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わたしがペンションに戻った時、ロビーには明かりがついており、暖炉にも火が灯っていた。
外気とは一変した温かい空気に、たちまち張つめていた糸が切れる。
すると今までその糸に操られていたマリオネットみたいに、わたしの体はテーブルの椅子に崩れ落ちた。
終わった──という脱力感の中に、今はちゃんと安堵もあった。
様々な想いは入り乱れているものの、のしかかった疲労感がそれらを不鮮明にしている部分もあった。
計ったようにわたしに暖を用意してくれていた主が、奥からトレイをかかげてニッコリと顔を出す。
トレイに乗っていたのは、湯気をくゆらす黄色味がかったスープ。
それが真っ直ぐわたしの元に近づいて来て、テーブルの目の前に静かに置かれた。
「カボチャのポタージュを作ったんですが、良かったらいかがですかな?」
この冷えきった体がそれを拒むはずもなく、むしろお腹の虫のほうが返事を返したから恥ずかしい。
そういえば今日は夕方から寝てしまっていたから、夕食を食べていなかった。
「おっと、これはパンもお持ちしたほうがよろしいですな」
「すいません……お恥ずかしい」
「いやいや、あなたの体が明日へと命を繋ぎたがっているのです。
幸せなことじゃありませんか」
オーナーが奧へパンを取りにいってる間、わたしはそのトロリと黄色い液体を、一口スプーンですくいとる。
2度ほど湯気を吹き、そっと口に含んだら、温かさと仄かなカボチャの甘味が、じんわりと体中に染み渡った。
──美味しい──
そんなありふれた喜びの価値が、今は何故か、とても貴重に思う。
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オーナーが持ってきたバスケットには、こんがりきつね色したロールパンが、5、6個ほど入っていた。
「このパンは僕が焼いた自家製ですよ。裏の納屋に石窯がありましてね。
ポタージュの味はどうですかな?」
「すごく美味しいです」
「それは良かった。
さ、パンも遠慮なさらずにどうぞ。そのスープにパンを浸して食べても、なかなかの絶品ですぞ」
「ねぇ、オーナー」
「はい?」
「シンデレラの魔法が溶けちゃった。乗ってたきらびやかな馬車は、カボチャのスープになっちゃった」
「ほう、それはおかしな。
魔法が溶けて尚更に綺麗になるシンデレラなど、聞いたことがありませんよ」
「ふふっ……そんなお世話言ったってダメですよ。
あ、パン頂きますね」
パンを放馬るわたしに微笑み、立ち去ろうとする老人を、今日こそは逃がさない。
「ねぇ、オーナー。
恋人のモニュメントの作者は、オーナーなんでしょ?」
「……さぁ、どうですかな」
「ほらやっぱり。否定しないってことは、そうなんだ。
オーナーが芸術家って時点で、すぐわかりましたけどね」
「…………」
「ねぇ。
オーナーは魔法使いなんですか?
あんな不思議な作品作れるなんて」
「ははは、まさか。
不思議なことなど、世の中いくらでもあります。
例えば星の数ほどいる人間の、偶然にして必然な出会いとかね」
「じゃあ、わたしとオーナーがこうして出会ったのも、偶然にして必然なんでしょ?
わたしは明日帰りますが、そんな奇跡の出会いを呆気なく終わらせてしまうのは心残りです。
座って一緒に、パンを食べてくれませんか?」
オーナーは少し考えるようにして口髭を弄っていたけど、
やがて観念したように息を吹き、珈琲を2ついれて来ます、と言って笑った。
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暖炉の炎が小さくはぜる音を出し、深夜の静けさに心ばかりの歌をそえる。
大きな掛け時計の秒針の音が、それに合わせて微かなリズムを刻む。
誰かと食べる食事は、やっぱり気持ちが和んだ。
オーナーはあまり多くは語らなかったけど、わたしの話を終始笑顔で聞いてくれていた。
仕事のことや、家族のこと。
わたしの好きな音楽の話。
変にぶり返したくはなかったから、和希の話は敢えてしていない。
やがてバスケットにあったパンが全部なくなった頃、噛み殺したわたしの欠伸を見てオーナーが言った。
「そろそろ寝たほうがいいのではないですかな?
明日は始発で帰るのでしょう?」
「はい。午後からすぐ仕事に復帰します。
あーぁ、明日から現実に戻るのかぁ。
ここは本当に、おとぎ話の世界みたいですよね。それを思うと寝るのが勿体なくなっちゃう」
「ははは……そうですか。
それでは最後にひとつ。あなたを寝かしつけるために、おとぎ話をしましょうかな」
「はい、聞きたいです」
「まぁ、面白くもないおとぎ話ですが……
むかぁし、むかしの話です」
オーナーが遠くを見るような目で語りだす。
緩やかに流れるその声は、ずっと昔、微睡みの中で聞いた旋律を思い出させる。
「むかぁし、むかし。
あるところに、一人のしがない男がおりました」
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男には、恋人がおりましてね。
控えめだが、何かと尽くしてくれる良い女性でした。
男もその女性を心から愛し、ささやかながら楽しい思い出を重ね、
2人はやがて結ばれます。
ところが恋という憧れは、遅かれ早かれいずれ冷めるもの。
慣れもあるでしょうし、所詮は生きてきた環境も違う、人と人ですからな。
男は女性の献身をだんだんと干渉と解するようになり、ささいな価値観の違いも鼻につくようになってきます。
まぁ、いろいろと自己肯定的な理由を並べたとしても、結局は男が青くて未熟だったんですがね。
2人の間に出来た小さな綻びは、やがて目に見えるほどの亀裂となっていきました。
とうとう夫婦の絆を断ち切る頃には、2人にはほとんど会話もなくなっておりましてな。
独りの生活に戻ってからも、たまに懐かしむことはあるにせよ、復縁の意思もなく数十年が過ぎました。
男もすっかり老いてしまったある日のこと、突然元妻の妹と名乗る女性から連絡が入ります。
姉さんが、男に会いたがってるから会いにきて欲しいってね。
気はすすまなかったものの、妹さんから元妻の事情を聞いた男は、しかたなく彼女に会いに行くことにしました。
海の見える老人ホームで、数十年ぶりに再会した元妻は、すっかり頭が白くなり、皺だらけの顔になっていました。
まぁ、男も同様なのですから、時の流れには逆らえますまい。
しかしね。
それと同時に彼女の時間は、大きく逆行もしていたのです。
彼女は男との再会を目を潤ませて喜びました。
男が手を取っただけで、しわくちゃな顔が赤らみました。
そこにいたのは元妻ではなく、まだ付き合って間もない頃の恋人。
彼女は、老年性の痴呆性にかかっていたのです。
いろいろな事を日々忘れていく中で、唯一鮮明に残っていたのが、男と恋人だった時の記憶。
おそらく子供のいなかった彼女にとっては、最も幸せだった時期の記憶なのでしょう。
彼女はその過去の記憶を、現在の現実のものと認識して、男に会いたがっていたのです。
はにかんだ笑顔や弾む声を見ているうち、男も次第に思い出します。
確かに彼女を心から愛していた、若き頃を。
確かに幸せを噛み締めていた、2人の日々を。
そして男は、彼女と何度も会ううちに気づきました。
彼女に自分の都合のいいことばかりを求めすぎていた己のエゴに。
彼女の全てを受け入れてやれなかった、己の小ささに。
おかしなものです。
それからの短い日々は、男にとって、元妻ともう一度恋人からやり直しているような、そんな錯覚さえあったのです。
彼女が亡くなったのは、それから2ヶ月後のことでした。
男は、彼女との2度目の別れを迎えました。
1度目にはなかった心の痛みが、涙となって流れ続けました。
やがて男は、墓標のつもりで、彼女との思い出の丘に彫像を建てたのです。
それは彼女の墓でもあり、2人の輝かしかった日々の記録でもあり……
あるいは男の、愚かだったこれまでの自分を葬る、戒めの墓だったのかもしれません。
不思議な幻を呼び起こすのは、墓標に宿る元妻の念なのでしょうか。
過去に追いすがるのではなく、男のように以前の自分を省み、新しい自分へと進むために。
もしくは訪れる者が、偽りない愛で包まれていた日々を思いだし、見失いかけた自身の価値を取り戻すために。
彼女は今でも永遠の恋人のまま、あそこにいるのかもしれません。
まぁ……それは男の勝手な解釈であり、願望であり、
真実は誰にもわかりませんがね…………
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「わかりますっ!
それが真実ですっ!」
由加理が急に大きい声を出したものだから、わたしはそこで我に返った。
「うちも、三宅先輩の言うことに激しく同意です!
男なんて所詮、どう逆立ちしたって女心なんかわかんないんですよっ!」
どうやら美幸がそのような事を言って、彼氏と喧嘩中の由加理が食いついたらしい。
美幸がどんなことを言ったのか……
わたしは、ぼんやりして聞き逃してしまっていた。
昼時の中華レストランは、わたし達みたいなスーツ姿が占拠しており、皆そろそろ午後の始業の時間を気にし始めている。
ガラス貼りの外の歩道には、縁石にいくらか雪が残っているものの、
アスファルトはうららかな日射しに火照っていた。
由加理は半分ほど食べた天津飯を放置したまま、さっきから美幸に息巻いている。
やがて、そろそろ困り顔になってきた美幸から、矛先は突然わたしに移された。
「根元先輩ならわかりますよねっ!?
男なんてそんなもんでしょっ!?
だいたいこの間の先輩の旅行、わたしてっきり和希さんと一緒だと思ってたのに!ラブラブでいいなぁとか思ってたのに!
1人ぼっちの傷心旅行だなんて、悲しすぎますっ!」
「こら、由加理……」
美幸がすかさず嗜めて、由加理はハッとしたように口を押さえた。
あのペンションでの出来事は、今でも夢のように思い出す。
オーナーの穏やかな声が、ちょうど今さっきみたいに、ふと蘇ることもある。
あれから和希とは連絡もしていないし、今後もするつもりはなかった。
それでもたまには彼のことを思い出して、胸が苦しくなる夜もあるけど……
だけどもう、後戻りする選択肢がはなからないのは、わたしが少しでも前に進めたからなんだろうか。
美幸が杏仁豆腐をつつきながら、フォローのつもりか優しい声を出した。
「由加理みたいなお子ちゃまにはわからないかもしれないけど。
1人旅ってのも気兼ねしなくていいものよね。
遥香、どこに行ってきたの?」
「うーん……おとぎの国……かな?」
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2人とも特に驚く様子もないのは、多分そういう感じのテーマパークか、あるいは絶景の場所の比喩とでも思ってるからだろう。
わたしは喉の奥で笑ってから、さらに続けた。
「そこには魔法使いのおじいさんがいてね。
大地に壮大な天の川が広がってるの。
崖の上には奇妙な形のモニュメントがあって、そこにいる永遠の恋人の魔女が、素敵な魔法をかけてくれるんだよ」
案の定、由加理の派手なつけ睫毛が、激しく瞬き始める。
「はぁっ!?
大丈夫ですか根元先輩、そんなうちよりお子ちゃまみたいなこと言って!
ショックなのはわかりますけど、しっかり現実を見て下さい!
そんな不思議なことあるわけないでしょっ!」
「あら、不思議なことなんて、世の中いくらでもあるわよ?」
美幸が由加理とは対象的な落ち着きようで、
「例えば?」
と聞いてくる。
わたしは窓の外を指さし、オーナーみたいに平然な顔して言ってのけた。
「例えばほら、あそこの歩道。
あんな硬いアスファルトから、雪を突き抜けてタンポポが咲いてることとか」
「あ、ほんとだ!
うち、今年になってからタンポポ初めて見たかもっ!」
「ふぅん……もう、そんな季節なんだね」
わたしへの追及も忘れて、嬉々とした顔でタンポポを見つめる由加理。
そこに、午後の仕事まで残り7分と言う現実を突きつける美幸。
由加理の残った天津飯を3人がかりで掻き込むと、
わたし達は春色を醸し始めた空の下へ、
一斉に駆け出したのだった。
~おわり~
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『小説家になろう』には、初めて投稿させて頂きました。今までケータイ小説しか書いたことがないため、いろいろとここのシステムに不慣れで困惑してますが…(^_^;)
『モニュメント』は、ずいぶん前に大人の童話ってイメージで書いてみた作品です。ブログで連載してたものなので、一話が短かめになっています。
拙い文章に最後までお付き合いくださった方がいましたら、どうもありがとうございましたm(__)m




