FE1 新しい朝へ 06
翌朝、オルガに事情を説明したケイとセレスティアは、早々に暇を告げてロアールへと向かうことにした。
昨晩の間にケイがフェリムに一旦帰還し、グレイスに同じ事情を説明してある。
どうやらシルヴィアもその後無事に帰って来たらしく、夜はグレイスと交代で眠っているということだった。
そして、時間的な損失を最小限にとどめ、ケイとセレスティアはレドモンドの行方を追う。
今ここでタイミングを逸すれば、レドモンドの行方を完全に見失ってしまう可能性があった。
もしそうなってしまえば――セレスティアの心の中に、大きな影のようなものが残ってしまいかねない。
ケイとセレスティアが開門の魔法で転移したのは、ロアールの国境の街であるファリカだった。
レドモンドが国境の川を渡って向かったであろう港町は、ファリカから北に進んだところにある。
ただケイもセレスティアも、セイリアは一度も訪れたことのない場所だ。
だからファリカより先へ向かうには、魔法に頼れず自分の足で進まなければならなかった。
二人がファリカに転移して最初に向かったのは、街の中央に位置する司令官庁舎だ。
司令官庁舎にはファリカの名代である豹頭の獣人――レンツがいるはずである。
レンツはこれまでの経緯から言っても、獣人の国においてケイたちが最も頼りに出来る男だった。
ただし本人がその日の朝から、司令官庁舎にいるのかどうかが判らない。
何しろ普段の彼はファリカの司令官とは思えないほどに、首都のサリータへ詰めていることが多いのだ。
それはひとえに彼を便利遣いする上官、竜人の存在があるからなのだが――。
ケイは竜人と豹男の顔を思い浮かべながら、思わずフッと笑みを零した。
それほどご無沙汰にしていた訳でもない。だが、どこか懐かしいような気もする――。
ただ、今のケイたちには、その懐かしさに感ける時間はない。
もしここにレンツがいなければ――その場合は改めて、首都のサリータへと向かう必要があるだろう。
何しろロアールの国内は、このファリカを除くとハーランドから来た人間が許可なく自由に歩ける場所がないのだから。
特別な許可をレンツから貰えなければ、ケイとセレスティアはファリカから出てセイリアに向かうことすら出来ない。
ケイたちが司令官庁舎を訪ねると、そこにはいつかと同じように犬顔の門番がいた。
ケイが犬顔の門番に来意を告げると、彼は以前と同じように「事前にお約束はありますか?」と丁寧な口調で言葉を返してくる。
ケイはこれも前回と全く同じように、約束がないことを正直に告げた。
すると犬顔の門番はケイたちを覚えていたのか、笑い声を上げながら門の中に消えて行く。どうやらレンツへと、取り次いでくれるようだ。
しばらくケイたちが門外で待っていると、庁舎の中に入るよう促された。
司令官庁舎の中に通されると――果たしてそこには、レンツの姿がある。
「おや――。
これはこれは、ようこそ。
しばらくお顔を拝見出来ませんでしたが、お元気なようで何よりです」
豹頭の男が、そう言いながらケイたちを歓待してくれた。
背丈はケイよりも一回り大きく、身体の肉付きも十二分に厚い。
それでいて物腰は柔らかく、丁寧な口調が特徴のファリカの司令官だ。
オルガに伝えたのと同様に、ケイたちがフェリムの集落で魔人と闘い、そのまま集落に留まることになった経緯をレンツには手紙で伝えてある。
だが手紙で伝えるのと実際に顔を見て会話するのとでは、そもそもにおいて印象が違う。
レンツは改めてケイとセレスティアが見せた無事な姿に、喜びを隠そうとしなかった。
「それで――あとのお二方は、集落に残っておられるのですね?」
フェリムに残る事情を知るレンツが、ケイに向かって尋ねる。
「ああ。
今日はちょっと理由があって、セレスと二人でここへ来たんだ」
ケイがそう言うと、レンツは小さく微笑みながら言葉を返した。
「ほほう――。
ではその理由というものに、私が何かご協力出来るということなのですね」
レンツは既にケイたちが、何かを求めてここに来たのを見透かしているようだ。
ケイは若干苦笑いすると、その理由を説明すべくセレスティアに視線を投げ掛けた。
セレスティアはその合図を受けて、レンツに向かって説明を始める。
「――実はレンツどの、私たちはハーランドで取り逃がした敵の行方を追っている。
そしてその者がどうやらロアールに入り、港町セイリアに向かったようなのだ」
「敵が――セイリアに?」
その『敵』という表現を聞いて、レンツの表情が途端に厳しくなった。
ケイやセレスティアの言う『敵』という言葉は、レンツにとって魔人を想起させる言葉だったに違いない。
だがケイとセレスティアが追うレドモンドは魔人ではない。ただの人間だ。
ケイはレンツの誤解を解くよう、横から会話に割って入った。
「敵と言っても魔人じゃない。
――いや、まったく魔人に繋がりがない訳ではないが、俺たちが追っているのはただの手負いの人間に過ぎない。その人物は過去に魔人に協力したことがあるという点で、危険度があるにはあるが」
レンツはその言葉を聞いて少し表情を緩めたが、魔人に連なる人物ということで警戒を完全には解いていない。
「それがどのような人物なのかは改めてお聞きしたいところですが――。
お二人は今その敵を、追跡されているということなのですね」
セレスティアはレンツの言葉に頷くと、彼に向けて一歩、足を踏み出して言った。
「頼む、レンツどの。
私たちに再びロアール国内に入る許可をいただけないだろうか?
私たちはその人物を、何としてでも捕らえたいのだ」
息むセレスティアの発言を聞いて、レンツは静かに彼女を窺い見た。
彼はそのまま少し目を細めると、セレスティアの考えを確かめるように一つの問い掛けをする。
「して、セレスティアどの。
その人物を捕まえて――どうされるおつもりなのですか?」
「――――」
質問を投げ掛けられたセレスティアは、隣にいたケイがそれと判るほどに如実に狼狽えた。
セレスティアは目を見開きながら俯いて、すぐにレンツの質問に答えることが出来ない。
捕らえて、どうするのか――?
それは至極、単純な質問のはずだった。
言葉を投げ掛けたレンツからすれば、自国で起こることを憂慮する当然の問い掛けだったに違いない。
セレスティアとケイが追いかけているのは敵であり、そしてレンツからすれば三人ともが他国の人物であった。
レドモンドを追跡し、捕らえたとしてどうしようというのか――?
セレスティアはそんな単純な質問に対する答えが、自分の中に全く存在していなかったことに驚いた。
自分はレドモンドを捕らえてどうしようというのか?
自分はレドモンドに会って何を話すというのか?
レドモンドは自分に――何を語るというのだろうか?
自分はレドモンドを――
――殺すのか?
言葉を失ったセレスティアに助け舟を出すように、レンツが彼女に声を掛ける。
「――事情は判りました。
町中で戦闘行為は困りますが、その人物のことは一旦あなた方にお任せすることにします。
それにその人物を追っておられるということであれば、それほど時間の猶予もないのでしょう」
「こちらが説明すべきことをちゃんと伝えられていないようだ。
急いでいるとはいえ、済まない」
ケイがそうレンツに詫びると、彼は空気を読んだようにニヤリと笑った。
「なあに、何やら複雑なご事情があるのでしょう。聞かなくても判ります。信頼感のなせる業という奴で――」
その言葉に、ケイも思わず微笑む。
「では、早速港町セイリアへ向かうことが出来るよう、許可証を発行する手続きを致します」
「ありがとう、助かる」
「ただセイリアまでの道のりを徒歩で向かえば、恐らく丸一日以上の時間が掛かってしまいます。
残念ながら今から馬車を手配するとかなりの時間を要してしまうのですが、馬だけであればすぐにでも用意することが出来ます」
馬だけ、という言葉を聞いて、一瞬ケイはセレスティアの顔を見た。
彼女はその視線に特に動じることもなく、レンツに向けて感謝の言葉を述べる。
「レンツどの、ご支援感謝いたします。
このご恩はきっと、いつか」
「気にすることはありませんよ。
――そうそう、馬はセイリアへ向かう時は必要でしょうが、賢者の魔法で戻られるのであれば帰りには必要ないと思います。
もしそうであれば馬をそのまま、セイリアにある官舎に預たままにして構いません」
レンツはケイが開門の魔法を使えることを知っている。なので帰りに馬を使って移動するのは、却って負担になると考えたのだろう。
ただ、馬車でなく馬を借りるということであれば、一つ考慮しなければならないことがある。
それはケイが単独で、馬に乗れないということだ。
セレスティアは再びレンツに礼を述べると、ふと過ぎた日のことを思い出した。
過去、セレスティアはケイを乗せて、共に馬に跨ったことがある。
あの時は何ら意識せず、馬上から自然に手を差し伸べることが出来たのだ。
――いや、今思うとあまりに抵抗感がなさすぎて、今になって少々気恥ずかしい思いが浮かび上がって来る。
だが今はそんなことを言っていられないのも、紛れもない事実ではあった。
「――ケイ、後ろに乗ってくれ」
セレスティアはそう言うと、ケイに向かって手を差し伸べた。
少し前かがみになった彼女の肩から、金糸のような髪が流れて陽光を美しく反射する。
開いた鎧の胸元からは、何とも女性らしい曲線が覗いた。
レンツに一通りの感謝を伝えた後、ケイとセレスティアは早速セイリアに向かう旅路に就いた。
セレスティアは用意された馬に跨ると、一度ケイに背を見せ心を静めようとする。
彼女は馬をその場で転回すると、笑みを浮かべながらケイに向かって片手を差し伸べた。
「さあ、手を――」
ケイはセレスティアの言葉に頷くと、何とかサポートを受けながら彼女の後ろに収まった。
鞍の中では二人の下半身が密着し、意識を背けなければ気まずい感情が浮かび上がりそうになる。
セレスティアは背中に被さるケイの身体を感じながら、何となく自分の頬が上気してしまうのを自覚していた。
「では、出発しよう」
赤らんだ顔を見られないように、セレスティアはケイを振り返ることもなく馬の脚を進めていく。
「ケイ、しっかり腕を回して――捕まえていてくれ」
「あ、ああ――」
セレスティアがケイに伝えようとしたことは、その言葉通りの意味だったに違いない。
だが、ケイは彼女の発言が、アンセルに旅立つ際に聞いたグレイスの言葉と重なるのを感じていた。
あの時――グレイスは揺れるセレスティアを、「しっかりと捕まえていてください」と言っていた。
何となくその意味を噛み締めながら、ケイはセレスティアの身体に腕を回す。
セレスティアの身体は一瞬ビクリとした反応を返したが、それ以上の抵抗は示そうとしなかった。
ケイの記憶が正しければ、以前彼女と馬に同乗した時に「変なところを触るな」と酷い抵抗を受けた気がする。
だが今は抱きしめる腕に力を込めても、それを振り払おうとする気配はない。
もっとも抱きしめたところで、互いに柔らかい肌の感覚が伝わって来るという訳ではなかった。
何しろセレスティアは聖乙女の鎧を脱がず、ケイもまた胸甲のある審判の法衣を身に着けたままなのだ。
とはいえケイの腕がセレスティアの身体を包み、真後ろから抱きしめる体勢になっているのは間違いのない事実だった。
来たるべきレドモンドとの再会を前に、セレスティアは自身の心が浮ついているのを感じていた。
それは表現するならば、まるで糸の切れた凧のようなものだ。
どの場所へ向かい、どこへ行き着くのかも判らない――。
だが、彼女はそんな自分を、ケイが身体ごと掴んでくれているような錯覚を覚えていた。
自分を背中から抱く彼の両腕が、心を繋ぎ止めてくれる“楔”のように思えたのだ。
セレスティアは徐々に高まる心音を包み隠すように――。
一つ鞭を打つと、馬を北へ北へと走らせるのだった。