008 決戦
俺は二度に渡ってロドニーの状態を確認した後、なぜロドニーの全ての状態が見えないのかを考えていた。
だが、暫くしてから、その考えを改めた。
何故“見えなかった”ではない、なぜ一部だけ“見えた”のか、だ。
要するに俺は、見ようとする対象よりも、自分のレベルが劣っていた場合、状態を完全には確認することが出来ないのだ。
だが、これには例外があって、俺自身が体感したり、何らかの理由で認知した数値やスキルなんかは、状態に載ってくるらしい。
だから俺は、ロドニーから水属性の回復用魔法を受けた後に、彼が水属性魔法を使うことが出来るという情報を、状態を通じて知ることが出来た。
俺は以前、アスリナの状態を確認して、アスリナが光属性で回復魔法持ちなのを確認している。そしてその時に、回復が出来る魔法は、“全て光属性なんだ”と誤解してしまっていた。
その後に俺は、ロドニーの回復用魔法を受けた。だが、その後見たロドニーの状態には、光属性魔法や回復魔法はなく、代わりに水属性魔法があった。
回復が出来る魔法は光属性――という固定観念が、俺自身の誤解に繋がり、“ロドニーは光属性魔法が使えない”という事実を推定するまでに、時間を要してしまった。
だが、その謎を解いてしまえば何でもない、非常に単純なことだ。
俺はロドニーから視線を外さずに、半歩グレイスの斜め後ろに下がった。グレイスはその動作で、戦闘が近づいていることを認識したようだ。
聡い彼女に満足しながら、俺はロドニーに尋ねる。
「それで、ロドニー。
あんたは――何者なんだい?」
だが、その質問に答えたのは、ロドニーではなかった。
「――ロドニーは、『魔人』です」
グレイスはニールの長剣を、自身の顔の高さに構えながら言った。
「ケイが答えを出してくれました。
クランシーの力を求める、アラベラの使徒。
そして闇属性――。
ロドニーはわたしが追っていた――『魔人』という、この世界に仇なす存在です」
ロドニーはその言葉を聞いて、邪悪に笑い始めた。
そして、瞬間、大きく目を見開く。
その途端、ロドニーから大きな魔力の波動を感じたが、その波動は俺とグレイスに到達する前に、一瞬にして霧散してしまった。
彼はその様子を見て、苦笑しながら口を開く。
「――なるほど、私の魅了を簡単に無効化するとは、あなたも、その女性もただの人ではないようですね」
俺もグレイスも精神耐性7を持っている。ロドニーの魅了は効かない。
ロドニーは魅了に失敗すると、ゆっくりとアスリナの寝そべるベッドに近づいていった。
「あなたの言うとおりです。――ケイ」
ロドニーはそう言うと、アスリナの髪を撫でた。
アスリナはそれに少し反応するようにピクリと動いたが、寝そべったまま、無防備な姿を晒しているのは変わらない。
「私はクランシーの気配を感じて、ルーメンの森に入りました。
ルーメンの森は、私の縄張りですからね――クランシーの気配があれば、すぐに判ります。気配を辿ると、すぐにあなたを見つけることが出来ました。
あなたは見たこともない服装をしていましたから、警戒した私はコボルドを魅了し、あなたに嗾けて様子を見ることにしました。
殊の外うまく行きましたから、後はあなたの止めを刺すだけでしたが――」
ロドニーはそこで表情を歪め、ニヤニヤと笑った。
「確かに“殺した”はずなのに、あなたはその直後、急激に傷を修復していくではありませんか。
意識もないのに、凄い能力です!
私はそれを見て考えを変え、あなたを連れ帰って様子を見ることにしました。
――あなたの持つ、その能力を奪うために」
俺はそれを聞いて、鼻で笑った。
「予想通り過ぎて、逆に驚きだ」
だが、ロドニーは余裕の表情を崩さない。
「それはそれは、結構なことです。
ですが、この後もあなたの予想通りの展開とは限りませんよ?」
俺はその台詞を聞いて、表情を引き締めた。
俺は十分警戒していたし、グレイスもそうだっただろう。
ロドニーがこの後どういう手段に出るか、色々と想定もしていた。
ヤツは思わせぶりにアスリナの側に近寄っている。
そこからの想定として、アスリナが人質に取られたり、盾にされたり、もしくはアスリナが急に襲いかかってきたりするシチュエーションも計算には入っていた。
――だが、その直後に起こった出来事は、残念ながら俺が想定していた内容には含まれていない。
「――!!」
ロドニーはアスリナの髪を撫でたかと思うと、一気に振りかぶって、アスリナの胸元に右腕を“突き入れた”。
アスリナは大きく目を見開き、身体を持ち上げ弓なりになる。
――俺は思わず、こんなに簡単に人間の身体に腕が埋まるのか、と思ってしまった。
それだけに目の前の情景が、あまりに現実と乖離しているように思える。
ロドニーは無言で涙を流し始めたアスリナから、血まみれの右腕を引き出し、何かの臓器を取り出した。
アスリナが吐血して、その血が周囲に飛び散る。
ロドニーはそれを気にすることなく、右手に握った臓器を口元に運び、“喰らった”。
ヤツの血まみれで歪んだ口元が、その場で起こったおぞましい出来事を象徴していた。
ドクン――と、大きな魔力の波動を感じた。
ロドニーの身体が、より一層大きくなった気がする。
「――気をつけて、魔人化します」
グレイスが俺に声を掛け、その場から後退を促す。
俺は身体を変化させていくロドニーから目を離せず、グレイスに押し出されるように後ろへと下がった。
最初から、これが目的だったのだ。
ロドニーはこの目的のために――俺たちを誘い込んで魔人化するために、アスリナを手元に置いていたに違いない。
アスリナは、ロドニーの仲間でも何でもなかったのだ。
教会で目覚めた時に見た、アスリナの顔。
毎朝、俺に弁当を持たせてくれた時の笑顔。
強請る俺に、魔法を教えてくれた時の真剣な顔。
“アラベラ”という言葉に、恐怖を感じたていた顔――。
それらが走馬燈のように、俺の脳裏を駆け巡った。
彼女がいなければ、俺はこの世界で生きるための知識を得ることが出来なかった。
彼女がいなければ、今の俺は存在し得なかった。
その彼女は、都合良くロドニーに利用され――、
そしてヤツに、“餌”にされたのだ。
そう考えた瞬間――、
俺の目の奥が、カッと熱くなった。
体中に文様を浮き上がらせたロドニーの右手には、長い鉤爪のようなものがある。
「来ます」
グレイスの短い予告の後、ロドニーはその長い鉤爪を彼女に向かって振るった。
グレイスは即座にその場を飛び退き、攻撃を避ける。
彼女はそのまま襲ってきた第二撃も、華麗な身のこなしで避けた。
俺は無言のまま、魔弾をロドニーに数発発射した。ヤツを仕留めることを意識したものではない。ピストル大の牽制目的のやつだ。
ロドニーは俺が放った魔弾を、右手の鉤爪で払い落としていく。
と、その隙を見たグレイスが、ニールの長剣で突進を掛けた。
「ハッ――!!」
ロドニーはその攻撃を“生身”の左腕で受け止めた。人間ならきっと、左腕が千切れ飛んでいただろう。
だが、ヤツの腕は落ちることなく、甲高い金属的な打撃音を発した。見れば、剣が当たったと思われる場所には、小さな傷が付いているだけだ。
ロドニーは突出して体勢を崩したグレイスに、鉤爪で追い打ちを掛けた。グレイスはそれをニールの長剣で受け止めたようとしたが、勢いを殺しきれず、体勢が大きく流れてしまう。
そこにロドニーが、火弾の魔法を叩き込んで来た。俺は咄嗟にグレイスを守ろうと、魔壁を展開する。
無色透明の魔壁は見えない壁となって、火弾の直撃を防いだが、飛び散った炎がグレイスの肌にダメージを与えた。俺はすぐさま回復の魔法を使って、彼女を癒やす。
――ヤバい、かなり手強い。
怒りに我を忘れた闘い方は、していないはずだ。
まだここまで僅かな時間しか経っていないのだが、俺の額には汗が流れ始めていた。
「急ごしらえの連携かと思っていましたが、意外と息が合っていますね」
ロドニーが相変わらずの緩やかな口調で、語り掛けて来る。
ただ、そこにはイケメンの影はない。
目の前に見えるのは、禍々しい、『魔人』の姿だ。
「お褒め頂いて光栄だ」
俺の強がった台詞の後、今度はグレイスが仕掛けた。
彼女が仕掛けたのは、ロドニーの左後ろに回り込みながらの攻撃だ。
背中側からの攻撃だったのだが、ロドニーは身体を捻っただけで、先ほどと同じようにグレイスの攻撃を左腕で受けた。やはり金属的な音がして、そこには薄らとした傷しか付いていない。
今度はグレイスは突出せず、後ろに下がりながら、風刃の魔法を放った。ロドニーはそれを五月蠅げに、水壁で受け止めている。
俺はその動作に合わせるように、鉄の錫杖を振りかぶった。だが、その攻撃はアッサリと右手の鉤爪に遮られてしまう。
隙を見せた俺に、今度はロドニーの火弾が襲いかかった。それを予期していた俺は、ギリギリの距離まで引きつけてから魔壁で防ぐ。
グレイスの時と同じように炎が飛び散り、俺の肌を焼くが、俺はそのまま後退することなく、逆にロドニーの懐へと潜り込んだ。
「これでも喰らえ!!」
俺はヤツの腹に手を当て、ゼロ距離で魔弾・特大を叩き込む。
すると、派手に金属板を叩くような音が響き渡って、ロドニーの身体が“くの字”に折れた。
俺は深追いすることなく、飛び退るように後退する。
「――今のは――少々効きました。
数ヶ月前に、初めて魔法を使えるようになったと聞いていましたが――。
それほどの威力の魔法まで使えるようになっているとは、思いもしませんでした。
あなたは元々魔法使いだったのかもしれませんね」
ロドニーの言葉に、まさか数ヶ月前まで会社員でした、とは返せずに、俺は無言を貫いた。
正直――俺は焦り始めている。
さっきの攻撃は、俺の最大の攻撃力を持つ魔法攻撃だ。これを越える攻撃は、俺にはない。
グレイスが何らかの攻撃手段を残している可能性はあるのだが、さっきから彼女の物理攻撃は効いているように見えない。
だとすると、魔弾・特大をあと何発叩き込めばいいのか――。
それを考えると、相当に分の悪い状況が見えてくる。
今度はロドニーが周囲を炎に包み込んで来た。恐らくこれは火嵐の魔法だ。屋敷が石造りでなければ、周囲は火の海になってしまうだろう。
俺は俺とグレイスの両方に魔壁を張って、その炎を遮ろうする。
すると、その上からロドニーが鉤爪で襲いかかってきた。
だが、ヤツの攻撃は魔壁によって阻まれている。
魔壁は一撃、二撃まではロドニーの攻撃に耐えていた。だが、三撃目には派手な破壊音を立てて、粉々に砕け散ってしまう。
俺は咄嗟に魔壁を張り直したが、ロドニーはそれを体当たりして一撃で粉砕してしまった。
「その程度では――!」
ヤツは続けて鉤爪を振るい、俺を横薙ぎにしようとする。一瞬動作の遅れた俺は、それを防ぐことが出来ない。
攻撃を喰らうのを覚悟した瞬間、ロドニーと俺との間にグレイスが割り込んで来て、ニールの長剣で鉤爪をガッシリと受け止めた。
ロドニーは表情を顰め、空いた左腕でグレイスを殴りつけようとする。俺はそれを妨害しようと、新たに魔壁を張った。
だが、ロドニーは左手を下げ、今度は左足で強烈な蹴りをグレイスに見舞った。
その蹴りは魔壁を簡単に突き破り、彼女は蹴りをまともに受けて、派手に床へと転がった。
「グレイス!」
俺は魔弾・小を小刻みに放って牽制すると、グレイスの側に駆け寄りながら、大回復を使う。
だが、グレイスは完全には回復しきらなかったようだ。即座に立ち上がりはしたものの、ふらついている。
戦況は、想像以上に守勢になりつつあった。
このままでは――。
グレイスは並びかけた俺に近寄り、俺だけに聞こえるように呟いた。
「――『魔人』は普通の攻撃ではダメージを受けません。
魔法か、魔力の通った特殊な武器でなければ」
「それは先に聞いておきたかったな」
俺は今更聞いた話に苦笑した。
グレイスは『魔人』の存在を隠そうとしていた節があるから、敢えてそこまで言わなかったのだろう。
どちらにしても、事前に聞いていたからといって、多分何の対処も出来なかったに違いない。
グレイスはさらに、俺に密着するぐらい身を寄せると、小さく言葉を続けた。
「ケイになら、出来るはずです。
“剣”に“光源”を点せる、あなたになら――」
その意図を汲み、俺は彼女に向けて微笑んだ。
「――オーケー、判った。
それじゃあ、“一点突破”でやってみよう」
グレイスと俺はそう示し合わせると、それぞれロドニーの左右に分かれて展開した。
一瞬の間、離れたグレイスと視線を交わし、俺は手に持った鉄の錫杖を頭上に掲げる。
そして俺は、それをロドニーに力一杯投げつけた。
もちろんヤツはそれを、反射的に鉤爪で払おうとする。
その瞬間、俺は目一杯の魔力を込めて、錫杖に光源の魔法を点した。
「――!!」
ロドニーも目前に迫った錫杖が、強く発光するとは思っていなかったに違いない。急に現れた強い光に、一瞬顔を背けたのが判る。
俺はそこへ上書きするように、錫杖の放つ光に向かって魔弾・中を立て続けに放った。
ロドニーはそれを感じて咄嗟に錫杖を払い落としたが、光が擬態になって、光の向こうから生まれてくる複数の魔弾を避けることが出来なかった。
「くっ――!」
ロドニーが苦痛の声を上げる。数発の魔弾がヒットしたところが傷になり、青黒い血液が飛び散った。
グレイスはその間に、シークレットステップでロドニーの左後ろに回り込んでいる。彼女は魔弾がヒットした瞬間を狙って、ニールの長剣の切っ先をロドニーの左胸に向け、思い切って突き込んだ。
瞬間、俺はニールの長剣の先に、魔力が集まる様をイメージする。
ピストル大の大きさではない。巨木を倒せる威力のやつだ。
それをギュッと剣先に、凝縮した。
ここまでグレイスの攻撃は、微かではあるが、ロドニーの身体に傷を作ること自体には成功している。
だが、深くダメージを与えることは出来ていなかった。
だからこそ、グレイスの力を切っ先に集中させ、剣先をロドニーの身体に打ち込んだ上で、ヤツの身体の内側へ直接魔力を打ち込むことを考えたのだ。
グレイスが飛び込んだタイミングは見事で、俺に気を取られたロドニーが、どう見ても避けきれるタイミングとは思えなかった。
実際、ロドニーは攻撃を避けることは出来なかった。
だが、生憎グレイスが捕らえたのは、ロドニーの左胸ではなく、左肩だった。
ヤツがすんでのところで、身を捩ったのだ。
ニールの長剣はロドニーの腕に一〇センチ近く埋まり込み、直後、俺の魔弾・特大が爆発する。
大きな金属音を立てて、ロドニーの左腕が吹き飛んだ。
だが、グレイスも一緒に吹き飛んでしまっている。
俺はグレイスに近寄ると、大回復を二連発して、部屋の入り口を指さした。
「退く!」
グレイスは俺の端的な言葉に頷き、転びそうになりながらも扉を押し開いた。