第4話 刀少女の前兆
ミュートニーが召喚した巨大な鷲の魔物と戦い始めて既に10分が経過したが、未だ智翠は目の前に浮遊する魔物を倒せずにいた。
魔物に近づこうとするが、相手は風の魔法を使ってくるのか、羽ばたくだけで暴風が吹き荒れ、智翠の身体が安易と宙に飛ばされてしまう。
だからといって奥義を連発させるわけにもいかない。鮮花祭の事件を得て、智翠はこの妖刀『幻月』を使っての奥義はおそらく三回までだろうと感じている。先ほどのカプリとの戦いで一つ消費してしまっている以上、一撃で倒せると思った時以外は極力奥義は避けたいところである。
「どうしたのだ。先ほどまでの威勢はどこへ消えた?」
ミュートニーが不敵に笑うが智翠にとっては目の前の魔物が最優先である。
――この魔物を倒した後にそのふざけた笑みを二度とできないような顔にしてやる。
そう息巻いた智翠は巨大鷲へと向き直る。
巨大鷲が甲高く鳴き、大きく翼をはためかせると、智翠へ向けて鋭い風の刃がいくつも迫ってくる。
いくつか横へ跳ぶことで躱すが、着弾と同時に巻き上がる埃と粉塵のせいで全てを避けることができず、やむなく刀で受け止める。重い斬撃に負けぬよう己の脚に力を入れて踏ん張るが、突如風の重みが僅かに軽くなったため、身体を捻ることで軌道を逸らさせることに成功する。
「はぁ……はぁ……厄介だな」
さすがに息が上がって来た智翠は冷静になるべく一度頭の中を整理する。
巨大鷲は翼に風の魔法を纏わせて飛んでいる。つまり胴体や頭はただの鳥と同様だという事だ。だがそこを狙おうにも広範囲の風の魔法で近づくことができない。かといって相手が突進してくる数はかなり少なく、ほとんどが遠距離からの風の魔法による斬撃のみである。
外での広い場所ならば容易く倒すことができるだろうが、この狭い空間だと相手が有利。背中を取ることができない状況でどうやって戦えば良いのだろうか。智翠はこのような魔物一匹相手に手を焼いている己の不甲斐なさに歯噛みする。
――いったいどうすれば勝てる?
智翠の思考を止めるように再び風の刃が飛んできたため、智翠は素早く床を前に転がることで躱し、起き上がりの勢いで床を蹴り相手との距離を詰めるが、やはり暴風の如く智翠の進行を阻んでくる。さらに今度はその暴風とともに小さな斬撃も含まれていたようで智翠の制服が次々と破かれていく。
「う……くっ」
大きく後方に飛ばされ、上手く着地したところを追撃の斬撃が飛来する。
着地の反動で動けなかった智翠は刀を両手でしっかりと握り、斬撃を受け止める。衝撃で後ろに滑っているうちにまたしても僅かに風に重みがなくなったことで横薙ぎで消滅させる。
「……そういうことか」
智翠は残りの攻撃を横へ素早く走ることで避けつつ、己の刀に視線を向ける。
――妖刀『幻月』――この刀が相手の放つ魔法を僅かに吸収しているのだろう。智翠は『幻月』を長年愛用してきたため気づかなかったが、おそらくどこかしらで智翠からも魔力を吸い取られているはずだ。
これが智翠が三回までしか奥義を使えない原因というわけだ。
「ふん、知らぬが仏とはこのことだな」
そういえば以前、キマエラとかいう魔獣を倒す際、奴が放った炎の弾を『幻月』が吸収し、智翠の繰り出す奥義の威力を引き上げてくれた事を思い出した。
なぜあの時気づかなかったのだろうかと思ったが、あの時は倒し終えるとそのままぶっ倒れて気を失ったのだった。そして目が覚めるとアヒトの背中で……
「〜〜〜〜!!」
智翠は余計な記憶を呼び覚ましたことに赤面し、頭を振って現実に戻ってくる。
戦闘中だというのに、集中力を切らしてしまうなどあってはならぬ事だ。
「……まだまだじっちゃんに顔向けできぬではないか」
そう呟きながら智翠は体勢を低くし刀を後ろ手に構える。
かつて『剣豪』と呼ばれた波平剛三の義娘であり一番弟子。こんなところで足踏みなどしていられない。
智翠の瞳が力強いものとなり、小さな笑みが溢れる。
「ん? 気をつけろ来るぞ」
智翠の僅かな変化にミュートニーは勘づき、自分の相棒へと指示を出す。
「キイイイイイイ」
巨大鷲は甲高い声で答えると、再び翼に纏う風の魔法で複数の刃を形成し、智翠へ向けて射出する。
「疾ッ!!」
それと同時に智翠も床を蹴る。
飛来する斬撃を横へ素早くずれ、横薙ぎに一閃すると、『幻月』が飛来する風の刃を呑み込み、己の物にするかのように纏わせていく。
「なんだと!?」
その光景にミュートニーは開いた口が塞がらないといった表情で固まる。
「波平流剣術・斬の型……」
連続で放たれた風の刃が『幻月』に触れた瞬間に霧散し、代わりに『幻月』が纏う風が強大に膨れ上がっていく。
攻撃が当たらないと判断した巨大鷲は防衛のために暴風を吹き荒らす。
しかし、その風をまるで己が操るように宙へと舞い上がった智翠は、巨大鷲と同じ高さまで浮遊する。
「……翡翠ッ、『鳶穿』ッ!!」
風を纏った刀を上段左上から右下へ勢いよく振り下ろすと同時に巨大鷲が風の壁を出現させるが、智翠の攻撃が風の壁に触れた途端に『幻月』が風を呑み込み、振り下ろした刀の刃が急激に拡張し、巨大鷲の右翼を一瞬にして切断した。
「キエエエエエ!?」
片翼だけになった巨大鷲は飛行のバランスを崩し落下しかけるが、智翠が素早く左下から右上に振り上げた事で今度は左翼が切断される。
「――――!?」
もはや声にもならないのか、嘴から唾液と泡を吹かせながら、少しだけ体が智翠よりも上に持ち上がる。
「はああああああああ!!」
裂帛の気合いとともに智翠は宙に浮いた状態で回転し、左から右へ横薙ぎに一閃すると、巨大鷲の首と胴体が仲違いされ、天井が紅の鮮血で染め上げられる。巨大鷲の頭と胴体が落下し、智翠の正面の壁には逆三角形の斬り込みだけが残されることとなった。
「……ちっ、覚えておれチスイ・ナミヒラ。次は容赦せんぞ」
そう小さく吐き捨てたミュートニーはそっと影の中へと姿を消して行った。
巨大鷲の亡骸の側にゆっくりと着地した智翠は血振りをしようとして、刀に血が一滴も付いていないことに気付き、まるで何も斬っていないのではないかといった違和感に陥りながらもそっと刀を鞘に納めようとしたその時
「うっ……!?」
突如激しい頭痛に見舞われた。
――――――――――――――――――。
「…………え?」
気がつくと智翠は刀を振り上げた状態で立ち尽くしていた。
ゆっくりと挙げていた腕を下ろし、顔に何かが付着していると感じた智翠はそっと左手の甲で顔を拭う。
「なんだ、これは……」
手の甲には血が付着していた。それも少しではない。
智翠は己の体を見下ろすと、爪先から前髪まで智翠の体全てにびっしりと真紅の血がこびりついていた。
どこかが痛む事はないため、己の血ではないことは明白だった。では、誰の血なのだろうか。智翠はゆっくりと顔を上げ、己が何の前に佇んでいるのかを理解する。
ドクンと心臓が跳ね上がる音というのを智翠は初めて耳にしたかもしれない。鼓動が急速に速くなり、目の前の惨状と臭気に胃の中のものが逆流する感覚に襲われる。
「……うっ、おぇええええ」
たまらず倒れるように両膝をついて胃から湧き上がってきたものを全て吐き出す。
「……ならぬ。こんなことは、あってはならぬ」
智翠の目の前には先ほど城の入り口で生かして倒していたはずの警備兵たちやどこからやって来たのか、騎士たちの亡骸が首や腕、脚といった部位がどの人物のものなのか判断ができないほど、無惨で凄惨で、悲惨に散りばめられ、辺り一面を血の海で染め上げていた。
いったい何があったのか。誰がこんな事をしたのか。
そんな思考に陥るが、己の格好と気がついた時に刀を振り上げていたことから、自ずと誰がやったのかは考えるまでもなかった。
「……私が、やったのか……すまぬ、許してくれ」
瞳から涙が溢れ、智翠は血溜まりの中に額を擦り付ける。何度も何度も、智翠はバラバラになった死体の山に謝り続けた。
こんな現実を受け入れたくない気持ちが強く湧き起こり、視界が暗闇で塗り潰されていき、このまま意識を手放したい欲求に駆られる。
「ま、まだ……倒れるわけには、いかぬ」
おそらく、巨大鷲の魔力を吸いすぎたのだろう。ほんの数分間だけ魔力暴走を起こしたと見るべきか。
もしあのまま智翠が意識を取り戻さなければ、魔力暴走は止めどなく行われ、ものの数分で魔人化してしまっていたに違いない。
アヒトの話では帝王が選ばれた市民を強制的に魔人化させる計画を企てていると言っていた。
「これでは……帝王とやらの思う壺ではないか」
掠れた声を響かせながら智翠は擦り付けていた額をゆっくりと持ち上げる。
しかし、『魔人化』というのは本来、人間が魔力の暴走によって変貌した姿であり、魔人化した人間には意思がなく、永遠と暴れ狂うだけの存在となってしまうことを言うのだ。
智翠の身に起きていたことがそれに限りなく酷似していた。これが正しければ、魔人化までに至らなかったのは幸いと言うべきだろう。
そんな危険な存在を大量に生み出すなど、帝王はただ人類を滅亡させる厄災を行いたいだけとしか思えない。
「いったい、何を考えているのだ……この国の王は」
それもアヒトたちと合流すれば分かる話ではあるのだが、今の姿でアヒトたちに会う気力は既に智翠にはなかった。
しかし、一度助けると決めた存在を安易と見捨てるような事も智翠のプライドが許せなかった。
そのため、真っ赤に染まった藤色の羽織と制服のシャツ、そして下着を脱いだ智翠は、血で汚れていない部分のシャツを破り、自分の胸に巻きつけさらしのようにする。スカートは胸から下と一体化しているものだが、血で湿ったものを直接肌に触れているのが気持ち悪かったため、腰まではだけさせてさらしにへそ出しスカートといった歪な格好になる。スカートの色は元から黒に近い紺色であるため、血が乾けば目立つ事は無くなるだろう。
「後は、洗面所か。探さねば……」
感情のこもっていない独り言を呟きながら智翠は刀をしまうことすら忘れ、重い足取りでゆっくりと歩き出すのだった。




