第5話 戦いの準備
夜が明ける。
結局、誰一人として欠けることなくロマンの店で寝泊まりすることになった。
ロマンの標的とされていたアキヒだったが、実はアキヒではなく、アキヒの持つ剣に興味を抱いていたようだった。
サラに初めて攻撃を与えることができた瞬間から、アキヒの鍔の中心にはめられていた魔石が桃色に淡く光出していたためだった。
アキヒから聴取したところ、どうやらはめられていたのは「刻印石」というものだった。
攻撃を与えた相手に刻印し、その後の居場所を教えてくれるというもので、この魔石自体は商店街にいくらでも買うことができるのだが、効果がそれだけなため一般的にはあまり売れない代物である。
通常、剣に取り付けられる魔石は1つ。自分で作ったのであれば2つや3つの物もあるだろうが、魔石によって増幅した魔力で逆に剣が破損する恐れがあるため、店で買える物は基本的に魔石は1つと決められている。
そのため、なぜアキヒがこの魔石を取り付けたのかがアヒトは気になり、眠る前に聞いてみたところ、
「あ? 刻印石だぞ刻印石。なんかすげぇセンシティブじゃん? ドキドキする名前じゃん? 買うしかないじゃろ!ってなって買った」
ということのようだった。
アヒトには全く理解できない感情であったため、その後も刻印石の魅力について語り続けるアキヒを無視してベスティアとテトとともに眠ることとした。
「さ、全員起きなさい。朝食を終えたらすぐにでも出かけるわよ」
日が昇るよりも早く目覚めたアリアがエプロンを着用し、フライパンを片手に寝ているアヒトたちを呼び起こした。
「……早いんだなアリア」
「おはようなのですぅむにゃnZzZ」
「ふあぁ……」
目を擦りながら身体を起こしたアヒトはそう言葉にし、隣にいたテトは一度身体を起こすも再び就寝。まだ疲れが取れていない様子だった。
ベスティアは欠伸をしながらもしっかりと瞼は開いている様子だった。
「当然よ。一刻も早くサラさんを止めないといけない。こうしている間も彼女は苦しんでるはずよ」
アリアの言う通りだった。呑気に睡眠を楽しんでいる時間はない。
アヒトはベスティアへと視線を向ける。
ベスティアもアヒトの視線に気づいたのか顔を向け、何を思っているのか察したベスティアは沈んだ表情で首を左右に振った。
「……ディアはまだだめ。けど、私だけで大丈夫」
「わかった。でも無理はするなよ」
「ん」
そう言い終えると、アヒトとベスティアは速やかに身支度を整える。
「……おい、起きろ」
ベスティアは未だ寝ているアキヒに1発蹴りを叩き込む。
「あっぴ!?」
蹴られて声を上げながら飛び起きたアキヒは周りを見渡して急ぎ立ち上がる。
そして小さなダイニングルームへと足を運んだアヒトたちは、テーブルに並べられた料理を見て眉根を寄せる。
「……これって、アリアが作ったのか?」
「ええそうよ」
「…………」
皿に盛られたものは何やら黒ずんだもの。
要所要所に狐色のものが見えることから一部は卵を炒めたのだと理解できる。
だがそれ以外のものは元の食材がなんなのか全く判別できなかった。
「……不味そう」
ベスティアの一言によってガラランとアリアの手からフライパンが床に落とされる。
「わ、わかっていたのだわ。料理なんてした事なかったわけだから。でもあなたたちを無理やり起こした挙句に食事を作らせるのも常識的にどうかとも思っちゃったのよ。私も料理には少しは興味あったし、だから、その、ね? 作ってみたのだけれど、やっぱりダメだったかしら」
「ん、ダメ。豚の餌」
ガクッと膝から崩れ落ちたアリアはしばらくの間その体勢から動くことはなかった。
香ばしい匂いが鼻腔を刺激した事でアリアはシャットダウンしていた現実へと舞い戻ってくる。
「……え? 何かしら」
立ち上がるとテーブルに並べられていたのは先ほどの黒い物体ではなく、色鮮やかな朝食であった。
「これはいったい」
「んお、戻ってきたかお嬢様。見ろよこれ、全部アヒトが作ったんだぞ。流石主人公ってだけあるよな」
アキヒが料理をつまみ食いしながら言葉にする。
「やあアリア。先食べてていいぞ。おれももう少ししたら食べるから」
「…………」
厨房から顔を出したアヒトの言葉によってアリアはふらふらと導かれるように席に着く。
「……いたただきます」
ナイフとフォークを使って慣れた手つきで丁寧かつ素早く自分の口のサイズに切り分けたアリアはそっと口に運んだ。
「…………!! 美味しいわ」
「当たり前。アヒトが作る料理に不味いものはない」
今までアヒトの手伝いをしていたのか、アリアの向かい側に座ったベスティアはそう言葉にし、彼女もむしゃむしゃと頬張り始める。
それを見てアリアも再度口に運んだ。
しばらくしてアヒトもやってきて食事を摂り始める。
「あなた、料理上手なのね」
「ん? ああ、まぁ昔から料理は作るようにしてたからな」
執事や侍女が用意した食事とは違う味。なのにとても美味しく感じられる。これを世間一般では「家庭の味」と言うのだろう。
アリアの中でほんのりと温かなものが湧き上がってくる。この感情は何なのだろうか。
「……え、えと、アヒト……ユーザス」
「ん?」
「今度……その、私にも料理のやり方教えなさいよね」
なぜかアヒトの顔を見ることができなかった。わずかばかり自分の鼓動が速くなっているような気もする。
「ああ。いいよ」
「ーー!」
アヒトが柔らかく返事をすると、アリアの眉が持ち上がった。
アヒトも流石にアリアのあの料理を見てしまっては頷かざるを得なかった。
そのやりとりを横から見ていたアキヒがちょいちょいとアリアの肩をつついた。
「な、何よ」
「良い雰囲気のところ悪いけどさ。あいつには奥様がいらっしゃる事を忘れるなよ?」
「……!!」
アリアの耳元でそっと囁いたアキヒの言葉にアリアは自分の抱いた気持ちがいったい何なのか理解した途端、頬が真っ赤に染まり、右手に持っていたナイフをアキヒに向ける。
「そ、そそそそんなこと言われなくてもわかってるのだわ! 余計な口出ししないでもらえるかしら。次変なこと言ったら訴えるわよ!」
「どうぞご自由に」
「…………」
アリアがナイフを逆手に持ち変えゆっくりと振り上げる。
「じょ、冗談じゃん! 悪かったよ。自分で理解できてるなら変な間違いを起こす事はないな、うん」
アキヒが腕を組んで首を縦に何度も振る。
それを見てアリアはゆっくりとナイフを下ろし、視線を前に戻すと、今度は向かい側に座る亜人の少女がジトッとした視線を向けてきていた。
「…………」
「……貴様もそうなの?」
どういう意味の質問なのかアリアは理解できた。「も」というのはベスティア自身の事ではなく、おそらくサラのこと。
アリアは大きなため息を吐き、ベスティアの瞳を真っ直ぐ見つめた。
「そんなわけないでしょ」
「……………………そ」
かなりの間があったがベスティアは分かってくれたようで食事を再開した。
そう。これは一時の気の迷い。アヒトを前々から気に入っていたのは間違いないが、決して恋愛感情のようなものではない。
無意味な感情に左右されるような状況では今はないのである。
さっさとこの事案を解決し、今日あった出来事を忘れることが最善であろう。
アリアは食事を終え立ち上がる。
「さ、行くわよ」
アヒトたちも食べ終えたのか、強く頷き返し、立ち上がる。
各々装備を着用し、まだ朝日が昇らぬ寒空の下へ足を踏み出すのだった。
外へ出ると可愛らしいくしゃみが聞こえてアヒトたちは一斉にその方向へと視線を向けた。
店の近くの壁に小さく丸まってしゃがみ込む一人の少女がいた。
「おはようレイラ」
「遅いわよ馬鹿兄さん。もっと早起きの練習したら?」
アヒトの妹ーーレイラが鼻先を赤くしながら悪態を吐く。
レイラには昨晩のうちに伝書術で手紙を出しておいた。どうやらレイラが眠りにつく前に届くことができたようだった。
「あはは、ごめん。ちょっといろいろあってさ」
苦笑いを向けたアヒトだったが、すぐに引き締めた表情をレイラに向ける。
「テトを頼んでも良いか? あの子にはまだおれたちと行動するには早すぎる」
「しょうがないわね。今度パンケーキ奢ってよね」
「ああ、いくらでも買ってやるさ」
「にゃ!? それって私にもくれる?」
「何でだよ」
ベスティアが食べ物の話題に目を光らせる。
だがレイラが悪戯な笑みをベスティアに向ける。
「あんまり甘いもの食べすぎると、せっかくの抜群スタイルが台無しになるわよ、義姉ちゃん☆」
「ーー(ズキューン)!!?!?」
ベスティアの身体が硬直した。
「ふっ、勝った」
「……ま、負けた」
胸を張ってドヤ顔をするレイラにアヒトがポンポンと頭を軽く叩く。
「はいそこまで。茶番はいいから、テトのこと頼んだぞ」
子ども扱いするなと言うかのようにレイラはアヒトの手を払い、しかしどこか惜しいような表情をしながらもアヒトに視線を向ける。
「死んだら承知しないから」
「へいへい」
そう言ってアヒトはレイラから離れ、アリアのもとへと近づく。
「リリィとルルゥはいいのか?」
「ええ、彼女たちもまだ早いわ。申し訳ないけれど後でロマンさんに学舎まで送り届けてもらうつもりよ」
アリアはそう言ったが、アンとリオナについてもそうなのだろうか。彼女たちは朝起きた時点で目のつくところにはいなかった。荷物はそのままだったためアヒトたちより先にサラのところへ向かったとは思えなかった。
それを知ってか知らずか、アリアは歩き出す。
アヒトもそれについて行こうとして、ふと一緒に出たはずのうるさい人間が一人いないことに気づいた。
「あれ? 彼はどこいったんだ?」
周囲を見渡すと、店の勝手口で何やらロマンと話をしていたようだった。
アヒトの視線に気づいたアキヒはロマンに軽く手を上げてその場を離れ、アヒトの方へと駆け寄ってくる。
「何してたんだ?」
「ああ、いや何でもない」
アキヒは手に持っていた何かを自分のサイドポーチへとそっと仕舞い込んだ。
アヒトがついでにロマンの方へと視線を向けると、巨漢はこちらにウィンクし投げキッスを行い手を振って中へ入っていった。
ロマンもロマンで仕事が忙しいのだろう。一緒に来てくれるのならとても心強かったのだが、来ないのならしょうがない。
そう思っていると、アキヒが唐突に両腕を上に挙げて伸びをした。
「んんんー、よぉし! そんじゃ、名付けてチームAAA、派手に暴れようじゃん」
「何勝手に名付けてるのかしら」
「貴様、私を省いたな?」
「え、ええ? みなさん気に入らないっすか?」
これから厳しい戦いが起きると理解していてもなお、このチームには緊張による沈んだ空気というものが見られることはなかった。




