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12/20

王立研究所と高潔の人

 お待たせしました第12話です。

 ―一週間が経つと、先日読んだ新聞の気象学者の記事の通り、少しだけ暑さが和らいだ。


 太陽の刺すような光が柔らかくなり、蒸し暑い夜も深夜になれば、心なしか涼しい気もする。


 しかし、まだまだ照り付けるような金色の太陽が君臨し、夜は熱帯夜と叫ばれる王都。例え、遠くから秋の足音が聞こえてきたとしても、まだまだ夏は玉座を渡さないとばかりに堂々と居座っている。


 つまり、簡単に言ってしまえば、王都はまだまだ暑いのだ。


 特に太陽が君臨する昼間となればうだるような暑さ。限界という言葉の意味をまだ知らない元気溢れる子供達を除いて、人々は日陰や屋内に避難していた。


 王城でも、訓練や警備のために泣く泣く外へ駆り出される騎士や、掃除のために外を掃除する侍女や庭師、あるいは他の部署に用事があるために移動する者を除いて、皆が涼を求めて屋内に避難していた。




 ―扉が閉められた部屋に涼しい空気が漂う。


 ここは、王宮の敷地内にあるものの他の部署とは異なり、一つの建物として隔離された王立研究所。その名の通り、国によって設立された国立の施設で、文明発展に貢献する優秀な頭脳と、騎士団顔負けの根気を持つ研究員たちが、毎日のように魔道具と薬品、魔術の開発・改良、研究に精を出している。


 研究所の隣には温室の植物園があり、様々な植物が外からでも見えて目を楽しませてくれるものの、その研究所自体は飾りもなく少し簡素で寂しい。研究所は地下の二階もいれると八階建てで、一つの独立した城であると言っても差し支えなかった。どの階も全体的にクリーム色の壁や床、上は茶色の天井である。ここには実験を行う研究室以外にも、休憩室や応接間、会議室、書庫も設けられている。


 そんな研究所の一階にベルは今いた。


 彼女は灰色のローブを脱いで、応接間で椅子に座りながらお茶を飲んでいた。応接間は受付のすぐ側にあり、扉を開けると、向かいには窓があり、その側にチョコレートみたいな茶色の長いテーブル一つと六つの椅子がある。その上に置かれた白いティーカップの中には、湯気が立つ紅茶。研究所の受付嬢が淹れてくれたものであるが、香りがよく中々なものだ。


 夏に熱い紅茶はどうかと言う者もいそうだが、研究所の中は冷却の効果がある魔道具により涼しく、人によっては寒いと感じるくらいであるため、気を利かせて温かい紅茶にしてくれたのであろう。


 研究所の一階には財務関係や書類仕事などの雑務を行う事務室と今いる応接間、受付がある。受付は魔術師団や騎士団、財務省などの各部署から研究所への取次や連絡する窓口だ。ちなみに受付嬢とは仕事で書類を届けに行くこともたまにあるので、ベルとも顔見知りだったりする。


 少し寒さを感じて、脱いでいた灰色のローブをベルは羽織る。温かいものが欲しくてティーカップの持ち手を取ったベルがふと窓の外を見ると、夏の太陽に照らされたガラス張りの植物園が見えた。輝く光を反射させるガラスの向こうには生い茂る草花。それらの名前や種類は分からないが、希少価値が高いものや研究に使われるものが育てられているらしい。そんな植物たちは燦々と輝く太陽の光を浴びて生き生きとしている。


 「早く来すぎちまったかなぁ…」


 向かいに座る先輩の魔術師が眉を顰めてそう言った。


 ベルは、テーブルの上のソーサーに、シンプルなデザインのティーカップを置く。


 「大人数だと早めに来た方がいいと思います」


 今この応接間にいるのは、ベルと先輩の二人であるが、今日はこれから行う会議に参加する王宮魔術師は彼女たちを含めた十五人という大所帯だった。今この部屋にいる二人以外は研究所の知り合いを訪ねたり、集合時間の少し前に集まる予定というところだ。規模や人数が大きくなるほど、集まる時間は早い方がいいとベルは思う。


 「けどなぁ…なんというか、申し訳なくって来るな…こっちの接待までさせて」


 「考えすぎですよ」


 ベルは宥めるように声をかける。この先輩の魔術師、ベンジャミンは責任感が強く、面倒見もいい男だ。仕事も完璧にこなすし、人がいいので王宮魔術師団の中でも一目置かれている存在でもある。もちろんベルも先輩として尊敬しているが、この先輩は自分が他人に迷惑をかけることや頼ることを良しとしない人であるため、時々ネガティブな発言や、周囲から見ても考えすぎだと思う発言が多い。


特に最近、私生活で子どもが生まれてから悪化している気がするのは気のせいだろうか。ちなみにこの前、彼が『娘が生まれてから、世の中がとても物騒に感じるようになったんだ』とポツリと漏らしていたことは記憶にも新しい。


 「だってな、研究所も、魔国との共同開発で今一番大変だろ?」


 そう言ったベンジャミンは、暑いと言って脱ぎ、あらかじめ畳んでいた自身のローブを畳み直した。


 彼の言う通り、研究所は秋祭りのパレードに向けて魔国と共同開発を行っている。パレードは、前夜祭や祭りのオープニング代わりに行われる一般市民や芸人が仮装したものもあるが、ここでいうパレードは祭りの三日目で行われる公式パレードのことだ。


 公式パレードは、この国の王室が王都の国民にその姿を見せるパフォーマンスだ。式典用の華やかな正装を纏った騎士や、これまた式典用のローブにいくつもの勲章をつけた魔術師が、王室が乗る馬車を守るように大通りを行進する。白馬の騎士が先頭に立ち、その後ろを剣を下げた騎士達や、儀礼用の杖を掲げた魔術師達が息を合わせ、一糸乱れぬ行列をなす。その凛とした姿は見事としか言いようがない。


 ベルも子どもの頃は、友人や家族もしくは幼なじみと共に見物し、誇り高いその姿に見惚れたが、実情は王族が乗る馬車の近くを守る者以外で行進に参加する者は、騎士団と魔術師団の重役が無作為に選んだ人材である上に、本番に向けて行進の猛特訓をするのだ。ベルも入団二年目に行進に参加させられたが、たとえ名誉であると分かっていても、あの特訓をまた受けるなら遠慮したいと思っている。ちなみにベルは、今年は秋祭りでパレードの行進には参加しないが、演出や警備の面で参加する予定だ。


 警備は言わずもがな、祭り中の不審者対策や犯罪予防であるが、演出というのはそのままの意味でパレードの演出をすることだ。演出には音や光、花びらが使われるが、それらはすべて魔術で行う。祭り中は、演出のために魔術以外にも、情報伝達のための魔術や遠見の魔術など、複数の魔術を同時並行で行うことになる。その負担を軽減するために使われるのが魔道具で、そしてその魔道具を作るのが研究所なのだ。


 そして現在、研究所では、同盟を結んだ魔国との『仲良しアピール』もとい友好関係を築くために、共同開発を行っている。そのため例年と比べても慌ただしい状態だ。


 「本音を言えば、魔国との共同開発なんて、本当にうまくいくか疑問ではありますけど……あ、今のは魔国が信用できないっていう訳ではなくて、ルミエーダ王国と魔国の研究が足並みを揃えられるものなのか疑問っていうことです」


 「訂正しなくても大丈夫だ。 ファーテンが人族至上主義者でも魔族差別主義者でもないって分かってるから…。 でもな、お前が言う通りだとは思う。 研究サンプルも伸ばしてきた分野も違うのに大丈夫なのかって、けっこうな奴らが言ってる」


 ベンジャミンは口に紅茶を運んだ。ベルも同じように紅茶を口に運ぶ。


 外からこちらへ訪ねるときは熱いと感じたのに、今ではローブを着ていても少し肌寒いと彼女は感じた。


 「ぶっちゃけた話、文化や言葉、環境が違う二つの国が、支配や属国とかじゃなくて、対等な同盟国として技術提携しても、あんまりメリットはないんだよな…。 一見、互いに足りない分野を補い合えるって思うかもしれないけれど、それって、別の視点で見れば、それぞれが別の分野で研究しなきゃならない環境で、その土地にあるもので発展させたってことだろ…。 それこそ、研究材料が無かったり、道具がなかったり、どちらかにとっては有益でも、その一方にとっては有害でしかなかったりする可能性があるよな…。 文明同士の衝突ってやつ?」


 「今は、できるものを研究していくんでしょうけど…。 それって、言ってしまえば、最大公約数ですよね…」


 「まぁ、長い目で見れば、お互いにとって大きな発展につながることなんだろうけどな…」


 そういうとベンジャミンは、ローブの下から手帳を取り出した。彼は『あぁ、そういえば』と、ベルに向かい


 「お前、今回の会議では、何か質問とかするつもりか?」


 「一応、魔法陣を描く上で、四つくらい確認したいことがありますけど…そちらの幻影魔術の方はどうですか?」


 今回の会議は、共同研究で作成された、パレードで使う魔道具の試作品についての意見会だ。参加する者も、研究所の研究員だけではなく、実際に魔道具を使う魔術師やパレードの行進をする騎士。しかもその中でも、特に責任者や、それぞれの魔術で秀でた者が集められている。


 ベルは魔道具に魔法陣を施す魔術師として、ベンジャミンはパレードの時に幻影魔術で演出を行う者として、他の者も召喚魔術を行う者や、パレードの行進の隊列を整える者、王族の護衛を担当する者など、皆がそれぞれの役割を担当する者だ。


 研究所で行われる秋祭りの会議は毎年、様々な視点を持つ者が集められ、意見を言い合い試作品の魔道具が改良される。この意見の議論が、かなり盛んで、毎回ケンカまでとはいかないものの、小さないざこざがある。ベルは今回で二回目の会議の参加だが、元々、この会議が平和的ではないと噂であったし、去年とある女性の上司の補佐として会議に参加し、その場面を実際に目撃したので、それが本当だと分かっていた。


 ちょうど一週間前は、レナと色々な店を回り楽しかったが、反対に今日は、緊張や不安で心が重たい。


 今年は、去年の上司が産休に入ってしまったので、ベルはその代理として今ここにいる。去年とは違い責任ある立場として参加する上に、魔国の研究員も参加するとあって、ベルは余計に気が引き締まる思いなのだ。


 どうやら、演出での幻影魔術の責任者であるベンジャミンも同じ気持ちらしく、真剣な面持ちで頷く。


 「俺は、魔術を使う時に、魔道具が邪魔にならねぇかが心配だな。 …質問するなら、魔術の相性と、魔道具の効果つうところだな」


 「魔術師側だと、それが一番ですよね」


 「あと、今年は治安の方でも、不安なところがあるから、それ関係の魔道具も別件で聞きたい」


 ベンジャミンはそして、手帳を確認し始めた。たぶん手帳には今回の会議の情報や、質問が書かれているのだろう。生真面目で心配性な彼はこまめにメモを取る男だ。ベルもそんな尊敬すべき先輩に倣い、今日の会議の資料を出して目を通す。薄い紙の束には自分なりの書き込みをして、何回も目を通したが、やはりベルは緊張してしまう。


 少しでもリラックスするために紅茶を飲むが、少しだけ冷めていた。


 その時、コンコンとドアがノックされ、『そろそろ時間だぞ』と上司の魔術師が入ってくる。


 いよいよかと、ベルはローブの襟元を正して、立ち上がった。



**********


 「―つまり、この魔道具は、街の数か所に設置することで、行進の様子をその場にいなくても知ることができます」


 白衣を着た三十代くらいの魔国の女性研究員が、長いテーブルの向こうでそう説明する。この国の公国語であるリヒター語が、落ち着いたアルトの声で淀みなく紡がれるのが耳に心地いい。


 ベルが今いる大きな会議室には、研究所の者や騎士団の者、魔術師団の者が合わせて六十人以上がいた。もちろん一つのテーブルで足りるわけはなく、長いテーブルが四つくらいあり、そこに参加者は着席している。テーブルの上には、資料と持ち運びが可能なタイプの魔道具が置かれていた。


 入り口から入って左側から一列目のテーブルの、ちょうど真ん中に座るベル。同じテーブルには、魔術師たちがおり、ベルの斜め前に置かれた魔道具を興味がありそう者や、研究員の話を聞きながら資料から目を離さない者、真剣にメモを取りながら話を聞く者など様々な者がいた。騎士団の方にも目を向けると、同じような状態だ。


 今回の会議の中心の研究員達は、四つの長いテーブルの向こうで、幻影魔術を応用した映写機を使いながら説明をしていく。


 皆が白い白衣である事には変わりないが、雫のモチーフに不死鳥が描かれた紋章を左胸に飾った白衣と、剣と盾が描かれた赤い国旗が左胸に刺繍された白衣の二種類がある。前者が人族が多いルミエーダ王国の研究員で、後者が他種族が多い魔国の研究員だ。


どちらの国の研究員にも、人族が多い中に他種族が混ざっていたり、他種族が多い中に人族が混ざっている。それらの者は移民や、言い方は悪いが捕虜や奴隷の子孫というところだろう。


 ちなみにルミエーダ王国でも、魔術師や騎士、侍従、侍女など、王宮勤めの者にも他種族や移民、その子孫である者が少なからず存在している。


 この国では少数派に部類される者達だが、ベルの知り合いや同期にも何人かいる。その中でも、同じ王宮魔術師のセイレーンに部類される妖精族と、オーグレスに部類される魔族の二人の女性とは、それなりに仲がいい。どちらも親切である上に社交的なので会話も弾むが、たまにどうしようもない距離や隔たり、あるいは境界線を感じてしまう。


 例えば、彼女たちのどちらかが王宮の廊下を歩いている時、または集団で行動する侍女などの集団を見た時、はたまた、いつもと違う人と会話をする時、そんなふとした瞬間にガラスの壁のような警戒心や、標本や図鑑に並べられた生き物の解剖図を眺めるような―そんな物事の本質を冷静に探るような目を、いずれにしてもこちらが理解できないものを第三者としてベルは見つけてしまう。


 それはきっとこちらが人族であるために、彼女たちと置かれている環境と違うから理解できないものなのだと、ベルは解釈していた。


「―この魔道具は、魔国とルミエーダ王国が共同で研究した、いわば、種族を超えた平和への第一歩なのです」


 相変わらず、淀みないリヒター語が耳に心地よいアルトの声で紡がれる。女性研究員の説明に集中するため、ベルはすぐに二人のことを記憶の片隅に追いやる。そして、説明を聞きながらメモした内容に軽く目を通した。


ベルは説明をする研究員たちに目を向ける。


 それぞれの誇りを表す白衣を着て、民族や種族が違うものが入り交じり、一つの計画を成そうと皆の前に立っている研究員。白い壁に真っ赤な絨毯、茶色の天井の空間がまさに、研究員のための舞台(ステージ)だった。それぞれの魔道具の説明を行う担当は決まっており、話題の中心である魔道具が変わる度に、スポットライトを浴びる研究員が変わる。


 そして、今、スポットライトを当てられているのが、魔国の国旗が刺繍された白衣を身に纏う、長い銀髪と淡い黄緑色の瞳を持つ女性研究員―ハンナ・プレナイト・デルラ・クラーマー。


 吸血鬼に部類される魔族であるクラーマー研究員は、魔国では著名な研究者らしく、この国でも研究者の中では名の知れた存在らしい。魔国から来た他の研究員もこの国の研究員も、もちろん優秀であるが、彼女はそんな優秀な人材が敵わないほどに飛びぬけており、彼女こそ『真の天才』であると、ベルの知り合いの研究員が前に零していた。そんな真の天才と称される彼女は、この会議室という舞台でも、ただそこに存在しているだけなのに一際異彩を放つ存在だ。


 そんな彼女の舞台に、『質問の許可を』と野太い声が静かに落とされる。クラーマー研究員は『どうぞ』と淡々とした口調で許可を出した。


 「その魔道具は、街の数か所に設置すると言いましたが、具体的にどの辺に設置することに?」


 「基本、この魔道具は、パレードの進行の風景を映写機によって受け取り、幻影魔術と結合魔術に固定魔術、それに増幅魔術を応用して、街中に設置した映写機により投影すると説明しましたね。 私どもとしましては、教会やカフェ、もしくはたくさんの人達が集まれる場所が良いと考えています。 また、この魔道具を使えば、本番の時、過度に人が集中することが避けられるとも考えています」


 クラ―マー研究員はそう返答する。


 「こちらからも質問いいですか?」


 別の騎士が手を挙げる。その騎士は、当日の行進と警備の連絡調整を任せられている者だ。映写機のすぐ傍に立つクラーマー研究員は『どうぞ』と許可を出す。


 「あなた方が今説明をしている、その魔道具なのですが…行進している様子や街の風景を写真機で撮影し、街の数か所に設置された映写機がそれを受け取り、上映するということでいいのでしょうか? その場合、監視魔法と何が異なるのでしょうか? 申し訳ないのですが、私は魔術に疎いもので、今までの魔道具との違いが分かりません」


 「ご指摘ありがとうございます。 こちらの説明不足でした」


 クラ―マー研究員は頭を下げる。


 「今説明している魔道具は、従来の監視魔法の応用です。 監視魔術は皆さんお分かりのとおり光と影を用いた幻影魔術と、魔力や魔法陣をつなぐ結合魔術や固定魔術の組み合わせです。 しかし、この魔術は複雑であるため、停止した状態の方が適しています。 …こちらの国では街灯に監視魔術がかけられていますよね? それには複数の魔法陣や呪文を街灯にかける必要があります。そして、街灯も、その様子を映す魔道具も決して動くことはありません。 …今回はそこに増幅魔術も使います」


 「それはつまり、どちらかが動いていても、魔術が安定して発動できるということですか?」


 「そういうことになります。 今回の場合、動くのは写真機ですが、いずれは映写機も移動させることもできると思います」


 つまり、映写機が行進の様子を追いかけ、その写真機に収められた風景を映写機が映すという訳だ。


 騎士団の質問に続いて魔術師団からもいくつか手が上がる。その中にはベルも含まれており、幸運にもクラーマー研究員はベルを指名した。


 「私は、魔道具に魔法陣を施す者です。 今、お話の魔道具…特に写真機の方ですが、衝撃に弱いため、通常の写真機とは異なり魔石を用いず、その代わりに増幅魔法によって動かすというお話しでしたが…その場合の増幅魔法は、従来のもので良いでしょうか?」


 「ご質問ありがとうございます。 魔術に関しましては、こちらの国の魔術で十分に対応できると考えています。 仮にそれで不十分の場合は、私どもの国の増幅魔術を使用することになりますが、原理はこちらとほぼ同じですので、問題ないかと」


 研究所では魔道具の開発・改良だけでなく、新たな魔術の開発、従来の魔術の改良の研究も行っており、研究員の指揮の下、その実験に魔術師団も関わっている。そのため、魔国の魔術を使うことにベルは抵抗を感じなかった。しかし、ルミエーダ王国側の騎士団や魔術師団、研究員の中で少数であるが、数人が眉をピクリと動かしたり、明らかに雰囲気が変わった。室内で誰かが煙草を吸った時のような淀んだ空気が会議室に漂う。


 その後ベルは三つほど質問をして、次の人へ質問の順番を譲る。映写機は誰が持つのか、演出のタイミングはいつの方がいいのか、行進の時どこから撮るのかなど、次々と質問が出てくる。ベンジャミンは幻影魔術を行うにあたって注意点を質問していた。


 それら全ての質問の答えをあらかじめ用意していたかのように、クラ―マー研究員は次々と答えていく。まさに冷静沈着という言葉が似合う彼女は、隙がなく堂々としていた。同時にひどく冷たいと思えるほど何の感情も読み取ることができなかった。


 ―鉄壁の女って、この人みたいなことを言うのかしら?-


 一瞬そんな失礼なことをベルは思ったが、すぐに反省する。もう少し口調や雰囲気が柔らかかったなら、と思っていたが、それは間違いだと自分の心に語りかける。自分とは異なる存在である他人に、理想とする人物像を押し付けることほど愚かなことはないのだから。


 「他に質問はありませんか」


 クラーマー研究員の落ち着いたアルトの声が響く。


 質問をした面々はきちんと返答をもらえて満足そうだった。


 そんな中、仏頂面の騎士が手を挙げた。彼は祭りで警備担当者の一人だった。クラーマー研究員は『どうぞ』と彼にも許可を出す。


 「私は、街の警備を担当している者でしてね、その映写機の設置場所は王都の中心だけという考えで?」


 「いえ、王都の中心というよりも、先ほど別の方の質問でお答えしたとおり、教会など、王都でも多くの人が集まりやすい場所と考えています」


 「それは、つまり王都全体ということですかな? 例えば、汚染地区の貧民街も…おっと失礼、南のアラセリ地区やニルダ地区も?」


 その騎士の嫌味な言葉に同じ騎士団からも『おい!』窘める声が上がる。貧民街は南の地区にある低所得者が多く住む場所であり、貧民街という言葉自体が十分差別的な言葉だ。しかし、汚染地区というのはさらにひどく、その場所に住むのが移民や他種族が多いために皮肉られる差別用語だ。つまり、この騎士団幹部は他種族を差別する人族中心主義者だ。移民すらも貶しているので、もしかしたら、人族中心主義者よりもひどいかもしれない。


 しかも、そのことを押し出して魔国の研究員の前で言った。間違いなくケンカを売っている。あまりに露骨な態度に、魔国の研究員は皆、顔を顰めたり、拳を握り怒りに耐えたりしていた。ルミエーダ王国の研究員は魔国の研究員と同様、強い怒りを覚えている者と、顔を青ざめている者の二種類に分かれていた。騎士団や魔術師団の面々も同様に分かれている。


 ベルも思わず不快感に眉を顰めた。


 「…クズ野郎」


 隣の席から、小さな声でポツリとそんな言葉が呟かれる。


 声の主はベルの隣に座る女の先輩。本人自体は人族であるが、実の母親が獣人族であるため、射殺さんばかりに、差別的発言をした騎士の男を睨みつける。


 険悪な雰囲気が会議室に流れるなか、ただ一人、クラーマー研究員は無表情だ。彼女は明らかな悪意に晒されているなか口を開く。


 「それは、広範囲の警備は都合が悪いという意味ですか? それとも、移民や他種族で、その上、低所得者が多い地区は、国が管理する必要はないということですか? それとも人族ではない我々への文句ですか?」


 彼女のプレナイトのような瞳が、臆することなく真っすぐと自分達に魔国の者へ敵対する男へと向けられた。


 強い意志を宿したその淡い黄緑色の双眸がまるで威嚇する蛇のようで、彼女が静かに怒っているのだと、ベルを含んだその場にいる皆が気づく。


 「いや、私はただ、あなた方魔国の者が、この国の実情を知らないくせに、好き勝手にしてほしくないだけだが」


 「確かに、我々はルミエーダ王国の国民ではありませんが、そのような謂れをされるようなことは何一つしていません。 いつ好き勝手に振る舞いましたか? あなた方の国の在り方や政策、あなたが所属する騎士団へ何か命令をしましたか? 間違っていると指摘しましたか?」


 クラーマー研究員の問いかけに、馬鹿したようにその騎士は『ハッ』と鼻で笑った。あからさまに『魔族のクセに』と見下しているのが分かる。それは例え魔族でなくても、『女のクセに』と女性を軽視する男の態度に似ていて、自分の中でさらに不快感が強くなるのをベルは感じた。ベルはクラ―マー研究員を見守りながら、他の魔国の研究員にも目を向ける。


 クラーマー研究員は、そんな騎士の理不尽な態度にも動じず忽然としていた。


 そして、彼女だけでなく魔国の研究員たちも皆、その騎士を睨みつける。それらの瞳には差別される弱者としての悲しみはなく、ただ誇り高い戦士のような強い意志が映っていた。


 「あなたみたいに、我々を良く思わない方はいるでしょう。 重々承知でこの国に来ました。 我々は魔国の者です。 他の国の者です。 だから、例え、同盟国とはいえ、あなたにとっては、我々よりもルミエーダ王国の方が大切ですよね。 …別にそのことに対して悪いとは言いません。」


 「分かっているなら…」


 「しかし、そのルミエーダ王国には、全体で見たら少ないかもしれませんが、種族や出身の違う、多くの国民がいるんですよ」


 『それは、魔国の国民でも、他の国の国民でもない、紛れもなくあなたの国の、ルミエーダ王国の国民です』と、落ち着いたアルトの声を発するクラーマー研究員。


 「騎士が…国を守るあなたが、住む場所で国民を見捨ててはいけません。 …たとえ、どんなに快く思ってなくても…」


 そう締めくくられる言葉。


 『申し訳ありません、口が過ぎましたね』と落ち着いた口調でクラーマー研究員は謝罪する。


 戦いに終止符を打つ彼女の言葉に、黙って成り行きを見守らざる負えなった者達は、やっとのことで口を開いたり、ぎこちない動作を見せた。


 会議室という舞台で繰り広げられた戦い、その勝者は間違いなくクラーマー研究員だ。


 今も口論で負けたこと以上の敗北を悟って、顔を真っ赤にしながら悔しそうにする騎士。


 ベルを含めた、会議参加者の多くが、同じ舞台には立っていない。あくまで白いテーブル付きの観客席に座る観衆だった。


 しかし、一体どれくらいの者が観客席から自分たちの敗北を悟っただろうか。それと同時にクラーマー研究員のあの強さはどこから来るのだろうか。そんなことを、ベルは考えるしかなかった。



 ―その後、いくつかの魔道具の説明がされ、今回の会議はお開きとなった。


 会議室にはまだ騎士や魔術師の多くが残っていたが、数人はもう部屋から出ていた。


 ベルはクラーマー研究員の下へ向かう。


 ちょうど、彼女は例の騎士ではない重役の騎士から謝罪を受けた後だった。


 「クラーマー研究員」


 ベルが名前を呼ぶと、彼女は淡い黄緑色の瞳をこちらに向ける。


 「あなたは、確か、魔法陣を担当する方の…」


 「ベルティーユ・アメジスト・ファーテンと申します。 初めましてクラーマー研究員」


 「何か質問がありましたか? それとも魔術に関するご指摘か何かでしょうか?」


 クラーマー研究員は首を傾げた。その仕草が彼女にしては変に子供っぽくて、何か安心するものをベルは胸の内に感じた。


 「いえ、そういったことではないのですが、これから何かと関わる機会もあるため挨拶をしておきたいと思いまして…」


 「そうでしたか。 …ファーテン魔術師、これからお時間はありますか?」


 「はい、一時間半ほどなら大丈夫ですが…」


 「私の研究室で、少しお茶をしませんか? といっても、ほかの研究員と兼用の部屋なのですが…」


 急なお誘いにベルは驚いたが、その好意に甘えさせてもらうことにした。


 「ぜひ、お願いいたします」







お読みいただきありがとうございました。

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