……!!」
背筋が凍りついた。
サラは、今一番会いたい大切な存在の名前が、思い出せなかった。
「あぁ、ああああああああ!!!!」
サラは両手で頭を掻きむしり、額を地面に叩きつける。
なぜなのだろう。どうしていつも、この世界は自分の幸せを奪っていくのだろう。
理不尽な世界を呪いたかった。
呪って呪って呪って呪って呪って呪い尽くす。
人間? 魔族? 対立? 知ったこっちゃない。
今の自分からすればどちらも敵だ。
サラは何度も何度も地面に額を叩きつける。叩きつけた矢先に再生し、また叩きつける。死ぬことのできない無慈悲な呪い。
「うぅあああああ」
サラは泣き叫んだ。誰もいない洞窟の中で、サラだけの声が響き渡る。
どうせ誰も聞いていないのだ。女の子らしくメソメソ泣く必要もない。
「聞こえてるわよその大きな泣き声。まるで赤子ね。世話の焼ける子だわ」
「…………」
突如、聞き覚えのある少女の声が洞窟に響いた。
どこから声がしているのかは探すまでもない。入口は一つしかないのだ。
サラはその方向へと視線を向ける。
やって来たのは、アヒト、ベスティア、新顔のアキヒ、そして……
金髪の少女の名前は思い出せなかったがこの際どうでもいい。どうせ自分を殺しに来たのだ。ならば相手をしてあげるのが筋というものだろう。
「よくここが分かったね」
「ここまで来るのに一苦労したけどな」
アヒトがサラに向けて答える。
苦労したのは主にアキヒだけだったが。それをサラに言う必要はない。
サラの髪が白く染まっていたことに少しだけ驚いたが、サラの境遇上仕方がなかったと言わざるを得ないだろうと思考を切り替える。
「そっか。二度も見逃してあげたのに。まだ死にたいんだ」
サラはわざとらしく背中の羽根を大きく広げる。
威嚇のつもりで行ったがそんなもので身を引くような人たちではないことはもう十分に理解した。
「いいよ。戦ってあげる。その代わり、手加減なんてもうできないから」
そう言った時、サラの周辺に鋭利な氷柱が現界する。
同時にベスティアが「身体強化」を行い、超高速でサラへと接近する。
サラが氷柱を飛ばすも、容易く躱したベスティアは拳を突き出す。
真っ直ぐ突き出されたベスティアの拳は衝撃波を伴ってサラに襲い掛かる。
だがサラもベスティアの動きを完全に捉えきっているのか、左拳を突き出し、拳同士がぶつかることで洞窟内の空気を揺るがす。
そこから連続の拳撃がベスティアから繰り出されるも、サラは合わせるかのようにそのこと如くを左腕だけで弾いてみせる。
「あはははは、どうしたの? 前にやったどかーんってやつやらないのかな? そんな力じゃ私は倒せないよ!」
「くっ……!」
歯噛みしたベスティアは地を蹴って一度後方へと退避する。
それとほぼ同時に入れ替わるようにしてアリアの使い魔であるシナツがサラの横から風で形成した長爪を下から上へと身体を最大限に捻らせながら振り抜きにかかる。
ぎりぎりのところで身体を反らして躱したサラは瞬時に右手を横に振って生み出した炎でシナツを焼き殺す。
だがしかし、突如脚に痛みが生じてサラは膝をついてしまう。
「残念だったわね。それは偽物よ」
アリアがそう言うと、サラのすぐ近くにシナツが着地した。
シナツはもう一つの能力「分身」を使ってサラの目を誤魔化したのだ。
「攻撃された方向に反射的にやり返す癖はなくしたほうがいいことね」
そう言葉にしたアリアはサラへ向けて火炎魔術を放った。
ボウッとサラの身体が燃え上がり、そのタイミングを狙って、アヒト、アキヒがそれぞれ剣を構えて攻撃を仕掛ける。
「「はああああ!!」」
同時に声を張り上げながらサラを挟むようにして左右から剣を振り下ろしたアヒトとアキヒ。
だが、サラはその攻撃に対して左手でアヒトの剣を掴み、右腕でアキヒの剣を受け止めた。
「……みんなでよってたかって、女の子をいじめるなんて、酷いんじゃないかな……」
そう言葉にしている間にも全身火傷状態のサラの身体が一瞬で綺麗に元の状態に治っていく。
「くっそ……」
サラの左腕で掴まれたアヒトの剣は押しても引いてもピクリとして動かなかった。
「編成間違えてるんじゃないの? 後方支援が1人って私を舐めてるのかな」
サラはアキヒの腹部に蹴りを入れて後退させ、アヒトの剣を握り潰す。
「……!!」
剣の重みが消えたことで体勢が崩れ、前のめりになったアヒトに向けてサラは地面を鋭利に隆起させた。
「あひと!!!」
ベスティアは地面を凹ませながら危機迫るアヒトへ向けて高速で駆け出す。
「うっ……!」
「ぐぁ!?」
勢いのままアヒトを突き飛ばし、代わりにベスティアはその身にサラが生み出した剣山のような岩に直撃し吹き飛ばされてしまった。
「あーあ、そうやって自分を犠牲に他人を助けるから、私に勝てないんだよ? 人間なんて脆いだけの生き物なんだから、さっさと見捨てれば良いのに」
「うっ……貴様も、先日までは、人間……だった」
ベスティアは攻撃を受けた腹部を押さえながら片膝立ちの状態まで身体を起こす。
「あ、そっかぁ。そうだったね。まぁどうでも良いんだけど、どうせもう戻れないんだから。どうしてあなたたちは私を楽に死なせてくれないのかな」
「死なせるものか。だってサラは大切な……」
ドキッとサラの鼓動が跳ねる。
アヒトの言葉に瞳を丸くしたサラだったが、それは一瞬のことですぐにその表情を怒りのものへと変える。
「そうやっていつもいつも! 私を籠絡しようとしたって無駄なんだから! どうして!? 何で私に構うの!? 私が化け物だから? この国の危険因子だから、私が暴れ出す前に始末するつもりなんでしょ?」
「そうじゃない。君を助けたいんだ」
「無理だって言ってるでしょ!! もう人間には戻れない。どうせ怒ってるんだよね? 私がみんなを傷つけたから。あの子に、酷いことしちゃったから……」
サラは右手を強く握る。名前は忘れてしまったけど、彼女と過ごした日々はまだ忘れていない。
それが余計にサラの心を傷つける。
いっそのこと全て忘れてしまえていたら、後悔の念に駆られることなどないというのに。
「あの子……? 他に傷つけてしまった人がいるのなら謝りに行こう。おれたちと行こう! 大丈夫、解決策はこれから考えていけば、サラなら上手くやっていけるさ」
「うるさいうるさいうるさい!」
アヒトは何も分かっていない。
こうしている間にもサラはサラとしての時間を失い続けている。今から解決策を考えたところで遅いのだ。
唯一進行を止められる方法はやはり血を飲むことくらい。
「…………!!」
血のことを考えた瞬間、サラの視界がぐにゃりと歪む。
血を飲みたい衝動が一気にサラに襲い掛かり、自分の意思とは関係なく殺意の魔力が溢れ出す。
「……! さ、サラ」
アヒトは一筋の汗を頬から伝わせる。
ベスティアも咄嗟にアヒトの前に庇うように立ち、サラを睨む。
「サラ、落ち着いて! 自分の魔力に集中して」
サラが魔力を制御できていないことに気づいたベスティアが叫ぶ。
「うるさい……やってる、けど……うぅうああああああああ」
先ほどよりも膨大な魔力がサラから漏れ、その圧で洞窟内の空間が軋みだす。
「やべぇじゃん……」
アキヒがそう言葉にし、無意識に腰に巻いたサイドポーチへと手が伸びる。
「ティア、いけるか?」
アヒトが視線を向けずに言葉だけ投げかける。
「問題ない。けど、今のままじゃサラには私の拳は届かない」
ベスティアも視線を向けずに返答する。
目の前にいる魔族が、アヒトたちのいる世界の魔族であるならば、何とかなっただろう。しかし、サラはもはやベスティアのいた世界の魔族とほぼ同類の強さ。つまり、今のベスティアの力では歯が立たない。
せめてディアが目覚めてくれれば、攻略の糸口が見出せたかもしれないのだが、これも自分がディアを躊躇させてしまった原因なのだから、自分が責任を持って方をつけるのが筋というものだ。
ベスティアは力強く拳を握り込む。
そんな姿を横目にアヒトはベスティアの肩にゆっくりと手を置く。
「大丈夫だ。おれに作戦がある。戦闘は今まで通り自由にやってくれて良い。おれが援護する」
「援護? あひとには杖がない」
「あぁ、けどティアの足場くらいなら作ってやれるさ」
その言葉を聞いてベスティアも理解する。
瞼を大きく持ち上げ、口角をわずかに持ち上げたベスティアは力強く頷いた。
「アヒト! やはり彼女はもうダメよ。一度意識を完全に刈り取らないといけないようね」
サラの背後にいたアリアが対向のアヒトへと大きく声を掛け、自身は右手に持った杖剣の先をサラへと向ける。
しかし、突如アリアの視界から自信の杖剣が消え去り腕が軽くなる。
「え……? いっぁ!?」
同時に手首から先の感覚が消え、代わりに今までに味わったことのない焼けるような激痛がアリアを襲い、思わず地面に膝を突く。
何が起こったのかと自分の右手首に視線を向けると、そこにあるはずのものがなかった。
「あぁ……うそ……」
右手首の位置から赤黒い液体が溢れ、地面に止め度なく零れていく。
「いやっ、だめうそよ、いああああああ!?」
自分の右手がなくなったショックと激痛でアリアの瞳から大量の涙が溢れてくる。
「アリア!!」
「ちぃ……!!」
アヒトが叫び、同時にアキヒが泣き叫ぶアリアの元へ走り出す。
サラは一度もアリアへと視線を向けていない。向ける余裕すらないはずだ。
つまり、アリアはサラの溢れる魔力によって右手を切り落とされたということになる。
通常、溢れた魔力を動かすことはできない。圧力となって生物や物体に襲うことはあるが、今回のように特定の部位を切り落とすような事はたった一つを除き、不可能なのだ。
そして、今のサラの状態から判断する限り、間違いなく目の前の少女に起こっている現象は。
「魔力暴走……サラは『魔人化』仕掛けているのか!?」
だが、魔族が魔人化するという事例は聞いたこともなく、歴史書にもそのような事は一切書かれていなかった。
頭を両手で抑え、低く唸りながら俯いていたサラがゆっくりと顔を上げる。
サラの茶色い瞳がやや赤く変色し、瞳孔が縦に伸びていた。
「うぅ……に、げて……」
「サラ、まだ意識があるのか!」
サラは口から唾液が垂れる事など気にする余裕がないようで、胸を押さえ口で荒い息をしながら、アヒトに視線を向ける。
「おね、がい……私をおいて、はやく……もう、もたない」
だが、そこでアリアの元へと走っていたアキヒが叫び声をあげる。
「お嬢、やめろぉおお!」
その声にアヒトが視線を向けると、アリアが痛みと怒りで顔を歪めながらも左手で落ちた杖剣を拾い、サラへと向けていた。
「……死に、なさい……『風刃』っ!」
杖剣から放たれた風の刃がサラへと向かって行くが、それが届くよりも先にアリアの身体から血飛沫が飛んでいた。
左腕が千切れ、左肩から斜めに大きく斬られたかのように服が破ける。
「ぐぁはっ……」
反動で壁際まで吹き飛んだアリアは、口から大量の血を吐き出した。




