FE1 新しい朝へ 08
「彼が――レドモンドが、ここにいると言うのですね?」
セレスティアは思わず前のめりになりながら、確認の言葉を発する。
レドモンドに近づきつつあることは、当然ながら認識していた。
だが、彼がすぐ側にいるという事実が、不意に彼女の心を打ち付ける。
セレスティアは自身の中に響く鼓動が、次第次第に速く大きくなっていくのを感じていた。
「レドモンドというのですね、その人物は――。
実はしっかりとした対話が難しかったのです。
よって私たちは、彼の名前すら知ることが出来ませんでした」
ケイはその担当官の言葉を聞いて、小さく眉を顰めた。
――ひょっとしたら気のせいなのかもしれない。
だが「出来ませんでした」と、あたら過去形で語ったのがどうしても気に掛かる。
それに、レドモンドらしき人物を既に拘束しているとはいえ、先ほどから担当官の様子は酷く落ち着き払っていた。
その対応を見ていると――どうしても自身の想像が、悪い方向へと傾いていく。
「レドモンドに会うことは出来ますか?」
率直に放ったケイの質問に、犬顔の担当官は一呼吸置いてから答えた。
「――案内させましょう」
その言葉を聞いて、ケイとセレスティアが顔を見合わせる。
いよいよ対面の時が近い。
「ただ――」
付け加えるように発せられた言葉に、ケイたちは改めて担当官の方へと向き直った。
二人が続く言葉を待っていると、伝えづらい内容が続くのか、担当官は口籠るような声色で話し始める。
「ただ、ひょっとしたらその人物は、あなた方の記憶にある姿とは少し違う姿をしているかもしれません。あまりそれに驚かれぬよう」
その表現が、更なる想像を掻き立てた。
さすがにそこまで思わせぶりに言われると、セレスティアも自分が何を想定し、覚悟しておくべきなのかを理解する。
そして彼女はそれらを承知した上で、担当官に案内を求めた。
「全てを受け容れる準備は出来ています。
彼に――レドモンドに、会わせてください」
「判りました。ご案内します」
担当官はそう言うと、ゆっくりとソファから立ち上がった。
担当官に伴われ、ケイとセレスティアが向かったのはちょうど官舎の裏側にある施設である。
その施設は日陰の方向に建てられているため、未だ陽が差す時間であるにも関わらず酷く薄暗い。
更に石造りであることも相まって、官舎に比べると寒々しい雰囲気を感じる場所だった。
担当官は施設の中に入って行くと、そこに待機していた狼顔の獣人に声を掛ける。
すると狼顔の獣人は、更に施設の奥へとケイたちを誘った。
狼顔の獣人が通路を先導し、突き当りにある小さめの扉から錠前を外す。
潜るように扉を過ぎて行くと、そこはまるで拘置所のような牢屋が左右に並ぶ場所だった。
「――ここにレドモンドが?」
セレスティアが呟くように尋ねると、狼顔の獣人は彼女に向かって頭を振る。
「いいえ、ここではありません。
この通路の突き当りにある階段を下りた先になります」
「――――」
ケイとセレスティアは小さく息を飲むと、狼顔の男の先導に従って歩く。
「――馬を奪おうとした窃盗の罪と密入国の罪で、私たちはその人物を拘束していました」
歩きながら説明を加える担当官の言葉に、ケイはまた過去形だ、と思った。
ふとセレスティアの様子を窺うが、彼女はしっかりと前を見て何の反応も示してはいない。
ケイは彼女の気持ちを慮りながらも、狼顔の男の案内に沿って階段を下りて行った。
果たして階段を下りた先は、牢屋が並んでいた先ほどの場所とは様相が異なっている。
そこには鉄格子のような無粋なものはない。ただがらりとした無機質な空間が広がっているに過ぎなかった。
その広い空間に設置されたいくつかの大きな台座のようなものが、この場所の意味を嫌でも想像させる。
先導されるままにそこへ足を踏み入れたケイは、何とも空気の冷たい場所だ――と思った。
ケイのすぐ後にその場に降り立ったセレスティアは、周囲を見渡してハッキリと判るほどに表情を固くする。
「この奥です」
狼顔の男が不自然なほどの静寂に包まれた場所を進み、ケイたちを更に奥へと導いた。
――もはや、疑う余地はない。
生気の感じられない場所を無言で歩きながら、ケイは自身の想像が間違っていなかったことを知った。
そして、一つの台座の前で立ち止まった犬顔の担当官が、静かに口を開く。
「――ぜひ、顔をご確認ください。
残念ながら私たちが捕らえた翌朝に気づいた時には、既にこのようなことに」
そう告げた担当官が合図すると、狼顔の男が台座に掛けられた布を捲り上げた。
そして――。
そこには物言わぬ姿に変わり果てた、一つの骸があった。
「――――」
長く乱れた髪。そして、顔を覆う髭。
ケイは台座に横たわった人物の姿を見て、それが追い求めていたレドモンドであるという確信を即座に抱くことが出来なかった。
だが、しっかりとその特徴を窺えば、彫りの深い顔に見覚えがあることに気づく。
こざっぱりと小綺麗な印象のあった外観は、もはや見る影もない。
ケイは亡骸の正体に確信をもって、セレスティアに声を掛けた。
「セレス――」
見ればセレスティアは厳しい表情のまま、レドモンドの顔を注視し続けていた。
何ら声を上げることもなく、無論泣き喚くようなこともない。
彼女はその場から身動き一つせず、ただただ目前に横たわった物言わぬ存在を見つめていた。
今、セレスティアが抱く感情を、正確に窺い知ることは出来ない。
だが、ケイは動かない横顔を眺めて――何か心の嘆きのような重い感情が、伝搬してくるのを感じた。
それは――単なる悲しみとは違う。
どこか、彼女自身が抱く無力感のようなものが、周囲に漏れ出しているように思えたのだ。
「――いかがですか?」
担当官の問い掛けに、ケイは目を閉じながら静かに深く頷いた。
それを見て担当官も、そのまま言葉を失っている。
「セレス」
セレスティアの感情に配慮するように、ケイが優しく声を掛けた。
だが彼女はその声に、全く反応を返そうとしない。
「セレス――」
再びケイが囁くように掛けた声にも、セレスティアは言葉を返そうとはしなかった。
その様子を見たケイは――過ぎ行く時間が、彼女の心を少しでも癒してくれればと祈り続けるのだった。
それからどれくらいの時間が経ったのだろう。
随分と長い間立ち尽くしていたケイとセレスティアは、徐に担当官に礼を述べると、その場を立ち去ることを告げた。
ケイは亡骸をハーランドに運ぶことも考えたが、亡くなっているとはいえ罪人として国を出た者の扱いは難しい。
それに遺体となってしまった以上、何日もこのままにしておくという訳にもいかなかった。
この後レドモンドの遺体は荼毘に付されて、ロアールの共同墓地に埋葬されることになりそうだ。
「これをお持ちください」
「――?」
ケイたちが立ち去る直前、担当官はそう言いながら小さなお守りのようなものを差し出した。
「これは――?」
「大した装備もなく、資産にも何も隠し持っていなかったようですが、このお守りだけは大事に首に掛けていたようです。
特に危険なものではないようですので、遺品としてお納めください」
ケイは差し出されたお守りを受け取ったが、彼自身はそのお守りに見覚えがある訳ではない。
よく見ると幸運のお守りなのか、小さな青い宝石で四つ葉のクローバーを模してある。
ケイがセレスティアに声を掛けようとしたところ、彼女はそのお守りを見て今まで以上に悲壮な表情を作り出していた。
「――ありがとうございます。受け取ります」
ケイは担当官にそう返答すると、お守りをサッと自身の資産に仕舞い込んだ。
きっとセレスティアはこのお守りに見覚えがあるのだろう。
だが、今の彼女にレドモンドに纏わる記憶を思い起こさせるのは忍びない。
ケイとセレスティアは官舎に預けていた馬を受け取ると、そのまま馬を引いてゆっくりと歩き出した。
ファリカの司令官であるレンツからは、往路で使った馬をセイリアの官舎に預けたままにしても良いとは言われている。
とはいえそれはレンツの厚意から出た発言であって、本来ならば借りたものはちゃんと元のところに返した方が良い。
既に周囲は陽が傾き、空が赤く色づき始めていた。
セレスティアは馬に跨がる訳でもなく、徒立ちのまま町の外へ続く街道を歩いて行く。
当然馬に乗って駆けねば、今日の内にファリカまで到達することは出来ない。
だが、セレスティアは――もはや急ぐ理由を失っていたのだ。
転移門を抑えなければならない集落の様子を思えば、ケイもセレスティアも一刻も早くフェリムへ戻るべきである。
だが、ケイは心の所在がハッキリしないセレスティアを、このままにしておく訳にはいかないと思った。
流行る気持ちを抑えながらこの町に到達したセレスティアは、まったく対照的な感情を抱きながら、セイリアを後にすることになってしまった。
今彼女の後ろ姿は、足取りこそしっかりはしている。
だがその歩みは、どこか向かう先を見失っているように思えた。
ケイとセレスティアは陽が落ちる時間まで、何も言葉を交わさずに街道を歩き続けた。
街道からは次第に人影がなくなり、もはや光源の魔法で照らさねば足下すらもハッキリしない暗さになる。
「――セレス、今日はこのあたりで一旦夜が明けるのを待とう」
ケイはそう言うと、街道から外れた国境の川がある方向を指し示す。
セレスティアはそれに無言のまま頷くと、ケイが導くままに国境の川近くまで歩き続けた。
二人は馬を近くの木に繋ぎ止めると、寝転ぶのに適した場所を見つけて、そこに並んで腰掛ける。
闇に紛れてゴブリンやコボルドが現れないかを警戒するが、街道から大きく外れていないこともあって蛮族が蠢く気配はない。
「――ケイ、先に休んでくれ」
ケイは随分久しぶりに、セレスティアの声を聞いたような気がした。
少し掠れるような声色だが、言葉は明快でハッキリとしている。
「わかった。済まないが先に休ませて貰う」
大きな危険はないかもしれないが、とはいえ二人共が同時に眠ってしまうのは警戒心がなさ過ぎる。
ケイは先に横になると、セレスティアの様子を窺い見ながら静かに目を閉じた。
「――セレス?」
ふとケイが目覚めると、隣にいるはずのセレスティアの姿がない。
だがケイは月明かりと星の位置を確かめ、自分が目を閉じてからそれ程長い時間が経っていないことを即座に理解した。
周囲を見渡すと、木に繋がれた馬はそのままだ。
ケイはその場で静かに立ち上がると、何となく予感のようなものを抱いて、国境の川へ向けて歩き始めた。
すると、川に近い土手を越えたところで、斜面にセレスティアが腰掛けていることに気づく。
ケイは一瞬セレスティアに声を掛けようとしたが、何も言わずに彼女の側へと近づいて行った。
彼女はただ無言のまま、国境の川を眺めている。
ケイがセレスティアの隣に腰掛けると、彼女は一瞬だけ視線を向けて、再び国境の川を眺め見た。
ケイは静かに佇む横顔を見つめながら、彼女に対して掛けるべき言葉を見つけ出せないでいた。
おぼろげな月明かりが秀麗な輪郭を照らし、彼の無言の視線がその曲線をなぞっていく。
ケイは目の前にあるその情景を、単純に“美しい”という言葉で実感した。
ひょっとしたらその光景を形容すべき言葉は、他にもっと見つけられたのかもしれない。
だが、ケイは今の彼女を表すのに、飾り立てた言葉は必要ないと思った。
普段、力強いはずのセレスティアの姿には、どこか儚さのようなものが重なっては消える。
普段とは違う、力を込めれば壊れてしまいそうな存在感が、彼女の美しさを一層際立たせているように思えた。
それからどのくらいの時間、そうしていただろうか――?
ケイが沈黙の時間に身を委ねていると、ふとセレスティアが視線の向く先を変えずに、ケイに向かって口を開いた。