第7話 心強い漢
「バカムー!!」
砂塵が舞う中へアヒトは喉が潰れるのではないかというほどの声量で叫んだ。
あれだけ派手に爆発すればおそらく起点であるバカムは形すら残らないだろう。
アヒトとリオナはバカムが死んだと思わざるを得なかった。だが、ベスティアの頭についた三角の耳がピクッと動き、目を細め眉間にしわを寄せた彼女はそう思わなかった。
風によって砂塵が薄れ、先が見通せるようになる。
「……なに?」
思わずベスティアはそう呟いた。
確実に仕留めにかかったはずだというのに、そこには先ほどまで声を荒げていたバカムが存在していた。
さらに、バカムの少し前には槍のような形をした、だが柄の先端部分から枝分かれをするように二本の筒が中心の柄を起点にして扇状に広がり、それを結ぶように青白い魔力の壁が展開されたものがバカムを守るようにして地面に刺さっていた。
「なんだよ……これ」
バカムがその武器に触れようと近づくと、扇状に展開されていた二つの筒のようなものが動き出して柄と一体化すると、誰もが知るごく普通の槍の形へと変わった。
「おいおい、なんだよその意味わかんねぇ槍は!? 誰が持ってきたんじゃい! まさかご主人じゃないだろうね!?」
ベスティアがプンプンと頰を膨らませ、アヒトを指差して訊いてくる。
「そんなわけないだろ。もしおれが持っていたんならとっくに使ってるぞ」
ベスティアの攻撃を全て防ぐほどの武器だ。あんな武器があるならバカムとの戦いに深傷を負うことなんてなかったはずである。
それではリオナがあの武器を使ったのだろうか。だが、リオナは魔術士である。たとえ持っていたとしてもアヒトの腕をずっと掴んでいて離そうとしていなかった。
「一体、誰が……」
と、アヒトが困惑の表情でいると、突然どこからともなく野太い鼻歌が周囲に響き渡った。
観客席のほとんどの部分が崩れ落ちているが、闘技場は円柱型に作られているため、声が拡散して鼻歌の主がどこにいるのかわからなかった。
だがそれもほんの少しの間だけ。
すぐに鼻歌の主が観客席であったはずの場所の瓦礫の中から姿を現した。
「あんらぁ! どうしてみんなこっちを向いてるのかしらぁ? そんなにあたしがキレイ? いやぁねぇ、困っちゃうわぁ」
瓦礫の中から出てきたのは筋骨隆々の巨漢。だが唇に赤い口紅をつけて現在腰をクネクネと動かしている。それはサラたちとともに闘技場へと戻って来ていたロマンであった。
「ロマンさん!」
アヒトがこの場においてはなぜか心強く感じてしまう存在感につい表情が明るくなってしまった。
「うふん。また会ったわねぇ。やっぱりあたしたちって運命の赤い糸で結ばれちゃってたりするのかしらぁ」
「だからやめてください!」
「冗談よん。それよりこの子を見つけたのだけれど」
会話しながらアヒトのもとへ来ていたロマンは彼に向けて背を向ける。そこには頭から血を流し、ボロボロの藤色の羽織を着た少女が背負われていた。
「チスイ!?」
アヒトが驚愕して動けなかったその一瞬の間にそばにいたはずのリオナがロマンのもとへと駆け寄り、チスイをゆっくりと地面に寝かせる。
そして間髪入れずに杖を取り出して魔術をかけようとするが、それをロマンの手で止められた。
「え……?」
「待ちなさい。下手に魔術をかけない方が良いわよ。そこを見て」
ロマンの視線の先をリオナは追うと、そこにはチスイの手があり、その手にはカタカタと震える不気味な刀が握られていた。
「なんで刀が……?」
遅れてロマンのもとへやって来たアヒトは困惑の言葉を口にする。
「この子、魔に呑まれかけてるわねぇ。あたしもこんなの初めてよん」
ロマンの言葉にリオナは恐る恐る刀に触れて、チスイの手から離そうとする。だが
「ん……!」
刀はまるで一体化でもしているかのようにチスイの手から離れず、さらには、刀に触れたリオナは自分の魔力が吸い取られているような感覚に襲われて思わず手を引っ込めた。
「とりあえず、刃を見せておくのは危険だからせめて鞘に納めなきゃね」
「おいおっさん……」
ロマンはチスイの腰から鞘を抜き、チスイの握られる刀を納めると、まるで何もなかったかのように刀の震えが治まった。
「あら変ねぇ。でもまぁこれなら大丈夫でしょうね。魔術をかけてあげなさい」
「はい……『再生』!」
「おいおっさん」
ロマンの指示に従ってリオナはチスイに魔術をかけ、彼女の身体中の至る所にできた浅い傷や深い傷全てをもとの綺麗な肌に戻していく。
「その子をあなた一人で運ぶのは酷よねぇ。しばらくそこで膝枕でもしてあげたらどうかしらぁ?」
「はい、そうします」
「聞けよ! おーい! そこの筋骨隆々のおっさ――」
「誰が肉だるまジジィですってぇええ!?」
先ほどからロマンに向けて声をかけていたベスティアは突然鬼の形相で振り向いたロマンにピクッと反応して尻尾を逆立てた。
「は、はぁ!? んなこといつ言ったんだよ。耳おかしいんじゃねぇのか!?」
両肩を上げて強く言い返すベスティア。
そんな彼女に今気がついたのか、ロマンは手をポンと叩いて口を開く。
「あらあなた。そこの坊やにいつもくっついている子猫ちゃんじゃなぁい! 随分と雰囲気が変わっちゃってて気がつかなかったわぁ。ごめんなさいね。でもそんな子猫ちゃんもおねえさんは大好きよぉん」
そう言ったロマンはベスティアに向けてあからさまな投げキッスをする。
「っ……!」
ベスティアはなぜか背中に冷たいものが通った感覚に襲われた。全身の毛が逆立つ。ベスティア自身はなにも感じていないはずなのに、身体が勝手に反応していた。
こいつはまずい。と。
本能的に一歩後退り、逃げの姿勢をとってしまう。
それを隙とみたバカムがベスティアへと距離を詰める。
「もらったぞオラぁあ!」
「――ッ!」
拳を繰り出してきたバカムにベスティアは目を見開きながらも後方へ大きく跳んで回避し、地面に足をつける前に空間を裂いて手を入れ、そこから『無限投剣』を取り出して投げつける。
しかし、それがバカムに到達するよりも速く、地面に刺さっていた槍がひとりでに動き、飛来するナイフを弾き落として爆発させた。
「おわッ……!」
爆風で尻餅をつくバカム。すぐに立ち上がろうとするのだが、身体に走る激痛によりうまく立ち上がることができなかった。
すると、宙に浮いていた槍が突如発光し、機械音を奏でながら掌に収まるほどのキューブ型へと変化した。そのまま一直線に飛んでいき、バカムに近づくロマンの腰に繋がるバックパックポーチへと収納されていく。
「まったくもぅ。やんちゃさんね。怪我人は休んでいないとダメよん」
バカムの目の前まで来たロマンは、人差し指を立ててメッと叱る。
「……うっせぇよおっさん。部外者は引っ込んでろ」
バカムの言葉にロマンの額に青筋が浮かぶ。
「少し眠っていてちょうだいねぇ」
「ガッ!?」
ロマンはバカムの首筋に手刀を与えて意識を刈り取ると、軽々と肩に担いでアヒトの元まで運んでくる。
「お友達は大事にしないとダメよん」
「はい。あとでおれからも謝っておきます。……彼を頼む」
「……わかりました」
リオナは魔力の大幅減少による寒気を感じながらも、バカムへ杖を向けて治癒魔術を使う。
それによって傷が癒されていくバカムを見ながらアヒトは顔を引き締めて立ち上がる。そしてベスティアのいる方向へと足を向けるのだが、それを妨げるようにロマンがアヒトに背を向けたまま立ち塞がる。
「あら、そんな怖い顔してどこに行くつもりかしらぁ?」
「ティアを止めます。どうにかしてもとの彼女に戻さないと」
今のベスティアはアヒトにとって、お世辞にも正常とは思えなかった。言葉遣いはその時その時によって変わり、戦闘を楽しむ所や平気で人を殺すような行為に及ぶ所は異常としか考えられなかった。
「確かに。今の子猫ちゃんはとても危険ね。だけど、脆弱がどうにかできる相手ではないわよん」
「それは……」
ロマンの言う通り、アヒトの力ではどうにもならないのかもしれない。ベスティア自身も以前までのベスティアは戻らないかもしれないと言っていた。彼女自身がそう感じているというのに、考えなしの特攻などしても意味がないのではないだろうか。
頭の中で次々と否定的な言葉が浮かんでくる。
今のベスティアはそれまでのベスティアより格段に強さが違う。それならば良いのではないだろうか。魔族を倒し、人々が安静に暮らせるようにするには力がいるのだ。多少の性格の歪みはこれからまた触れ合っていくことでどうにかなるのではないだろうか。
溢れ出る自分の弱さが生み出した言葉の海に溺れそうになる。足掻いても足掻いても体が沈みこんで行く。
だがその言葉の海を追いやるように、一人の亜人の少女の姿が思い浮かんだ。
それは口角をつり上げて歯を見せて笑い、戦闘を楽しむ彼女とは違う。
他人前では大人しく、好友には照れたように小さく笑い、己の信念を決して曲げないよく知る彼女だった。
あの青く澄んだ優しい瞳で微笑む姿、頰いっぱいにして食事をする姿、動揺したときに出る素の口調。それらが二度と見られないかもしれない。それだけは絶対に嫌だった。
たとえ相手が絶対的な強者であったとしても
「それでも、おれは大切という存在を取り戻したい。いつも助けられてばかりいるんだ。今度はおれが助ける番だ」
アヒトは拳を強く握って言葉にする。
「ふぅん。その覚悟、嫌いじゃないわぁ! 今のあなたはとっても男らしいわよん。す・て・き」
ロマンはアヒトの背中を勢いよく叩いて腰をクネクネさせる。
それにジト目を向けるアヒトだが、突如広がった強大な殺気にアヒトは警戒の構えを取り、その方向へと視線を向けた。




