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哀れな女

第17話です。

先日、全話の句読点の訂正にあたるとあらすじにも書いたのですが、すいません間に合いませんでした。別の日を設けて訂正にあたります。本当にご迷惑をおかけします。

 ―カフェの中は人がまばらだった。


 南の地区にある小さなカフェ。


 平日の午後ということもあり、人は決して多いとは言えない。また、客層の年齢も高めだ。


 木製の壁と床の店内は、とても落ち着いた雰囲気で、少し薄暗かった。バーを思わせるようなカウンターに、木製のテーブル。そこに、備え付けられている木の椅子は、少し年代を感じさせるものの、よく手入れされているのが分かった。


 そんな渋くて、少しだけ味気のない空間に(いろどり)を添えているのは、白い花瓶に活けられた窓際のコスモス。それと、天気のいい街を散歩する猫の絵画。


 若者向けのお洒落なカフェというよりは、雰囲気を重視した純喫茶だ。それぞれの客が、読書に耽ったり、新聞を広げたり、あるいは窓の外を眺めたりと、思い思いに過ごす。


 そんな客たちが注文した料理や、食べ物を置く、木のテーブル。そのテーブルの一つ。実用的で、デザイン性に欠けるが、清潔であるテーブルの上では、二つの紅茶のカップ。そこから天井に向かって、湯気が立っている。


 「―わざわざ、来てもらって悪いわね」


 テーブルに座っているベルが、そんな謝罪の言葉を口にした。


 「別に大丈夫ですよ…」


 湯気が立つカップの向こうで、ジンの幼なじみにして同居人のリリナ・ダイヤ・ジェナーが素っ気ない調子でそう答える。


 二人は今、テーブルに向かい合わせになって座っている。


 四人掛けの席のため、相手との距離感が遠い気がするが、ベルにとっては丁度よかった。きっとそれはリリナもだろう。


 「これ…。とりあえず、今日持ってこれる分は持ってきました」


 リリナは紙袋一つと、本が数冊、紐に括られ束になったものを渡す。本の方がまるで、これからもゴミに出すかのように括られている。これは、本の持ち主へというよりは、ベルへの当てつけだろう。


 そんな荷物を差し出すリリナ。その左手は、手首から甲にかけて包帯が巻いてあり、痛々しい。いまだに傷が完治していないのだと見て取れた。


 「そういえば、手、大丈夫かしら?」


 「おかげさまで…」


 またもや素っ気ない返事が返ってくる。


 リリナは可愛い顔には似合わない仏頂面のまま、湯気が立つ紅茶に口をつける。彼女が頼んだのは、アップルのフレーバーティーだ。

 

 ベルも、自身が頼んだブレンドティーに口をつける。複数の茶葉が混ざっているので、人によっては邪道と言われるが、ベルは昔から好きだった。口の中に良い香りが広がる。


 テーブルの向こうからリンゴの甘い香りも漂ってきて、それが混ざり合い、複雑な紅茶の香りが鼻孔をくすぐった。


 「持ってこれない分は、明日辺りに業者に頼んで送ります」


 「ありがとう、助かるわ」


 「別に…。(うち)にレナちゃんの物があっても、困るだけですから…」


 今日仕事が休みのベルが、リリナと会う目的は、レナの私物を持ってきてもらうことだった。


 ジンの家には、最近までレナが住んでいたため、彼女の服などの私物がある。


 レナをあの部屋から連れ出す際に、数日お泊りできるくらいの荷物は、一応持って行った。基本、ベルの家でレナがしばらく暮らすために足りない物は、ベルの実家から、お下がりや、店で新しく買ったりした。しかし、ジンの家に、置いて行ったものの中には、レナが思い入れのある物もあるのだ。


 レナを連れ出した最初の頃は、お泊りと嘘を吐いていたし、それ以降は、裁判所と教会の通達により、ジンにその嘘がばれた。そして、二日前に起きたジンとの出来事から、ベルは彼に会いたくなかったので、その荷物を取りに行くことができなかった。


 そのため、ベルはリリナとこっそり連絡を取り、お願いしたのだ。リリナの今までの態度から、自分のことが嫌いだと、ベルは分かっていたので、今回のことは断られるかもしれないと覚悟していたが、彼女はあっさりと引き受けた。正直、何かの罠かと疑いたくなるくらいに。


 「あの、レナちゃんは、どうしてますか?」


 リリナが仏頂面だが、ためらいがちに聞いてきた。


 「普通よ。昼間は、私の実家に預けているけど、そこで、勉強したり、本を読んだりして過ごしているわ。 あと、ごはんも、ちゃんと食べてるわ。 …あの子、ハムとかウインナーみたいな燻製肉と、フルーツだと、イチゴが好きみたい。 本当に美味しそうに食べてるわ」


 「そうなんですか…」


 「ただ、今も、よくぼんやりしてるの…。 まるで、違う世界へ行ってるんじゃないかって思うくらいにね…」


 レナは、ジンと暮らしていた頃から、ぼんやりすることがあったが、それはジンと暮らさなくなった今も続いている。よく、実家の家族からも、心配の声が聞こえるし、ベルもその姿を見ると、心配になる。


 ベルの言葉に、リリナは俯いた。その表情は分からないが、顔色は悪く、体に変に力が入ったようだった。


 レナの養育権停止の通達がジンにされたことは、彼と共に住むリリナも、当たり前ながらに知っている。そして、ベルがその理由も教えた。


 ジンとは違い、リリナが事の重大さを理解していることに、少なからずベルは安心した。


 「あなた、ジンがレナにしたこと気づいてた?」


 「ごめんなさい…」


 「それは、どっちの意味? 気づいていたの? それとも気づいてなかったの?」


 思わず、強い詰問口調になってしまい、ベルは失敗したと思った。自分に彼女を責める資格はないからだ。


 自覚がないままジンが虐待したことで、レナは傷ついた。だが、それだけでなく、一人の男と、複数の女の不適切な関係を見せたことも、レナを傷つけたのだと、ベルは理解していた。いや、傷ついたレナを見て、やっと理解したのだ。そんな、レナを傷つけた加害者である自分に、同じ加害者のリリナを責めることはできないと思った。


 「…ごめんなさい…。レナちゃんが、ジンちゃんに合わせて、イイ子を演じてるのは分かってました…。 ‘あぁ、この子も、ジンちゃんに媚び売ってるのか’って、ちょっと気に入らなくて…。 レナちゃんが、何かに我慢しているように見えたり、ごはんが食べれないくらい、傷ついてるの見て、‘ざまぁみろ’って思ったこともありました…。 でも、その原因が、ジンちゃんのせいだって思ってなくて…」


 俯きながら絞り出すように並べた言葉は、彼女の懺悔だった。


 リリナは、レナがジンの理想に合わせて演じていたのは知っていた。しかし、彼女は、それを、レナがジンを愛しているからだと勘違いしてしまったのだ。


 「レナは、ジンが好きじゃないわよ…」


 「分かってます…。 本当に今更で、よく考えればすぐに分かることなのに…。 レナちゃんは、一度もジンちゃんに好きだって言ったことも、アプローチしたこともないのに…。 なのに、あの子も、ジンちゃんが好きだって思ってて…」


 リリナは依然俯いたままだった。彼女の飴玉のような、綺麗な桃色の髪が、首から一筋零れた。それはテーブルに落ちることもなく、宙ぶらりんになる。


 「…顔上げて。別にあなたを責めてるわけじゃないから…」


 ベルがそう言うと、リリナは顔をゆっくりと上げた。そのダイヤのような銀色の目が、こちらを伺っている。今更ながらに、彼女が仏頂面は不機嫌だったからではなく、こちらを恐れていたのだと、ベルは理解した。


 『あぁ、そういえば、この子はまだ十八歳で、ミーナと変わらない年だった…』と、ベルは今更ながらに気づく。人によっては、十八歳と言えば、まだまだ社会に出たての未熟者だ。例え、もっと早くに職に就き、生計を立ててたとしても、これからの人生はもっと長く、まだまだ若輩者なのだ。


 そんな十八歳であるリリナが対面している現実は、自分と共に暮らしていた子供が、実は知らないところで虐待されていて、しかも、その虐待をしていたのが、共に暮らす愛している男という、なんとも笑えないこと。


 いきなりそんなことに巻き込まれて、彼女はどれほどショックを受け、混乱しているだろうか。その虐待を見つけたこちらと対面し、今、どれほど恐怖を感じているのだろうか。


 ベルが憎い恋敵であると思っていたリリナは、女であると同時に、まだ子供なのだ。


 「ねぇ、リリナ、聞きたいことがあるの…」


 なるべく落ち着いた口調で、ベルは口を開く。


 「ジンは前に、私に、レナがぼんやりしてるとか、食欲がないみたいって言ってたの…。 私は、たぶん、それはジンがしたことのせいだって思ってるの…」


 「ジンちゃんが言ったんですか…?」


 「えぇ…。それとね、私の家にレナをお泊りさせるって嘘を言った時、すごいあっさり承諾したでしょ? あの時、私が、もしかしたらレナの体のキスマークを見つけるって考えなかったのかって、ジンに対して疑問に思ったの…」


 「あ…」


 「それとね、二日前に王宮でジンに会ったの…。 その時にね、ジンは、自分がなんで養育権を取り上げられたか、分かってなかったわ…。 しかもね、レナにキスマークを付けたことを、‘そんなこと’って言ったの…。 自分がレナに悪いことをしたんだって自覚が全然なかったのよ…。 まるで、十七歳の男の子が、十八歳未満は、煙草やお酒はダメっていう法律を破るみたいにね…」


 「………」


 「どうして、こんなにも、ジンと分かり合えないのかしら…?」


 ベルの質問は、嘆きと同じだった。


 リリナは、その質問を聞いて、ダイヤのような銀色の瞳を一瞬、潤ませるが我慢する。その可愛らしい顔には悲痛が浮かんだ。彼女はまた俯くが、すぐに顔を上げる。桃色の髪が揺れて、一瞬綺麗だと、ベルは感じた。


 リリナは、意を決したように、口を開く。


 「それは、私達が‘女’だからです…」


 ジンと分かり合えない理由、それは自分たちが『女』だから。その言葉の意味が分からなくて、ベルはすかさず聞いた。


 「それは、男と女の違いってこと?」


 その問いに、リリナは『いいえ』と首を横に振った。


 「ジンちゃんは、女の人に対して、複雑に思ってるから…。 すいません、上手く言えないんです…」


 リリナは、一口紅茶を飲む。ベルも同じように紅茶を飲む。リリナは、本当にどう言えばいいか分からないようで、頭をひねっている。


 視線を横に動かすと、誰もこちらに目を向けていなかった。店主と店員は、カウンターで仕事をしている。客の方は、相変わらず本を読んだり、新聞を広げたり、コーヒーと料理に舌鼓を打っていた。こちらの話が聞こえているだろうに、それを気にしないでいてくれるのは、大人の流儀というやつなのかもしれないと、ベルは思った。


 ちなみに、二つ隣のテーブル席の客が読んでいる新聞には、『あっちは天国。こっちは地獄』と、インパクトが強い吹き出し付きの風刺画。そこには金髪で頭に王冠を付けた男性と、黒髪で褐色肌の女性が、それぞれ白のタキシードとウェディングドレスを着て、天使に祝福されている。その一方で、貧相な服を着た癖毛の黒髪の男が、悪魔達に虐められ泣いている。


 最近発表されたレアンドル陛下と、ヒルデガルト殿下の婚約。それによって、自民族中心主義者が犯罪を行い、結果として罪もない国民が被害を被ると皮肉ったものだ。どうやら、その新聞は、風刺画と下品な内容の記事がおなじみの、カローナ新聞社のだ。この新聞社はある意味、本当に度胸があるな。そんなふうベルが呆れていると、リリナが『ジンちゃんは…』と口を開いた。


 「ジンちゃんは、基本、他の男の人と同じなんです…。 頭の中が、出世と女の人の裸のことでいっぱいの、そんな普通の男の人です」


 「…ずいぶんと、キワドイこと言うわね。 あなたが、ジンに対してそんなこと言うなんて、ちょっとびっくりだわ」


 「そうですか? 私も、ジンちゃんに近づく女の人だけじゃなくて、ジンちゃんに対してもけっこうアレなこと考えてます…。 たぶん、全部ぶつけられたら、すっきりするんでしょうけど、それをしたら、たぶんジンちゃんに嫌われるんで、言わないだけです」

 

 リリナは苦笑した。年相応の笑みだった。


 「まぁ、話を戻しますけど、ジンちゃんは他の男の人と同じなんです…。 でも、ジンちゃんは…他の人と違って、女の人に対して、苦しいくらいの執着と、痛いくらいの憎悪があるんです」


 「………」


 「本人は、たぶん気づいてないんですけどね…。 でも、どうしても、たまに出ちゃうんですよね…」


 リリナは紅茶を、また一口飲んだ。ベルも自分の紅茶を、また一口飲む。少し冷めた気がする。


 「…私は、ジンちゃんが、レナちゃんにひどいことしたことに気づいてなかったけど…本音を言えば、ベルさんに教えられたとき、‘やっぱり’って、納得しちゃったんです…」


 「レナが女だから、ジンはそんなことしたって言うの?」


 「そうです。 …でも、ジンちゃんも、必死に子供だと思おうとしたんだと思います…。 失敗しちゃったみたいですけど…」


 ジンの全ては、無意識だ。リリナの話が正しければ、彼は無意識で女性を憎んでいて、執着している。そして、無意識で傷つけている。


 ―本当に、ひどい男ね…―


 ベルはそう思った。最近、彼に対して、失望ばかりをしている。それでも、ジンへの思いを捨てきれない。思考と心は、全く別の働きをする臓器、あるいは全く別の意志を持つ生き物のようだった。


 ベルは、どうしようもない気持ちを霧散させるように、ティースプーンで紅茶をかき混ぜる。すると、リリナも自分の紅茶に、白い角砂糖を落とし、同じようにかき混ぜた。

 

 カチャカチャとかき混ぜる音がする。


 「私、たまに、自分が男の子だったら、良かったのになって思う時があります…。 男だったら、ジンちゃんは、ひどいジンちゃんにならないから…」


 「でも、それは、あなたが欲しい幸せじゃないでしょ?」


 「あはは、確かに。 男同士で結婚は無理ですからね…。 子供も授かれないですし…」


 リリナは無理してぎこちなく笑った。彼女が欲しいのは、ジンの妻になって、彼の子供を産む幸せだ。女性全員とは言わないが、多くの女性が夢見るような、好きな人と結ばれて、家族を築く幸せ。


 『ちょっと、自分の話、していいですか?』と、リリナが聞いてきたので、ベルは『どうぞ』と返した。


 「―私、故郷の村にいた頃から…それこそ、本当にちっちゃい頃から、ジンちゃんが大好きだったんです…」


 リリナとジンは幼なじみだ。当然、彼女も、ジンと同じ村の出身なのだ。


 「ちょっとやんちゃで、ドジなところもあるけれど…いつでも優しくて、私の面倒を見てくれる…。 そんなお隣に住む、二つ年上の素敵なお兄さん。 それが私にとってのジンちゃんで、王子様と同じでした」


 「初恋だったのね…」


 「そうですね…。 今も続いている初恋…。 本当に大好きなんです…」


 リリナは頬を染めることはなかったが、その銀色の瞳が、この思いは本物だと、告げていた。


 「私の村みたいな田舎だと、大抵、幼なじみの男女が結婚するんです…。 例え、めぼしい幼なじみがいなくても、村長や大人たちが、相性が良さそうな男女をお見合いさせて、結婚の仲人をするんです…。 だから、ほとんどが、同じ村の人と結婚するんですよ…」


 「そうなの…」


 「そうなんですよ。 だから、他の大人たちも村長も、私の親も、友達も…ジンちゃんと私は結婚するものと思ってたんです…。 私も、そう思っていました」


 リリナは銀色の瞳でこちらを見つめたが、それはベルを責めるものでも、牽制するものでもなかった。ただ、悲しみだった。


 「でも、ジンちゃんは、言いました‘幼なじみとしては、大切にしてきたけど、一度もそんなことを考えたことない’って…。 …そろそろ、私と結婚するように勧めてきた村長と、他の大人たちの前でです。 もちろん、私の親も、私もいました」


 「…それは…」

 

 ハッキリ言って、それはあまりにも酷いと、ベルは思った。自分も、ジンが好きだし、リリナに嫉妬するときもある。それにしても、リリナがされたことは、あまりにも酷すぎた。


 「…その頃、ジンちゃんは、ちょうど、すごく魔力が多いから、王都の聖騎士候補にならないかって、お誘いが来てて…ジンちゃんはその話に飛びつきましたよ…」


 「………」


 「すいません…。何も言えなくなりますよね…。 でも、私、すごいショックで…。 裏切られたって思いました…。それで、どうしても、ジンちゃんが諦められなくて…だから、家を飛び出して追いかけて来たんです…。 そしたら、ジンちゃん、ベルさんとか、レオノーラさんとかから好意持たれてるし…。 …その上、部族長の娘とか、公爵令嬢様とか、お姫様とか、身分とかで全然勝てない人達まで、ジンちゃんが好きって…」


 そこまで言って、リリナは言葉を詰まらせた。その歪んだ銀色の双眸からは、涙が零れる。彼女の喉が上下すると、その口から嗚咽を漏らした。


 「先に…好きになったのは、私なのに…ッ。 ジンちゃんが、一番つらい時…側にいたのは、私なのに…。 ずっと、一緒にいたのは私なのにッ…」


 その言葉を聞いて、ベルは気づく。自分にとって、リリナだけでなく全員が、ジンを奪う敵だったが、リリナにとってもそうなのだ。むしろ、リリナの場合、ジンと過ごしてきた時間も長いし、周囲の人たちと共に、彼と結婚すると思っていたので、余計なのだ。


 ベルが何も言えないでいると、


 「私は…ッ、たとえ、どんなことがあっても、ジンちゃんと一緒にいれる…」


 「たとえ、ジンちゃんの手足がなくなって、何にもできない芋虫(キャタピラー)になっても、そのお世話だって、できる…ッ」


 「もし…私の、ジンちゃんへの愛がなくなっても…私は、ずっと一緒にいれるッ…!」


 そう言いきったリリナは、泣いているのに、笑っていた。


 ―この子は、壊れちゃったんだわ…―


 ジンが好きなあまりに。ずっと傷つけられ続けていたために。リリナ・ダイヤ・ジェナーという少女の心や、精神、価値観などの、人間性において大事な部分は壊れてしまったのだ。


 リリナは両手で顔を覆った。その包帯にまかれた左手が、やはり痛々しくて、ベルは目を逸らした。涙と嗚咽が止まらない少女は、どこまでも哀れな女だった。


 ベルはその姿を見て、嘲りの気持ちも、哀れみも浮かばなかった。不思議と凪いだ気持ちだった。


 自分は、こんな哀れな女に嫉妬してきたのか、とただ思う。それと、自分がこの少女のために、言えることも、できることも何もない。そうベルは思った。


 そして、頭のなかに、唐突に、カルロス・アウィン・アミスターの姿が浮かんだ。ジンの、一応友人で、レオノーラの幼馴染。レオノーラを愛する男。彼とは、先月の合同演習の日、医務室で会話をした。その時に、なぜ自分にお礼を言うのか。彼から理由を言われても、本音を言えばベルは分からなかった。しかし、今なら分かる。


 ―彼は、私を責めてたんだわ…-


 レオノーラを傷つけているのは、他の女性と、曖昧な関係を持つジンだけではない。彼とその曖昧な関係を持つ女性全員だ。好きな女性を傷つける相手として、彼は遠回しに責めてきた。それだけでなく、こちらに向かって、忠告と、遠回しに『目を覚ませ』と言っていたのだ。


 カルロスに言われなくても、本当に自分でも、なんて馬鹿なのかと、ベルは思う。


 カルロスの言うことは正しい。しかし、反論するとすれば、批判するくらいなら、彼への、この思いを断ち切る方法を、()()に教えてくれよ、とベルは言いたい。


 自慢の波打つ黒髪を、ベルは無性にいじりたくなった。しかし、手を伸ばしかけて、引っ込めた。


 相変わらず、カフェには人がまばらにいる。こちらの話も聞こえているし、リリナが泣いていることに他の人も気づいているだろう。しかし、相変わらず、店主も店員も、客も、こちらへ慰めの言葉をかけることも、視線も向けない。それは決して、冷たいからではなく、気遣いだ。やはり、大人の流儀というやつなのだろう。


 今は、その気遣いがベルにとっては、ただひたすらに、ありがたくてしょうがなかった。


 ベルは紅茶に口をつける。冷めた紅茶の味は、渋くて、少しだけ苦みを感じた。


 お読みいただきありがとうございました。

 また、申し訳ありませんが、私事でしばらく更新が、今まで以上に遅くなります。作品は書き続けて参りますので、今後もこの物語をお願いいたします。

 ご理解頂ければ、幸いです。本当にご迷惑をおかけして、申し訳ありません。

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