第5話 アキヒという男 その3
「……100は殴った。なのになんであいつはまだ平気で歩いていられる?」
アヒトのすぐ隣頭上に三角座りをしながら宙に浮くベスティアは両膝にあごを乗せて膨れっ面をする。
そんなに勝ちたかったのだろうか。勝負はうやむやになってしまったが、あそこまで一方的に攻撃していれば勝ったも同然な気もしてくるのだが、どうやらベスティアの負けず嫌いは相当のようだ。道理でチスイと馬が合うわけである。
これで何度目かの追い出しを受けたアヒトたちは、喫茶店を出て、現在はアリアを先頭に目的地を聞かされないまま歩いていた。
本当はこのままテトを家に帰らせるはずだったのだが、ボロボロになったベスティアが病院で眠る姿が相当ショックだったのか、これまで以上に側を離れたがらなかった。
「いやぁ、亜人の嬢ちゃんすげぇ強いじゃん! ちょっと俺も可愛い亜人1匹欲しくなっちゃったじゃん。そうすれば割とすぐに俺も主人公的な? いひひひ」
頭の後ろに腕を回しながら笑顔で呑気に言葉にするアキヒに、ベスティアの話に全くの同意見であると主張したい気分であることに今アヒトは感じた。なぜあれだけの攻撃を受けながらアキヒは普通に会話しているのだろうか。
アヒトがベスティアと戦った時は2発ほど攻撃を受けただけでダウンしてしまったというのに。少しはそのポテンシャルを別けて欲しいものである。
「ティアをその辺の亜人と一緒にしないでもらえないか? 残念だけど、君が望むような亜人はこの世界には存在しないと思うぞ」
「ええ!? 何でだよ! おのれだけの特注品か!? もしやあれか! とある闇組織による遺伝子操作術によって産まれた超亜人的なやつか!? そうなのか! あ!?」
「君はいったい何の話をしているんだ。おれは変な妄想に付き合うつもりはないぞ」
遺伝子を操作できる魔術などがあったらこの世界は魔族と対立している状況ではないはずだ。人間を強制的に魔族にする魔法があるという話なら今既に起きている問題になってくるのだろうが、先ほどアリアが言っていたようにそんな魔法や魔術があるのなら人間界はとうの昔に滅びてしまっているだろう。
そんなこんなで歩いて数分経ったところでアリアはある高層建築物の前で足を止めた。
「へぇ〜。さっすがお嬢様系! 所有地はたくさんありますってかい? これもその内の1つって?」
「系は余計よ。ごちゃごちゃ言わずに着いてきなさい」
丁寧にアキヒの言葉に返答するアリアだが、徐々にその扱いが雑になってきているのはアヒトの気のせいではないだろう。
そう考えながらアリアの後を追って中へ入るとまさかのそこから地下へと続く階段を歩かされていた。
しかも気がつかない間にリリィとルルゥの姿が見えなくなっている。
そして二、三階ほど地下へ降りたところにある扉の前でアリアは再び足を止めた。
「はぁ……身体が頑丈なのは理解できたわ。だけどあなたの戦闘能力はまだ見せてもらってない。私たちと共に行きたければ……」
そう言ってアリアはゆっくりと扉を開ける。
錆びついた音を奏でながら開けられた先に見えたのは、人工芝で固められた一面緑の地形だった。
「続きはここで、その実力を見せてくれるかしら」
広さは正方形である学園のグラウンドを幅はそのままに、奥行きを二分の一ほど広くした長方形といったところだろう。扉はアヒトたちがいる場所以外確認する事ができないことから一つとすると、それ以外の壁はかなり分厚いコンクリートになっているのだろう。ちょっとの衝撃では穴が開くことはなさそうである。
地下という事もあって天井まではかなり高く、空中戦にも対応しているものとみていいだろう。
「大したもんだな。やっぱり金持ちは何でも造るよな」
「褒め言葉として受け取っておくわ」
アヒトの言葉に誇らしげに腕を組みながらアリアは答える。
「ここでは様々な戦闘シュミレーションを行う事ができるの。今は何もない状態なのだけれど、床には土魔術、壁には風魔術、天井には水魔術の魔法陣が埋め込まれているわ。天候を自由に決められるだけじゃなくて、土魔術によって擬似的な街の一角を再現する事も可能よ」
「すっげぇ! 俺それやってみたい! なんかすげぇ楽しそうじゃん」
アキヒが飛び跳ねるようにはしゃぎながらアリアへと駆け寄るが、近づかれた本人は素早く腰の杖剣を抜いて剣尖をアキヒに向けた事で駆け寄っていた自称冒険者は急ブレーキをかけて鼻先に触れるかどうかのギリギリのところで足を止める。
アリアのそれ以上近づくなという意思が言葉にせずとも分かりやすく伝わってくる。先ほどの件もあり、よほどアキヒの態度が性に合わないらしい。
「残念だけど、今回はあなたの基礎的な実力を測るものだからこのままの状態で始めるわよ」
「そ、そんなぁ……」
ガクリと大きく肩を落とすアキヒ。
それを横目にアヒトは一つの疑問をアリアに投げかける。
「基礎的な実力って事は、対戦相手はティアじゃないのか?」
「ええ、その通りよ。ベスティアさんと戦ってしまうと先ほどのように一方的になってしまったり、ベスティアさんの能力を基準に考えることになるからこの世界での基準が破綻する恐れが出たりするのよ」
「てことはつまり……」
次にアキヒが対戦する相手というのは、今この場にいない二人の少女。
「リリィとルルゥがあなたの基礎戦闘能力を測る上で最も適していると判断したわ」
そうアリアが言い終えた時、先ほどアヒトたちが入ってきた扉が再び開き、そこから使役士育成学園の制服を着たリリィとルルゥの姿が現れる。
どうやら戦うにあたって万が一のことを考えて着替えてきたのだろう。
そのまま足速に最奥の壁の中心に並ぶ。
「アリア様ぁあ! 準備は万全でーす!」
リリィの大声に頷いて応えたアリアはそっとアヒトに向けて口を開く。
「リリィとルルゥは二人とも戦闘が得意じゃないの。彼女たちは使い魔を愛玩動物として育てちゃうから。小さい魔物では魔族に対抗できるか怪しいというのに、あの子たちにはまだ現実の危うさというものを理解できていないのよ」
「そう言ってるけど、アリアの使い魔も十二分に小さいけどな」
「……!! し、シナツは違うのだわ。先にあの子たちが召喚したから、集中が乱れちゃって…………コホン、今のは忘れなさい」
つまりリリィとルルゥが召喚した魔物がアリアにも可愛いと感じてしまった事でその気持ちが召喚に影響してしまったということなのだろう。
それでも手を抜く事なく訓練を続けてベスティアと接戦することができるほどの実力を得たのだから賞賛に値するものである。
そんな会話をしている間にアキヒが入口付近、つまりリリィとルルゥの対面に位置する場所へと移動したことを確認したアリアは一部だけちょうど人の手の大きさの枠が取り付けられた壁にそっと手をつける。
「それじゃあ、始めなさい!」
そう高々に叫んだアリアは内にある魔力を手に伝わせて壁に流し込む。
その瞬間、リリィとルルゥ、そしてアキヒの全身がほんのりと青白く光り、すぐに収まる。
おそらくアリアが二人にかけた魔術は『即死不可』の魔術だろう。
闘技場ではゲートを潜っただけでそれが発動する仕組みになっていたことを思い出したアヒトは、エトワール家の魔術応用技術の知恵は計り知れないと感じてしまった。
そして、戦闘開始の合図を聞いたリリィとルルゥは右手を前にかざし、人差し指にはめられている指輪を光らせると同時に地面に魔法陣が浮かび上がり、そこからそれぞれの使い魔が呼び出される。
「まずはあたしの子を紹介してやるわよ! かわいいかわいい愛しのCBちゃん! 今日は全力で羽ばたいても構わないから!」
そう言葉にしたリリィの目の前には宙を舞う一羽のクマタカ。大きさは人間の十歳児の標準と同じほど。通常のクマタカと比べれば遥かに大きいが、テトが魔物体になった場合と比べて二回り以上小さい体格をしている。
そんなクマタカを見たテトは親近感を感じたのか、目をキラキラとさせて食い気味に眺めている。
そしてルルゥが呼び出した使い魔は全身真っ白なウサギ。大きさはアリアの使い魔と同等だろう。
「……よろしくね、エナ」
静かにそう言葉にしたルルゥはエナと呼んだウサギの魔物の頭を優しく撫でる。
CBとエナが呼び出されると同時に二体とも『即死不可』の魔術がかけられる。
これでアキヒの剣によって一撃で死ぬような事はなくなった。
それを確認後、アキヒが腰に携えていた剣を一気に引き抜いて駆け出す。
「うぉおおおお!」
「「……!!」」
気合いのこもった声にリリィとルルゥは同時に表情を引き締める。
ベスティアの攻撃に何度も立ち上がったアキヒは今の彼女たちを警戒させるには十分な情報である。そんな人外のような存在が繰り出す攻撃はいったいどういったものなのか。
まずはその攻撃を一度見て、そして躱してからこちらの攻撃に入る。
それがリリィとルルゥの初動の作戦であった。
ところが……
「うぉおおお、うぁ!」
「「あ……」」
アキヒは地面に転がっていた石を踏んだことで体勢を崩し、顔面から地面へと滑って行った。
声が響き渡るこの地下空間にもかかわらず、数秒間の静寂が訪れる。
「……少しだけ期待した私が愚かだったわ」
アリアが手で目を覆うのをアヒトは静かに見つめるしかなかった。




