合同演習
大変お待たせしました。第七話です。
初めての戦闘描写ですので、読みにくいかもしれません。
あと、話の切り方が分からなかったので、長いです。
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―合同演習当日。
少し湿った風が野原を駆け抜ける。
二日前から雨が降り、長引くかもしれないと思われた天気も今は快晴だ。
王都から徒歩で半日歩いた距離にある、堅牢な要塞と木々の生い茂るフィルマの森に挟まれた広い野原。雨水を吸った少しぬかるむ野原の上を、要塞側と森側の二つの陣営に別れた、騎士や魔術師、治療院の者達が慌ただしく足跡を付けていく。
「ファーテンさん、火薬運び終わったんですけど、俺ら、次どこを手伝えばいいですか?」
「んー…他の所も準備が終わりそうだから、そろそろ自分の準備に取りかかった方いいかもしれないわ…。一応、騎士団のカッセル副隊長にも、何か手伝えることないかも聞いてみて」
必要な物品を運び終えた魔術師団の後輩に、ベルはそう答える。
多くの者が忙しく演習の準備に取り掛かる中、ベルは要塞側の陣営で数人の魔術師と共に、野原に魔法陣を描いていた。
演習は、星の中心に不死鳥という紋章を、左胸に身に着けた治療院の者達が、救護と後方支援を行い、騎士団と魔術師団が合同チームを組んで実際に戦う。この合同チームは、それぞれの配置場所と役割に別れて、リーダーとサブリーダーが決められ部隊が編成される。ちなみに後輩とベルが配属された、中距離部隊のリーダーは第六騎士団のフォルケ隊長だ。そして、今本人は打ち合わせのため不在で、準備の指示役は副隊長のカッセル副隊長となっていた。
ベルは今回で九回目の演習参加だ。過去に二回ほど第六騎士団のフォルケ隊長とカッセル副隊長と同じ部隊になった。彼らを一言で表すなら、豪快なおじさんだ。たまに、あまりのおじさん特有の豪快さに苦笑いしてしまうが、気のいい人達なので、彼らが率いる部隊は騎士や魔術師関係なく全体的に雰囲気がいい。ベルは今回、そんな部隊に配属されて正直安心していた。
これが、魔術師と騎士同士の相性が悪い部隊であれば、雰囲気も悪く、戦闘時の連携が上手くいかなくて、ハッキリ言って悲惨になるのである。
今も自分たちの部隊ではないが、敵味方の陣営問わず、ちらほらと他の部隊の隊員たちが険悪な雰囲気を出しているところがある。演習が始まる前から悲惨な結果が見えそうだ。
そんなことを考えるなか、
「あ、ベル!」
自分を呼ぶ声に振り返ると、そこにはジンがいた。
彼は数人の騎士と共に要塞の中に向かう途中であったようで、『悪い、先に中に入っててくれ』と、断りを入れる。彼と一緒にいた騎士たちは十字架の描かれた黄色の腕章をつけており、一目で聖騎士候補であると分かった。
聖騎士候補の彼らは『ヒュー』とふざけたように冷やかし、ジンは『やめろよ、ベルに失礼だろ』と返す。彼らの品のない男性特有のおふざけからか、それともジンの思いやりも含んだ、偽りのない本音からか分からないが、ベルは少しだけイラつきを感じた。たぶんどちらも原因だろう。ちなみに、彼らのなかの一人が去り際に『シャゼル夫人みてぇ』と、有名な古典文学の『堕落の毒』に登場する、夫がいながら次々と男を篭絡する毒婦―肉感的な肢体を持つ、妖艶な黒髪の美女、シャゼル夫人-とこそこそと仲間に耳打ちしたことをベルは聞き逃さなかった。しかし、ベルはこんなことに怒っていたら身が持たないと、心を落ち着ける。
「ジン、あなたも同じ陣営なのね?どこに配置になったの?」
魔法陣を施すためにかざしていた手を休め、ジンに尋ねる。
「俺は、近距離部隊で最前線だよ」
近距離部隊は、最初に敵と衝突し、そして一番の激戦を行う部隊だ。
「そう、頑張って。あと、ケガには気を付けなさいよ」
ベルがそう言うと、ジンは『分かってるよ』と、姉に反抗する弟のように拗ねた調子で答える。何となく彼の子供っぽいその表情に、愛おしさでも母性本能ともつかない、何か甘いものが、彼女の胸の奥からこみあげてきた。
「…本当に敵わないわねぇ」
苦笑しながらベルはポツリと呟く。
「ん? なんか言った?」
「いいえ、別に」
そんな彼女の反応に、ジンは不思議そうな表情をするも、すぐに明るい笑みを浮かべ、
「ベルも、ケガしないように気をつけろよ」
そう言って、『じゃ、俺も、準備あるから』と、足早と去っていった。
要塞の中へ消えていくジンをベルは見送る。
彼と言葉を交わせた、たったそれだけで、ベルの胸は甘いもので満たされていく。
―なんて、ちょろいのかしら…私…―
素直というのか、単純というのか。四歳も年下の男に、無意識で転がされている、今の自分自身にベルは呆れてしまう。
そして、それを忘れるように再び、魔法陣を描くことに集中しようとする。だが、同じように魔法陣を作成していた、同僚の魔術師たちが、ジッとこちらを見ていたことに気づいた。
しかし、それは、ベルが身構えるような、『職務中に恋愛を挟むなよ』というような彼女への非難ではなかった。どちらかと言うと、珍獣を見るような好奇心や、信じられないと言わんばかりの不快感、こちらを心配しているかのような戸惑い、などと言ったものだった。いずれにしてもベルにとっては、理解しきれないものばかりだ。
何が起きたのか分からないベルは困惑しながらも、顔を下に向け、魔法陣を描き始めるが、
「あの人って…今、たくさんの女の人と付き合ってるって、噂の人ですよね?」
「確か、騎士団でも、聖騎士候補なのに、女関係がだらしないって、問題になってるよな…」
「本当に信じらんねぇ…あんな奴のどこがいいんだ?」
「あんなクズ男に…ベルさんが引っかかるなんて…」
そんな小声がベルの耳に届いてしまった。
皆の噂を確実に訂正するならば、ジンは誰とも付き合ってはいない。それは真実なのだと言える。なぜなら、どれほど女性が勇気を出して、告白したとしても、彼は喜んで側においてくれる。しかし、ただそれだけなのだから。
そして、周りから見れば、ジンを巡って牽制しあい、彼と共にあろうとする自分を含めた複数の女性たちは、彼と付き合っている、それも紛れもない事実なのだろう。
言いたいことは確かにたくさんある。しかし、どれも噂話をする彼らを説得するだけの力のないものばかりだった。
「クズ男ねぇ…」
それなら、そんなクズ男であるジンに惚れている自分は、一体何だと言うのか、本気でベルはそう思った。
*************
「全隊員、配置に着け!」
今回の演習の総責任者の声が響き渡り、要塞と森の陣営に分かれた者達がそれぞれの配置に付く。
どちらの陣営も敵と近い順に、近距離部隊と中距離部隊、遠距離部隊、後方支援・救護班に別れる。
ベルは、予定通り、要塞側の陣営の中距離部隊に配置されていた。
同じ陣営の近距離部隊の背中を見守るなか、その先の敵の陣営も確認する。
基本、近距離部隊が中距離部隊が野原に並ぶのは、両者で変わりはない。だが、それぞれ要塞と森の中に、遠距離部隊と後方支援・救護班が配置されている。遠距離部隊は基本、狙撃と契約獣がいる者達による召喚魔術による攻撃を行う。
今も数は把握しきれないが、森の中に遠距離部隊が配置されており、その中に、灰色のローブが見て取れた。
要塞側は敵から本拠地の防衛を、森側は敵の本拠地の侵略を、それぞれ目指して戦う。
例えこれが訓練であり、本当の戦闘でなかったとしても、魔術師団、騎士団、治療院に所属する者問わず、皆が真剣な面持ちだ。
自分達が『国を守る者』であるということを、それぞれの左胸を飾る誉が自覚させているのだろう。
ベルは大きく深呼吸をして、灰色のローブの襟元を正す。
そして、アメジストの双眸を真っ直ぐと、敵陣営に向けた。
ピューと湿った重たい風が、野原を駆け抜けていく。
―ドォンッ!
「始め!」
太鼓の音と、総責任者のその声が、戦闘開始の合図だ。
皆が一斉に声を上げ、敵に向かって駆けていく。
まず、ぶつかり合うのは近距離部隊同士。模造剣の金属音や、魔法による爆発音を響かせる。それぞれの陣営の遠距離部隊からは、援護射撃や、大中小様々な召喚獣が行きかう。
そして、ベルの中距離部隊は、近距離部隊への加勢または、向かってくる敵を討つのが仕事だ。
今はまだ早いと、それぞれが備えて、時を待つ。
防衛と侵略で戦い方は違う。防衛する側は防御により相手を疲弊させ、可能であれば、敵の大将を討ち取り、戦闘を終わらせる。反対に侵略する側は、巨大な戦力を持って相手を攻撃し、敵の隙を掻い潜り、突破しようとする。
敵陣営は侵略する側のため、近距離部隊に多くの戦力が割り振られている。そのため、防御を行う要塞側は、敵陣営ほど近距離部隊に戦力を割り振らないため不利といえる。
しかし、それを補うのが中距離部隊なのだ。
「第一、四、七中距離部隊は前へ! 第二、五、八中距離部隊は加勢! それ以外の隊は防衛!」
その指令と共に、中距離部隊はそれぞれ駆けていく。
防衛の役目を与えられたベルは、野原に事前に描いていた魔法陣を展開する。
「ランヒ、ヴァックス、ジリン、ルゥ、キージュ!」
五つの魔法陣から、無数の植物の蔦が出現する。
蔦はまるで、意志を持つ蛇のようにその身をくねらせながら、進行してきた敵へ一斉に向かって行き拘束していく。
「うわッ」
「なんだこれ、動かねぇ!」
「土魔術と拘束魔術に……やられたッ!感覚遮断の身体魔術か!」
四肢を麻痺させる緑の毒蛇。その群れに拘束された、騎士や魔術師は騒ぐ。複数の魔術を組み合わせて、コントロールできることが、魔術師の強みだ。ベルも土魔術に、様々な魔術を組み合わせて、コントロールする。
「慌てるな! 先に切り倒せ!」
「しょせんは植物よ! 皆、火炎魔術を使いなさい!」
罠から免れた、あるいは手練れの騎士や、魔術師が、次々とベルが操る蔦を切り倒し、燃やし、侵攻していく。しかし、熟練した鋭い斬撃や水の爆弾、遠距離部隊の的確な援護射撃などに行く手を阻まれる。敵も味方も、優秀な魔術師や騎士が奮闘を見せ、両者は拮抗する。
ベルは、大勢に仕掛ける子供騙しの手法から、さらに戦力を削るため手の凝った悪戯へと手法を変える。
「ジェッジ、サーキェン、グリフ、ヴァング、ルゥ、イェーゼ!」
その瞬間、それぞれの魔法陣の緑の蔦はシュルシュルと集まり束になる。そして、その先端の左右の横の蔦が動いたかと思うと、左右に一輪ずつの赤い花を咲かせる。そしてフルリと震え、それは、みるみるうちにアーモンド形の赤い実へと変わった。
それは、まさに赤い目を持つ五体の緑の大蛇。
「イェーゼ!!」
ベルのその命令と共に、一斉に残りの敵へとかかっていく。
「このッ…!」
「なんて、硬い体してんだよ!」
緑の大蛇たちは、湿った野原を抉り、ジャリジャリと砂を鳴らしながら、次々と敵をなぎ倒す。その身は硬く、訓練用の模造剣などでは傷をつけるのでやっとの硬度を持つ。無敵の蹂躙者として、時には味方の召喚獣と共闘する相棒として、その硬い巨体で五体の大蛇は暴れまわった。
先ほどの拘束し、自由を奪う魔術とは異なり、明らかに攻撃の意志を持って、暴虐に振る舞う魔術。
それだけでなく、優秀な味方の攻撃に、敵の大幅の戦力が削れていく。
―何も知らないものが見れば、侵攻されているとはいえ、こちらが有利に思える戦況。
しかし、ベルは含めた味方の陣営は、今の状況が気が抜けない状況であることを知っていた。
なぜなら、
「きゃあ!」
「ぐッ!」
防御にあたる味方の中距離部隊の数人が、倒れた。
「ヤバい、奴らだ!」
誰かが、慌てながら見つめる先。
紺色の布地に銀色の糸で縁取られた、騎士団の団服。そして、その腕には十字架が描かれた黄色の腕章。
「―聖騎士候補だ!」
戦況の番狂わせを起こす存在。王宮魔術師に匹敵する魔力と王宮騎士に匹敵する剣術、そして強大な力を持つ聖騎士の卵たち。
その侵攻してきた聖騎士候補は、二名。
「イェーゼ!」
ベルは、先に攻撃を仕掛け、一体の大蛇を操る。
大蛇の目にあたる赤い実から、麻酔作用のある液体を分泌し、気化させて纏う。その巨体をしならせ大蛇は二人の聖騎士候補へと牙を剥いた。
しかし、
「うわッ、危ねぇ!」
金色の髪に、蛍光色の青い瞳を持つ聖騎士候補の青年は、慌てながら、もう一人の聖騎士候補と共に攻撃を躱していく。ベルは再び、緑の大蛇を操り、濡れた土を鳴らして攻撃を仕掛けるも、他の攻撃も含めて全て、二人は躱していく。
―簡単には、行かないわね…―
ベルはバラ色のルージュを引いた、形のいい唇を噛む。
ベルは、彼ら二人がこんな手の込んだ悪戯程度では倒されないことを知っていた。そして、それ以上に二人のことを普段から知っていた。
「ヤベェ、当たったら、ぜってーヤベェやつだよ~」
そう、ふざけているとしか思えないくらいに大げさに嘆く青年。彼はジンの友人である―カルロス・アウィン・アミスター。仕事でも私生活でも常に、軽い雰囲気を出しているのとは裏腹に、実力が高く、聖騎士最有力候補の一人。ちなみに、先ほど、準備の段階でジンに会った時に、品なく囃し立てた集団にもいた男だ。
そして、その男と共にいるもう一人、
「うるさい、黙れ。これくらいの魔術を破れなくてどうする」
軟派なカルロスとは真逆のストイックな雰囲気を持つ、青い髪と瞳の―レオノーラ・サファイア・エクエス。
二人は、魔法や剣撃、援護射撃や召喚獣などの攻撃が飛び交うなか、慌てることもなく、堂々とした態度で、ベルの正面に立つよう歩いてきた。
防御を行うこちらへ、敵が近づいてくる状況。当たり前のようにベルは敵を排除するために魔術で大蛇を操り続ける。
しつこく攻撃を仕掛けてくる大蛇をレオノーラは睨みつけた。
「邪魔だ」
そして、彼女は一歩足を踏み出すと、模造剣を持ち直し、構えた。
「ニーンズ、フライガ、ナァダ、リゲン」
模造剣から放たれる、鉤爪型の炎。
その赤い斬撃は、多くの敵陣営の者が悪戦苦闘した大蛇の巨体を真っ二つに割った。そして、その残骸は赤い炎を包まれながら燃えていく。植物の瑞々しい青臭い匂いと、全てを覆い尽くそうとする焦げ臭い匂いがベルの鼻を掠めた。
「ヤバい、ノーラ、マジで惚れるわーカッコいい!」
相変わらず、ふざけた調子のカルロスの声が響く。その声に、レオノーラは再び、『うるさい、黙れ』と返したが、その、目が覚めるような青い双眸は、ベルの方へと向いていた。
伝奇に出てくる古の剣士が天から堂々と降りてくるように、威圧感がありながらスムーズな足運びで、ベルの正面に立ったレオノーラ。彼女はこちらを睨みつけていた。
「王宮魔術師というのは、こんなお粗末な魔術師しか使えないのですか? ファーテン魔術師」
皮肉気にレオノーラは口元に笑みを浮かべた。一応、敬語なのは、ベルの方が年上だからというよりも、王宮の中の国を守る組織として、入団二年目というまだ新米に部類される自身よりも上の立場であると理解しているからだろう。もっとも、レオノーラは伯爵令嬢なので、これが、国を守る組織の中でなければ、本来なら、ベルにとって言葉を交わすのも恐れ多いはずなのだが。
「お粗末な魔術ねぇ…剣みたいな媒体が無ければ、まともに魔術のコントロールができない、あなたに言われたくないんだけど…」
ベルは首を傾げながら、挑発的な笑みを浮かべる。そして、今まで自分の意志で、手足のように動かしていた残りの四体の大蛇を、いとも簡単に自動操縦に切り替えて見せた。そこに『そういえば、あなたと同じ、聖騎士候補のアマートさんは、媒体なんて使わなくても、完璧な魔術を使えるのよねぇ』と、付け加えることも忘れない。ちなみに、アマートというのは、王宮魔術師から抜擢され聖騎士候補になった、ベルの先輩の魔術師だ。
聖騎士候補を絞るにあたってほとんどの場合は、騎士団と魔術師団、たまに治療院から、魔術と身体能力に優れている者が選ばれる。皆が、聖騎士という、この国での英雄的存在である一つしかない椅子を取り合い、聖騎士候補として職務と訓練を全うしながら切磋琢磨している。
そして、その聖騎士の中でも最有力候補の一人である、武の名門エクエス伯爵家の一人娘のレオノーラ・サファイア・エクエス。彼女は客観的に見れば、普通に実力があるのだが、魔術に苦手意識を持っており、それがコンプレックスだった。
そして、こちらの目論見どおりに、実直でプライドの高いレオノーラは、ベルの挑発にギリィと音が聞こえそうなほど強く歯を噛みしめた。
「ノーラ、そんなに怒んなよ、将来眉間にしわ寄るぞ」
「カルロス、お前は黙れ。他の場所に行って戦ってろ!」
援護射撃や、召喚獣、他の騎士や魔術師の攻撃を追い払っていたカルロスは、レオノーラの言葉どおりに『イエッサー』と敬礼をしながら立ち去り、他の場所で戦闘を始めた。
煌々と燃える炎の側で残されたのは、レオノーラとベルの二人。そして、レオノーラは目に見えて苛立っていた。
―恋敵ってだけで、そんな親の仇みたいに見ないで欲しいわ…―
愛している人が同じであるために、レオノーラが自分に、良い感情を持っていないことをベルは知っていた。自分が苦手な魔法をベルはジンに教えられるということ、そして、教えていたという事実が彼女は気に食わないのだろう。
―私からしたら、聖騎士候補だからって、いつもジンにべったりの、あなたの方が妬ましいのよ…―
そんな複雑な感情を込めて、ベルはレオノーラへ笑うと、彼女は跳弾のように、勢いよく斬りかかってきた。
「フェンナー!」
急いで、防御の魔法を使うと、レオノーラは、がむしゃらに攻撃を繰り出した。
「ニーンズ、ニーンズ、ニーンズ!!」
彼女がそう叫ぶ度に、ベルも『フェンナー』と叫び、炎と防御壁はぶつかる。そのたびにパチパチと赤やオレンジの鮮やかな無数の火花が散った。
火花の行方を追うように、横目で周りを見ると、他の者達は随分と遠くにいた。大型の魔術を展開しやすいように場所を開けてくれたのだろう。訓練だからと言っても、いささか甘いようにベルは思ってしまう。
そんなことを考える間も、レオノーラは攻撃の手を緩めない。紺色の団服の裾をひらめかせながら、がむしゃらに炎をぶつけるその姿は、客観的に見れば癇癪を起こす幼子のようだ。
彼女は何度目か分からない炎を防御壁にぶつけると、後ろへ飛んで、距離を取った。そして、剣の先を刺すようにベルに向けて、
「バルッカ、ニーンズ、イースア、ラドニ、キージュ、エイヴァー!」
その瞬間、剣の先に青色の光が集まり、巨大な氷の塊が現れた。
それは、表面に鋭い透明な鱗を持ち、長い体を鞭のようにしならせた。先ほどのベルの緑の大蛇よりも大きな巨体、その様はまるで氷の竜だった。陽の光が反射して僅かに青く煌めく。パキパキと音をたてて、刃のように鋭い鱗が逆立つ。威嚇と言わんばかりに、びりびりと痛いくらいの冷気が、灰色のローブ越しに肌を刺してくるのを、ベルは感じた。
「…すごいわねぇ、いつの間に練習したのかしら」
ベルは、その氷の竜と対峙して、本能的な恐怖以上に、レオノーラの努力を惜しませない執念に感心してしまった。その執念は、聖騎士になるという夢であったり、魔術が上達しないことの焦り、そして、自分にないものを持ったベルへの嫉妬。
「ニーンズ、ナァダ、リゲン!」
レオノーラがそう叫ぶと、氷の竜は、ベルに向かって無数の透明な刃を放った。
「フェンナー、イルド、ハディー!」
より強力な防御壁を展開してベルは身を守る。防御壁に当たった刃はパキパキと砕けて、その破片が野原に落ちる。まるで火の粉が引火するかのように、氷は野原に広がっていった。氷が燃えるその場所に、ベルは自動操縦で戦わせていた大蛇を集める。
「こっちも、攻めなきゃまずいわね」
そして、ベルは、灰色のローブの襟元を正し、
「ジェッジ、サーキェン、ヴァング、トマン、ホゼ、イェーゼ!」
ベルのその命令と共に、四体の大蛇は一つの糸を紡ぐように絡み合う。
シュルシュルと音をたて、四匹分の重量と大きさを誇り、それは形成されていく。もはや、レオノーラの氷の竜と匹敵する、その巨体。
その頭に当たる部分に左右には四つずつ、計八個もある赤い目が配置される。そこから分泌される気化した麻酔が、渦を巻くように、緑の体躯の周りを蠢いた。
その姿は、まさに風を纏う緑の竜。
「イェーゼ」
緑の竜は、真っすぐに氷の竜へと向かう。
「ホゼ、ツァーヒー、トマン」
周りを蠢く麻酔の渦が風となり、勢いよく回りだす。
加速した緑の巨体は、氷の竜と衝突する。
―ドォンッ!
野原に響き渡る鈍く、重たい音。
その音に重なるように、ブチッと紐が千切れるような音と、パキンッとガラスが砕けるような音が響く。
緑の竜の風に乗り、氷の竜の破片は青い光を反射しながら、野原に降り注いだ。
元々大型魔術を展開しやすいように周りを開けていた者達は、今度は巻き込まれないように、慌てて防御壁を展開して、さらに距離を取る。その姿がベルの視界の端に入る。
しかし、彼女がそんなことも気にしてられないくらい、二体の竜の攻撃は、想像以上に凄まじいものだった。ベルの緑の竜は、触れた所から燃やすように凍らせる氷の魔術を無力化し、反対にレオノーラの氷の竜は、暴風として襲ってくる麻酔の魔術を無力化していく。魔術と魔術の相殺。互いの魔術を力技で潰しあい、打ち消し合う。
しばらく拮抗するように押し合っていた、二匹の竜。お互いを突き飛ばすように、二匹は距離を取る。
「くッ…ニーンズ、イースア、エイヴァー!」
レオノーラは、すぐに次の攻撃を仕掛けようと魔術を展開し始め。これに対し、ベルも迎え撃つ。
「ロガン、ホセ、イェーゼ」
再び、気化した麻酔を纏い、渦を巻いて勢いをつける緑の竜。それを、冷たい炎で凍り付かせんとする氷の竜が、真っすぐに風を切りながら衝突する。
再び鈍い音を響き、その後を千切れる音と砕ける音が共鳴する。
互いに押し合い、潰しあい、傷つけ合い、暴虐的な均衡を保つ。
―ブチブチ!
―パキパキ!
終わらず鳴り響く二つの音。
その音を奏でる一人であるレオノーラは変わらず、ベルを睨む。
「…睨みたいのはこっちよ」
決して相手には聞こえない声で呟くベル。
彼女の頭の中で、急に短剣に埋め込まれた、青いサファイアの煌めきがフラッシュバックする。
―ベルさん、醜い嫉妬はやめてくれますかー?八つ当たりとか、見苦しいですよ―
そして、ふいに蘇る、先日の広場でのリリナの言葉。
ベルは、魔術で緑の竜を操りながらも。アメジストの双眸で真っすぐにレオノーラを見つめる。
『きっと、これは、蛇の威嚇と同じだ』、ベルは、今の自身の行動を急にそう思った。そして、これは醜い嫉妬からくる、八つ当たりなのだと。
同じ男性が好きで、同じように彼と曖昧な関係を続けていて、互いが気に食わない。『彼を譲りたくない、負けたくない、勝ちたい、優位に立ちたい』そんな醜い嫉妬が次々と沸き起こる。
しかし、急に自覚した、そんな醜い感情を持っている、醜い自分というのを、ベルは決して受け入れきれなかった。
「イェーゼ!」
首を横に振るように、一つに結んだ自慢の黒髪を大げさに揺らして、呪文を叫ぶ。
「エイヴァー!」
威嚇のように叫ぶレオノーラの声。しかし、それを打ち消すように、緑の竜は唸り声のような暴風を響かせて纏う。
勢いをつけて真っすぐに襲い掛かるその姿、真正面で対峙する氷の竜は、怯んだように後方に下がった。
ベルの正面に見えるのはレオノーラのいつもと変わらない仏頂面とも言える硬い無表情。しかし、そのサファイアのような青い瞳に確かな怯えが宿っているのを見つけて、ベルはアメジストの双眸に、歓喜を映さずにはいられなかった。
―勝てるわ!-
この時、ベルが望んだのは鈍い衝突音。そして、ガラスのようなものが砕け散る音と、紐が千切れる音。
しかし、戦場に響いたのは。
―ドォン!
「止め!」
心臓に響くような太鼓の音と、低い演習総責任者の声。
その声に、戦場にいる全ての者達がピタリと動きを止める。
魔術を操っていたベルもレオノーラも動きを止めた。
「勝者、要塞陣営!」
総責任者の声が勝敗の行方を告げる。
結果はベルが所属する要塞側の勝利。どうやら、要塞側が侵攻する森側の者達を食い止め、向こうの大将を討ち取ったらしい。
戦闘態勢のまま静止するベルは上を見上げた。澄み渡った青空の下、あと少しで、氷の竜とぶつかりそうな状態で固まる緑の竜。そこからは、動きを止めるだけでは消しきれない二つの魔力が周りへと漏れていた。
ベルは、再びレオノーラを見る。
レオノーラは剣を構えて、同じように戦闘態勢で動きを止めていた。しかし、彼女は、獰猛な動物から息を潜め気配を殺していた小動物が、危険が去り、やっと呼吸を許されたかのように、何度も深い呼吸を繰り返していた。目が覚めるような青の髪の間から汗が流れる。そんな彼女のサファイア色の瞳にあるのは、安堵と恐怖。そんな感情の上にベルの姿を映す。
そして、ベルは見てしまった。
今対峙しているレオノーラを守るように存在する、青い光を反射する氷の竜。そこに映る女の姿をー達成感と優越感に浸り、冷酷な表情を浮かべる自分の姿。
実際の距離よりも遠くに感じる映り込んだその姿に、なんと醜いのだろうかと、ベルは愕然としてしまった。
それに、自分は今何をしていたというのだろうか、一瞬だけでも気に食わない相手より力を誇示して、喜びを感じていたのではないか。なぜ、今、このように大規模な戦争のように戦うのか、それはいざという時に国を守るため。
国を守る立場であること、それは多くの王宮魔術師の誇りで、もちろんその一人であるベルにとっても誇り。そして、その誇りを支える、努力して手に入れた知識や技術は、武器であり力だ。
しかし、今自分はそれを一瞬でも、個人的に気に食わない相手よりも、上である事を証明するための“暴力”に使っていた。誇りを汚すものとして使ってしまったのだと、ベルは理解してしまったのだ。
急に自覚した醜い自分自身。そして、ベルが決して受け入れたくなかった醜い自分。
それを自分自身で今、彼女は証明してしまったのだ。
人形のように動かない、動揺するアメジストの瞳に、正面にいるレオノーラが魔術を解いて剣を鞘に収めたのが映る。
カチンと静かに剣と鞘の音を鳴らすと、彼女はサファイアの瞳に形容しがたい感情を映して、ベルを見つめた。そして、そのままくるりと後ろへ向いて、早足で去っていった。
その遠くなる後ろ姿を見つめながら、先日の広場での出来事が再び鮮明に思い出される。あの時、ベルは、レナのための怒りから自分のための怒りへと変えてしまった。その時に感じたのは、心臓の奥を触れるような冷たさだった。
そして、今、ベルが感じているのも、全く同じ冷たさ。
戦場からいつも通りの穏やかな場所に戻った野原に、味方側が歓喜する声が聞こえる。
近くにいた何人もの魔術師や、騎士団員が『よくやった!』、『あの魔術のおかげで助かった』などと、ベルへ労いや、称賛の言葉をかける。
しかし、大掛かりな魔術を解くベルは、自分がまるで敗者である気分だった。
爽やかな青い空の下、野原を湿った重たい風の音が、勝者の歓声に消されていった。
お読みいただきありがとうございました。