ある夏の日の午後
お待たせしました。第四話です。
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王宮魔術師の仕事は、王宮だけではない。
王都には、防犯のための監視魔法、緊急事態の場合すぐに現場に駆け付けるための移動魔法、王都全体を覆う結界魔法など、その他諸々の魔法がかけられている。それらは、魔法陣や、作成段階で魔術がかけられた魔道具として備え付けられていたり、魔術師が直接呪文を唱えることで発動するものなど様々だ。
また、王宮で国のために働く魔術師以外にも、民間の魔術師もいる。また、国で年に一度、開かれる試験に合格することで、実力順に上級魔術師、中級魔術師、下級魔術師の資格を取ることができる。ちなみに王宮魔術師になるには上級魔術師の資格が必須で、さらに王宮魔術師団の試験に合格しなければならない。
そのため、王宮魔術師は優秀で、騎士と並ぶ花形の職業と見られるが、その仕事の実情は、若い者にとっては雑用係に近い部分もある。
「はい、直りましたよ」
夏の午後の太陽が燦々と輝く王都の街の中。日焼け知らずの白い左手を街灯のポールから離した、ベルはニッコリと人のいい笑みを浮かべた。
彼女は今、王都の街へ足を運んで、魔法を使っていた。つまり、若い王宮魔術師が避けては通れない雑用をこなしていたのである。ちなみにポールの周りを囲んでいたいくつもの魔法陣は、空気に溶けていくように消えていった。
「ありがとうございます。 さすがは宮廷魔術師、仕事が早い」
三十代前半くらいのこの地区の役人が恭しくベルに頭を下げた。
「そんなことないですよ」
「いや、しかし、我々のような魔力の少ない、事務職一本の人間からすると、手を触れただけでパパッと解決してしまう魔術師というのは、それだけですごいことなんですよ。 まして、王宮魔術師と言ったら、奇跡を起こす神業の集団ですね」
「まぁ、それは言いすぎじゃありません?」
ベルは控えめな苦笑を浮かべながらも、大げさなおべっかにそう答える。内心では、奇跡なんて胡散臭いものではなく、きちんと理論に基づいた学問である、と反論したくなるも、そんなことを本当に言ったら、面倒になるので相手の話に批判などはしない。
「言いすぎなんかじゃありませんよ。 街灯の監視魔法が消えたと聞いた時は、本当に慌てたんですから」
今日のベル仕事は、街灯修理だった。街灯修理といっても、腕のいい職人達のように、本当に工具を用いて修理するわけではない。王都の街灯は王宮魔術師団が管理していて、それは夜道を照らすだけでなく、防犯のための監視魔法がかけられた、つまり立派な魔道具なのだ。
そんな、魔道具である街灯にかけられた監視魔法が消えたと聞いたのは、午前中の騎士団との合同演習についての打ち合わせが終わった後。ベルはちょうど軟派な騎士に絡まれていた時だった。
いかにも女性の扱いに慣れた感じの、見た目だけは良さそうな男で、こちらが敬語を使うことすら止めてハッキリと断っても、言葉が通じず、大声でも出そうかと思ってた時だった。まさに、その非常事態はベルにとって天からの救いの手だったのだ。
―エリッジ通り二番地の街灯の魔術が消えた。
それが非常事態の内容だった。
エリッジ通りとは、ベルがちょうど今いる場所。広場のある大通りから四本ほど外れた人通りのまばらな通りのことだ。そこは、人と物が集まる広場や、様々な物や人が集まる大衆向けの市場、北の地区にある様々な商店が入る百貨店といった富裕層向けの店のような、そんな人々の賑やかな喧騒からは少し離れていている。
ちなみに、この通りの名前の由来は、その昔、『エリッジ』という入り口に鸚鵡のオブジェが置いてあった時計屋がこの通りにあり、皆が待ち合わせをした時に、そこを使ったことが由来となっている。今ではその時計屋も鸚鵡のオブジェもないが、『エリッジ』という名前だけが通りの名として残っている。
そんな通りの街灯にかけた監視魔法が消えた。
かけた魔術が消えたと言うことは、誰かに解呪されたことを意味する。
街灯だけでなく王都の防犯のためにかけられた魔術は、全て王宮魔術師がかけたもので、簡単な魔術や素人が使う魔術なんかでは、魔術の解呪どころか、その構造すら分からないように複雑化している。もし解呪するなら相当な魔力と知識、技術が必要となる。つまり、誰か手練れの者が、明らかに悪意を持ってやったことを意味しているのだ。
「国に反感を抱いている人がやったのかもしれませんね」
いまだに、魔術を大絶賛し、話が長くなりそうな役人から逃れるために、ベルは当たり障りのないことを言って、そそくさとその場を去る。
今の時間だと、どうせ帰って、事務処理の仕事に取りかかっても、中途半端になってしまうだろう。それなら少し散歩がてらに町を歩こうと、ベルの足は広場の方へと向いた。
少し古くて、くすんだ白い壁のアパートメントや、従業員が一人しかいないような、個人経営の小さな煙草屋、雑貨店などの間を縫うように進んでいく。建物の壁には、紳士達が笑顔で酒を交わす、ウィスキーの広告や、金髪のセクシーな女性が、大胆なポーズをとる、安いパブの広告が貼られている。
工事中の通りの影には、大きな体をした、汗まみれの大工たちいる。彼らはちょうど紙巻煙草で一服をしており、灰色の息を吐く。その太い手で持つ、細い煙草の吸い口は臙脂色で、すぐにベディーの安煙草だと分かった。
夏の太陽を遮ってくれる、背の高い建物が薄暗い影を作ってくれても、やはり湿気の多さのためか、まとわりつくような蒸し暑さだ。もっとも、王宮から出る前にベルは化粧が崩れるのが嫌で、冷気を纏う呪文を唱えていたので、汗一つすらかいていないが。
そもそも、この暑い時期にどれほど通気性がよく、生地も薄い夏使用であったとしても、この灰色のローブで真夏の炎天下を歩けと言うのは、ハッキリ言って拷問である。魔法の技術と知識があり、冷却の魔術が簡単に使える魔術師でなければ、今頃倒れているであろう。
そんな風に、ベルがローブに対する愚痴を心の中でこぼしていると、小道の向かい側から、この辺に住んでいるのであろう数人の子供達とすれ違う。皆、大きなカバンを斜めがけにしており、それぞれの教区にある小学校からの帰り道なのだろうと簡単に想像できる。
今はちょうど子ども達の学校が終わる時間なのだな、とベルがしみじみすると、『隊長、地図ではお宝はここら辺です!』、『あ、数メートル先に魔物がいるぞ』などという声が聞こえる。きっと探検家ごっこでもしているのだろう。それなりに混沌しながらも列をなしている中央街は冒険の場にピッタリだ。
ベルも昔は親に内緒で幼なじみと共に、よく街の中を探検した。幼なじみも自分も規模もやり方も違えど、実家が商店を営み、中流階級の平民の中でもかなり裕福だったため、小学校には行かず、家庭教師を雇っていた。そのため、幼なじみの家に遊びに行った時や、逆に遊びに来た時に、贔屓にしている菓子店へ行くと嘘を言って、人通りの少ない路地裏などを探検していた。
今思えば、人によっては身代金という金の卵を産む雌鶏だった自分たちが、どれほど無知で危険なことをしていたのかと、ベルは内心、恥ずかしさと恐ろしさを感じながらも苦笑してしまう。
そんなことを考えながら、とあるアパートメントの角を曲がると―
「あら、何かしら」
ベルはひび割れたクリーム色の壁にそれを見つけた。
「これは、悪魔…?」
それは、まるで子供が描いた落書きのような絵。それを端的に表すなら、悪魔に近い何かだった。
この国で多くの者が信仰するグロリアーダ教の聖書の中で、人を不幸にする存在として描かれる真っ黒な翼を持つ悪魔達。そして、今この壁に描かれているのは、真っ黒な翼を持つ女性。
だけど、一本一本書きなぐったように線が引かれた腰までの長い髪は、赤や青、緑など色鮮やかで、自分を抱きしめているかのように組まれたクリームパンのような下手くそな手の指の爪も、一つ一つの色が異なり鮮やかだ。
白目も黒目もない、まん丸な白い二つの目からは、雫型の涙がこぼれる。
そして、もっとも印象的なのは、こちらを馬鹿にしたように口から出された舌。そこには『THE NOIZY』と異国の言葉で『騒音』を意味する言葉が記されている。
これは、何なのだろうか。思わず、ベルは問いかけたくなった。
昔から国に反感抱く反社会的な人間や、多感な時期に非行に走った青少年たちが、このように壁にいたずら書きをすることはよくある。
けれど、この絵からは反社会的な人間が描くには、泣き叫ぶほどのダイレクトな悲痛の感情が、一時期の非行に走る青少年が描くには、何かの使命を負った戦士の信念のようなものを―そんな奇妙なアンバランスを感じた。
―まるで、こっちを見てほしいって、言ってるみたいな……―
「ベル!」
自分を呼ぶその声に、ベルはハッと我に帰る。
後ろを振り返ると、キャラメル色の狼の耳と尻尾を持つレナがいた。彼女は、少し襟ぐりの開いたレモン色のワンピースに身を包んでいる。胸の前のオレンジ色のリボンがアクセントとなって、お人形のように可愛らしいレナの魅力を引き立てていた。
「レナ…奇遇ね、どうしたの? あなたも、お散歩かしら?」
ひざを折りレナの目線に合わせてベルがそう問いかけると、レナはふるふると首を横に振り、
「ジンたちとお買い物に来てたんたけど、ラウラが…食べてた串焼き、猫に取られたからって、追いかけて……。それでジン達もラウラを追いかけて、はぐれちゃったの…」
レナの説明に、ベルは頭痛がした。確か今日、ジンは休日であったと思いだす。彼とラウラを含めたいつもの女性たちの、騒がしく買い物をする姿を簡単に思い浮かべることができて、溜息をついてしまう。
国内でも、騎士団に頼らずに、魔物と古来から戦ってきた部族出身のラウラ。彼女はとにかく元気がいい。そして、故郷にいた頃は、日常的に部族の仲間と魔物を討伐していたらしく、身体能力にもとても優れている。
でも、だからと言って、猫に串焼きを取られたからと追いかけるのはどうかと思う。これが生活に困り、食べるものにも困っているならまだしも。彼女は、国が対応しきれない日常の細かい問題解決を担う、民間組織の人材ギルドに登録して働いている。彼女は、その身体能力を生かして王都に近い村の魔物を倒したり、工事現場を手伝うなど、そこそこの稼ぎだったはずだ。
それなのに猫の唾液が付着しているであろう串焼きをそこまでして食べたいのか。そもそも、レナという子どもを連れているのに、置いて行くなど、何かあったらどうするというのか。ただでさえ、獣人族といった他種族は誘拐犯などから目をつけられやすいと言うのに。ベルは少しだけ怒り感じたが、怒るべき相手がここにはいないので、それを飲み込む。
「レナ、広場に行きましょう、きっと広場なら、ジンたちも来るわ」
ベルはレナの小さな手を取り、広場へと向かった。
お読みいただきありがとうございました。