第6話 大切な存在 その2
「仰せのままに…………とでも言うと思ったか?」
「……な!?」
直ぐに頭を上げて仮面をボレヒスに向けたカプリにボレヒスは驚愕で目を見開いた。
「こんなもん着けられたところで俺を操れるわけねぇだろうがよ。それに、俺がこの首輪を蹴った時点でこれはもう死んでんだよゴミが」
そう言って先ほどベスティアに行ったように腕を少し挙げる。
「『不映の楔』」
そう言って指をパチンと鳴らすと、カプリの脚に着けられた首輪にヒビが入り、粉々に砕け散る。
それを見たボレヒスの顔からみるみる血の気が引いていく。
「なんならこいつだって初めから首輪の能力など半分も受けてなかっただろ」
そう言って親指でベスティアを指差すカプリにボレヒスは未だ四つん這いの状態で動けずにいるベスティアに視線を向ける。
すると、ベスティアはばつが悪そうにボレヒスから視線を逸らす。
ベスティアが受けていたのは主人に従う強制力だけである。それ以外の効果に対してはふわふわと身体が軽くなり気分が昂揚したような気持ちいい感覚になっているだけで特にボレヒスになどベスティアにとっては興味はなかった。
確かに今思えば、ベスティアの行動の全てには自分の居場所を守るためという目的を持ってのものだった。ならばあそこまでアヒトたちをこてんぱんにする必要性があったのだろうかとアヒトは疑問に思ったが、先ほどのベスティアの冷めた視線を思い出し、そしてミディア村でテトが言った事を踏まえたことである程度、アヒトは理解した。
「ばかな……そんなばかな……」
ボレヒスが意気消沈の如く椅子にもたれかかるのを見て、カプリは「仕返しだ」と呟き、足元に転がる瓦礫の破片をボレヒスに向けて軽く蹴り飛ばした。
「うっ……」
豪速で飛来した瓦礫の破片はボレヒスの額を強打し、一瞬でボレヒスの意識を刈り取った。
それを見届けたアヒトは、これでしばらくはボレヒスが何かをしてくることはないだろうと判断し、そしておそらく、ここから自分が動かなければならないと予想すると同時にマヌケントに寄り添っていたテトへと視線を向ける。
テトがその視線に気づき、強く頷き返したその時、倒れていたベスティアが突如カプリに脚払いを行い、再び牙を剥くような行動に出た。
「うぉっと……」
カプリは瞬時に体勢を立て直し、ベスティアから距離をとる。
「やめろティア! そんな体じゃ戦えない!」
アヒトはそう叫び、駆け出す。
「と、言ってるが、それでもてめぇは俺とヤリ合うのか?」
カプリはゆっくりと立ち上がるベスティアに向けて言葉にすると、キッと鋭い視線が返ってくる。
「うるさい黙れ! 貴様だけは私が倒す。絶対にッ!!」
怒号を上げたベスティアは両脚に力を入れる。
床に亀裂が入り、一瞬ベスティアの瞳が灼熱の色に変化する。
「そうだそうだ待ってたぜぇベスティア!」
明らかに声のトーンが上がったカプリは右脚を前に出して構える。だが、ピクリと何かに反応したカプリは反射的に胸の前で両腕を交差させる。
直後、強烈な爆砕音を響かせ、カプリは吹き飛ばされて壁にめり込んでいき、先ほどまでカプリが立っていた場所には拳を振り抜いた状態のベスティアがいた。
「ティア……」
ベスティアの拳からは煙が上がり、先ほどの爆発は彼女が起こしたものだと分かると、爆風の衝撃で倒れていたアヒトは身体を起こしながら鮮花祭の事件を思い出していた。
あの時はベスティアの中にいた別人格が大暴れしていたが、今のベスティアもそうなのだろうかと目を凝らす。
しかし、当の本人は体力も限界に近いのか、崩れるようにペタリと床に座り込み、自分の拳を見て目を丸くしていることから、どうやら別人格が表に出てきたわけではなさそうだった。
すると、壁に埋もれ瓦礫で見えなくなっていたカプリが何食わぬ顔で出てくる。
「……かぁーいってぇなぁ。やっぱ戦いってのはこうでなきゃな。考えただけで濡れてくるってもんだよなぁ!!」
そう言って動き出そうとしたカプリだが、間にアヒトが割り込んできた事で足を止める。
「やめろ! もうティアはボロボロだ。なぜそこまでしてティアを傷めつけるんだ」
「ちっ、あぁ? てめぇ何言ってんだ。なら強い奴は傷めつけられても良いってのか? 自分で言ってなんだが、全く意味が分からねぇ言葉だな」
「それは……」
「どんな世界でも弱肉強食という概念は変わらねぇんだよ。判断力のない愚鈍者は自分が犯した愚かさに気づくことすらできない。だから死んでいく。カスが傷めつけられるのは当然のことだ。他人に依存するばかりで自分からは何も変わろうとしない。そんなんだからいつも一人なんだろうがベスティア」
アヒトの背後で膝を突いたままのベスティアは尻尾を逆立て、歯噛みする。
カプリの言葉はベスティアに向けられたものだが、しかしどこか違う別の誰かに向けられたものでもあるように聞き取れた。
それがベスティアの両親だということに気づく時間は数秒と要らず、立ち上がったベスティアは大きく息を吸い上げた。
「うああああああああああ」
目尻から雫を光らせ、カプリへ向けて駆け出したベスティアに、アヒトが両手を広げて立ちはだかる。
「ティア! もうやめるんだ! 首輪はもうないんだ。これ以上戦う必要は君にはない!」
「黙れ黙れ黙れぇえええ!! 私を捨てた貴様が、今更何しに来たっていうんだぁああ!」
ベスティアは拳を強く握り、その拳を真っ直ぐアヒトへと突き出した。
「にゃ、にゃんで……」
ベスティアの拳はアヒトの顔にぶつかる直前で、ベスティア自身のもう片方の手によって止められていた。瞳が灼熱の色に一瞬染まるがすぐにもとの空色へと戻る。まるで点滅するかのようにそれを繰り返しながらベスティアは自分の腕と格闘する。
「もういいんだ、ティア。君の居場所はこんな場所じゃないだろ?」
「だ、まれ……貴様も、あいつと同じだ! ふざけるな、ふざける、にゃよ……もう、私をひとりにしにゃいで……」
アヒトに対する攻撃を諦めたのか、ゆっくりと腕を下ろしたベスティアは弱々しく掠れた声でそう呟いた。
そのためアヒトは優しい表情でベスティアの瞳をじっと見つめる。
「約束しただろ。君の居場所はおれが作る、おれは絶対に見捨てたりしないって」
「……うそだ。私のこと捨てようとしてたくせに。どれだけ居場所を見つけても、結局は私が一人であることはにゃにも変わらにゃいんだ!」
ベスティアはアヒトの胸を両手で押して突き放す。
「私は誰も信じない。私はこれからも一人でも生きていけるんだ!」
その言葉を聞いてアヒトは小さくため息を吐く。
今のアヒトではベスティアを止めることはできないし、手を取ることすらしてくれないだろう。しかしここまでは予想していたことだ。
だから、ベスティアに気づかれないようにするためにアヒトはより彼女の瞳から視線を外さない。
「ひとりじゃないだろ」
「え……?」
アヒトの言葉にベスティアは呆然と声を漏らす。
すると、ベスティアの背後から一人の存在が飛び跳ね、ベスティアの頭上に影を作る。
「――ッ!!」
即座に振り返りあおぎ見たベスティアは驚愕で目を見張った。
天井に吊られるシャンデリアの光で輝く銀髪に白いサロペットスカートが揺らめく、ベスティアそっくりな顔の少女。
「テト……!?」
ベスティアの姿に擬態しているテトは、なぜかベスティアよりも幼い姿となっているが、擬態時に得られる身体能力は今のベスティアと大した差はないだろう。そのため、ベスティアはテトが背後に回ったことにも気が付きにくく、脅威の跳躍力を見せたのだ。
「そう、テトがいるんだ。ティア」
彼女はベスティアの、亜人少女のたった一人の家族。希望の光なのだから。
「ティアお姉ちゃん、お覚悟、です!」
そう言ったテトは、どこからともなく一瞬で周囲の人間の視界を真っ白に染め上げる。
そしてその隙にテトは片腕を横に広げ、腕だけを限定的に元の姿へと戻す。
美しい銀色の翼が広げられ、テトは高速でベスティアに向けて降下していく。
「名付けて! 『勇気の翼』なのです! たああああ!」
可愛らしい声とは裏腹に、急降下したテトはベスティアの胸部に強烈なラリアット攻撃を直撃させた。
「ぐぁっ……」
引きづられるように床を滑っていくベスティアの上にテトはまたがり、苦悶の表情を浮かべるベスティアの両頬をペシッと両手で掴み、ジッと視線を固定させる。
「テトを見るです! お姉ちゃん」
「ふぁ、ふぁい……」
鼻と鼻がぶつかりそうなほどの距離で見つめるテトの迫力に思わずベスティアは息を呑む。
「テトはお姉ちゃんの妹です。テトにとっては唯一の家族なのです。それとも、お姉ちゃんにとってはテトは家族ではないです?」
「そ、それは、違う。テトは私の、大事な妹」
それを聞いてテトはニコッと笑みを作り、ベスティアと近かった顔を放す。
「それなら、おうちはこっちなのです。だからお姉ちゃんは一人じゃないです。テトがいるです」
ベスティアの瞳から大きな雫が溢れてくる。
なぜ、自分は一人だと思っていたのだろうか。なぜ、居場所がないなどと思っていたのだろうか。あの時、テトを妹とする事を決めた時点で、自分の帰るべき場所、居るべき場所は既に決まっていたというのに。
視界が滲み、頰から大粒の涙が伝っていく。
「一緒に帰ろう? ティアお姉ちゃん」
ベスティアの上から退き、直ぐ横でしゃがみ直したテトはそっと手を差し伸べる。
「……こんな、こんな意気地なしな私でも、そばに居てくれる?」
「はいです。今だけは、テトがお姉ちゃんのお姉ちゃんになるです」
テトの言葉にベスティアは苦笑し、それはいいなと感じてしまった。
同性に甘えたことなど一度もないベスティアにとって、今のテトの言葉はとても心に響くものがあった。今すぐその小さな胸の中に飛び込みたい衝動に駆られながらもベスティアは自分の涙を拭い、テトの手をとって立ち上がる。
その光景を見ていたアヒトはふと、なぜテトが今のベスティアより幼い姿に擬態したのかを理解できたような気がした。
見た目は15の少女でも、ベスティアの内面の時間は、幼い頃に起きた事件以降止まったままだったのかもしれない。テトは無意識にベスティアの内面の幼さを感じとり、そちらが本体だと認識し擬態したかもしれない。
そう考えたアヒトはほんのりと笑みを浮かべ、テトの隣に並び立つ。
「おれもいいだろ?」
「……あひと、は家族じゃないし……」
視線を逸らすベスティアにアヒトは腰を落として目線を合わせる。
「おれも家族になればいいじゃないか。もう何日も一緒に過ごしてるんだし……いや、こうしようか」
アヒトは優しい表情を真剣なものへと変え、そっと言葉を紡ぐ。
「ティア。おれを家族にしてください」
「そ、それは……!!」
アヒトの真剣な瞳とその言葉にベスティアの顔がみるみる真っ赤に染まっていく。
「? どうしたんだ、顔が赤いけど」
そう言ってアヒトは頰に触れようと手を伸ばすが、その手をベスティアはそっと両手で握り、触る必要はないと言ったふうにふるふると頭を左右に振る。
「……はい。不束者ですが、末永くよろしくお願いします」
ベスティアは嬉しそうに尻尾を左右に揺らし、これまでにない、幸せそうな笑顔で応えるのだった。
「フン、とんだ茶番劇だな。興醒めだわ」
それまで一言も話さずに腕を組んで見届けていたカプリはどこかへと歩き出す。
「待ってくれ。ひとつだけ約束してほしい」
アヒトは顔だけをカプリへ向けて言葉にすると、対するカプリも足を止めて振り返る。
「なんだ」
「もうティアには近づかないと約束してほしい」
「ハッ、そんなことか。わぁったよ。ここにいられる時間もおそらくそんなにねぇだろうからな」
「それともう一つ」
「あ? 約束は一つだけじゃなかったのかよ」
背を向け歩き出そうとしていたカプリは半ギレ気味にアヒトへと仮面を向ける。
「いや、質問なんだが、どうしてティアの両親を殺したんだ」
「…………」
その質問にカプリは一度ベスティアを見る。ベスティアも理由を知りたがっているのか、唇を引き締めてカプリが話すのを待っており、そのため、カプリは盛大なため息を吐き、フード越しに頭を掻く。
「俺はあの時、亜人の森で『異種族で子どもを作った者がいる』という情報を受け、任務としててめぇらの監視をしてたんだよ」
そうしてカプリは自分の記憶を思い出すかのようにゆっくりと語り始めた。




