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亜人娘が得たものは  作者: 戴勝
第16章
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第3話 誘拐

時は少し戻る。


 アホマルとテトは飲み物を買いにこの病院内の一階にある売店を訪れていた。


「なー嬢ちゃん? まだ決まらないっすかー?」


 アホマルはドリンクコーナーで眉間に皺を寄せて唸っているテトに向けて声をかける。


「むむむ……ありきたりでありますですが、オレンジジュースを選ぶべきです? それとも、このパパイアミルクジュースやドリアンバニラジュースにするべきです? いやしかしです。この二つは飲む前からでも分かるくらいに体が拒絶しているです。で、ですが、す、すごく、味が気になるです……」


 プルプルと震える両手がそっとパパイアミルクジュースへと伸ばされる。


「そ、そういえば、ティアお姉ちゃんが言っていたです。ミルクを飲まないと大きくなれない、と」


 テトはベスティアが自分の顔ではなく、その少し下の胸あたりに視線を向けていたことに疑問を感じたのをよく覚えている。


「これにはミルクという文字が書かれてあるです。テトが強く大きくなるためには、まずこの飲み物を飲めるようにならなくちゃです!」


 テトはフンと鼻から勢いよく空気を吐いて、レジカウンターへと持って行こうとした時だった。


 近くで女性が悲鳴をあげる声が聞こえ、それと同時に周囲がざわつき始める。


 何事かとテトは一番声が大きく聞こえる場所へテクテクと近づいてみる。


「おいお前ら! そこを動くなよ? 一歩でも動いたらこの女の命はねぇと思え!」


 病院だからなのか、売店を訪れている人が少なかったため、ちょっと開けたところに出ると何が起きたのかがハッキリと分かり、棚から顔だけを覗かせたテトは息を呑んだ。黒い布を頭から被った男が杖を片手に女性を抱え、その首に突き立てていたのだ。


 周囲からは「どうなってんだよ」、「なんなんだあいつ」と言った声が聞こえてくるが、それよりも大きな声で男が怒鳴りあげる。


「おいおぉい! 喋るのも禁止な? 俺は少しの間ここで静かにやり過ごしたいだけなんだよぉ。だから警備兵とか呼ぶんじゃねぇぞ? 呼んだらこの女ぶっ殺すからな」


 そう叫んだ男は全く静かにする気配もなく威嚇するように床を何度も踏んで音を鳴らす。


 その男の足下には大きな鞄が置かれており、チャックの隙間からはお金がチラリと見える。


「おい、この店の金全部もってこい。今すぐだ」


「は、はいいぃ」


 男はレジにいた女性を睨みつけ、その視線を受けた女性は涙目で動き出す。


「ど、どうするっすかこれ!? 早く兄貴に知らせないとっすね……けど、今動いたらあの女性が……」


 バカムの病室は3階にある。階段を上がってすぐの場所だが、少しでも動けば女性がどうなるかわからない。アホマルが判断に悩み、夏でもないというのに額から大量の汗が流れ落ちてしまう。


 そんな時、店の中から一人の小さな少女が男のもとへと歩いて行く。


「あ、あれは……まずいっすよぉ」


 思わずアホマルは両手を頰に当てて顔を青ざめさせる。


「あん? なんだお前」


 男の前に現れたのは銀色の髪を持つ少女――テトだった。


「テトはテトです。その人を離して欲しいのです」


「あ? お前話聞いてたか? 話すな動くな殺すぞ。こんな単純な言葉もわかんねぇのか?」


「言葉はわかるです。そしてテトは今あなたとお話しをしていますですが、その人は死んでいないのです」


 テトの言葉に男は訝しむように眉間に皺を寄せる。


「殺す必要もない人を抱えていても意味がないのではないです?」


 ギリッと男が歯を鳴らす音がかすかに聞こえる。しかしテトは男を説得しようと言葉を続ける。


「テトたちは何もしないのです。だから、その人を離して……」


「うっせんだよぉお前はぁあああ!」


「……っ!!」


 いきなり叫んだ男は女性に向けていた杖をテトに向けたことで、テトはビクリと肩を跳ねさせて目を見開く。


 男は魔術を唱えようと口角を上げながら言葉にしようとしたその刹那。


「行くっすよスライム!」


 そう言葉にしたアホマルの伸ばされた右腕の袖から粘液状の生物が高速で射出され男の持っていた杖に絡みつく。


「うぉあ!? なんだこれ!?」


 腕を振るが一向に剥がれないことに動揺し、同時に苛つく男のもとへアホマルは一気に駆けていく。


「嬢ちゃん! その男を抑えるっす!」


 その言葉に放心していたテトがピクっと反応する。


「は、はいです!」


 元気よく返事をしたテトは男の脇腹に向けて突進し、しがみつく。


「くっそ、離しやがれこのガキッ!」


「あがッ!?」


 しかし男はテトの脳天に肘鉄を食らわせ、テトの両手が緩んだところで勢いよく蹴り飛ばす。


 ガシャンと派手な音を立てながら商品棚に突っ込んでいくテト。


「嬢ちゃん!! うおおおおお!」


 アホマルは拳を構えて男に近づく。


 それを見た男は抱えていた女性を勢いよくアホマルに向けて投げ飛ばす。


「おわ!?」


 ぶつかった拍子で視界から男が消える。


「おらぁ!」


「ぐぇあ!?」


 右から拳が飛んできたことによってアホマルは右顎を撃ち抜かれて床に倒れてしまった。


 その一瞬の出来事に他の人たちは動くことができず、そして開きかけた希望の光がほぼ絶望の闇へと変貌した瞬間だった。


アホマルは痛む右顎を押さえながらゆっくりと体を起こす。


残念なことにアホマルは今杖剣を持っていない。男を止めるには殴り合うことしかできないとアホマルは考え立ち上がる。


「あ? まだやんのかよ」


 そう言った男は腕についていたスライムを引き剥がし握りつぶす。だが、突如彼の額には玉の汗が浮かび上がり、息も荒くなる。


「ナイスっすよ、スライム」


 アホマルは床に流れ落ちたスライムに視線を送る。アホマルの使い魔には『伝染』というスライムの液体に触れた相手の体内に侵入し、高熱を引き起こす特殊能力を持っている。そしてその発動条件はスライムが攻撃を受けた時である。


「くっ……お前、俺に何しやがったッ」


 足下がおぼつかない男だが、しっかりとアホマルへ向けて距離を詰めてくる。


「ただじゃおかねぇ、楽には死なせねぇぞゴラァ!」


 そう叫んだところで男の足が誰かに掴まれて動けなくなる。


 視線を向けるとそこには先ほど蹴り飛ばした銀髪の少女が全体重を使って必死にしがみついていた。


「だ、だめ……させない、です」


 テトは知っている。人は傷つけ合うことを、力を持った人が何をするのかを、そしてその果てには必ず誰かが死ぬということを……。


 種族の違うもの同士が争うことはあるだろう。テトのような種族はどの種族よりも争うことを嫌っていたために、そういった能力に長けていなかった。だから人に狩られ、捕獲され、家畜にされてしまう。


 初めはテトだって人は恐ろしい種族だと思っていた。だが、皆が全て恐ろしい訳ではなかった。ごく一部の人が別種を傷つけ、ごく一部の人が同じ種族である人を傷つけている。


「みんな……仲良く、する事が……いちばん幸せに近づくです」


 テトは痛む身体に無理やり力を入れて男の脚にしがみつく。


 そんな言葉など聞いていないのか、男はテトの背中を勢いよく踏みつける。


「かはっ……!?」


 肺の中の空気が一気に吐き出されるが、それでもテトは掴む腕を離さない。


 男にも余裕がないのか話すことなく、再びテトの背中に足を振り下ろす。


「うぐっ……」


「や、やめるっす!」


 アホマルが立ち上がり男へ殴りかかろうと走り出すが、それよりも速く男が杖を構えて初級魔術である『火球』を飛ばす。


「がああああ」


 直撃した火球はアホマルの身体を燃やそうと火を強めるが、それよりも先に制服に施されていた対魔術用防御術式が発動される。


 燃え始めていたアホマルの身体が一瞬で鎮火し、身体の代わりに制服が焦げて破けるだけで止まる。


 それでも直撃を受けたアホマルは床に仰向けに倒れあまりの熱さに悶え苦しむ。


「へ、へへへ。お前らもこうなりたくなけりゃ動くなよ? お、おいそこの女早く金持ってこい!」


 周囲に視線を向けたあと、未だに自分の脚にしがみついていた銀髪の少女を見下ろす。


「うぜぇんだよ」


 そう言って男は三度その背中を踏みつけ、四度、五度、少女が腕を離すまで、踏みつける。


「うっ……ぐ……ぁ……ごぼっ」


 涙と鼻水を垂らし口から胃液を吐き出したテトは、自分の背骨にヒビが入る音が耳に届く。


 やがて掴む力もなくなり、テトの意識も遠のいて行く。


 ようやく自由になった脚に笑みを深めた男はアホマルへと向き直る。


「来いよクソガキ。大人の厳しさを教えてやるよ」


 アホマルはふらふらと立ち上がり、ゆっくりと拳を構える。


「行くぞオラァ!」


「――――ッ!!」


 男が杖を構えるのとアホマルが駆け出すのはほぼ同時だった。しかし、男が魔術を口にする直前にどこからともなく飛来してきたスライムに杖が奪われる。


「なに!?」


 男が動揺している隙に近づき拳を突き出すアホマルだが男は冷静にそれを躱し、腹部に蹴りを入れる。


「ぐっ……」


「わりぃな! こんな事でやられてるようじゃぁスラムではやってけねぇんだよ!」


 そう言った男はアホマルの顔面に左拳を直撃させる。


「……っ」


 声も上げる事ができずにアホマルは鼻血を出しながら床に叩きつけられた。


 男はとどめを刺そうとアホマルに近づくが、視界の端に大勢の警備兵がこちらに向かって走ってくるのが見えた男は舌打ちをする。


「運が良かったな」


 そう言った男はふらつきながらも金の入った鞄を持ち、ついでに気絶している銀髪の少女を脇に抱えて病院を飛び出して行った。


「ま、まつっす……」


 アホマルは手を伸ばすが届くはずもなかった。そのため、無言で隣にちょこんと居座るスライムに視線を向ける。


 スライムは瞬時にアホマルの意思に従い、男が走って行った方向へと向かって行った。


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