第5話 仮面の魔族 その2
「何者だ! 勝手に入って来てただで済むと思っているのか!?」
壁際にいた騎士二人が王を守るように前に立つ。
「ただで済むに決まってんだろうが。カスが威張るんじゃねぇよ」
「なんだと!?」
「女だからって容赦しないぞ!」
入って来た仮面の女性に騎士たちが取り囲むように陣取り、ミュートニーたちは邪魔にならないように壁際まで退避する。
「まぁ待て。女、貴様ならそこの亜人が我の求める亜人だと証明させることができるのか?」
ボレヒスの言葉に取り囲んでいた騎士たちは警戒はしつつも攻撃はしないと相手に思わせる位置まで身を引く。
「できる。なんなら今やってやってもいいぜ」
「ほぅ? ならば見せてみろ。できなければ即刻……いや皆まで言わずとも分かろう?」
そう言ったボレヒスに向けて仮面の女性はひと言「ふん」と鼻で笑うだけで王にいっさいその仮面の正面を向ける事はなかった。
そんな行動に騎士たちの手が次々に武器の柄に添えられるが、王の前なので気合いで押さえつけている。
仮面の女性は気にも止めずに、亜人が入っている檻に近づいて行く。
「……おい、ベスティア」
仮面の女性の声と自分の名前が呼ばれたことに顔を埋めながらビクッと肩と尻尾を跳ねさせる亜人の少女。
「顔を上げろ。俺のことは覚えているよな」
「…………」
少しだけ顔を上げ、視線だけを女性に向けたベスティアは自分の記憶していた人物だと確認したのかまたすぐ顔を埋めようとする。
「んだよそのダセェ面はよぉ。もっと俺を楽しませろよ。それとも何か? 大事な大事なご主人様がいなくなって泣いてんのか、あぁ?」
「……ッ!」
いかにも挑発的な言葉だが、ベスティアの頭に出ている三角の耳がピクっと跳ね上がる。
仮面の女性はニッと仮面越しに笑みを浮かべ、次はベスティアにだけ聞こえるように小さく言葉にした。
「いいこと教えてやるよ。テメェのご主人様、あー何つったっけか? あーあー……まぁいいや。そいつまだ生きてるぜ?」
そこまで言うとついにベスティアの顔が完全に仮面の女性へと向けられる。
――生きていた。生きていてくれた。
アヒトがバカムに刺され、倒れた後の記憶はベスティアにはない。目が覚めると学園の保健室にあるベッドにいた。暴れないようにするためなのか足枷がされており、なぜか養護教諭のユカリはそこにはおらず、代わりに学園長と他の怪しい大人たちがいた。そして学園長の口から「君の主人のことは忘れろ」と言葉にされ、てっきり死んでしまったのだと思っていた。
――ならどこにいるのか、怪我は大丈夫なのだろうか、心配していないだろうか、なぜ、助けに来てくれないのだろうか……
ズキリと胸の内が痛み、自分は見捨てられたのではないかという考えだけが強く浮かんでくる。
呼吸を上手くすることができず、荒い息使いになってしまう。
「……やだ。ひ、ひとりは……や、だ……」
ベスティアは頭を抱え、消え入るような声でそう呟く。
それを見た仮面の女性は大きく息を吐いて、殻に篭るように小さく丸まっている亜人の少女に目線の高さを合わせるようにしゃがみ込む。
「テメェが何を思おうが勝手だが、一人になりたくなけりゃあこっから出るしかねぇな。ほら立てよ。テメェがあの技を使えばこんな檻すぐにでもぶっ壊せるよなぁ? 俺はあの技とやりあいてぇんだよ」
「…………」
仮面の女性は今か今かと愉快そうに笑う声が小さくベスティアの耳に届く。
しかし、ベスティアには彼女の言っている意味がよくわからなかった。『あの技』とは一体何のことなのか。こんなに太くて頑丈そうな檻であれば魔物ですら壊すのは不可能なのではないだろうか。
そんな考えもあり、乱れていた呼吸が少しは楽になる。
「おい、女! まだなのか? もしや今更できないなどとは言わぬだろうな?」
仮面の女性の背後に離れて座る国王が待ち飽きたとばかりに苛立った言葉を放つ。
それを尻目に仮面の女性がより大きなため息を吐く。
「……こんな手は俺の主義に反するんだがな。……なぁベスティア。速くここから出ねぇとよー、テメェの大事な大事なご主人様、俺がやっちまうかもなー」
「――ッ!」
わざとらしく、他人が聞けばいかにもハッタリだとわかるような話し方をした仮面の女性だったが、ベスティアに向けて『大事な存在の首を切る』ような仕草を見せたこともあり、亜人の少女の身体が動くのは当然のことだった。
「貴様ぁああああ!!」
ガコーンと激しく檻にぶつかる音が謁見の間に響き渡る。ベスティアが勢いよく檻に体当たりをかまし、後ろによろめく。
「ほらほらその調子だぁ! かかってこいよ。守るんだろ?」
「ぐぅああああ!」
ベスティアは『身体強化』を使い、自分の全ての運動能力を底上げした最大限の蹴りを檻に向けて放つ。
再び響き渡る音。しかし、本来魔物を入れるようの檻だからなのか一発蹴りを入れたぐらいではびくともしない。
「そうじゃねぇだろベスティアぁ! あの技だよ。勿体ぶるんじゃねぇよ」
「そんな技ッ、知らない! アヒトは私が守る。だから! 貴様になどッ、手は出させない!」
三度、四度と謁見の間に響き渡る音だが、やがて周囲にいた騎士や使用人たちに驚きと動揺の声が上がり始める。
「ほぉ……」
それはボレヒスも同様で檻の中で暴れ始めた亜人に意識を集中させている。
その原因は、ベスティアと仮面の女性とを隔てていた檻に歪みが生じていたのだ。
「お、王よ! ご覧ください。あれほどの力を持つ亜人など我々は見たこともありませぬ。どうか貴方様の手にお納めください」
ミュートニーがボレヒスに向けて膝をつき、頭を下げる。
「……そうだな。まさかメスでありながら、あれほどの力を持つとは。……良かろう、ミュートニー。おまえには後ほど褒美を与える。別室で待機していろ」
「はっ、ありがたき幸せ」
ミュートニーは一度立ち上がり再び一礼すると、側近とともに謁見の間を出ていった。
そんな一連の動きの間にもベスティアの蹴りは止まず続けられ、今にも歪んでいた檻が破壊されそうになっていた。
そこでボレヒスは周囲にいた騎士たちを呼び、あの檻を別の場所へと運ぶよう指示を出す。
指示に従い、騎士たちは檻に再び黒い布をかけ、数名の騎士が盾を構えて檻が壊れないように抑えながら謁見の間の外へと運び出していく。その間もベスティアは仮面の女性がいるであろう方向に殺気と怒りの声を上げながら暴れるが、先ほどと違って揺れる檻に上手く力を伝えることができず、運ばれて行った。
それを見届けたボレヒスは、亜人の少女が暴れ出した原因を作った存在へと視線を向ける。
「女よ。名は何と言う。おまえの勇気に褒美を授けたい」
「…………カプリだ」
カプリと名乗った仮面の女性は、先ほどよりも声のトーンが低く、今なら誰かが彼女の体に触れようとすれば10倍以上のしっぺ返しが飛んでくるのではないかと疑いたくなるほど不機嫌オーラをありありと出して空気を悪くしている。
しかし、そんな中でもボレヒスは気にすることなく口を開く。
「カプリか。その勇気に免じて褒美はおまえの好きなものを言うが良い。金でも地位でも与えようぞ」
その言葉を聞いたカプリはボレヒスに顔だけでなく体ごと向き直り、右手人差し指を突き出す。
「ならテメェの護衛をしてやる」
その言葉を聞いて周囲にいた騎士たちが次々と武器を構える。
「貴様! 王に対して何たる無礼!」
「王よ! この者の言葉など聞く必要はございません!」
再び騎士たちがカプリを囲うようにして立ちはだかる。ジリジリと間合いを詰め、今にも斬りかかりそうな雰囲気の中、その場を高らかに笑う王の声によって空気が一変する。
「護衛? 護衛だと? フハハハ……貴様みたいな女に務まるものではないわ。その仮面といい言葉といい、カプリとやら、貴様さては道化だな? なかなかに楽しめたからな、今なら先ほどまでの無礼を無かった事にしてやる。さっさと出て行くが良い」
もう一度愉快そうに高笑いをしながら手で追い払うような仕草をするボレヒスに両肩を軽く上げてヤレヤレとするカプリ。
「これにも証明とやらをすればいいのか? 何ならここにいる騎士様全員を相手にしてやってもいいんだぜ?」
その言葉に周囲にいた騎士たちが怒り心頭に武器を強く握る。
同時にボレヒスも目の色を変える。当初は適当に褒美を与えて帰らせ、その後に暗殺しようと目論んでいたが、目の前で騎士たちに囲まれる仮面の女からは恐怖や畏縮といったものが全く見えなかった。仮面を付けているからなのかとも考えられたが、怯えや恐れといった感情は表情だけでなく行動にも現れてしまうのに対して彼女にはそれが全く見られない。騎士たちが武器を構えても尚、毅然としている。
「……良かろう。そこまでの自信家なら何も言うまい。貴様がこの場にいる騎士全員を相手にして勝つことができれば、正式に護衛を認めよう」
そう言って謁見の間にいた騎士全員をカプリのもとへ行かせ、ボレヒスに一番近くにいた騎士に小さく「殺せ」と命じる。
「騎士を相手にするのだから勿論武器を持たせるが、そこは許してくれたまえよ? 卑怯と言われても構わないが、この状況に持ち込んだのは自分自身だということをしっかりと理解したまえ」
「構わねぇぜ。俺はカスとはやりあわねぇ主義だが、少しこの場に留まる理由ができちまったからよ。テメェらは俺の目的のための準備運動だな」
そう言ってカプリは周囲にいる騎士たちを眺める。配置からみて一軍と二軍に分かれているようで、全員が同時にかかってくるようなことはなさそうだと判断する。
そう思考したと同時にボレヒスの口から「始めろ」という言葉が発せられた。




