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エピローグ

 11月29日、世間は『いい肉の日』と浮かれていた。

 しかし寿司職人である彼には関係がない――いや、今は寿司職人でさえないのだから、もっと関係がない。


 職場はやめてしまった。

 なぜだろうか、突然、魚をさばくことに違和感を覚え始めたのだ。


 魚ではない。

 もっと言えば、道具が刺身包丁ではない。

 なにかこう、マキビシ的な物を思うさまステーキに叩きつけたいような衝動に駆られた。



「……どうやら俺の頭はおかしくなっちまったらしいな」



 板前だった男は笑う。

 ……夕暮れの商店街には、多くの人がいた。


 みな幸せそうだ。

 ……なぜだろう、赤く染まる景色に、巨大なステーキの幻影が重なって見える。


 肉を食べたいのだろうか?

 彼は戸惑いながらも空いているステーキ屋を探すが、いい肉の日の夕暮れ時に、そんな店はなかった。


 ポケットに手を突っこみながら、見るともなしに商店街をぶらぶらしている。

 ――すると、一軒の店の前で彼は足を止めた。


 ガラス張りで店内がよく見えるステーキハウスだ。

 中では家族連れが鉄板で提供されるステーキを喜んでいる。


 だが、店の中ではない。

 彼が見たのは、店の外。


 女子高生ぐらいだろうか?

 どことなく忍者を連想させる後ろ姿の少女が、ステーキハウスの中をじっと見ていた。

 お陰で窓際席に座った家族連れが、居心地悪そうにしている――それぐらい、集中して、じっと見ていた。


 不審者だ。

 普通であれば、男はそう思って、気にも留めずに通り過ぎるだろう。

 しかし――



「なあ、忍者さん、肉、食いたいのかい?」



 ――なぜか、女子高生に背後から近付いて、問いかけていた。

 不審者だ。

 だけれど、女子高生は振り返り、どことなく非情さを感じさせる冷たい目で、男を見て――



「……そうね。でも、なぜか自分のお金で肉を食べてはいけない気がして……」

「……」

「盗もうとか、食い逃げとか、そういう話ではないんです。不思議と、今日は、誰かにお肉を食べさせてもらう日だったような、そんな気がするんです」

「……お父さんとかお母さんは?」

「うちは忍者の家系なので」

「……そうか」



 日本人ならば、それだけ言えばみな察する。

 忍者の家系に生まれたならば、クリスマスやお正月はおろか、いい肉の日などの細かい記念日すら、親は隠れてしまうのだ。

 プレゼントがほしかったり、贅沢をしたかったら、隠行術を見破って両親を見つけ出すしかない。それは年若い忍者にとっては至難の業であった。



「なあ、その、おまわりさんに通報しないでほしいんだが……」

「?」

「俺が、おごろうか?」



 男は現在、無職であった。

 唐突に板前を辞めたばかりで、人に肉をおごっている余裕などない。

 けれど、なぜか彼女に肉をおごらねばならない気がしたのだ。


 忍者の雰囲気を醸しだし、通行人にも『あの人忍者っぽい!』と言われる少女は、しばし、おどろいたように固まっていた。

 けれど――



「……なんででしょう。私……そう言われるのを、待っていた気がします」



 ――涙ぐみ、笑う。

 男は女子高生の頭をなでて、最寄りのステーキハウスを指し示した。


 二人で並び、入っていく。

 いらっしゃいませー、名前を書いてお待ちください――

 その声に従い、二人並んで、待合用のベンチに腰かける。



「……忍者さん、ああ、なんか、変なこと言うけどさ」

「はい」

「……いい肉の日だな」

「……はい。いい肉の日ですね」



 ガラス張りの入口越しに、遠くの空を見上げる。

 見上げた先には、六つの肉色の流星――などはなく、夕暮れの空が広がるばかりだった。

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