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モニュメント  作者: 青犬
8/10

※8※

.


夢を見ていたように思う。


あの人のアパートにわたしが一緒にいて……2人で何をしていたろうか?


はっきりとは覚えてないけど、特に何もしていない感じの映像だけは、頭に残っている。


あの人は、寝転がって雑誌を見ていた。たぶんまた、パソコン関係の雑誌なんだろう。


わたしはベッドに座り、壁に背をもたれてスマホをいじっていた。


お互いに会話はなく、ただゆっくりと、時間だけが過ぎてゆく夢。


冬になると炬燵に早変わりする黒いテーブルと、

その上に乗っかってる、いつもの美濃焼きのマグカップ。

本棚に置いてある、なかなか埃の払えない軍艦のプラモデルや、

壊れて雑誌の置物台になっているプリンター。


レースのカーテンから、オレンジ色の陽射しが柔らかく射し込み、

それら部屋中の器物を、みんなセピア色に染めていた。


何でもないようなそんな時間が嬉しくて、だけどちょっと切なくて。


このまま日が暮れていくにつれ、この部屋そのものがゆっくりとフェードアウトしていくような、そんな不安も感じていたと思う。



目が覚めた時、窓の外はもう真っ暗で、昼間の吹雪も嘘みたいに無くなっていた。


あの人の部屋の、あまり意識してなかった部分さえも鮮明に夢に見たのは、

わたしがいつの間にか眠ってしまう直前まで、ずっとあの人の写真を見ていたせいだろう。


あの人が離れてしまってから、ずっと見ることが出来なかったスマートフォンのアルバムだ。


自分ではそんなに写真を撮りまくるほうじゃないとは思うけど、それでも要所要所で撮影したものが、けっこうな枚数あった。


あの人は実に表情豊かに、わたしは実に愉しそうに、切り取られたその瞬間が、さも永遠みたいに記録されている。



頬に伝った涙の跡を拭い、わたしは立ち上がって衣服を着込んだ。


0時にはまだだいぶ早かったけど、あの崖の上から例の夜景を、ゆっくり眺めていたかったのだ。


そうだ。

あのモニュメントの下で、もう一度だけ写真をじっくり見直してみよう。


そうすれば、あの人に伝えられるかもしれない。



さっき喉まで出かかって、でも声に出すのを躊躇われた、


──この言葉を。



.


.


ペンションから一歩外へ出た直後、思わずわたしを立ち止まらせたのは、夜空だった。


冬の大気の清澄さもあるだろう。


街灯も何もない、山奥という条件もあるだろう。


とにかくわたしは生まれてから今まで、こんなにも満天に輝く星空を見たことがあっただろうか?


壮大なスクリーンを、今にも降ってきそうなくらいに埋めつくした大小様々な光。


それらはわたしに、何かを語りかけるかのようにシラシラと瞬いており、

大宇宙という圧倒的荘厳さの中に、今、自分が包まれている感覚。


星々の声なき声は、確かにわたしに届いており、胸の奥底を震わせていた。


人は小さい。


わたしも、あの人も。



新雪を踏むサクサクとした音を噛み締めながら、わたしは出来るだけゆっくりと歩く。


崖へと続く細い坂道を、足場をひとつひとつ確認するように登っていく。


闇を照らす恋人のモニュメントの明かりと、眼下に見えてきた夜景。


ベンチの雪を払いのけ、持ってきたビニールを敷いて腰を下ろし、

そしてわたしは、深く息を吐き出した。


今夜の夜景は、これまでとは少し趣が違っていた。


空を覆う一面の星と、地上にできた天の川との対比は、それこそファンタジーさながらに幻想的で、

どこか人智を越えた世界にでも迷い混んだかのよう。


魂が吸い込まれたように見入っているうち、わたしの中に、ふとメルヘンチックな仮説が生まれた。


もしかしてあの夜景の光は、空へと昇れなかった星達なんじゃないだろうか?


目指すべき所へは届かなかったけども、確かに輝きを放っていた、恋人達の想いなんじゃないだろうか?


わたしみたいな愛を失った人達が、ここから投げ捨てた思い出の品。

それが全部、あの夜景を形成する光の一粒一粒になるとしたら──





ねぇ和希、わたしの説は子供っぽい?


だって、地上にできた天の川って、最初に言ったのあなただよ。





わたしはスマホをポケットから取り出し、アルバム写真を開いた。



.


.


まず初めに出てきたのは、海の写真だった。


まだ海開きされる前の春のことで、目的は2人で、テレビで放送された近海のお店の海鮮丼を食べに行ったんだ。


ごっそり乗ったウニを頬張る和希の姿も、次の写真にちゃんと残っている。


放映された直後だからか、店はすごく混んでいて、ゆっくり時間を過ごせる雰囲気じゃなかったけど、

それでも海鮮丼は豪華ですごく美味しかった。


和希ったら慌てて食べたものだから、最後にご飯だけがけっこう残ってしまい、わたしが甘エビなんかをあげたっけ。




そしてこれは、4日遅れのクリスマスの時に撮った写真。


仕事の都合で当日は会えなかったけど、今日が2人のクリスマスにしようっていう名目。


かと言って特別な事と言えば、フレンチのレストランに入ってケーキを食べたってことくらいだ。


会話だっていつもと変わらない他愛のない雑談ばかりで、世の乙女達が憧れる甘い雰囲気なんてまるでない。


せめてクリスマスって言う雰囲気を残したくて、お店の入り口の木に設えてあったページェントの前で撮った1枚。


和希の腕にしがみついて笑うわたしは、この先何度も、こんな些細なクリスマスが訪れると思ってたんだろう。




これは、古民家カフェで撮った写真。


これは、地元の漫画家の記念館で、イベントがあった時の写真。


これは、寝ている和希を隠し撮りしてやった写真。


これは土手沿いの桜並木──



どの写真もじっと見つめていると、その時の2人の会話が今にも聞こえてきそうな気がした。


わたしと和希が、確かに同じ時間を共有して来たのは、幻なんじゃない──そんな証拠でもあった。



最後にスワイプしたのは、テーブルの上に乗っかった、どんぐりの写真だ。


和希が“お土産”と言ってポケットからジャラジャラと取り出したのが、このどんぐり達だった。


なんでどんぐり?──とわたしが聞くと、和希は少し宙を見上げてから、

なんかいっぱい落ちてて、なんか可愛いかったから──

と答えたっけ。


これ拾ってきてどうするの?って、わたしが聞いたら、和希はちょっと困って、苦笑いしながら言ったんだ。



.


.


(うーん、どうしよう……

とりあえず、眺めておこうか)



(ぷっ……変なの。子供みたい)



(でもほら、ツルツルで帽子被ってて、なんか可愛いだろ?)



(まぁ、確かに、可愛いって言われれば可愛いけど)



(だろ?

こいつらこんなに可愛いのに、これがいつか大きな木になるんだよな。

こんな小さな体の中に、でっかい未来が詰まってるってすごくない?)



(そう言われれば生命の神秘だねぇ。ちょっと大袈裟な気もするけど)



(よし、こいつらが木になるまで、ずっとこうやって眺めてようか)



(あはは、無理無理。

わたしたち、お爺ちゃんとお婆ちゃんになっちゃうから。

そもそも土に埋めたら眺められないでしょ)



(そっかぁ、残念だ)



(あはは、でもなんかほっこりしたかも。お土産ありがとね)





どんぐりの写真を見つめていたら、自然に口元が綻んでいるのに気がついた。


ほっこりしたのは、どんぐりにじゃなくて、こんなものをのんびりと2人で眺めていた空間が、可笑しくて温かかった。


わたしもこのままずっと、こうやってどんぐりの写真を見ていたいけど。




でもごめんね。


もう0時だ。




わたしは意を決してスマホの電源を切ると、SDカードを引き抜いた。


このカードの中には、日中、あの人の写真の全てを移しておいた。


これを捨てたとしても、わたし達が共に歩んできた日々が消えてなくなるわけじゃない。


地上の天の川の光のひとつとなって、いつまでも遠い所で輝き続けるんだ。




時計のデジタル表示に、これまで積み重ねてきた数字をリセットするみたいに、0が3つ並んだ。


吹けば飛ぶような小さく薄いカードを、わたしは崖下へと落とした。


あの向こうの天の川に、大事に育てた稚魚を放流するみたいに、そっと、優しく、手から離した。



.


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