第8話 叶わないもの
「なに勝手にオレちゃんのターゲットを横取りしてんの? オレ今かなり機嫌が悪いの見てわかんねぇかな?」
肩を震わせ、顔を俯かせながら殺気を溢れさせるベスティア。
それにアヒトを頰から汗を伝わせながら足を前に踏み出そうとして、その肩をロマンに掴まれた。
「待ちなさい。あなた一人では行かせないわよん。あたしが子猫ちゃんの相手をしている隙を狙いなさい」
そう言ってロマンはバックパックポーチから何かを取り出してアヒトへと渡す。
「それを使いなさい。もしかしたらそれで、あの子猫ちゃんを元に戻せるかもしれないわ」
「これって……」
ロマンによって渡された物。それは『隷属の首輪』だった。
「その首輪は『つけられた者の心を縛る』の。主に好意という感情を高めてね。そうやって使役士は使い魔との絆を強めて戦っているのよん。あなたも使役士の学生なら理解しているわよね」
つまりロマンは、『隷属の首輪』をベスティアにつける事で好意の感情を高め、戦闘できない状態にさせろと言っているのだ。そして運が良ければ、今まで絆を深めて来た以前までのベスティアの人格を引っ張り出す事ができるのではないかと考えているのだろう。
「おいおい。そんなもんでオレを従えさせるだと? 笑わせんなよ。オレちゃんは魔物じゃない。そんなもんで自由を縛られてたまるかっつーの」
言葉とは裏腹に内心では動揺しているのか、ベスティアから溢れていた殺気が弱まるのをアヒトは感じていた。彼女自身、『隷属の首輪』だけはつけられたくはないのだろう。
まるで初めて彼女が召喚された時のように警戒の姿勢を崩さないでいる。
「それじゃあ、あなたの玩具におねえさんがなってあげるわぁ。精一杯楽しみましょうねぇ」
そう言ってロマンは片手に手袋のような物を付け、ベスティアに向かって地を蹴った。
「ハッ。なめんじゃねぇぞおっさん!」
ベスティアはそう叫び、決して人間が目で終えることのできない『神速』の速さでロマンの背後へと回り込み、その上空からロマンの頭部へ向けた横蹴りを繰り出した。だが
「気配が漏れてるわよぉん」
そう言ったロマンは振り向きざまにベスティアの足首を掴んで地面に勢いよく叩きつけた。
「がはっ……!?」
まさか防がれるとは思ってもいなかったベスティアは咳き込みながら困惑の表情を浮かべる。
「あらどうしたのぉ? もしかして、あたしの魅力にようやく気づいちゃったのかしらぁ?」
「んなわけないだろうが!」
イヤンイヤンと体をくねらせるロマンに向けてベスティアは拳を突き出す。
それをロマンは手袋を付けている手で受け止めようとしたのを見てベスティアはニヤリと笑みを深めた。
ベスティアの拳がロマンの掌に触れた瞬間発動する爆発。
これを真正面から受ければいかに筋骨隆々の漢でもただでは済まないはずだ。生きていたとしても爆発の起点である手は吹き飛んで失くなる。
しかし、ベスティアの予想は完全に外れた。爆発が起きてもベスティアの拳はロマンの掌によって受け止められ、そこからビクとも動かせなくなっていた。
「なん、で……?」
「うふん。この手袋はあたしが作った中で特にお気に入りのアーティファクトよん。どんな熱にも耐えることができる最高の一品。さぁ坊や! 今のうちに早く!」
「――ッ!」
ベスティアは体を強張らせる。視線を巡らせると、いつのまに回り込んでいたのかアヒトが背後から距離を詰めて来ていた。
そのため、ベスティアは空間に亀裂を走らせ、そこからロマンとアヒトへ向けて『無限投剣』を射出した。
「やばッ……!」
アヒトは足元に刺さって来たナイフに目を見開き、走る速度にブレーキをかけて爆発に備えて腕で急所をカバーする。
ロマンも同様に、至近距離からのナイフをベスティアの手を掴みながら対処するのはさすがに難しいと判断したのか、掴む手を離して爆発の事も考えて大きめに横へ転がる。
だが、いくら待とうとも空間から放たれた『無限投剣』は爆発することはなかった。
「んもぅ! 爆発しないならしないってちゃんと言いなさいよ!」
ロマンがあからさまな地団駄を踏む。
そうしている間にもベスティアはアヒトとロマンから大きく距離を開けてしまっていた。
「まったく、見損なったよご主人。ご主人だけは従わされる者の気持ちが分かると思っていたのによぉ。残念だわ」
不機嫌そうに顔を歪めて言葉にするベスティア。
アヒトはベスティアをこれ以上警戒させないようにその場から動かずに声をかける。
「ティア……。おれは、今の君ではダメなんだ。できればこんな道具に頼らずに君を元のティアの人格と交代させたかった。でもそんな力はおれにはない。こんな形で君と別れることになるのは許してくれ」
そう言ったアヒトはベスティアから目を伏せる。
「……ふざけるな」
「え……?」
不意にベスティアが呟いたその言葉にアヒトは顔を上げて視線を向ける。
ベスティアは肩を震わせて拳を強く握りしめ、キッと鋭い視線をアヒトへと向けていた。
「貴様はこいつのどこが良いんだってんだ。足が速いだけの雑魚のこいつが! 凄惨な過去は全てオレに押し付けて、自分一人綺麗に忘れてッ。そんなこいつのどこが良いんだよ!」
自分の胸元を親指で何度も突き、眉間にしわを寄せて言葉にするベスティア。一瞬、彼女の目尻に光るものが見えたようにアヒトには感じられた。
「確かに強さは君の方が上なのかもしれない。だけど、そういう問題ではないんだ。分かってくれ」
「…………分かるわけ、ねぇだろうが」
そう呟いた時、ベスティアの背後の空間が一斉に亀裂を走らせる。
「まっ!? ティア!」
「うるさい。どうせオレちゃんは暗闇の存在でしかないんだ」
ベスティアはアヒトへ向けて幾本もの『無限投剣』を射出させた。
とっさに腕で顔を覆うアヒトだが、ナイフが到達する前に横から割って入るようにして両刃の薙刀が宙を飛び回り、その尽くを地面に叩き落としていった。
そして、またしてもナイフが地面に刺さってもそれが爆発することはなかった。
アヒトはそれを確認し、次に薙刀が飛んで来た方向に視線を向ける。
「お行きなさい! それがあなたに出来ることよ」
ロマンが指輪を光らせて腕を動かすと、それに合わせて薙刀も空中を旋回する。さらに追加でバックパックポーチからキューブ型の物体を取り出して宙に放つと、それが槍や斧へと変形していく。
アヒトはロマンから視線を外すと、ベスティアに向けて一直線に走り出す。
それを見てベスティアは何度も『無限投剣』を放ち続けるが、その全てを宙を縦横無尽に飛び回るロマンの武器たちに阻まれ、苦渋の表情を浮かべる。
仕方なく、ベスティアは『無限投剣』を射出するのをやめ、拳に力を込める。
バチバチとまるで焚火の薪が小さく水蒸気爆発を起こしている時のような音を響かせる。
だがそこでベスティアは一人の気配を感じて視線を向ける。
「……『絶対零度・弾』ッ」
その言葉によってベスティアに向けていくつもの氷柱が飛来した。
それを拳で叩き割ったベスティアだが、触れた場所を起点に手が凍り付いていく。
「なっ!? くそっ!」
ベスティアは腕を何度も振るがそんな事をしても意味がない。両手を使って氷柱を粉砕してしまったためにベスティアの拳はしばらくの間は使い物にならないだろう。
こんな魔術を撃てるのはアヒトの知る限り一人だけである。
アヒトは走りながら先ほどの魔術が使われた場所へと軽く一瞥する。
そこにはアヒトのよく知る友人。サラが杖を構えて立っていた。
「アヒト! 時間は稼いだよ!」
サラの声に内心で感謝したアヒトはベスティアとの残りの距離を一気に詰める。
「うおおおおおおお!」
「くっ……!」
ベスティアは残った足の速さを使ってアヒトから距離を取ろうとした時、突如両足へと電流が走った。それは筋肉を一瞬で麻痺させるほどの威力。
「な……に……」
ベスティアは立つ事すらできなくなり、ゆらりと地面へ向けて体が傾く。
「ティアぁあ!」
倒れる寸前、アヒトがベスティアを抱きとめる。そしてそっと言葉を漏らす。
「すまない。許してくれ」
「……ぁ……」
首に『隷属の首輪』を付けられたベスティアは内側から溢れる温かな感情に包まれ、そっと瞳を閉じる。湧き上がっていた憎悪や怒りの感情が抑えこまれていく。
薄れる意識の中、ベスティアの脳裏にヤギの仮面を付けた女性の姿が浮かび上がる。
ああ……なんであの時、断っちまったんだろうな……
ベスティアは一筋の涙を頰へと伝わせ、眠るように静かに意識を手放した。
アヒトは動かなくなった亜人の少女をそっと地面へと寝かせる。
「ティア? ティア」
肩を揺すってみるが目覚める気配はなかった。
「やめておいた方が良いわよん」
ロマンがキューブ型の物体をポーチに収めながら近づいてくる。
「子猫ちゃん自らの意思で目覚めるまで、ゆっくり待ちましょ」
「そう、ですね……」
アヒトは寝かせたベスティアを再び抱えて立ち上がる。
そこへサラと、アヒトの知らない魔術士の少女が近づいて来た。
「アヒト。身体は大丈夫なの?」
「ああ。問題ない。さっきは助かったよ。ありがとう。ところでアリアは大丈夫なのか?」
「うん。アリアさんはさっき警備の人たちに運ばれて行ったよ。それよりベスティアちゃんが心配。かなり上位の魔術を使っちゃったんだよね」
サラはアヒトの腕の中で眠る亜人の少女、その手元へと視線を向ける。
サラが使った『絶対零度』という魔術は、それに触れた者を凍らせるという魔術である。それを小さな氷柱へと分けて弾のように飛ばす事で威力を落としてはいたのだが、やはり心配なのは変わりない。
「ああ。それなら大丈夫だ。ほら、手首のところで止まってる」
アヒトはサラに見えるように角度を変える。
「そっか。よかった……」
凍り付けの進行が止まっていたのをしっかりと確認したサラは胸を撫で下ろし、おもむろに杖を構える。
「じゃあそれ溶かしちゃうね」
サラは水魔術と火魔術を組み合わせて温水を作り出す。
「よっと……」
それをベスティアの両手を包み込むようにした後、崩れないように杖を向けたまま固定する。
「待ってサラちゃん。あたしも少しなら手伝えるよ」
そう言ってサラの隣に並んで来た少女は杖を構える。
「よいしょ……こんなもんかな? 『重力』」
その言葉によってサラが杖で制御していた温水がベスティアの両手を包んだままプカプカと浮き始めた。これでサラが気を張る必要はなくなった。
「重力操作!? 君はそんな事ができるのか!?」
アヒトが驚愕で目を丸くするのを見て、その少女は照れたように頭に手を置く。
「いやぁ。まだ完全に使えてるわけではないんですよねー。人なんてまだまだ浮かせられないし」
「それでもすごいぞ。君、名前は?」
「あ、はい。アリソン・フローレスです。サラの親友を精一杯務めております!」
アリソンと名乗った少女はニッと笑みを浮かべて敬礼する。
「や、やめてよアンちゃん。なんだか私まで恥ずかしいよ」
目の前で親友と言葉にされてサラは少し頰を赤くする。
「よろしく、アヒトだ。君も手伝ってくれたんだよな。ありがとう」
アヒトはアンに向けて頭を下げる。だが、当のアンはキョトンとした顔で小首を傾げる。
「手伝う? 何をですか?」
「え? ティアの足を麻痺させたのは君の魔術じゃないのか?」
「いえ、あたしじゃないですよ。雷系の魔術なんて作り出すことすら難しいのに、まだまだ未熟者のあたしにそんな事できませんよ」
ならば一体誰が使ったというのだろうか。ロマンが使ったという事は考えられなくもないが、彼が魔術を使えるのならば武器など振り回す必要はないだろう。
「じゃあ、リオナさん?」
アヒトは未だ眠り続けるチスイの様子を見ていたリオナに視線を向ける。
「い、いえ。私も違います……」
おずおずと答えるリオナは再びチスイへと視線を戻してしまった。
「いったい……何者なんだ……?」
全く見えない存在にわずかに戦慄を覚えたアヒトはベスティアを抱く力を少し強める。
空を見上げれば灰色の分厚い雲が空を覆っていた。




