FE1 新しい朝へ 07
ケイとセレスティアが港町セイリアに到達したのは、それから数時間後のことだった。
途中で何度か休憩を挟んで馬を休ませながら、出来るだけ時間を短縮してここまで至っている。
「――あれがセイリアなのか!?」
セレスティアの背中側から前方を覗き見ていたケイが、思わず口を開いた。
彼が向ける視線の先には、人間の背の二倍ほどもあるだろうか――木製の壁が覆う場所がある。
その壁の向こうには、いくつもの建物が並んでいるのが窺えた。
街道の突き当たりに見えるその場所は、近づくにつれそれなりの規模があることを感じさせる。
「ああ、そのようだ!」
セレスティアは端的に叫びながら、そのまましっかりと口を噤んだ。
何しろ馬を走らせたままなのだ。無駄口を叩けば舌を噛みかねない。
ケイは徐々に近づいてくる町を覆う大仰な壁を眺め見た。
それを無言で観察しながらも、この壁では決して町を戦争のような災禍から護ることは出来ないだろうと考えた。
セイリアは位置関係だけで言えば、隣り合う商人が打ち立てた国、アーリーンに近い。
アーリーンとロアールは敵対関係にある訳ではないが、一方で完全な友好関係という訳でもないようだ。
ただ――セイリアに設けられた木製の壁は、恐らく対アーリーンを考えて作られたものではない。
ケイはこの壁は恐らく、蛮族対策として作られたものだと想定した。
ここで言う蛮族とは、ゴブリンやコボルドといった種族を意味している。
彼らは個々の力だけで言えば、決して人間の脅威となる存在ではなかった。
だが、徒党を組んだ彼らの力は、決して侮るべきものではない。
特に夜の暗闇は、集団で行動する彼らの力を増大させる。
人々が寝静まる間に徒党を組んだ彼らが町に侵入すれば、町は途轍もない危機に陥るだろう。
通常、規模の大きな町には国の軍隊や騎士が常駐している。
外界と繋がる場所には門番が置かれ、身分証がなければ町に出入りすることは出来ない。
だが小規模な町や村には、そうした兵士が配置されていない。なので比較的小規模な町では、持ち回りで町の人が夜番を行う。
「門番は――いないようだな」
セレスティアに聞こえるかどうか判らない程度の声で、ケイがボソリと呟いた。
港町セイリアはそれなりの規模を持つように見えるのだが、門番のいない町のようだ。
つまりロアールの軍隊が常駐せず、住人の力で治安が維持されているということだろう。
ただそれは逆に言えば、昼間は町の出入りが比較的自由であることを意味していた。
レドモンドが事前にそれを知っていたかどうかは判らないが――これで彼がセイリアに潜伏している可能性も考えなければならなくなってくる。
セレスティアはセイリアの前で馬を止めると、ケイに先に降りるように促した。
ケイが馬から降りて見渡すと、やはり門番らしき姿はない。
ただ、町中の方に数名獣人の姿が見え隠れしているのが判った。彼らはケイとセレスティアの姿を認めると、何者が現れたのかとケイたちを注視する。
仕方ない、国境の街ファリカから離れた場所では、人間の冒険者を見ることも少ないはずだ。
警戒するような視線が纏わりつく中、ケイとセレスティアはそれらを気に留めずに馬を引いてセイリアへと足を踏み入れた。
木製の壁を越えて行くと、まっすぐの道沿いに並び立つ多くの建物が見えてくる。
決して豪勢な作りではないが、木製のしっかりとした建物が多かった。
佇まいだけを見れば、決して田舎町には見えない。
道の突き当りはどうやら港になっているらしく、先には海らしき情景も視界に入って来た。
「ケイ、このまま官舎に向かおう」
セレスティアはそう言うと、真っすぐに馬を引いて歩いて行く。
道すがらすれ違うこの町の住人――獣人たちは、まさに何事かとケイたちを一斉に振り返った。
これだけただの人間が珍しいというのなら――恐らく自分たち以外の人間がここに到達していれば、その記憶は人々の中にきっと留まっていることだろう。
ケイは住人たちの視線を感じながらも、おぼろげにそう頭の中で考えた。
セイリアにはロアールの軍隊は、どうやら常駐していない。
だが、レンツの事前情報で、官舎が存在していることは判っている。
果たしてロアールの官舎は、門を入って真正面に見える最も大きな建物のようだった。
その建物の大きさが抜きんでており、一般の建物に見えないという理由もある。だが同時にロアールの国旗が掲げられているというのが、その建物が官舎だと特定できる一番の理由だ。
ケイとセレスティアはそのまま官舎に到達すると、官舎の前に立っていた狼顔の獣人に来訪の意図を伝えることにした。
狼顔の獣人は先ほどから持ち場こそ離れはしなかったが、ケイとセレスティアの行動をずっと目で追っていたようだ。
さすがに狼顔というのは迫力があって強面だが、仕草や物腰を見る限りは相手を威圧するような素振りはない。
「済まない、この官舎を担当している責任者の方に会いたい」
ケイがそう言いながらレンツの名を出すと、微妙に狼男の対応が改まったものに変わった。
狼男はケイが差し出した許可証を確認すると、その態度を更にもう一段改まったものへと変化させる。
彼は近くにいた猫顔の獣人を呼び寄せると、何事かを小声で伝えた。すると、猫顔の獣人は、慌てて建物の中へと入って行く。
「どうぞ、お入りください。
セイリアの担当官が中におります」
狼顔の獣人がケイたちに言った。
「――馬はどうすればいい?」
セレスティアが横から尋ねると、狼男はセレスティアが持つ手綱に手を差し伸べる。
「こちらの官舎でお預かりしましょう。
さあ、そのまま中へどうぞ」
狼男に導かれたケイとセレスティアは、誘導されるままに官舎の中に入った。
官舎の中には数名の獣人がいて、やはり町中と同じように一斉に二人に注目する。
見れば建物の構造は非常にシンプルで、正面にある大きな部屋が担当官の居室のようだ。
すると先ほど官舎に入って行った猫顔の獣人が、ケイたちを居室へと案内してくれた。
「――ようこそ、と言った方がいいですかな」
部屋に入ると正面に座っていた犬顔の獣人が、立ち上がりながら口を開く。
獣人は見た目では年齢不詳なところがあるのだが、犬顔の獣人は白髪交じりでそれなりの年齢には見えた。どうやら彼がセイリアの担当官のようだ。
ケイとセレスティアは軽く会釈すると、導かれるままにソファに腰掛ける。
「レンツさまのお導きとのこと。
私も先だってロアールの闘いに協力した賢者ご一行の話を伺っております。
セイリアは何しろ田舎町ですし、私も決して広い見識を持っている訳ではありません。ですが私が知り得る限りのことであれば、何でも正直にお答えいたしましょう」
丁寧な申し出に、ケイが御礼の言葉を返す。
「ありがとうございます。
――ではお言葉に甘えて単刀直入に。
実は俺たちは、一人の人物を探してこのセイリアまで来たのです」
「ほほう、人物――と仰るということは、お探しなのは獣人ではないということですね」
その質問を受けて、ケイは素直に肯定した。
そしてその人物に関する知り得る限りの特徴を、順に説明していく。
「はい、探しているのは獣人ではなく人間です。
年齢はまだ青年と呼べるほどの歳だと思います。背丈は俺より一回りほど大きく、肉付きもしっかりとしています。
ですが――最大の特徴は、隻腕であること」
「隻腕――」
その単語を聞いた瞬間犬顔の担当官の表情が、ピクリと動いたような気がした。
ケイはその変化を見届けると、更に追加の情報を伝える。
「そうです。
その男はハーランド王国にあるサンの漁村という場所から国境の川を渡り、対岸にあるこのセイリアに到達したはずなのです」
「――して、その男は何をしたのです?」
犬顔の担当官が放った質問は、レドモンドの居場所の話から一歩進んだ問い掛けになっている。
ケイにはそれが、担当官がレドモンドの行方について何かを知っているという遠回しの答えになっているように思えた。
そして、担当官に尋ねられた質問には、詳しく答えることも出来れば、逆にはぐらかしてしまうことも出来る。
ところがケイがどこまで話すべきかと思案していた最中に、横からセレスティアがその問いに答えた。
「その男は以前、私がハーランドの西方騎士団所属だったときの部下であった男です。
しかし今は私を裏切り、追われる身。
そして裏切った理由を考えれば、その男はロアールにとっても決して利する人物ではない」
「――――」
断言された言葉を聞いて、担当官は少し思案したようだった。
無理もない。セレスティアが答えた内容は、ともすれば隣国の厄介ごとを持ち込まれているようにも捉えられるからだ。
ただ、生まれた沈黙が雰囲気を重く変えてはいるが、決して担当官の態度が非友好的に変化した訳ではない。
三人の視線がしばらく交錯した後で、犬顔の担当官は静かに口を開いた。
「――判りました。
いいえ、言葉が違いますね。
私はあなた方が探しておられる人物に、心当たりがあります」
「――!!」
思わずセレスティアが身を乗り出す。
一方のケイは静かに佇んだまま、担当官の話の続きを待っていた。
「正確にお伝えするとすれば、仰っている通りの隻腕の男という表現になります。
ですので特徴が同じとはいえ、その男が必ずあなた方が探しておられる人物だという保証はありません」
ケイはどんどんと前のめりになっていくセレスティアを、手で合図して押し留める。そして彼女に冷静さを取り戻させるために、セレスティアの顔をしばらく眺め見た。
少ししてケイの視線に気づいたセレスティアは、自分が酷く追い込まれた表情になっていることにハッと気づく。
彼女は前のめりになった姿勢を正すと、ゆっくりと深く深呼吸をした。
「――セイリアに現れたのですね?」
セレスティアが落ち着きを取り戻すのを見届けたケイは、至極自然な口調で担当官に問い掛けた。
「はい。
ご承知の通りセイリアに、人間が足を踏み入れればこれ以上なく目立ちます。
しかもそれが片腕の男性ともなれば、尚更のことです」
ケイがセレスティアを窺い見ると、彼女はその視線を受けて静かに頷いた。
その様子は、至極落ち着いているようにも見える。だが、唇の震えまでは止められていない。
「教えて――ください。
その人物は今、どこにいるのかを――」
口の中が乾くのか、セレスティアの声は少々ぎごちなかった。彼女はゴクリと喉を鳴らすと、静かに担当官の答えを待つ。
口調は穏やかさを保とうとしているものの、彼女の心に沸き立つような感情が渦巻いているのが判った。
追い掛け続ければ、どこかで追いつくことになる――。
そんな当たり前の事象であっても、いざ目前まで近づけば、落ち着いてはいられないのだ。
担当官は無言のまま一度目を閉じると、しばらくしてからゆっくりと目を見開く。
そして彼は改めて、セレスティアの質問に答え始めた。
「――その人物は、二日ほど前にセイリアに侵入し、この官舎の馬屋に繋がれた馬を奪おうとしたのです。
今は捕らえられて、この官舎の隣にある施設で拘束されています」
その言葉を聞いたケイとセレスティアは――、
想像以上に運命の時が近づいていることを、改めて認識するのだった。






