第8話 魔神
選ばれた存在だけが進化の道へと足を踏み入れることができる。そうして適合した存在は、神にも等しい新たな種族へと至り、やがて人類を滅ぼすということなのだろう。だが一つ気がかりなことがある。
「なぜ、魔王は血を分けたんだ。自分を危険に晒すような存在を生み出す可能性があるというのに、なぜ」
アヒトの質問にボレヒスは不敵な笑みを崩さずに答える。
「魔王からすれば、この世界の人間はあまりにも弱すぎるらしい。退屈を紛らわせるために、遊び半分で乗っかったといったところだろうな。間抜けな魔王だな。この神であるハデスの力を得た我に敵う者などおらぬというのにな!」
そう言うと同時にボレヒスの片目が赤く発光し、身体が透けていき、見えなくなっていく。
「――はっ!? うぐっ!」
ベスティアは何かに気づいたように空間を裂いて『無限投剣』を取り出し後方に跳ぶが間に合わず、目の前に現れたボレヒスの刃の威力によって一瞬で壁際まで飛ばされてしまった。
「ティア!」
咄嗟に叫んだアヒトだが、床を転がったベスティアは瞬時に起き上がり、両手に持つナイフを構える。
「ほぉ? 今の一撃をその小さなナイフで防いだか。やはり貴様はどこまでも異質な存在よな。ティア?」
「貴様に名を呼ばれたくはない。今となっては虫唾が走る」
「フハハハ、だろうな。カプリの言葉にお前は肯定も否定もしておらなんだが、実際はかなり首輪の効果が効いていたのであろう? 貴様が我に見せる顔はなかなかに愉快なものであったぞ」
「疾ッ!!」
ベスティアはボレヒスの止まらない口を塞ぐために高速で距離を詰める。手に持つ『無限投剣』をボレヒスに向けて投げつけると同時にそのナイフが無数に分裂する。大量のナイフが雨の如く降り注ぐが、ボレヒスは自分の顔の部分を弾くのみで残りは全てその身で受ける。だが肉体があまりにも強靭であるためか、投げたナイフは一つも刺さることなく床に落ちて消滅していく。
ベスティアはその隙に大きく背後へと回り込み、床を蹴って跳び上がると同時に拳を突き出す。が、
「そんな攻撃が効くか!」
ボレヒスは瞬時に振り返り、右手を横へ振るう。
「がぁああ!!」
ベスティアの拳が届くよりも先にボレヒスの斬撃をもろに受けたベスティアは一直線に吹き飛び玉座を破壊する音とともに土埃を上げる。
「フハハハ、どうだ。これが神であるハデスの力だ!」
土埃の中にいるであろうベスティアの動きがなくなったことでボレヒスはより高らかに笑い続ける。
どうすれば勝てるのだろうか。今のアヒトでは足手まといにしかならないし、マヌケントの使い魔であるカゲ丸も瀕死の状態から回復の見込みが全く見られない。ただでさえボロボロの身体で戦っているベスティアに一人であれを相手にさせ続けるのは厳しいだろう。
しかし、あれこれと考えていたアヒトの思考を打ち消すように謁見の間にある人物の声が響き渡った。
「ほぉ、『ハデス』とやらか。だがその両肩にある牛の頭から見るに、どう見ても『怪人ミノタウロス』ではないのか?」
「……! 何者だ!」
ボレヒスは声の存在を探るように周囲を見渡す。
すると、広間の陰となっていた場所から一人の少女が姿を現す。
宵闇色の髪を頭の後ろで結い上げ、学園のシャツをサラシのようにして胸に巻きつけた姿に片手に紫白の刀を握りしめている。
「チスイ! 無事だったか!」
アヒトの声にチラリと視線を向けたチスイだが、すぐにボレヒスの方へと視線を戻す。毅然とした態度を見せてはいるものの、その表情はいつもの余裕のあるものではなく、首筋に大量の汗を浮かべている。
「我がハデスではないだと? バカな。現に伝承である隠伏の力を使えたのが何よりの証拠」
「フン、戯言を。何故魔王の血から神の力が引き出せるのだ。虚言を吐くのも大概にしろ戯け」
「な、なんだとぉ!!」
ボレヒスは怒りで顔を赤くしていき、額にいくつもの血管が浮かび上がっていく。
「ふむ、それでもお前が神を名乗りたいのならば、そうだな……さしずめ『ミノハデス』とでも名乗るが良い」
「き、貴様ぁああああ! よくもこの我を侮辱したなぁあああ」
完全にブチ切れたボレヒス――ミノハデス――は両手の刃に魔力を集中させ、それを持ち上げて交差させて一気に振り下ろした。
その瞬間、交差された斬撃が床を削り上げながらチスイへと飛来する。
しかし、チスイは右手に持つ刀を斬撃のタイミングに合わせて左から横薙ぎに振るうと、まるでその斬撃が初めからなかったかのように一瞬にして呑み込まれていく。
「ば、バカな。何なんだその刀は!?」
チスイはその質問には答えず、そっと刀の切先をミノハデスへと向ける。
「悪いが今の私は手加減ができぬ。覚悟しろ」
そう言ったチスイはミノハデスへと一気に距離を縮める。
「なに……!?」
一瞬で真横までやって来たチスイにミノハデスは目を見開く。
――波平流剣術・斬の型……
ミノハデスは瞬時に跳び去ると同時に片目を光らせ、自身の身体を透明化させて行く。
「……紅蓮『尾鷹』」
チスイは刀を横薙ぎに一閃。空気摩擦によって刀の周りに紅蓮の炎が浮かび上がる。しかし、既にミノハデスはそこにはおらず、チスイの刀は虚空を斬っただけで終わる。
だがチスイの動きはそれで終わらない。すぐさまチスイは左足を前に出し、刀を床へと触れさせる。
――波平流剣術・翔の型……
チスイは床に触れた切先を擦らせながら左足を軸に円を描くように回転した。
「……琥珀『交喙』」
刹那、チスイを中心に床が突如捲り上がり、槍のように先の尖った岩が左右互い違いになって隆起していく。
同時に隆起した岩のある一点で橙色の閃光が迸り、金属が擦れる音を響かせながらミノハデスが姿を現す。
「ちぃ! 次から次へと奇怪な技を!」
ミノハデスがそう苛立っていると、いつの間に移動していたのか、背後からベスティアがやってくる。
「はああああ!」
咄嗟にミノハデスは両刃を交差させ、その中心にベスティアの強烈な拳の蓮撃が叩き込まれる。
ミノハデスはベスティアが繰り出す蓮撃の一瞬の隙を狙ってカウンターの斬り込みを行うが、ベスティアは瞬時にミノハデスの刃を底辺に踏み切ることで後方宙返りを行ってチスイの横に着地する。
「ひどい汗。熱でもあるんじゃないの?」
「これくらい大した事ではない」
チスイはそう言うがベスティアからすればとても大丈夫そうには見えなかった。
「仕方ないから私も一緒に戦ってあげる」
「フン、ぬかせ。お前が来たところで焼け石に水だ」
「たとえ水で焼け石が消えなくても消えるまで叩き割れば済む話」
「……言うようになったではないかチビ助」
ベスティアはチスイに向けて軽く笑みを向け、それに合わせてチスイも親指で鼻っ柱を撫でて口角を上げる。
「貴様ら、我を本気で怒らせたようだな」
ミノハデスの魔力が一気に殺意と混じり溢れ出てくる。
「囀るな。魔神だか怪人だか知らんが、お前如きに私たちを倒せるとは思えぬな」
「なんだと?」
チスイは刀を鞘に戻しながら言葉を紡ぐ。
「お前みたいな玉座でただ踏ん反り返っているだけの人間が、戦を経験して来た者に勝てるわけがなかろう。そんな事も分からぬようでは折角の力も、宝の持ち腐れというやつだな」
それを聞いたミノハデスの魔力がより膨れ上がり、一瞬でチスイの目の前まで距離を詰める。
それにベスティアは即座に反応し応戦しようとするが、それよりも速くミノハデスの横蹴りが繰り出され、ベスティアは大きく飛ばされる。
「まずは貴様から死ねぇえええ!」
ミノハデスはチスイに向けて両手の刃を振りかぶるが、チスイは慌てる事なく視線を向け、全身の力を抜いて腰を静かに落とす。
――波平流剣術・居合の型……
ミノハデスが振り下ろした刃は一瞬チスイの刀と触れ合う事で火花を散らしたが、その刹那、ミノハデスの左腕が宙を舞っていた。
「……『鴛鴦』」
気がつけばチスイは背後に回って刀を振り下ろした姿勢で立っており、ミノハデスは肩から流れる大量の血にふらつきながらも振り返る。
一体何なんだこいつは! 人間が、それもただの子どもがこれ程までの力を使えるはずが……
ミノハデスはそう思考していると、チスイが追撃のために刀を構える。が、突如ふらりと身体が揺れ床に片膝をつく。
「くっ、流石に無理があったか……。魔力を吸い上げた分、奥義が使えたまでは良かったのだがな……」
視界が歪み、もはや立ち上がることすらできなくなってしまったチスイにミノハデスの口元が弧の字に持ち上がる。
「フハハハ、もらったぞぉおお!」
ミノハデスは残った右腕を構えながらチスイとの距離を詰める。
それを見たベスティアは鈍くなった身体に力を入れて走り出す。
「させない……!」
だが、今のベスティアではミノハデスの進撃を止めることができないかもしれない。チスイが来る前でも来た後でも、ベスティアの攻撃がミノハデスに通じているようには見えなかった。
それでもベスティアは自分の身体が動く限り、諦めない。二度と大切なものを失わないために。
ベスティアは高速でミノハデスとの距離を縮め、床を蹴って跳び上がると左脇腹に両足を揃えた蹴りを叩き込む。ついでに腰の回転を加えることでミノハデスの進行が僅かに揺らぎ、ベスティアは着地と同時にチスイを庇うように前に立つ。
「ぐぅ、ベスティア。そんなにも死に急ぐか。お前だけは生かしておいても良いと考えておったのだがな」
「…………」
ここでチスイを守りながら戦うには今の自分では些か力不足か。せめて、あの技が使えれば……。
ベスティアは自分の胸へと手を当てる。
「お願い。今だけは私に力を貸して」
小さく呟いたベスティアは胸に当てる手を強く握りしめる。
「まぁ良い。せいぜい苦しんで死ぬが良い!」
ミノハデスは脚に力を入れ、ベスティアへ向けて一瞬で肉薄する。
このままじゃ、チスイだけじゃなくて、あひとまでもが守れなくなる!
そう思った時、突如ベスティアの思考が加速し、見ている世界がゆっくりとなる。ミノハデスの動きがコマ送りのようにゆっくりとした動きにベスティアは目を見張るが、自分の身体も動かすことはできなかった。
これはいったい……。
――まったく、お前はいつでも弱いままだな。
え……?
突如、頭の中に声が響き渡ったことでベスティアは混乱を深める。しかし、その声にはどこか聞き覚えがあり、それが自分の声であるということに気付くまで少し時間がかかった。
もしかして、もう一人の私……?
――フン、力を貸して欲しいのだろ?
貸してくれるの?
――条件を呑んだらな。
一体どのような条件なのかはわからないが、今は一刻の猶予もない。ベスティアはまるで悪魔との契約のようだと感じながらも返答する。
「……分かった」
そう呟いた瞬間、ベスティアの魔力の奔流が内側から一気に解放される。
「ごあッ、なんだこれは!?」
ミノハデスは魔力の圧に吹き飛ばされ、強制的に距離を取らされる。
「……ティア?」
テトの肩を抱きながら戦いを見つめていたアヒトは急激なベスティアの変化に困惑する。
だが、あの魔力の質にはどこか見覚えがあり、それは鮮花祭でベスティアが見せたもう一つの人格の魔力とかなり似たものであった。
「こ、これが亜人だと? バカな。これでは魔族と何も変わらぬではないか!」
ミノハデスが驚愕と畏怖で叫ぶ。
ベスティアの瞳は右側だけが灼熱の色に変わり、今まで受けた全身の傷が全て癒えていく。
そして僅かに腰を屈めたと思った次の瞬間、ミノハデスは腹部に衝撃が走ったと同時に爆裂し、大きく吹き飛ばされた。
「があッ、な、なにが……!!」
床を転がったミノハデスは仰向けになって止まり、すぐさま目を見開いて床を自ら転がっていく。
刹那、ミノハデスが先ほどまで倒れていた場所が轟音とともに爆発する。
爆風によってさらに吹き飛ばされたミノハデスは転がる反動で起き上がり、腹部を押さえる。
先ほどの衝撃で腹部には風穴が空いており、同時に血管が焼かれたのか、血が出てくる様子はなかった。
さらに言うなれば先ほども今もベスティアの存在を全く視認することができない。元から足が速かったのは理解しているがそんなものよりも遥かに次元を逸していた。
だが、たとえ視認できなくとも、相手からも視認ができなければ動くことはできないはずだ。
ミノハデスは片目を光らせ、姿を透明化させる。
これで相手から見つけられることは無くなっただろう。後は自分がベスティアを視認し、一撃で仕留める。
そう考えたミノハデスは気配を消しながら移動し、土埃の中からゆっくりと歩くベスティアを視認する。
そこで狙いを定めたミノハデスだが、突如ベスティアは屈み込み、床に手を触れる。
「……『爆散』」
その呟きと同時に、ベスティアを中心に周囲が一瞬にして爆発していく。
そのあまりの速度にミノハデスは避けることができずに吹き飛ばされる。だが複数の爆発による爆風で宙にいたミノハデスは幾度も軌道を変えられ、ようやく収束しベスティアの近くへと落下した頃にはミノハデスの身体は全身の皮膚が焼け爛れ、ところどころは肉が爆ぜ、骨が見えてしまっていた。




