FE1 新しい朝へ 09
「ケイはレドモンドのことを、どれくらい知っている?」
それは、端的な質問だった。
しかも、そんな問い掛けをしたところで、ケイが返すべき答えは容易に想像がつくはずだ。
何故ならケイがどんなにレドモンドのことを知っていようとも、その理解度はセレスティアより劣るに違いないからだ。
だからセレスティアはケイが答えるであろう言葉を、想定した上でこの質問をしている。
それを踏まえてケイは、素直に誘導に従って彼女が望む通りの答えを返すことにした。
「俺は、殆ど何も知らないと言っていい。
セレスが王宮で謹慎処分になっていた間に、多少会話した程度の間柄だ。
ただ――」
ケイが思わせぶりに言葉を切ると、話を促すようにセレスティアが彼を見る。
無言のまま視線を交差させた後、ケイは言葉を紡ぎ出した。
「最終的にああいう結果にはなったものの、ヤツは謹慎の身だったセレスのことを、真剣に案じているように見えた。
少なくともセレスを理不尽な裁定から救い出そうとする気持ちは、嘘ではなく本当に持っていたのではないかと思う」
だが残念なことにその言葉は、セレスティアに特別な感慨を与えた訳ではないようだ。
ケイが伝えたそれらの言葉は、元々彼女が想像した答えに含まれていたのかもしれない。
セレスティアは少しだけ微笑む表情を見せると、小さく息を吐き出してからケイに向かって語り始めた。
「レドモンドは――。
レドモンドは、通常であれば私の代わりに西方騎士団の団長に選ばれるべき騎士だった。
それは単純に剣の腕や、力の強さで言っている訳ではない。
彼は能力的に優れた騎士であると同時に――高潔ともいうべき、精神を持った人物だった」
セレスティアはそこまで話すと、膝を抱え込むようにして首を傾げた。
その様子は溢れ出そうとする感情を、何とか押さえつけているようにも見える。
「年齢は私と一〇も違わないが、彼は私が西方騎士団に正騎士として迎え入れられる頃には、既に騎士長の地位に就いていた。
厳格な思考を持ちつつ規律と戒律を守り、もちろんクランシー神への信仰も厚い。
部下からの信頼だけでなく上長からの信用も得ていた騎士として有能な存在。
知力、体力、忠誠心――どれをとっても、能力は私よりもレドモンドの方が高かったのではないかと思う」
ケイは静かにセレスティアの言葉を受け止めた。
彼女の言葉には多分に謙遜が含まれている――。
ケイは確信を持ってそう思ったが、無理に言葉を返すことはしない。
少なくともケイが見抜いた状態で言えば、セレスティアの能力がレドモンドに劣るようなことはなかった。
ただ一方でそれは、単なる数値の比較でしかない。
そしてそれがレドモンドの能力が低いということを意味している訳でもなかった。
ケイが記憶を辿る限り、レドモンドの能力は一般的な騎士に比べれば十分に高い。
だから比較対象のセレスティアが、優秀過ぎるというのが正しい表現になるだろう。
「だが――。
そのレドモンドにも、不幸なことに決定的に足りていない要素が一つあった」
「足りていない要素?」
ケイが記憶している限り、彼の状態にそれを想起させる要素はなかった。
反射的にケイが尋ねた言葉に、セレスティアが厳しい表情で唇を動かす。
「――身分だ」
彼女が口にしたその言葉には、どこか吐き捨てるような声色が含まれているように思われた。
その口調に包み隠されたセレスティアの感情が、何となく彼女自身の考えを伝えてくる。
「私は――地方とは言え、貴族家の出身。
レドモンドは賎民の出ということではないが、一般の職人の家に生まれた子だった」
「なるほど、身分か――」
ケイはそう唸りながら言葉を絞り出すと、腕を組んでから一つ溜息をついた。
彼はここに至るまでこの国の身分制度を、強く意識したことがない。
これまで身分を意識せずに済んでいたというのは、ある意味幸せなことに違いないだろう。
一方でその単語の重みは実感することは出来ないものの、ケイにはある程度、想像することが出来る。
自らの力ではどうしようのないもの。超えることの出来ない壁――。
様々に形容する言葉が、ケイの心に浮かんでは消える。
実際にその壁に突き当たった人の気持ちは、どういうものなのだろうか――?
彼は一通り考えてはみたものの、やはり想像だけでは限界があるのかもしれない。
「レドモンドは自分がどんなに努力をしたところで、身分が理由で今以上の地位を望むことが出来ないことを、ちゃんと理解はしていた。
そして理解をした上で――それに強く絶望もしていたのだ。
例えば騎士団において平民は、騎士長にはなれても騎士団長になることは出来ない。
だから私が入団した時の彼の地位である騎士長というのは、実質平民にとっての最高地位になるのだ。
――つまり彼は優秀であるが故に、若くして高い地位に昇った。そしてその結果として、長きに亘ってそれ以上の地位にはなれないという状況になっていたのだ。
しかも彼はクランシーの敬虔な信者だった。ところが彼はその教義の世界においても、身分の壁に阻まれている。
教会にも法王を頂点とした階級があり、教義の世界ですらもこの国の身分制度とは無縁ではいられないのだ。それを知った彼の心には――相当、思うところがあっただろう」
そこでセレスティアは言葉を切ると、一つゆっくりと深呼吸をした。
少し過去を懐かしむように、表情が気持ち和らいだように見える。
「とはいえ私は日々を真面目に取り組む彼を信用し、尊敬してもいた。
故に私と彼は、男女という性別を超えて――同じ仲間として、信頼し合っていたと思う。
ただ――」
彼女は眉間に皺を寄せると、思い出した情景を吐き出すように言葉にした。
「同じ騎士団としての信頼感が芽生えてからは、彼はそれまで口にしなかった不平や不満を、徐々に私に伝えてくるようになった。
一度彼が珍しく酒を飲んだことがあったのだが、そこで少々箍が外れたのか、感情を爆発させたことがあった。
その時、彼は必死に訴え掛けて来た。こんな身分制度は間違っていると。
彼は言っていた。
人はもっと本質的なところで判断されるべきなのではないのかと――」
セレスティアはそこまで話してしまうと、しばらく言葉を発しなくなった。
少しの沈黙が続いた後、彼女は俯きがちに言葉を続けていく。
「私も――。
その場では明言出来なかったが、正直彼と同じ思いを抱いていた。
私は――私なりに疑問を抱いてはいたのだ。身分というものを理由にして能力を正当に評価出来ない国が、果たして本当に輝かしい未来を築けるのだろうかと。
――だが一方で私は、この国を護るための騎士なのだ。
国に忠誠を誓い、国の禄を食んでいる。
そんな私は彼の訴えを――、
結果として、どうすることも出来なかった」
ケイは俯くセレスティアを労わるような視線を向ける。
彼女はそれに気づきながらも、若干自嘲気味な笑みを浮かべた。
「レドモンドが感情を吐露した日以来、彼は事あるごとにこの国はどうすべきかという意見を私に伝えて来た。
そしてレドモンドは――訴え掛けても何も出来ない、何もしようとしない私に、絶望したのだと思う。
もちろん彼は私に対して、礼節をもって接してくれた。
だが、私は彼が必死に訴えることに対して、黙っているばかりで何もすることが出来なかったのだ。
そして彼が鬱積した不満を溜めている現実から、完全に目を背けていた。
最終的に自分に弓引かれるまで、現実を受け入れることが出来なかったのだ。
私はこの国を、人々を護ると誓いながら、自分が最も信頼した部下すら護ることが出来なかった。
たかがこの手で届くものすら護れないのに、何が騎士なのか――!!」
セレスティアは俯いたまま、握り締めた拳を震わせる。
ケイはただ無言のまま、口惜しさを滲ませる彼女の横顔を見つめた。
「私は自らの能力に溺れ、騎士を気取っていただけなのだ。
国や人々を護ることを夢見ながら、その実、身近な者一人護ることすら出来なかった。
単なる広告塔だと――国が添えたお飾りだと、揶揄されても仕方がない。
結局私はただの、道化に過ぎなかったのだ」
彼女は吐き捨てるように言い切った後、目を閉じて荒い息を吐き出した。
ケイはセレスティアの息遣いが落ち着くのを見計らいながら、静かに口を開いていく。
「セレス、あらゆることを背負いすぎるな。
人にはそれぞれの考えがあり、大切にしているものがある。
レドモンドからすればハーランドの制度は、批判の対象でしかなかったのかもしれない。
だがそれも他の人にとっては、別の意味があったのかもしれないんだ。
俺はどんな優れたものであっても、探せば欠点はあるんじゃないかと思っている。
問題はその欠点を認識した上で、どうするのかということさ。
それを補うのか、諦めるのか――。
それだけでも大きな決断だし、誰かと相談すれば意見が合わないということもあるだろう」
ケイは笑みを浮かべると、そっとセレスティアの肩に手を置いた。
荒んだ心を癒すような感覚に、セレスティアはゆっくりと顔を上げる。
「だから、どんな優れた国であっても欠点はある。
ハーランドやロアールにだって、探せば沢山欠点はあるはずさ。
例えば俺が元いた世界では、身分制度などは基本的に撤廃されていた。
人は誰であっても、全て平等であるとされていたんだ。
――でも、結局様々な格差は存在する。
逆にそれを完全になくそうすれば、今度は人が働く気力を失ってしまいかねない。
だから、どんなものにも一長一短はあるんだ。
それに――」
そこまで言うとケイは白い歯を見せ、顔に朗らかな笑みを浮かべた。
急に明るくなった表情につられて、セレスティアの頬も少しだけ緩まる。
「俺が思うにセレスは、ちゃんと手が届くものを護ってくれていると思うよ。
少なくとも俺は――キミに護られてきた実感があるし、今もキミに護られている」
「ケイ――」
明らかな慰めの言葉だと思った。
だが、それでも今の彼女には心地いい。
「ありがとう、ケイ。
多分どういう形になったとしても、最後にはこんな結果になるような予感がしていたんだ。
それに――醜いことに私は、レドモンドが生きていないことを知って、どこかホッとした思いを抱いていた。
私は生きている彼と会ったとしても、彼に掛けるべき言葉を選べなかっただろう。
彼に恨み言をぶつけられるのではないかと――恐怖すら感じていたんだ。
一方でそうして感情を吐露されれば、私は自分を容赦なく責められたのだと思う。
そこでこれまでのことを、しっかり彼に詫びることが出来たのではないかと思う。
――だがそれももう、叶わない。
レドモンドはいなくなり、私は辛い言葉を聞くこともなかった。
彼に謝ることも出来なかった私の心は、どこか宙ぶらりんなままだ。
護ろうとしていたものはこの手から零れ落ちてしまった。
そして、私は自分の醜さに呆れ返っている」
「セレス、自分が全てを護り切れると思い込むな。
悪いがそんなことは思い上がりにしか過ぎない。
俺もセレスも神様じゃあないんだ。所詮、出来ることには限界がある。
だから――」
ケイはそう言うと、セレスティアの両肩に手を掛けた。
彼女を自分の方へと向き直らせて、その目を見ながら言葉を掛ける。
月明りに照らされた金色の髪が、幻想的にふわりと浮いていた。
「その限界を知った上で、セレス――自信を持て。
キミは強い。いつも俺を護ってくれている。
キミは醜くなんかない。
俺の目に映るキミは――いつだって美しいさ」
ケイは、これは狡いやり方かもしれないと思った。
だが彼女をこのままにしておく訳にはいかない。
ただ彼女の心の向きを、どこかに定めてやらなければと思ったのだ。
ケイは強引にセレスティアの背中に腕を回すと、思ったよりも華奢に感じる身体を抱き寄せる。
聖乙女の鎧と審判の法衣が接触し、夜空に乾いた金属音を響かせた。
急に抱き締められたセレスティアは、焦ってケイの腕を振り払おうとする。
だがケイは力を込めて、その抵抗を抑えようとした。
「ケイ――ダメだ、やめてくれ」
「――――」
セレスティアは拒絶の言葉を吐きながら、徐々に抵抗を緩めていく。
ケイもそれに合わせて腕の力を緩めると、再び彼女と向き合う形になった。
セレスティアはケイの顔を直視出来ず、少し俯きがちに言葉を呟く。
「自信が――ないんだ。
闘いはまだいい。私は私自身の役割を見つけることが出来ている。
だが――」
そこまで言うと、セレスティアは更に顔を背けた。
ケイがその顔を窺うと、何とも魅力的なほどに、頬が上気している。
「じょ、女性としての魅力は――グレイスにもシルヴィアにも遠く敵いはしない。
――騎士を目指すと決めた時、自分が女性であると思うことは甘えに繋がると思っていたんだ。
事実私自身だけでなく、周りの仲間も私を女性として扱いはしなかった。
私は自分が女性だと思われるのが嫌だったのだ。だから男性と同列に扱われるのが心地よかった。
――でも、今の私は少し違う。
この場にいる本当の私は――」
そこまで言うと、セレスティアはケイに向かって顔を上げた。
今にも心臓が口から出てしまいそうな程に、激しい鼓動を感じてしまう。
セレスティアは何とか視線を固定しようとしたが、やはり赤らんだ顔を隠すように、再び俯き気味になって言葉を呟いた。
「あなたに女性として扱われたことを、少し嬉しく感じている。
だが、あなたの前にいる本当の私は――。
勝てる訳がないのに自分をグレイスやシルヴィアと比べて、劣等感を抱いているんだ。
私は――私はそんな醜い自分が好きではない――」
「セレス――!!」
ケイはセレスティアが勇気をもって吐露した言葉を待ち切ることなく――
彼女を再び強引に、胸の中へと引き寄せた。