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 11月29日、世界は肉に包まれた。

 地球外より六つの肉界が各大陸へ降り注ぎ、その質量によって大陸は全滅した。

 大気圏を抜ける際にこんがりと焼けた肉の香ばしいニオイが地球上を包みこみ、地表突撃の際に飛び散った肉汁は霧となって太陽の光を遮断する。


 しかもこの肉汁は耐性のない者を肉ゾンビにする効果まで持ち合わせていた。

 肉ゾンビ――肉を求め徘徊する化け物。

 この肉ゾンビに噛みつかれれば、例外なく噛みつかれた者も肉ゾンビと化す。食欲のみに支配されし意思なき肉塊。リビングミート。


 そのせいで、比較的地球外ミートの被害が軽かった日本もまた、滅びようとしていた。

 希望は失われ、絶望と肉汁が世界を満たしていた。

 けれど――





「そうじゃない! 肉ゾンビは頭をつぶしても行動は止まらない! 筋を切って柔らかくすることで行動を止めるんだ!」



 かつて平和だったころの名残を残す住宅街で、肉切り包丁を片手に男が叫んでいた。

 ブロック塀に区切られた狭い通りは、肉のうまみあふれる濃厚な香りに包まれていた。


 絶望の香りだ。

 肉ゾンビどもは思わずかぶりつきたくなるような、食欲を刺激する香りをふりまいて、人間をおびき寄せるのだ。

 太陽の光が陰り、次第に食べ物が少なくなっていく世で、この香りは凶悪の一言に尽きる。

 空腹に耐えかね、自ら肉ゾンビの群れに突撃する者も少なくなかった。

 実際、肉ゾンビは味もいい。

 ニオイだけではない。見せかけだけではない。『狩ることができれば食糧になる』というあたりに、肉ゾンビという生物の狡猾なところがあった。



「そ、そんなこと言われても、オレはあんたと違って料理人じゃねえんだよぉ! 筋なんて言われたって……!」

「おい! サーロインが後ろから来るぞ!」

「ヒッ!?」



 狭い通路には、すでに肉ゾンビどもがひしめきあっていた。

 サーロインが来る――これが比喩でも罵倒でもなく、実際に『サーロインが来る』としか言えない状況であることは、肉ゾンビどもの姿を見れば一目瞭然であろう。


 板前服を着た料理人と、ネルシャツ姿の細身の男――

 並んでブロック塀のあいだを駆け抜ける彼らの背後から迫るのは、手足の生えたサーロインステーキなのだ。


 肉ゾンビ。

『肉を食うだけならゾンビと呼べばいい。わざわざ肉という文字をつける必要がない』――まだ肉ゾンビが世にあふれていなかったころ、姿を見たことがないのだろう、そう言う者がいた。


 言う通りだ。

 ただの肉を食うゾンビであれば、わざわざ『肉』ゾンビと呼称する必要がない。


 肉ゾンビは例外なく肉の姿をしている。

 肉の姿とはいったい――という疑問は、姿を見れば、氷解するであろう。


 二人の男の背後から迫る手足の生えたサーロインステーキ。

 焼き加減はレアなのか、走りながらぽたぽたと肉汁を滴らせる、ほんのり赤身を残した人のサイズの肉界。

 500グラムとか600グラムとか、そんな生易しい単位ではない。

 おそらく60キロ級のそいつが、『食べて食べて』とでも言いたげに、アスリートのような美しいフォームで走ってくるのだ。


 おいしそう、とか思っている余裕はない。

 猛ダッシュで追いかけてくる手足の生えたステーキの姿には、恐怖以外なにを抱けばいいのかわからない。



「で、でもさ、板前さん! ゾンビって普通、頭つぶしたら止まるもんだろォ!?」

「サーロインステーキの頭ってどこだよ!」

「それはなんか、ほら、足から一番遠い、あの脂身の部分……」

「あれは、脂身だ! 脂身は、頭じゃない!」



 肉ゾンビが地表にあふれていなかった時代であれば、わけのわからない会話であろう。

 彼らは息を切らし、全力で走りながら、言い合いをする。

 しゃべっているのだから当然呼吸は苦しいし、あたりを満たす肉汁の霧のせいで、さっきからずっとむせそうになっている。


 だけれど、しゃべるのを止めれば、恐怖に負けて足を止めてしまうだろう。

 なにせ背後から追いかけてくるサーロインとの距離は、だんだんと縮んでいるのだ。


 無理もない。

 人間を構成するのは、様々な複雑な要素だけれど――

 向こうは肉。全身ほぼタンパク質なのだ。

 肉体の占める筋肉の比率では勝負にもならない。



「くそ! 正面が行き止まりだ!」



 逃げる彼らの前に立ちふさがる、絶望的な袋小路。

 古い住宅街によく見られるデッドスポット。無計画に住居を建てたせいで出現する住宅街の構造上欠陥が今、行政なき世界で生きる彼らの活路を断たんとしていた。



「どうすんだよ、板前さん!?」

「決まってんだろ! ――跳ぶんだよ!」

「オレらの身長より高いんですけど!?」

「生きるためにはそれしかねーだろ! いいから跳べ! 跳ぶぞぉ!」

「くそっ!」



 二人は跳び、指先をどうにかブロック塀のへりにひっかける。

 そのままカサカサと壁を靴裏でこすって先へ進もうとするが、それより速くサーロインステーキに追いつかれるであろうことは火を見るよりあきらかだった。



「くそっ! くそお! ステーキに噛まれるのはイヤだぁぁぁぁぁ!」



 悲鳴のような叫びがあがる。

 ――その時。



「伏せて!」



 響いた少女の声。

 同時にサーロインステーキに向けて投擲されたなにか。

 一瞬、時間でも止まったかのような錯覚。


 そして――

 投擲されたなにかが弾けた。



「ブッ!? は、は、ハクション!」



 次の瞬間、板前はクシャミをした。

 そう、投げられたものは、コショウ爆弾である。



「早く! ステーキ系の肉ゾンビは肉自体のうまさに自信があるのか、大量の調味料をふりかけられると洗い流そうとするの! あいつがコショウを落とさないうちに、早く!」



 少女の声で語られた話は、どうやら事実であるようだった。

 コショウの煙が晴れた時、今まで猛然と追いかけてきたサーロインステーキ肉ゾンビが、その腕でパンパンと体についたコショウを払い落とそうとしている姿が見えた。


 その隙に、板前とネルシャツ男はブロック塀をのぼりきる。

 そして、塀を越えようという時、板前は、高い場所から今まで自分たちがいた場所を振り返って――



「……肉に食われる世界、か」



 ――周囲から集いつつある肉ゾンビどもの群れ。

 それを見て、寂しげに笑った。

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