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前編

 冷たい朝の空気の中、必死に足を動かし廊下を歩く。ホームルーム開始のチャイムがなるまであと二十分程度、教室についてからの事を考えるとあまり余裕はない。二段飛ばしでかけ上がっていく男子生徒の長い足が羨ましく、自分の短い足が恨めしい。二階までのぼるだけで既にパンパンになってしまっている腿を叩いて無理やり三階に続く階段をかけ上がった。


 私は自分のことが嫌いだ。

 例えば、母親似のつり目。父は私のことを母に似て美人だと誉めるけれど、私はそうは思わない。母のように美しいといわれるような顔の配置であれば、恐く見られがちなつり目も武器になっただろう。けれど、私は母に圧倒的に劣る。

 そして性格は人見知り、慣れても素直さゼロな対応。全くもって可愛いげがない。


 こんなの、名前が可哀想だ。


 心の中で呟きながら最後の一段をのぼりきった。

 でも、こんなことを考えること自体がもはや下らない。どうせ、自分のことが嫌いだと思っているだけで、何も変わらないし変えるつもりもないのだから。それは、他ならぬ自分が一番よくわかっている。


 変なことを考えていたら思いの外あっさりと教室に着いた。考え事をしている時が一番時が過ぎるのを早く感じる。人ってそういうものだよなぁなどと考えながら椅子に座る。

 教室の入り口から一番遠く、窓際にある私の席は寒くてこの季節にはあわない。それに、一番前の席というのが気に入らない。チョークの粉が飛んでくるし、ヒーターが微妙に遠いので教室で一番寒い。一番後ろの席ならヒーターがあるのに数メートルの違いでこの温度差は如何なものか。晴れの日は日当たりが良い分まだマシだけど、すきま風が酷いから結局寒い。

 けれどこの席になってよかったことがひとつだけあった。


(なお)ちゃん、おはよう」


 声が聞こえた方へ体だけ捻るようにして振り返る。見えたのは後ろの席の幸村真紀(ゆきむらまき)ちゃん。

 彼女は高校一年の時から私の親友。パッチリとした大きな目がチャームポイントでいつも笑顔、可愛いという形容詞がクラスで一番似合う彼女は私の理想そのものだ。私が彼女へかける言葉ナンバーワンが『可愛いね』なのは当然のことだと思う。

 そんな彼女は、今の席でよかった理由そのものでもある。この教室で唯一の癒しである彼女が後ろの席でなければ今の席の魅力はゼロだからだ。


「おはよ、真紀(まき)ちゃん。今日の一時間目ってなんだっけ?」


「確か、現代文だったと思うよ。そうだ、宿題やった?」


「あ、忘れてた!」


 普段、現代文で宿題が出ることなんて滅多になかったからうっかりしていた。

 私は手探りで机の中からプリントを探しだす。内容に目を通してみると、教科書の本文の穴埋めプリントだから三十分ほど時間があれば終わるだろうが、あいにく授業開始まではあと十五分ほどしかなかった。

 うん、全くもって間に合う気がしない。仕方がない、諦めて寝よう。

 私が机の上に突っ伏すと後ろからつんつんと背中をつつかれた。もちろん真紀ちゃんだ。


「直ちゃん、諦めるのはや過ぎだよ」


「だって、真面目に解いてたら間に合いそうにないし」


私の言葉に苦笑した彼女は、後ろに回していた手をじゃーんっ、と言いながら前に出した。

 何その効果音、かわいいな。


「直ちゃん。これ、何でしょうか」


「あ、宿題!」


 そう、彼女が私の目の前に出してきたのはプリントだった。まだ真っ白な私の物に比べて、彼女の物は小さく丸い女の子らしい字で埋められていた。


「正解。見たい?写してもいいよ」


 真紀ちゃんはそう言ってプリントをひらひらと揺らした。


「え、いいの?」


「もちろん、どうぞ。早くやっちゃいなさい」


「うん、ありがと!」


 助かった。持つべきものは親友だね、などと言ってみたら、早くしないと間に合わないよ?と返された。

 怒るでもなく、おちょくるでもなく、ただ純粋に私の心配をしてくれた彼女は私にはもったいないぐらいの友達だと思う。

 そして私は自分が嫌いな分だけ余計に、彼女が特別なものに見えるのだ。


「おはよう、幸村。中村にわざわざ宿題見せてやってんの?優しいな、お前は」


 少し低い男子特有の声がした。その声を聞いただけで、とくんと心臓が跳ねる音が自分の体から聞こえる。

自分に話しかけられた訳ではないのに。


「おはよう、中嶋くん。別に直ちゃんは毎日宿題を忘れてる訳じゃないし、友達だから多少は手助けしたいもの。当たり前のことよ」


「そ、そうよ。早く終わらせないといけないの。邪魔しないでくれる?」


「そっか、間に合うといいな。あと十分しかないけど」


「……うるさいな、放っておいて!」


 あ、強く言い過ぎた。すぐに後悔が襲ってくるがもう遅い。


「はいはい、悪かったな、邪魔して」


 もうちょっと俺にも優しくしてくれよ、なんて言いながら自分の席に戻っていく彼を、私は見送るしかなかった。

 彼はクラスメイトの中嶋尚哉(なかじまなおや)くん。


 私の好きな人。


 はぁ、と思わずため息をついてしまう。私は彼のことが好きだ。声が聞けるだけで一日が幸せになれてしまうくらいには好きだ。

 けれど、どうしても冷たくあたってしまうのだから仕方ない。こういう性格なのだ。

 思えば、彼と初めて話した時も冷たく返してしまったな。





 初めて話したのは確か、高校二年に進級して初めての日。私の前の席に座って話しかけてきたのが彼だった。


「はじめまして、中村さん」


「……はぁ、どうも」


 そんな風にしか返せなかったあの時の私は、すごく間抜けな顔をしていただろうと思う。しかも、彼の目をまともに見ることもできず斜め下辺り、机の上に目線をそらしていた。

 改めて思う、すごく感じ悪い。戻れるものなら戻ってやり直したい所だ。

 だってまさか、前の席の男子が話しかけてくるとは思わなかったのだから仕方ない。人見知りな私は、普段から男子とは必要最低限以外、接触をはからないようにしていたから余計に戸惑ったのだ。

 あの、誰ですか?なんて返さなかっただけまだマシである。


「中村さんの下の名前、(なお)って言うんだよね。実は俺も尚哉(なおや)っていうんだ。友達から尚って呼ばれてる」


「はぁ……?」


 いや、知りませんが。どなたでしょう、という気持ちでいっぱいだった私は次に告げられた言葉に大いに動揺することになる。


「だから友達に『なお』って呼ばれてる君のこと、実はずっと気になってた」


「えっ?」


 気になっていた、なんて言われて驚かない方がおかしい。思わず顔を上げたその時、彼の顔を初めてまともに見た。


「あ、やっとこっち見てくれた」


 そう言って彼は私が逆立ちしたって出来ないであろう笑顔を浮かべた。


「直ちゃんおはよー……って、中嶋くん。どうしたの?」


「ま、真紀ちゃん!」


 そんな声と共に、完全に固まっていた私の思考を動かしてくれた救世主は他ならぬ真紀ちゃんだ。

 彼女は中嶋くんと同じ中学校だったそうで、お決まりの人見知りを発揮しまくっていた私の代わりに彼と会話を進めてくれた。


 それ以来、前の席の中嶋くんはよく私に話しかけてきた。はじめは人見知りが抜けなかった私も、彼の人懐っこい笑顔に懐柔されていき、いつの間にか彼と話をするのが一番の楽しみになっていた。

 二ヵ月ほど経ち、席替えをした後も彼はよく私に話しかけてくれた。例えば昼休みのはじめ、真紀ちゃんが隣のクラスに行っている時に。


「中村さん、何してるの?」


 なんて、唐突に話しかけてくるのだ。


「……本、読んでる」


 うん、我ながらつまらない返事だと思う。


「何の本?……あ、秋月緑葉さんの作品じゃん!俺も好きだよ」


「え、そうなの?……こ、これ。新刊」


「新刊出てたの?知らなかった!情報ありがとう!」


 それだけ言ってすぐに自分の席に戻ってしまったっけ。

 このやり取りから彼と趣味が似ていることを知ることができた私が、その作家の本を読む回数が増えたのは仕方がないことだと思う。


 あとは朝の時間、早く起きてしまい、すごく早く学校についた日。偶然にも私と彼以外に誰も登校してきていなかった時の話。


「おはよう、中村さん。今日は早いね」


「中嶋くんも、ね」


 少しは気軽に話ができるようになったな、と思っていた私に教えてあげたい。この後それ所じゃなくなるぞ、と。


「今日は委員会でちょっと仕事があって。俺、放送委員でさ、集会がある日はマイクの準備とかしなきゃいけないんだ。偶々早く終わったけど普段は朝練に間に合わなくなるから、今日は休んだんだ」


 まだ間に合う時間だけど今更顔出せなくて、と笑う中嶋くんはサッカー部なのだそう。


「そうだ、一限ってなんだっけ」


「たしか……数学」


 一限から苦手な授業で嫌だなと思っていたから多分あっているはずだ。


「数学って確か宿題出てたよな。やった?」


「やったけど、……わからないのが一問あって」


「どれ?俺、得意だから教えてあげようか」


 すごくありがたい申し出だった。でも、本当にいいのかな?

 私がおずおずとノートを出し問いを指し示すと、彼は丁寧に私がわかるまで教えてくれた。


「あ……そっか、これが7になるから」


「そう、そういうこと。それで、こことここが同じになるから……ちょっと貸して」


 そう言われて手に持っていたシャープペンを貸した時、僅かに手が触れた。

 触れた場所から熱くなった。けれど、それだけでは終わらない。ノートに書き込みはじめた彼が私に急接近してきたのだ。もちろん、真っ赤になって固まりましたとも。


「ここで、この公式を使うから……中村さん、聞いてる?おーい、中村?」


「え。あ、ごめんなさい」


「まあ、いいけど。ここ、わかった?」


「あ、うん。……X=3だよね」


「正解。なんだ、聞いてたんじゃん」


 中村は飲み込みが早いな、といつもの笑顔と共に誉められた。

 そこが限界でした。その後、中嶋くんと何を話したのか記憶がございません。

 私がやっと冷静になれた一限の始まりだったけれど、初めて名字を呼び捨てにされたことに気がついてまた固まった。本当の意味で元に戻れたのは一限が終わった後だったと記憶している。


 次に印象深いのは、真紀ちゃんが休みの日の朝、私が一人で本を読んでいた時だ。


「おはよう、中村。今日は何の本?」


「えっと、ファンタジー、かな」


 この時読んでいたのは異世界のファンタジーもので、主人公は男二人で旅をしながら友情を築いていく、というような話だった。


「へえ、表紙きれいだね……って。もしかして、それBL?」


 彼の斜め上からの問いに思わず吹き出しそうになった。


「いや、男子二人が表紙に描かれている本の全部がそうだと思わないでよ。これは普通の友情ものだから!」


 友情が巧みに描かれているところが気に入っていた本だったので少しむきになって反論してしまった。彼は珍しく驚いていたが、すぐに笑顔を取り戻した。


「そうなの?ごめん。でも、別に偏見がある訳じゃないから心配しないで」


 いや、そういう問題じゃないし、と呟いた声は聞こえていたのかわからないけど。この時から私の彼に対する性格は人見知りから素直になれない子に変わったのかもしれない。


 この時私は、彼を好きになったことすら気がつけていなかった。気がつけたのは実は真紀ちゃんのお陰だったりする。


「直ちゃん、中嶋くんのこと好きでしょ」


「……真紀ちゃん、直球過ぎるよ」


 けれど、その言葉で自分の恋心に気がつけたのだからやっぱり真紀ちゃんには感謝しなければいけない。


 私はきっと彼の笑顔に一目惚れしたのだ、と自覚出来た今ならわかる。そして、会話を重ねるうちにその気持ちが育ったのだろうということも。

 けれど、それなのに私は。人見知りの代わりに、素直になれない性格が表に出てきてしまっていた。


 それでも私は、彼なら私を分かってくれると変な期待を抱いていた。

 けれど、夏休み直前の暑い日。朝からいつもの2倍増しの笑顔を浮かべていた彼に、私は現実を突きつけられることになる。

後編は明日の19時に予約してあります。

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