FE1 新しい朝へ 01
長らくお待たせしました! 書籍も4月3日の発売が決まりましたので、本編終了後の追加エピソード第一弾をお届けします(ぜひ書籍の方も応援よろしくお願いします…)。
本作「新しい朝へ」は、本編(第八部 魔人の剣篇)終了後を描いたものになりますので、“本編を読了いただいた上で”続けてお楽しみいただくことをお勧め致します。
なお、作者が当初想定していたよりも少々長くなっておりますので、しばらく「連載」という形で続けさせていただくことになりました。
では、お楽しみいただけることを祈って。
※本編とは違い三人称で書かれています。ご注意ください。
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Beauty, Sage and the Devil’s Sword
Fragmentary Episode I
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カコン――。
カコン――。
定期的なリズムを刻むように、小気味の良い音が周囲に響いている。
森を包む深い闇は、朝の陽射しが生む幾つもの光の束によって振り払われつつあった。
そして――立ち並ぶ木々の合間から聞こえてくるのは、朝の到来を告げる小鳥たちの声。
そこからさらに耳を澄ませば、微かに届く水のせせらぎにも気づくことが出来ることだろう。
カコン――。
森の奥へと響いていくその音は、明らかに自然の中で生まれたものではない。
かといってこの情景の調和を乱してしまうようなものでもなかった。
強いて言えばその音は、この二週間ほどで毎朝の情景に溶け込んだ音――。
恐らく朝の挨拶を交わす小鳥たちも、もはやその音に慣れてしまっているのだろう。森に響き渡る音を聞いても、逃げ出す気配を見せることはなかった。
「――セレス、朝から精が出るな」
その声を聞いて、今まさに右手の鉈を振り下ろそうとしていた女性が振り返った。
彼女の周りには綺麗に割られた薪が、いくつも散らばっている。
ふわりと浮いた金色の髪が、朝の陽射しを反射してキラキラと輝いていた。
セレスと呼ばれた女性は声の主を振り返ると、ふうと一つ息を吐き出して煌めく額の汗を拭う。そして、声の主に向かって少し表情を緩めた。
「おはよう――ケイ。
これは私の役割だからな。
少し冷える時期も近づいて来ている。王都や国境近くにいる時は意識をしなかったが、やはり山手の気候は不安定だ。雪が降ることはないのだろうが、備えあれば憂いなしというやつだよ」
その言葉を聞いて、彼女に声を掛けた男性がフッと微笑んだ。
この世界の朝は早い。
人々は夜明けとともに活動を始め、陽が落ちれば眠りの床に就く。
ただしそれは、フロレンスの一般的な家庭の話だ。
特にこの世界に存在する魔法――ここで言う魔法とは最も初歩的な光源という魔法を意味している――が、人の活動に与える影響は大きい。
夜闇の中に十分な明かりが点れば、当然ながら人は活動に使える時間を増やすことが出来る。
この世界において魔法を使える人の数は、おおよそ四人に一人といったところだ。
そこから考えれば昼夜を問わずに活動出来る人は、決して多数を占めている訳ではない。
だが幸いにして、ケイと呼ばれた男性はその四人に一人の側だった。
彼は夜更かしを思わせる眠気の残る眼を擦りながら、散らばる薪を一つ一つ拾い集めていく。
「――何だ、また夜なべだったのか?」
セレスと呼ばれた女性が尋ねた。声色は決してそれを咎めようというのではない。どちらかというと、男性のことを気遣うような口調だった。
「まあな。やることが増えたから仕方がない。
――とはいえ忙しいのはみんな同じさ。色々付き合わせている立場からすると、こんな程度のことで音を上げる訳にはいかない」
ケイがそう言いながらニヤリと笑うと、女性もそれに応えるようにフフフと微笑みを返すのだった。
セレスティア・パスカリスは地方貴族の出身である。
男児のない騎士貴族家において彼女は幼少期から剣を学び、家の期待を一身に浴びながら自然に騎士を目指すようになった。
とはいえ男性に交じって志す剣の道は、決して容易な道ではない。
彼女が立身するには、他人の数倍にも及ぶ努力と苦労を要した。
だが彼女は結果として見事に才能を開花させ、年若くして正式な騎士に取り立てられるに至った。
そもそもこの国において、十代で正騎士となる者は珍しい。
セレスティアはその若い年齢に加えて、見目にも優れた女性だった。
彼女が正騎士となった時、彼女が入団した西方騎士団には彼女以外の女性騎士がいなかった。
ゆえにその存在が目立たない訳がないのだ。
地方都市で叙勲された一騎士だったにも関わらず、彼女の噂はすぐにハーランド王宮の耳に入るところとなった。
そして、騎士団の強化を図ろうとしていたハーランド王宮が、その存在を利用しようしたのは至極自然な流れでしかない。
最終的にセレスティアが騎士団の旗印として祭り上げられ、彼女を広告塔にした騎士団のアピールが始まるまでに、さほどの時間も必要としなかった。
その実、セレスティアは一人の騎士として、比類なき能力を持っている。
だが、広告塔という扱いを受けたことで、多くの人々は彼女の実力を過小評価するようになった。
実力もないのに、物珍しさだけで高い地位に上り詰めた女――。
セレスティアが所属する西方以外の騎士団を中心に、彼女は次第に人々にそう揶揄され、侮られていくに至った。
そして、礼節を欠いた言葉や行為が王宮の中でも目に付くようになった時――。
彼女の卓越した能力を人々に示す機会を作り、セレスティアを精神的に救ったのは、ハーランドの女性宰相であるオルガ・レン・レノックスだった。
それ以来セレスティアはオルガと深く交流し、今では彼女を自分の母親のように慕っている。
「ケイ、相談したいことがあるんだ」
少し思いつめたような表情を浮かべて、セレスティアが切り出した。
作業を終えたセレスティアとケイの姿は、朝の食卓にある。
普段であればこの食卓には、もう二人の女性が腰掛けるはずだった。だが、今はその二人が不在で、ケイとセレスティアは互いに向き合うように食卓に就いている。
彼女の声にケイが顔を上げると、丁度二人は見合うような形になった。
「――何だ? 改まって」
セレスティアは手にした木匙を食卓に置くと、言葉通りケイの方へ改まってから話し始めた。
「以前、話していたことではあるが、そろそろオルガさまにこれまでの経緯を報告したいと思っている。
本来ならば、あの闘いの後、すぐにでもご報告へ戻るべきだったのだろうが――」
彼女が言うあの闘いとは、ケイたちがこの集落に住まう切っ掛けとなった闘いを指している。
魔人ジルベールと死闘を演じたケイやセレスティアたちは、今後の憂いを断つためにこの集落に留まり続けなければならなくなった。
――いや、正確にはケイがこの場に留まり、今後の憂いを断つ決断をしたのだ。
セレスティア自身には、彼に同調してこの集落に留まり続けなければならない義務はない。
確かにここへ旅立つ前にハーランド王国の軍籍は返上していた。だから今の彼女はハーランド王国の動向に縛られることがない。自分の自由意思に基づいて行動し、その代わりに明日の生活も保障されないという一介の冒険者に過ぎないのだ。
とはいえ彼女が王都に戻れば、多くの人たちはきっと彼女を歓迎するだろう。一度返上した騎士の地位にも、戻れる可能性が大いにあった。
だが、それらを振り切る形で、セレスティアはこの集落に留まっている。
その理由は何となく、彼女の心の中に朧げに浮かび上がっていた。
しかしながら、彼女はその存在に戸惑いを隠せない。何故ならそれは、彼女の人生の中でかつて体験したことのない、得体の知れないものだったからだ。
だから彼女は自分の中で次第に大きくなっていくその兆しのようなものの存在を、必死に否定し続けていた。
「改めて、直接報告に行きたいということか」
ケイの確かめるような台詞に、セレスティアは静かに頷く。
ジルベールとの闘いの直後、冒険者ギルドを経由して手紙と言伝を頼み、オルガには状況を報告してあった。
自ら赴くことなくわざわざギルドを頼って報告したのは、当初この地から長時間離れることの危険度を図りかねたからだ。
そして今――あの闘いから、既に二週間ほどが経過している。
既に全員が少しずつ、この集落での新しい生活を楽しめるようになってきていた。
壊しても壊しても復活する転移門を延々と破壊し続けなければならないという、気の遠くなるような義務にも段々と慣れ始めている。
セレスティア自身もここでの生活に慣れ、毎日の目覚めに喜びを感じ始めるようになっていた。
その前向きな流れに水を差しかねない――。
自らの希望は決して歓迎されないだろうと予測していた彼女は、少し目を伏せるようにしてこの話を切り出していた。
「集落の発展のために、少しでも手が必要な時に済まない。
私一人が行って帰ってくれば、往復で一週間もあれば大丈夫だと思う。
その期間は迷惑を掛けてしまうのだが――」
ケイはセレスティアの発言を聞いて、その時初めて彼女が自らの足で王都に向かおうとしていることに気がついた。
通常であればこの集落から王都へ向かうには、およそ数日と言える距離を歩いて移動しなければならない。往復の旅路と王宮への報告を考えれば、セレスティアの言うとおり、少なくとも一週間程度の日数を費やす必要がある。
だが、ケイは空間魔法の開門という魔法を使うことが出来る。この開門の魔法を使えば“楔”を打ってある場所へ、一瞬で転移することが出来るのだ。
転移に必要な楔は、王都にも打ってあった。従ってケイの力を借りれば、オルガと会うために王都に向かうこと自体は一瞬で済む。
にもかかわらず、セレスティアは自らの足で王都に向かおうとしている。
彼女には、何かその考えに至った理由があるに違いなかった。ただ、セレスティアの若干思いつめた表情を見ていると、その理由をあからさまに追求するのが憚られる。
目を伏せて一向に視線を合わせようとしない彼女を見ながら、ケイは笑みを浮かべて言った。
「セレス、そんなに恐縮することはないさ。
必要なことだし、以前からその希望は聞いていた」
「済まない――」
セレスティアが一層視線を落として詫びる言葉を吐き出した時、不意に玄関の扉が開いて一人の女性が姿を現した。
それは黒い髪を結い上げて、キッチリとした黒衣に身を包んだ美しい女性だ。
「グレイス、おかえり」
ケイが現れた女性に声を掛けると、グレイスと呼ばれた女性はニッコリと笑みを返した。
「ケイ、セレス、お待たせしてしまいました。
無事に自治領主との面会の約束が取れましたので、そのご報告を」
彼女の告げた言葉にケイが喜ぶ。
ケイたちは集落の発展のために、この家の裏手にある森を切り拓くことを計画していたのだ。
その森は数日前、地元の地権者から安く譲り受けたものだった。
無論、自分の所有する土地であることを考えれば、どう開拓しても自由だと言い張ることが出来る。
しかしながらケイは、敢えて必須ではない自治領主の了承を開拓に先駆けて取りつけようとしていた。
彼が言うには、こうして相手に配慮を見せる関係を作っておいた方が、後々本当に自治領主の許可が必要になった時に許可を得やすいのだという。どうやら彼なりの根回しのつもりらしい。
グレイスの報告によると、自治領主と会えるタイミングは翌週になるということだった。何でも今週はタイミングが悪く、自治領主は不在にしているようだ。
「来週か――。
急ぎたいところではあったが、こればっかりは相手の都合だから仕方ないな」
ケイがそう呟き思案していると、グレイスが項垂れたままのセレスティアを見て声を掛けた。
「――セレス? どうかしたのですか?」
「あ、ああ――」
顔は上げたものの、微妙に反応の悪い答えが返ってくる。
どうやら勘の良いグレイスはセレスティアの表情と反応を見ただけで、彼女が何を考えていたのかに気づいたようだ。
「セレス――王都に行きたいのですね?」
「――――」
セレスティアはグレイスの質問に、肯定も否定も返さなかった。
だがこの場合の沈黙は実質肯定しているのに等しい。そのやり取りを見たケイは小さく笑い声を溢すと、セレスティアを庇うように口を開いた。
「前からセレスが希望していたことだし、確かにオルガへの報告は必要だからな。
なぁに、高々一週間ほどのことさ。
その程度の時間、あっという間に過ぎてしまう」
「一週間――」
グレイスはケイが言った単語を、繰り返すように口にした。
一日、二日ではなく、一週間。
それが意味していることは、グレイスもすぐに理解したようだ。
グレイスは無言のまま、セレスティアをじっと見つめていた。
一瞬彼女たちの視線が交差するが、先にセレスティアが顔を背けて視線から逃れる。
するとグレイスは小さな溜息を吐き出し、ケイに向かって口を開いた。