FE1 新しい朝へ 03
オルガ・レン・レノックスは王族である。
彼女は幼少の頃より聡明で、ハーランド国王がもうけたどの王子、王女よりも優秀だった。
国王は姪にあたる彼女を大いに可愛がり、年若い時期から王宮での地位を与えていた。
オルガは十代で王都の最も優秀な大学を卒業してしまうと、その後は国王から任命された王墓の管理官に就任した。
王墓の管理官というのは、その名の通り過去の国王の墓を管理する役割のことだ。
一見つまらない閑職に見えるが、ハーランドではこの王墓管理官を勤めないと王宮で高い役職に就くことが許されない。その意味では王宮で出世するための登竜門的な意味合いを持っている役職と言えた。
そうして彼女は王墓管理官に任命されてから約三年の間――その役割を務め続けることになる。
王墓というのは油断をしてしまえば、すぐに墓荒らしたちの標的になってしまうものだ。
一度墓荒らしに遭ってしまうと、その墓荒らしの捜索や逮捕、王墓の原状回復まで王墓管理官が自らの予算で行わなければならない。従って王墓管理官の仕事は、墓荒らしに遭わないための優秀な人材の確保と人材配置が重要な要素を占めていた。
オルガは王宮から信頼のおける騎士を数名選抜すると、彼らを巧みに配置し、抜け目なく兵士たちの勤務を管理させることにした。墓荒らしに対しては二重三重の対策を打ち、信頼出来る部下であってもミスを起こす可能性を考え、幾重にも対策を重ねることにした。
そうした結果、彼女が王墓管理官を務めた三年間は、王墓にとって最も平和な三年間となったのだ。
ただ――その平和だった三年の中で、一つだけ彼女が奇妙な判断をした出来事がある。
オルガが王墓管理官になって二年が過ぎた頃、彼女が急に王都に程近い『深淵の迷宮』を閉鎖すると言い出したことだ。
王都アンセルの近くにある深淵の迷宮は、元々神々を祭る神殿だったと言われている場所である。
いつの頃からか迷宮化してしまったのだが、王都にも王墓にも近いことから、この迷宮の管理は王墓管理官が担当することになっていた。
だが、深淵の迷宮はその名の通り規模が大きく、奥底が知れぬほどに深い。
従ってその管理の全てを、オルガの部隊が担当することは出来なかった。
オルガは迷宮の入り口近辺を管理するに留まり、その代わりに王都の中央騎士団が迷宮内の比較的浅めの階層に常駐することになっていた。
普段王都を守備して戦闘に出ることのない中央騎士団は、深淵の迷宮の魔物を退治することで迷宮から魔物が溢れるのを防ぎ、なおかつ迷宮を修練の場として利用していたのだ。
ところがその深淵の迷宮を、オルガは理由なく閉鎖するという。
迷宮を事実上の縄張りとしていた中央騎士団は、当然のごとくその決定に反発した。
だが、程なくして中央騎士団が深淵の迷宮で戦利品目的の探索を行っていたことや、その戦利品を王宮に納めず私腹を肥やしていたこと、その探索の間に数名の死者が出ており、それをひた隠しにしていたことなどが暴露され、彼女の決定を覆そうとする勢力はなくなってしまった。
それでもなお、迷宮から魔物が溢れ出る危険性を叫ぶ人間がいなくなった訳ではない。
だが、結果として魔物が迷宮から溢れてしまうようなことは起こらなかった。以降、王宮の中ではその危惧の声すらも耳にすることがなくなった。
最終的にオルガの下した突然の迷宮閉鎖の決定は、中央騎士団の不正を暴き、更に騎士団の常駐を解くことで王国の財政負担を軽くするという彼女の功績となった。
国王は大いに喜んだ――。
――ふと、そんな過去のことを思い出す。
オルガは目を閉じながら、当時の出来事を脳裏に思い起こした。
どれもがまるで昨日の出来事のように、鮮明に振り返ることが出来る。
そして思い出すのを避けていたにもかかわらず、あの時出会った一人の男性の姿を目蓋の内に描いてしまった。
あの時――地位も立場もあったオルガは、自らの気持ちを男性に伝えることは出来なかった。
いいや、感情を吐露したところで、それを男性に受け入れて貰うのはきっと無理だったに違いない。
何しろその男性は、物心つくかどうかという歳の少女を連れていたのだから。
彼がその少女に向ける眼差しを見ているだけで――それが男性の娘であることは、容易に想像出来た。
だが、それもひょっとしたら自分への言い訳なのかもしれない。
単に自分の立場を優先し、感情を押し殺して何一つ行動を起こさなかった自分への――。
オルガは、自分のした選択に後悔はないと思っていた。
ただ、本当にその選択が自分にとって幸せなことだったのかどうかは――今でも悩む。
オルガの下へセレスティア来訪の知らせが入ったのは、彼女がそんな過去に思いを馳せていた時のことだった。
オルガは一頻り表情を取り繕うと、女官に昼食の後にセレスティアと会うことを告げた。
本当は昼食など取らずに、すぐにでも会いたいくらいなのだ。
だが残念なことに、予定された辺境伯との昼食を反故にする訳にはいかない。
平和すぎて本当に詰まらない訴え事しか持って来なくなった辺境伯ではあるのだが、彼と約束した月に一度の昼食は、これまで欠かしたことはない。
そんな彼もまた、このハーランドを支える重要な一員であることに間違いはないのだ。
結果的に、自分はいつまで経っても立場を捨てられない人間だ――。
オルガはそう思いながら、小さく自嘲混じりの苦笑を漏らすのだった。
約束通りの時間にケイとセレスティアが王宮を訪問すると、騎士と思しき男性が直接王宮の中へと案内してくれた。
場合によっては今回の訪問は、単にオルガとの面会の日時を設定するだけに留まる可能性もあったのだ。だが、多忙なオルガは自身の予定を調整し、即日二人と面会しようとしてくれている。
控室に通されたケイとセレスティアがソファに腰掛けていると、それから数分もしない内に先ほどの騎士が現れた。
二人が騎士の案内を受けて通されたのは、オルガの執務室のようだ。
室内は豪勢な趣はなく、質実なオルガの人となりを窺わせている。
見れば、果たして執務室の真正面の机にはオルガが腰掛けており、その脇には書記官らしき男性が控えるように座っていた。
執務室に通されて面会の内容が記録される以上、この訪問がハーランドにとって公式な扱いをされていることが判る。
どのように声を掛けたものかと思案したケイだったが、それを察したのかオルガが静かな口調で先に口を開いた。
「――セレス、お帰りなさい。
そして賢者の帰還を歓迎します」
「殿下――。
ご報告が遅くなり申し訳ございません」
優しく微笑むオルガを直視することなく、セレスティアは軍式の敬礼を崩さない。
一方のケイは賢者という呼称にむず痒い思いを抱きながらも、軽く会釈をした。
「おや――あと二人の娘はどうしたのです?」
オルガの率直な質問に、ケイが笑みを浮かべながら答える。
「理由あってフェリムで留守番をしてもらっています。
そして、その理由というのがご報告の一部になるのですが」
この時、ケイは敢えて強調して留守番という表現を使った。その表現がケイたちにとっての本拠地が、フェリムに移ったことを遠回しに伝えると思ったからだ。
果たしてオルガはケイの発言を受けて目を細め、少しの間無言で思考を巡らせていた。
そしてその僅かな時間でケイの真意に辿り着いたのかもしれない。
オルガは先ほどよりも神妙な表情を取りながら、彼の言葉の続きを促した。
「――判りました。
では、その報告を詳しく聞かせてください」
ケイは一度隣に立つセレスティアと顔を見合わせると、オルガの側に控えた書記官が盛んに筆を動かすのを見つめながら、語り始めるのだった。