とある青年の何気ない夏の日
第八話です。
タイトル通り、とある青年の何気ない日常のワンシーンです。
一応彼はこれから(けっこう先ですが)登場予定があります。
―王都から離れた場所で合同演習が行われていた、ちょうどその頃。
二日前の雨が嘘みたいに思える、清々しいまでの青い空が、王都の上空に広がっていた。
そこに真夏の太陽が君臨し、直視できないほどの黄金の光を放つ。
そんな太陽の真下で、白やクリーム色、アイボリーの建物の群れが日陰を作りだし、白と黒のコントラストが見事な一枚の風景画のような光景が広がる。
その風景画のような中央街。その街の中心であり王都の中心でもある広場から、北の方へ伸びる北の大通り。
ここには高級住宅や洒落たアパートメント、外装が上品な店が一つ一つ手の込んだ芸術品のように存在している。特に、この北の大通りには四年前に開業した高級百貨店・コーデリアがある。そこは内装や外装が美しい三階建ての高い建物であるだけでなく、そこに来る買い物客は、着飾った平民の富裕層や、煌びやかな貴族など。それらの者達が行き交う様子はまさに宝石箱としか言いようがなかった。
そんな建物たちが並ぶ北の地域は、平民の中でも、商店経営者や資産家などの財力を持つ者、王宮勤めの中でも、高い地位に就く騎士や魔術師、官吏などのエリートという肩書を持つ者が暮らす場所だ。つまりここで暮らす者は高所得者や社会的地位の高い者達など、平民の中でも上位のカーストに位置する者達だ。
現在の時刻は、ちょうどお昼。石畳の道の脇に建てられた立派な白い柱時計は、午前十二時を差していた。
北の大通りを、買い物帰りの良いところの婦人が、お腹が空いたとごねる就学前の自分の子供の手を引き、一部の社会的成功を治めた移民や、エルフなどの他種族が早めに昼食を終えたのか馬車に乗る。
そして、王都でも有名な豪商の青年は、貴族街から商売を終えて帰宅の途に着いていた。
「熱いな…」
真夏の太陽の下で、その青年は高級そうな白いハンカチで汗を拭きながら、低い声で呟く。
注文されていた品を貴族の家へ直接届けるため、失礼にならないよう着ていた、仕立てのいい上着を脱いで右手に持ち、北の大通りを歩く青年。汚れのない真っ白なシャツから、小さな宝石のブローチを飾った紺色のアスコットタイを解き、首を絞めつける第一ボタンを外す。後ろに撫でつけた金色の髪から、絶え間なく汗が流れ、それをハンカチで拭く左手は忙しい。
本来なら、貴族の個人的なパーティーに招待され、さらには王宮にも商品を卸すほど、王都でも信頼と名のある商会を切り盛りしている青年は、こんな熱い炎天下を歩く必要ない者だ。彼は間違いなく人を使う側の人間だった。
そのため、今日の商売相手が住む、貴族街へ行く時は、きちんと商会で贔屓にしている馬車を呼んで、貴族街の門を出る時も、その馬車をに乗っていた。しかし、青年は貴族街の門を出てすぐに馬車を降りた。その理由は単純で、元々、彼が街の風景を見ながら歩くことが好きだからだ。今日は、午前中に貴族の家へ品物を届ける以外は外に出る用事もなく、午後は書斎で書類仕事であったため、気晴らしにもちょうどよかった。
人を使う側の人間らしくない理由だが、彼は昔、悪友ともいえる幼馴染と、親にも内緒で、街の中や広場を探検していた。それは、壁のヒビや狭い路地、安いカフェのコーヒーの匂いなど、決して珍しくも高級でもないものばかりを発見する探検であった。
しかし、彼と幼馴染にとっては、それらは、まだまだ謎の多い新大陸の未知の生物、あるいは大昔の大海賊が残した伝説のお宝と同じくらいの価値を持っていた。そんな未知とお宝を求める探検は、スリルある冒険であり、大人という理屈ばかりの生き物になる前の、楽しかった子供時代を象徴するものだった。
二十台の半ばを過ぎ、今では、すっかり子供の頃に恐れていた理屈ばかりの生き物になってしまった青年。別に、大人になりスリルを求めている訳ではないが、街の様子や、そこを行きかう人々を見ながら歩くことは、長年の彼の趣味のようなものだった。
「ふぅ…」
湿気の多い熱い空気にたまらず、息を吐く青年。
ちょうど、女性ものの靴屋の前を通り過ぎた時に、涼し気なワンピースを着た少女達とすれ違う。彼女たちは青年の姿を目で追うと、小さな黄色い声を上げ、顔を寄せてこそこそと話あった。
青年は、精悍な顔立ちの美丈夫であると言っても差し付替えがない容姿だった。その瞳は淡い紫色で、後ろに撫でつけた短い髪は夏の太陽に負けない金色。体は騎士ほど体格がいいわけではないが、背が高く男性らしい体型をしている。顔は整っているが目は鋭く、無表情である時は厳しそうな印象を持つ顔。しかし、これが商売の時の営業用の笑顔を張り付けると、一気に、商人特有の人好きそうな顔になるのだ。
しかし、そんな笑顔も営業時間外の今は関係なく、ましてや気温が熱いとなると、余計に厳しい顔になる。そういえば、笑顔でなくても女性陣が見惚れるので、『女たらし』と幼馴染に言われたのはいつのことだったか、と青年は考える。
思い出そうとするにも、あまりにも熱いので、この近くのカフェにでも入ろうとした、その時、
「号外だよ! 南の地区の爆弾テロ犯の判決が出たよ!」
新聞売りの少年が、道行く人に向かって声を上げる。
真夏の太陽の下でも、元気なその少年が持つ新聞は、『どこよりも早い情報が売り』の大衆向けのアルテア新聞社のだ。その新聞社は、客観的な情報だけなら、他の新聞社と同様、信頼ができるが、たまに事実を大げさに書きすぎていたり、独断と偏見に満ちた憶測を書くため、貴族や学識の高い人間から敬遠されている新聞でもある。しかし、この新聞は安いため、平民の中でも読んでいるものが多く、国民の気持ちを反映しているものでもあるので、世の中の動きを常に把握しなければならない商人にとって、重宝する情報源でもあった。
青年は、怖がらせないように商売用の笑みを浮かべて、少年に近づいた。
「一部くれないか?」
「まいど、百三十リタね」
白い歯を見せて二カッと笑う少年に、『こんなところで、勉強をサボってると、十二歳で学校を修了できないぞ』と、青年はお釣りが出ないよう代金を払いながら、冗談めかしく言葉をかけた。それに対して、少年は『そりゃあ、耳が痛いね。気をつけなくちゃなぁ』と悪びれもなくおどけたようにそう答えた。青年が新聞を受け取り離れると、また少年は元気よく新聞を宣伝する。
少年は、北の地域の住民が着ているものほどではないが、清潔で、きちんと手入れされていた服や靴を身につけていた。そこから、自分の住む教区にある小学校へ行く余裕もないほど、貧しい者ではないはずだと、青年は推理する。大方、学校をサボってお駄賃を稼いでいたというところだろう。相手の服装や姿から、地位や生活、趣味嗜好を推理するのは、青年の癖というよりは、商人としての癖だった。
あの少年の図太さや、毒を抜かれるような笑顔などを目にして、『あの、子供が商人だったら、恐ろしいものがあるな』と、青年は内心苦笑する。そして、その将来有望ともいえるべき少年から買った新聞を片手に持ち、シックな雰囲気の外装の近くのカフェへと入る。
チリンと鈴の鳴る木のドアを開けると、コーヒーの香りと共に、目に明るすぎない照明が目に飛び込んできた。そして、落ち着いた雰囲気の内装と、木でできたカウンターが出迎えてくれる。
青年は、カウンターから少し離れた窓側の四人掛けのテーブル席へと向かう。その椅子に脱いだ上着と、アスコットタイをかけて向かいの席に着く。すぐにウェイトレスが注文を取りに来た。
「コーヒーと、ローストチキンのオープンサンドを。どちらも一緒に持ってきてくれ」
青年からの注文を受けたウェイトレスが席を離れると、彼は買ったばかりの新聞を広げた。
表紙の一面を飾ったのは、二カ月ほど前の爆弾テロ事件の犯人の判決が決まったというものだった。
―キッカ地区爆弾犯、魔のバルビット鉱山へ流刑決定!
大きな見出しの下には、幽霊のように生気のない痩せた男の写真。この男は、二か月前に、貧民街に近い南の中央街のキッカ地区で爆弾テロ事件を起こした男だった。
死者は四人。ケガ人は重傷者も合わせて二十人以上を超えた凶悪な事件。男が使った爆弾は。威力が落とされているものの、十年前まで近隣諸国と戦争をしていた隣国の軍用爆弾だった。その入手先や誰が改造していたのかなどが問題となり、様々な憶測を呼んだ事件。騎士団による取り調べは難航し、裁判を始めるまで時間と労力がかかっていたのだが、今日の午前中にようやく判決が出たというわけだ。
「流刑か…」
青年は溜息を吐くように呟く。その時、ちょうど、注文したコーヒーとチキンのオープンサンドをウェイトレスが運んできた。
青年は『早いな』と仕事の速さに感心しながら、一旦新聞を畳んで、テーブルの端に置き、ウェイトレスに礼を言う。彼の営業用の笑顔を見て、まだ年若いウェイトレスは頬を軽く染めて、足早にカウンターへと戻っていった。そんな初々しい姿を見ながらも、『彼女は商人には向いてないな』と、苦笑する青年は、湯気の立つコーヒーに手を伸ばした。
例え熱い夏でも、コーヒーはホットに限ると、こだわりのある青年。一口飲むと、口の中に、香ばしい苦みと酸味が広がり、ホッと息を吐く。そして、また、新聞を手に持ち読み始める。
大きな見出しの下の写真。写真機の中の魔石の質にもよるが、全体的に暗い色合いの写真で、お世辞にも明るいとは言えなかった男の姿が、より陰鬱そうな雰囲気になる。おまけに健康にはとても見えないので、これで、年中有毒ガスが発生しているバルビット鉱山での肉体労働に耐えられるとは判決を下した裁判官はおろか、男の姿を知っている者なら誰も思ってないだろう。
―彼に与えられたのは、流刑という名の死刑か…―
別にこの男が可哀想とは青年は思わなかった。この男は、罪のない一般人を四人も殺し、大勢のケガ人も出した。中には、この男のせいで人生を狂わされた者もいるだろう。同情しろという方が無理だった。けれど、実質的なものは同じでも、男に与えられたのは、最高刑ではない。
最高刑は死刑。死刑なる基準も、死刑の方法も罪の重さで違うが、貴族が一人でも、平民に殺された場合なら、与えられる罰は、全て『死刑』と決まっている。
この男は、四人もの人間を殺したが、貴族を殺していないから流刑で済んだのだ。
これが、身分ある階級社会というものなのだと、青年は思った。
そのせいで平民が不利益を被らないのであれば、別にそれでもいいと、青年は思っている。しかし、一年前の魔国とルミエーダ王国との間で結んだレネーダ同盟から、確実にこの国の治安は悪くなっている。
青年は、コーヒーを口に運び、オープンサンドにかぶりつく。そして、再び新聞をめくり、読み続ける。
―奴隷商人の男、国外にも余罪が…
―禁止薬物売買、龍人逮捕
―愉快犯か? 謎の落書きまたもや見つかる
―満員御礼! ラヴィーナ劇団『太陽の下へ』延長決定!
―急募! 淑女の皆さん、簡単なお仕事をしてみませんか?
先ほどの爆弾犯ほどの大きさではないが、様々な見出しの記事や、広告が紙面を飾る。
有名劇団の公演延長の広告や、健全な仕事を装った娼婦募集の求人などは、別に気に留めるものでもない通常のものだ。この、最近王都のあちこちで発見されている謎の落書きの記事についても別段、気に留めるものでもないだろう。むしろ、カラフルな髪を持ち、舌を突き出して泣いている悪魔の落書きなど、自分も一緒になって壁に描いてみたいものだと、青年は半分本気でそう思った。
それよりも重要なのは、他種族や移民が、人族や国民を狙って、人族や国民が、他種族や移民を狙った犯罪の記事だ。
「痛ましいな…」
人族や他種族、それぞれで、自分たちの民族が一番であると考える、自民族中心主義者。彼らにとって、自分達とは異なる他の者たち、あるいは互いに手を取り合おうとする者は敵で、その命など道端の石ころに等しいのだろう。
特に、この記事にも乗せられている国外にも余罪があったという奴隷商人。半年前に捕まったこの奴隷商人の男だが、本当にひどいものだったと青年は思い出す。その奴隷商人は他種族や移民を中心に誘拐しては売買繰り返す外道だった。これまで多くの者たちを誘拐にしては商品にし、その人生を食い物にした男。
その男は、調子に乗って、中央街でも他種族が多い地区に住む人狼族の家族を狙った。しかし、腕のいい用心棒を雇ったにも関わらず、結果は獣化し、必死に抵抗した被害者により、用心棒は肩に大怪我を負い、奴隷商人の男はあまりの恐ろしさに気絶したらしい。らしいというのは、その場にいた、被害者の三人のうち二人が亡くなってしまったからだ。
そして、生き残っていたのは、今年十歳になるその家の一人娘で、亡くなった二人はその娘の両親だった。社会的に弱く、法的にも親の庇護下にある子どもの証言。その証言によると、両親は必死の抵抗の末、一撃でも報いることができたが、無残にも用心棒の男に殺されてしまったのというのだ。
何の罪のない善良な市民が殺され、さらには、その直後に犯人が捕まったということに、大きなニュースとして駆け巡った。皮肉にも被害者が、中央街で暮らす他種族であったことも影響していたのだろう。
ふと、残された娘は今どうしているのかと、青年は気になった。急に愛する家族を奪われた娘。ちょうど母親は二人目の子供を妊娠していたのだと新聞でも報じていた。当たり前の生活や、得るはずだった未来の喜びを理不尽にも奪われる、その苦痛は想像を絶するものだろう。しかし、それほどの苦痛を与えてしまったとしても、両親にとっては命を代えてでも娘を守れたということだけは、せめてものの救いであったはずだ。子供はおろか、結婚すらしていない青年だが、そう感じた。
同情やその心情を想像しようと思えるくらいに、他種族や移民、人族や国民など問わず、何の罪のない一般人が犠牲になるということは痛ましく、もしかしたら、明日は我が身かもしれないと考えると無理のないことだ。
一年前の同盟から物騒であったことは確かだが、この国の王と魔国の姫が結婚をするという噂が流れてから、それが加速している。それぞれの自民族中心主義者にとっては耐え難い屈辱に違いないのだから。
―そういえば、王宮魔術師も、この事件の捜査に関わったって言ってたな…―
商売のため王宮にも足を運ぶ青年にとって、王宮魔術師と聞いて思い浮かぶのはただ一人の人物。
「アイツ、大丈夫かな…」
大人となった今も、何かと付き合いのある幼馴染。
治安が悪くなる王都。この国を守る王宮魔術師である幼馴染が危険な目に遭わないか。
そんな心配を流すために、青年は少しぬるくなったコーヒーに口を着けた。
青年の向かいには、椅子に掛けられた、紺色のアスコットタイが窓から差す太陽の光を受け止める。
その紺色の布を飾るのは、一粒の小さなアメジストの宝石が付いたブローチ。青年の瞳の色と同じ、その淡い紫の宝石が、陽の光を浴びてきらきらと輝いていた―
お読み頂きありがとうございました。