第6話 吸血鬼もどき その2
「……うっ、ぐぁはっ……」
地面に大量の血が零れ落ちる。
「はぁ、はぁ、はぁ……ざ、残念だったね。私の勝ちだよ」
そのサラの言葉によりディアが一歩、二歩と後ろへと下がり、体勢を崩して倒れる。
ディアの腹部には水でできた矛のような物が痛々しく突き刺さっていた。
「ふふふ、照準がズレたみたいだね。目にゴミでも入っちゃった? まぁそんなことどうでもいいんだけど」
ディアが放った炎球はサラが立っている場所からかなり的外れな場所に着弾しており、直に当たらなかったことでサラは左上半身が消し飛んだだけだった。
そのため、現在では再生したことでサラの綺麗な裸体姿がそこにあった。
「ぐっ……あ……」
ディアは腹部に刺さった水の矛を引き抜くために掴もうとするのだが、ディアが触れても水の矛はぬるりとすり抜けてしまう。だが傷口からはとめどなく血が流れていく。
そこにサラがゆっくりと近づいてくる。
「ダメだよ抜こうとしちゃ。さっきは木で作ったから傷口塞がれちゃったんだよね。今度はそんなことさせないんだから」
そう言ってサラは片腕を挙げ、自分の周囲にディアに刺さっているものと同じ水の矛を生み出す。
「最後に言い残す事は?」
「……ペッ……くそったれ」
「……あっそ」
冷淡に言い放ったサラは挙げていた腕を躊躇うことなく振り下ろした。
途端に複数の水の矛がディアへ向けて飛んでいく。
しかし、それがディアに直撃するよりも先に、その間に一人の少女が割って入った。
「ーー!! ダメ!」
サラはそう叫ぶが放った水の矛はもう止まらない。
そしてディアを庇うようにして入った少女の身体に無数の水の矛が突き刺さっていく。
「うっ……がはっ……」
ボロボロになった藤色の羽織をなびかせ、真っ赤に染まった身体と震える膝を必死に押さえながら立つチスイは口から大量の血を噴き出した。
「き、さま……なぜ……」
「ぐっ……フン、決まってるであろうが。お前を倒すのは……私であるからな」
ディアの驚愕による呟きにチスイは額に大粒の汗を浮かべ、苦しそうな表情で答える。
そして、流石に限界が来たのか、地面へと両膝をつけたチスイだが、それでも全身が倒れることだけは必死に堪えてみせた。
「そ、そんな……チスイちゃん……なんで、私、わたし……」
サラも動揺を隠すことができず、瞳に涙を浮かべて立ち尽くしている。
「もう、よせ……サラ。充分、満足したのでは、ないか? サラが強いのは、理解、できた……それでよかろう?」
チスイは着ていた羽織をゆっくりと脱ぎ、震える手でその羽織をサラへと渡すべく腕を前に出す。
それをサラはしっかりと受け取り、大粒の涙を流し続ける。
「だめ、だめだよ……チスイちゃん! ううっ!?」
突如サラの身体が傾き、ゆらゆらと崩れ地面に片膝をつく。
「うっ……血を、失いすぎたかな……あはは」
そうしてサラは顔を上げた時、ドクンッと心臓が跳ね上がったのを感じた。
チスイのいる地面には大量の血溜まりができており、チスイ自身も口から腹まで真っ赤に血で染まっていた。だがそれは既に知っていることである。なのになぜか今度は違う意味でチスイから目が離せない状態にあった。
サラの口内に唾液が溜まる。ゴクリと飲み干すが次々に溢れ出てくる。
やがて口で息をしていたサラの口からは涎が滴り落ち始める。
チスイちゃんが怪我をしているから早く助けなきゃいけない。でも血からどうしても目が離せない。いけない。だめだ。見ちゃダメだ。他の人の血を吸うことだけは。初めてはアヒトが良いって決めてるから。せめてこの初めてだけは私のものにしたいから。
けど、飲みたい。血が飲みたい。血が、血が、血が足りない。足りない足りない飲みたい。血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血!!
「うぅぅぅうううああああああああああ!!」
地面を掻きむしりながら叫ぶサラ。
「……サ……ラ……」
そんなサラの姿はまるで獣の様で、チスイはもはや身体を起こす事もままならない状態であっても尚、無意識に手を前に出していた。
サラは手を伸ばすチスイに視線を向ける。だがその視線は友人であった時の優しいものとは異なり、まるでチスイを獲物として見るかのような獰猛な視線だった。
そして、サラはチスイに視線を外すことなく獣の様に腰を高く持ち上げ、そのまま飛びかかろうとしたその時、
「よせ! サラぁあああ!!」
「ーー!!」
その声にビクッと肩を震わせたサラは正気に戻る。
そして、今の自分の体勢から自身が暴走しかけていた事を知り、悔しさと恥ずかしさで唇を噛み締め、驚異の跳躍力で地面を蹴り、サラはこの場から大きく離れて行くのだった。
それを走りながら見送ったアヒトはうつ伏せで倒れるチスイのもとへと急いで駆け寄った。
「チスイ! しっかりしろ! おれの声が聞こえるか!?」
サラが消えた事でディアとチスイの身体に刺さっていた水の矛は消えてなくなり、後には血で黒く染まった穴だけが痛々しく残っていた。
アヒトがチスイの傷口に布を当て、これ以上血が流れないように両手でしっかりと押さえる。
「うっ……うぅ……」
苦痛に顔を歪めるチスイだが目を開ける様子はなかった。
「頑張れチスイ! 待ってろ今助けを呼んでくるからな」
そう言ってアヒトが立ち上がった時、隣に膝をついてしゃがんだディアがチスイの傷口に手を当てる。
すると、一瞬オレンジ色の炎が小さく立ち上がり、チスイの傷口が強引に塞がっていく。
「ディアーー」
「応急処置だ。治癒魔術でも再生魔術でもないから、この女が重傷であることには変わらん」
そう言って全ての傷を塞ぎ終えたディアは立ちあがろうとするも力が入らず、倒れかけたところをアヒトがそっと肩を抱いて支える。
「悪いなご主人。流石のディアちゃまも限界みたいだ」
「あぁ、ありがとうディア。君はよく頑張ってくれた。ゆっくり休んでくれ」
「フッ、こういうのも、案外悪く、ない……な……」
ゆっくりと瞼を閉じていくディアを最後まで見届けたアヒトはベスティア自身に息があるのかを確認し、チスイの脈拍を測る。
「……かなり遅い。このままじゃチスイは……」
今や日が完全に沈み、周囲が暗くなっている状況である。円形状に木々が薙ぎ倒されてしまったため、正確な方角が掴めなくなってしまった。
森へはそこまで深く入っていなかったはずなため、少し歩けば村に辿り着くはずなのだが、チスイを治療できる医療施設が存在するかは不明である。
アヒトが歯噛みしていると、背後から小枝を踏む音が聞こえ、アヒトは瞬時に振り返った。
「…………」
魔物なのだろうか。否、先ほどの小枝を踏む音の高さと重さからして明らかに相手は人間だ。
「……誰かいるのか」
アヒトが少し大きめの声を出して呼びかける。
しばらくの静寂の後、草木を掻き分ける音が聞こえ、一人の男性が姿を現した。
「うお!? なんっじゃここ。ミステリーサークルってやつ? っておいそこのあんた大丈夫か!?」
全身に茶色い革製の防具を身にまとい、腰に剣を携えた男はアヒトたちに気付いて駆け寄ってくる。
「助けてくれ。友人が重傷なんだ!」
「こんなところでいったい何が……うぉっほ、美少女、ってそんなこと考えてる場合じゃないな。今手伝ってやる。そっち持てるか?」
「あ、あぁ」
アヒトは意識のないベスティアを背負い。そしてチスイの腕をとって肩に回し、腰を抱える。
その隣に男がチスイのもう片方の腕をとって自分の肩へと回す。
「よし、大丈夫か?」
「おれは大丈夫。それよりここから最短の医療施設に案内してくれないか?」
「よっしゃ任せとけ」
そうして内心では急ぎつつ負傷者たちの傷に障らないようにゆっくりと歩き出した。
アヒトは向かう途中、男の方へと視線を向ける。
「君、名前は?」
「俺か? 俺はアキヒ。愛称はアッキーだ。よろしくな」
「アヒトだ」
「アヒトか。良い名だな。愛称が付けられないのがネックか」
そんな事を呟くアキヒとアヒトは夜の森の中を一歩一歩歩んでいくのだった。




