FE1 新しい朝へ 02
「――ケイ、折角の機会です。
あなたも王都へ行って、オルガさまに会ってきてください」
「俺も?」
ケイは意外なことのように聞き直す。
彼は時間短縮のため、グレイスから開門を使った方が良いという忠告を受けることは予想していた。
だが、まさか自分までオルガに会いに行った方が良いと提案されることは想定していなかったのだ。
「ええ。
今後、この集落を拡張するのであれば、その意図も含めてオルガさまに先に説明をしておいた方が良いと思うのです。
周囲の自治区のことを考えれば、自治区を刺激しないためにもハーランド王国にこの集落を支援して貰うということは出来ないと思います。
ですが、逆にハーランド王国に何も言わずにこの集落が大きく成長すれば、今度は隣接するハーランド王国が警戒心を抱くかもしれません。
その懸念を先に払拭しておくためにも、説明はケイ自らが赴いて行うべきだと思うのです」
「それは確かにそうだが――」
彼がそう言いながら思案していると、グレイスの視線が再びセレスティアと交錯した。
だが今度は視線を逸らさずに、セレスティアが懸念を口にする。
「しかし、それでは私だけでなくケイまで不在になってしまう。
開拓は多少の遅れが出ても問題ないとは思うが、転移門の方は――」
待ってくれない、という言葉を飲み込みながら、セレスティアはケイの顔を窺い見た。彼も同じ考えを頭に思い浮かべて、グレイスの提案に歯切れの悪い言葉を返していたのだ。
「ケイ、明日の朝にはシルヴィアが戻ってきます。
シルヴィアとわたしの二人がいれば、恐らく転移門は抑えることが出来るはずです」
グレイスが被せるようにケイに向かって言う。
だがケイはセレスティアとグレイスの両方の発言を聞いた上で、改めてグレイスに懸念を示した。
「確かに修復する転移門を破壊するだけなら、シルヴィアとグレイスの二人がいれば十分だろう。
だが、万が一『使徒』が現れたらどうする?
いや、使徒でなくても二人で対処するのが難しい魔物が現れる可能性だってある。現に俺は転移門から生まれて来たらしき強力な魔物と闘ったことがある。
いかに二人が強くても、攻撃対象を引き受けられるセレスがいないんだ。
多少慎重すぎるぐらいに、慎重な判断をした方がいい」
すると、その発言を聞いたグレイスは無言のまま部屋の奥へと歩き去ってしまった。
ケイは一瞬グレイスの機嫌を損ねたかと気掛かりになったが、どうやら彼女は部屋の奥へ何かを取りに行っただけのようだ。
少ししてグレイスが戻ってくると、彼女の手には小さな一対の耳飾りのようなものが乗せられていた。
見ればその両方に、緑色に光る小さな宝石が嵌まっている。
「ケイ、これを」
「――これは?」
「これは知識のレダから譲り受けた魔法道具です。
どうやらこれを使えば、遠く離れた相手に合図を送ることが出来るようなのです。
――ほら」
グレイスがそう言って耳飾りの片割れに魔力を込めると、もう片方の耳飾りに嵌められた宝石が反応して、緑色の光が赤色に変わった。そして、赤色に変わった耳飾りの方からは、ガラスを弾くような小さな音が聞こえてくる。
以前ケイはグレイスに『生命の腕輪』というアクセサリを贈ったことがあった。その腕輪は元の持ち主の身に不測の事態が起こると、遠隔地にある贈られた腕輪の色が変わるというものだった。
この耳飾りは構造や役割こそ違うものの、ある種それと似たような魔法道具であることを想起させる。
「こんなものが――」
レダはこの魔法道具をケイに手渡す際、これはレダにとっては無用で、ケイにとっては有用なものだと言っていた。
確かにこの魔法道具は複数人が連絡を取り合う用途で使わなければ意味を成さないだろう。だから一人で転移門を抑えるレダにとっては無用のものと言える。だが、今のケイたちの状況にとってはこれ以上ないほどに有用なものだ。
「緊急の事態があれば、グレイスとシルヴィアがこの耳飾りを使って俺に急を知らせる。
俺はそれを見て開門ですぐに戻ればいい訳だ。
確かにこのアイテムがあれば、俺も王都に向かうことが出来るだろう」
そう結論を口にしながらも、ケイの心の中にはレダに対する感謝の気持ちが浮かぶ。
知識のレダは圧倒的な能力を持つ不敵な男ではあるが、同志であるケイたちに対して少なからず心遣いをしてくれているようだ。
「――ということだ、セレス。
俺もオルガに会う必要が出来たし、ここを離れることに対する懸念も払拭出来そうだ。
明日の朝、シルヴィアが戻ってきたら早速一緒に王都へ向かうことにしよう」
ケイがセレスティアにそう言うと、彼女は一つ溜息をついて少し観念したような表情で言った。
「判った――手間を掛けて済まないな」
その言葉を聞いて、ケイが笑みを浮かべる。
だが一方のグレイスは表情を変えず、セレスティアの横顔をじっと見つめているのだった。
翌朝――。
早朝に戻って来るはずだったシルヴィアの姿は、未だ集落にはなかった。
一週間ほど前に集落を出たシルヴィアが向かっていたのは、隣接する三つの自治区だ。
自治区へ至るまでの道には、一部森に囲まれた地域がある。だが、そうした地域があるとはいうものの、取り立てて危険な場所は存在していない。
彼女に課せられた役割は、周辺の自治区にある街や村の情報収集だった。
自分たちがいる集落の周りにどれくらいの人がいるのか、どんな店がありどんな品揃えをしていて何が足らないのか、子供と老人のどちらが多いのか、仕事を探している人はどれくらいいるかなど――。
そうした情報は、自分たちの集落を発展させる上で非常に役に立つ。
無論、諜報的な役割はグレイスの方が向いているのは言うまでもない。
ただグレイスには自治領主と面会する約束を取り付けるという、重要な役割があった。そしてそれは元々この集落に住んでいた彼女でなければ、為し得ない役割だ。
もちろんどちらかの役割を、セレスティアが肩代わりするという選択もあった。
だが、彼女はハーランド王国の広告塔としてそれなりに名の通った存在だ。今は一介の冒険者の身分であるとはいえ、セレスティアが独自に自治領主に面会したり、他の自治区の情報を収集したりするのは避けるべきだった。
そうした事情で不安もありながら、陽気なシルヴィアに情報収集の役割が当たったのだが――。
「――ったく、どこで油売ってるんだか」
ケイは若干苛ついた気持ちを見せながら、自宅から別の自治区へと続く路地を見渡した。
時刻は徐々に昼食時へと近づきつつある。
シルヴィアが何か危険な目に遭っているのではないか――。
そんな考えもケイの頭を過ぎったが、そもそも優れた魔法使いであるところの彼女に限って、その危険性は薄い。どちらかというと何らかのトラブルを生み出して、相手を再起不能な状態にまで叩き潰しかねないことの方が気掛かりである。
「行く時に妙に浮かれていましたから、少々羽を伸ばしているのかと」
いつの間にかケイの側には、グレイスの姿があった。
彼女は少々呆れたような表情をしながらも、小さく微笑む。
シルヴィアの身体には過去の闘いの中で、“楔”を打ってあった。だから開門の魔法を使えば、ケイは一瞬でシルヴィアのすぐ側に転移することが出来る。
だが、それこそ着替え中に突入するようなことになれば面倒なことになるし、開門を使って彼女を追い立てることは、互いの信頼感を損ねる結果になりかねないと考えていた。
だからケイはよっぽどの緊急時でない限り、その楔を使わないことに決めている。
「陽が落ちる時間になってからオルガに面会を申し出る訳にはいかない。
かと言って明日まで待っても帰ってくるかどうか、判らないしな。
戻ってこないのは不安が残るが、先に出発するしかないか」
「ええ、そうですね」
二人の意見が一致を見せた時、その会話に導かれるように玄関の扉が開いた。
家から出てきたのは、金髪の女性――セレスティアだ。
だが、その出で立ちは昨日とは違う。
昨日の彼女が集落に暮らす一人の女性としての姿だとすれば、今の彼女の姿は闘いに身をやつす一人の剣士の姿だ。
カチャ、カチャと小さく鎧が擦れ合う音をさせながら、セレスティアはケイの近くに歩み寄った。
彼女を象徴する聖乙女の鎧が、昇りゆく陽光を反射して青白く輝いている。
腰にはもう一つ、彼女の存在を誇示する聖乙女の剣が吊り下げられていた。
「ケイ、私はいつでも出発出来る」
セレスティアの言葉にケイが頷く。
その様子を見たグレイスが、二人に向かって声を掛けた。
「では、ケイとセレスは遠慮なく王都へ向かってください。
シルヴィアは――彼女のことですから、暫くすれば無事に戻ると思います。
二人が帰りを待たずに出掛けてしまったと知ったら、それはそれで文句の一つも言うかもしれませんが」
グレイスの言葉にケイが苦笑する。
文句を言ったところでそれはシルヴィアの自業自得ではある。とはいえ彼女のために、何か土産の一つでも買ってくれば機嫌も良くなることだろう。
「判った。グレイス、済まないが留守番を頼む。何かあったら遠慮なく連絡をくれ。
あと、シルヴィアが戻ってこない場合も連絡が欲しい。くれぐれも転移門を一人で抑えようとはしないように」
グレイスはケイの言葉に頷くと、開門の発動を予期して数歩後ろへと下がる。
彼がそれを見て開門の魔法を発動すると、三人の前にポッカリと大きな黒穴が開いた。
「グレイス、この埋め合わせはいつか」
意味有り気な視線をグレイスと交わして、セレスティアが先に開門を通って王都へと転移する。
そして彼女が転移したのを見届けたケイが、自らも開門を潜ろうとした瞬間――グレイスがケイを呼び止めた。
「ケイ。
――セレスは揺れています。
しっかりと捕まえていてください」
そう言ったグレイスの表情に、笑みはない。
ケイは彼女の言った言葉の意味を吟味しながら、一つ質問を返した。
「だが、セレス自身の意思はどうする?」
その言葉を聞いたグレイスは、手で口元を覆う仕草をしながらフフフと声を上げる。
「それを確かめるのが、あなたがついて行く一番の理由でしょう?」
ケイはグレイスの言葉を聞くと、ニヤリと笑ってグレイスに手を振った。
「――なるほど。よく判った」
ケイはそう言い残すと、王都へ繋がる空間の穴へと足を進めるのだった――。