第5話 吸血鬼もどき その1
「何!?」
「貴様ーー」
いつの間にそこにいたのだろうか。並の人間なら兎も角、ディアが感知できるはずの距離になっても気がつく事が出来なかった。
木の幹に腰掛け、夕日の灯りに照らされて栗色の髪をなびかせるドレス姿の少女は薄く笑みを浮かべる。
「サラ!?」
アヒトも声の存在に目を見開き、探していた誰もが知る少女の名を口にする。
「久しぶりだねアヒト。けどあまり見ちゃやだよ、私の方が上なんだからパンツ見えちゃうでしょ? ま、アヒトになら見られても良いんだけどね」
そう言ってサラは木の幹から降りる。フワリとまるで重力を感じさせずに柔らかく静かに着地したサラは髪を払いながらアヒトたちへと向き直る。
「サラ、今までどこにいたんだ? ある事件の犯人が君なんじゃないかって疑われてるんだ。すぐに疑いを晴らしに行こう」
アヒトがサラへと近づいて行こうと一歩踏み出した時、ディアとチスイがアヒトに背を向けたままその進行先を塞ぐように立ち並ぶ。
「待て、あれは真にサラなのか?」
「下がれ主様。あいつは危険だ」
ほぼ同時にアヒトへと声を掛けた二人に対し、アヒトは困惑の表情を浮かべる。
「な、一体どうしたんだ二人とも。あそこにいるのはおれたちの知るサラだろ?」
「いいや、あの女から溢れる魔力は人のものではない」
そう呟いたディアの言葉を聞き、チスイが鋭くサラに視線を向ける。
「サラ。もしや魔族になったのではなかろうな」
チスイの言葉にアヒトは驚愕に瞳を大きくする。
「な、何を言ってるんだチスイ。人が魔族になるなんて不可能なはず……」
そう口にしながらサラに視線を向けるアヒト。
その視線に気づいたサラはアヒトに向けて微笑みながら軽く手を振って応える。
「魔族、かぁ。うん、たぶん当たりかな。もしかしたらアヒトが言ってる事件ってすぐ近くにある農業地帯の村の事だよね。安心して、犯人は私だからさ」
「……え、な……」
「ふふ、驚いてる顔も素敵だよアヒト」
サラは頬を僅かに紅潮させて一歩前に足を踏み出す。
「止まれ、貴様ニワトリの血を吸っているという事は、まだ人間の血は吸っていないんだな。ならまだ間に合う。貴様がご主人の友人であるからこのディア様が親切に教えてやる。それ以上吸血鬼化を進行させると二度と日の下を歩けなくなるぞ」
その言葉にサラは歩んでいた足を止める。
「ふぅん。吸血鬼って言うんだ。ベスティアちゃんは物知りなんだね。けどアヒトをご主人って呼ぶのは聞き捨てならないかなぁ」
それを言うと同時にサラの姿が掻き消えた。
「なっ!?」
チスイが瞳を大きくした瞬間、隣にいたディアが一瞬にして右方へと吹き飛ばされた。
入れ替わるようにしてサラの姿がチスイの隣に踊り立つ。
「ーー!! サラぁあああ!!!」
チスイが怒りの叫びと共に抜刀した刀を横薙ぎに振るう。だが、素早く振るわれた剣閃をサラは容易く躱す。
「ごめんねチスイちゃん。今はあなたを相手してる暇はないの。また今度遊んであげるから」
「……!!」
無言で今度は刀を縦に振るったチスイだが、それもいとも容易く身体を傾けるだけで躱してみせる。
勢いよく振るわれた刀は地面を抉り、土煙を周囲へと舞わせる。
その隙にサラはアヒトへと距離を詰め、その頬へと手を添える。
「怖がらないで、初めて人の血を吸うのはアヒトって決めてるんだぁ」
「……!! さ、サラ」
「んー? なぁにアヒト」
「こんな事は辞めるんだ」
「…………それは聞けないお願いかな」
サラはアヒトの首筋にペロリと舌を這わせる。そして口を開けて伸びた犬歯を露わにさせたその刹那、サラの左脇に一本のナイフが突き刺さる。
「…………」
それによって動きを止めたサラは飛んできた方向へと体の向きを変えた時、大量のナイフがサラの全身に突き刺さり、次々に爆発していく。
「サラ!!」
激しい爆音と爆風によりアヒトは後退りながら、変わってしまった少女へと声を上げる。
すぐ隣には先程吹き飛ばされたディアが着地する。口からは僅かに血が垂れており、おそらく殴られた際に切ったようだった。また、さらにその隣には剣先をサラがいるであろう煙の中へと向けた状態のチスイがアヒトたちへと一度も視線を向ける事なく静かに並んだ。
「ふふふ、アヒトが私を心配してくれて嬉しいなぁ。けど大切なドレスが破けちゃった。このドレス結構お気に入りだったんだよ?」
煙が開けた先に立っていたサラの身体は全くの無傷で、先ほどの爆発で着ていたドレスが破けてしまい、所々肌が露出してしまっているが、当の本人は一切気にしていないようだった。
「ベスティアちゃんにはお仕置きが必要だよね。というよりあなたなんか要らない子だよね。だって私がいるんだから」
蠢く殺気と魔力の奔流に次はサラよりも先にチスイが早く動き出す。
たとえ変わってしまったと言えども、サラである事には変わりない。できれば重傷を避け、意識を刈り取る程度にしたいとチスイは考えていたが、振るわれた剣戟のことごとくを躱されたことで自身の浅はかさを思い知らされた。
「そんな……!?」
予想だにしないサラの動きにチスイの瞳は見開かれ、通り過ぎるサラの姿をただ見送ることしかできなかった。
そんなサラはディアへと一気に距離を詰める。
「そぉれ!」
そんな掛け声と共にディアへ向けて放たれた蹴り上げはディアに直撃した瞬間、破裂するような音を響かせて再びディアは大きく後方へと飛ばされる。
「ぎぃ……! 死にたいようだな、女!!」
「あはははは、私が先に殺してあげるよ!」
ディアは灼熱の瞳を光らせ、宙に舞っている状態の体勢を整えて拳に致死熱量の炎を纏わせる。
いくら再生しようが関係ない。再生する肉片がなくなるまで相手を蒸発させるだけで方が付く。
ーーだめ!ーー
「何!?」
突如腕に纏っていた炎が消滅し、ディアが目を丸くする。
「逃げちゃダメだよ、ベスティアちゃん!」
そう叫んだサラは周囲に先端が鋭利な木片を浮かべ、同時に高速発射させる。
「うぐっ!!」
ディアは空間を裂いて『無限投剣』を取り出し、急所に飛来する木片のいくつかを捌くが、肩や脚といった部分はディアでも捉えきることができずに突き刺さっていく。
刺さった影響によりバランスを崩したディアは一気に地面へと降下を始め、遅れて飛来した木片がディアの腹部を貫通し、受け身も取れずに地面を転がった。
「かはっ! ……な、にをしてくれてんだこの間抜け! てめぇが死んでも良いってのか!?」
地面に血を吐き出しながらディアは自分の内側へと叫ぶ。
ーー殺しちゃだめ。サラは、大切な……ーー
「ヤらなきゃてめぇが死ぬんだぞ、ぐっ……くそったれがっ!!」
腕や脚に刺さった木片を痛みで顔を歪ませながら引き抜くディアは毒づく。そして、傷口に手を当てたディアは勢いよく炎を生み出した。
「ぐぅう!!」
苦悶の叫びを上げたディアだが、炎が消えたころには傷口が塞がっており、サラがディアのもとへと降り立った時には既に立ち上がれるまで回復していた。
「ふふふ、ほら、私の方がベスティアちゃんより強いんだから、アヒトは私がもらちゃっても良いよね? ね?」
「……これが最後の忠告だ。今なら人の心を失くさずに済む。考え直せ」
傷が塞がったとはいえ痛覚は残っているのか、肩で息をしながら言葉にするディアにサラは浮べていた笑みを消す。
「何でそんなこと言うのかな? もしかして、この力が羨ましいのかな? 分かるよ、凄いもんね。でもダメだよあげないんだから。この力は私のもの。アヒトも私のもの。あなたになんかにあげるものなんて、なにひとつないし、奪わせない。あなたはずっと不幸な猫でいればいいんだよ。幸せは全部私が貰っていくから」
「…………そうか、既に手遅れということか」
ディアは空間を裂いて周囲に無数の『無限投剣』を浮かべていつでも動ける体勢をとる。
「アヒトを守るのは私だけで大丈夫。だから、安心して死んでね、ベスティアちゃん」
その言葉と同時に動いたのはディアの方だった。
後方へと大きく地を蹴り、サラとの距離を離したディアは同時に宙に浮かぶ『無限投剣』を一本一本手に引き寄せ、それぞれ指でなぞっていく。
「……吹き焼けろ『爆燃』」
その言葉により宙に浮かぶ『無限投剣』の剣先が燃え上がり、サラに向かって音速で飛翔していく。
しかし、サラは左手を前に突き出し、軽く横に振っただけで飛来する炎のナイフのことごとくを凍り付かせ、その重みで地面へと落下させ軌道を変えていく。
そしてディアを追いかけるべくサラも地を蹴り、一瞬にしてディアとの離れた距離を詰めに行く。
「チッ、その氷、てめぇあの闘技場でオレを邪魔した女だな。魔族になって結果的に魔法の域まで達したのか」
「ああ、そうなんだ。これが魔法なんだね。ふふ、杖を必要としないなんてすごく便利だよね……てことは初めから魔法が使えるベスティアちゃんは心の中では私たちのこと下等に見てたんだ。悪い子だね。ますます殺したくなっちゃった」
そんな火に油のような会話をしつつ追いついたサラはディアに向かって拳を突き出す。
だがその拳の軌道をディアは先読みし、掌に受けると同時に軽く受け流したその刹那、サラの突き出していた腕が爆発し、黒煙を上げて焼失する。
「うぅ……痛ったいじゃない!」
一瞬失くなった腕を押さえたサラだがすぐに思考を切り替えてディアへ向けて蹴り上げる。
だがその行動も読んでいたのか、ディアは身体を傾けてサラの足を掴んで爆発させる。
「きゃ!」
爆発の衝撃と片足だけとなったことによりバランスが取れずに地面へと尻餅をついたサラは小さな悲鳴をあげた。
「所詮その程度か? 吸血鬼もどき」
「くっ……」
ディアの言葉にサラはキッと睨み返し、残った片腕を使って地面の土を手に取ったサラはディアに向けてその土を投げつける。
その土を容易く払い除けたディアだが、その隙に失った片腕を再生させたサラはその腕を前に出し、炎球を生み出してディアへ向けて射出する。
「それは愚策だな『爆轟』」
ディアは飛来した炎球を吸収し、焔の如くより灼熱に熱せられた炎球をサラへと投げつけた。
爆音を轟かせながらディアがいる場所を起点に衝撃波で周囲の木々が次々に倒れていく。
やがて周囲が静寂に包まれ立ち昇っていた黒煙が晴れた時、円形状に薙ぎ倒された森の中心にはディアとサラだけがそこにいた。




