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美女と賢者と魔人の剣  作者: 片遊佐 牽太
第八部 魔人の剣篇
89/117

088 物語(完)

「――レダ!?」

 突如、後方に現れた金髪の魔人を見て、その場の全員に緊張が走った。

 そこに現れた男の背丈は、俺と変わらない程度ではある。

 だが――周囲にただよう存在感は、随分と違う。


 金髪の男は俺の顔を見ると、静かに笑みを浮かべた。

 そして意外にも最初に、謝罪の言葉を口にする。

「すまない、キミたちを手助け出来ると良かったのだが――。

 情けないことに、結界にはばまれて手を出すことが出来なかった」

 レダが言っているのは、ジルベールが『禁書』の力によって展開した、空間魔法を封じる結界のことだろう。


 ――ということは、あれがなければレダは、ジルベールとの闘いに参戦していたのだろうか?

 そして逆にジルベールは、それを予想して結界を張っていた――?


 確かに先の闘いにレダの助力があれば、ジルベールを圧倒できたに違いない。

 だが、彼の言葉の意味をよく考えてみると、その意味にはあまり歓迎したくない事実が含まれていることに気付く。


「気づいていなかったが――。

 俺に “くさび”を打っていたのか?」

 俺がそう問い掛けると、レダは薄く笑って首を横に振った。

「いいや――そいつさ」

 彼が指差したのは、俺の胸元で輝いている“真実の宝珠”だ。


 “真実の宝珠”は俺がレダの邸宅に向かって以来、審判の法衣ジャッジメントローブの胸元にくくり付けたままになっていた。

 かなり小さな魔法道具マジックアイテムなのだが、ここに転移用の“楔”を打っていたとは――。


「そうか、こいつが――」

 俺は自分が身に着けていたものがレダと通じていたと知って、少々複雑な気持ちになる。

 だがレダは俺の感情など気にすることもなく、俺たちにねぎらいの言葉を掛けた。

「よくジルベールを倒してくれた。礼を言う」

 その言葉を聞いた俺は素直に、レダに対して疑問をぶつける。

「ヤツを、頼まれて倒した覚えはないが――。

 あなたは、そもそもジルベールのことを知っていたということだな?」

 俺がそう問いかけると、俺が思っていたよりもあっさりと、レダは肯定の返事を返した。

「ああ、知っていた。

 ――だが、ヤツがどこにいるのかまでは、判らなかった」

 俺はその回答を得て、さらに質問を重ねていく。

「状況が許せば、俺を手助けするつもりだったということは――。

 あなたは俺がジルベールと闘うということを、あらかじめ予期していたということなのか」

 レダは俺の言葉を聞き遂げると、一旦目を閉じてから小さな笑みを浮かべた。

「正直に言うと、あるいはそうなるのではないかと――思っていた。

 キミは『宝物庫』を持つ娘を連れていたからね。

 『宝物庫』を狙うジルベールとは、いずれ闘うことになるだろうという予測はついた」


 俺はその返答を聞いて、眉をひそめざるを得なかった。

 だとすれば俺はレダに――自分が演じたであろう役割を、確かめざるを得ない。


 だが、この質問には勇気が必要だった。

 何故ならこの質問の答え次第で――最悪俺は、この目の前の“最強の魔人”を、敵に回さなければならなくなると思ったからだ。


 俺は高まる動悸どうきを抑えながら、思い切って質問を投げかける。

「つまり、あなたは俺たちを――。

 ジルベールをおびき出すための“おとり”に使ったということなんだな?」

 その言葉を聞いたセレスティアたちが、一瞬息を飲むのが判った。そして次の瞬間の動作で、一斉に武器を構え直す。

 レダは俺の言葉を聞くと、その場で静かに目を閉じた。


 しばらくの沈黙が過ぎ去った後――彼は俺を見ながら、落ち着いた声で俺に告げる。

「そう――誤解されても仕方のないことだろう。

 私がこの場に来たのは、私自身の言葉でキミに意図を伝えた方が良いと思ったからだ。


 キミが思う通り私は、キミたちをジルベールが待ち受ける可能性がある場所につかわせた。結果としてキミたちはおとりになり、敵であるジルベールをおびき出す形になってしまった。

 まず私の意図がどうあれ、結果的にそうなったことを、キミたちには詫びておきたい。


 ただ、改めて言うが、私が“真実の宝珠”を付けたキミを送り出したのは、その闘いをキミだけに押しつけるつもりではなかったからだ。

 私もまた残念ながら、全てを見通す千里眼という訳ではない。

 よもやヤツがこの場で『禁書』を持ち、罠を張って待ち受けているとは想像していなかった。

 そこについては出来れば――信じて貰いたい」


 少なくとも俺には、レダの語った言葉は真摯しんしなものとして伝わって来た。

 力関係で言えば、レダはこの場にいる誰よりも強い。

 詫びず、謝らず、超然としていたところで、俺たちがレダを害することなど、とてもじゃないが出来ないのだ。

 だが、彼はその力関係を考えず、謝罪の言葉を述べている。


 それが――真実なのではないだろうか?


 俺は小さく笑みを浮かべると、レダに素直に思ったことを伝えた。

「俺は――あなたを信じることにしたいと思っている。

 経緯はどうあれ俺たちは無事、『宝物庫』を狙うジルベールを退けることができた。

 今はその事実だけでいい」

 俺がそう言うと、レダは小さく微笑んだ。


 俺は視線を『転移門』の方へ移すと、再び口を開く。

「それよりも問題は、この『転移門』の方だ。

 レダ、俺の聞き間違いでなければ、あなたはここに来た直後、“やはり崩せないか”という言葉を発していた。

 そこから考えれば――あなたは、この『転移門』が破壊できない可能性があることを知っていたように思われるのだが――」

 俺の言葉を訂正するように、レダは首を横に振った。

「確実に壊せないと“知っていた”訳ではない。

 ただ、あるいはそうではないかと、想定してはいた」

 俺はその言葉を聞いて、更に疑問を重ねる。

「『転移門』を破壊することは、元々俺自身の考えでもある。

 一方でレダ、あなたからの依頼でもあるはずだ。

 だが、この場には壊せない『転移門』が存在して、あなたはそれを確実でないとはいえ、想定はしていた。

 ――詳しい説明は、してくれると思っていいのだろうか?」

 俺がそう問い掛けると、レダは一度目を閉じてから薄く笑った。

「――ああ、勿論さ。

 何しろ私はそのために、ここに来たのだから」



 レダは徐々に修復していく『転移門』を背景にしながら、俺たちに向けて話し始める。

 彼の金色の髪が『転移門』の荘厳な背景と相まって、何とも幻想的に見えた。


「『転移門』と呼ばれるものには通常、神々の“石像”が併設されている。

 ――いや、言い方を改めよう。

 門となる“施設”と対になった神々の“石像”を併せて、『転移門』と呼ぶのだ。

 ゆえに門と石像が完全に別個にあるということはない。例え多少場所が離れていたとしても、『転移門』には門と石像が必ず一対になって存在する。


 経験則でしかないが、アラベラの石像が併設されている『転移門』からはアラベラの使徒が、クランシーの石像が併設されている『転移門』からはクランシーの使徒が現れる。それぞれの使徒を生み出す世界と、石像の種類は連携しているという言い方もできるだろう。

 ただジルベールはどうやら『禁書』の力で、アラベラの石像がある『転移門』も使用出来ていたようだがな。


 『転移門』はキミも知っての通り、かなり大規模な施設だ。これを一から作り出すには、それなりの労力を必要とする。

 しかも『転移門』は魔法によって生み出されるものであって、人の手によって建築されるものではない。当然生半可な魔力の持ち主では、作り出せない代物ということになる。

 従って大方の『転移門』は、生み出されると同時にその造形に魔力を使い切ってしまい、そこから更に『転移門』に溜め込むだけの魔力が供給されることはない。

 そうなると『転移門』は、単なる門という施設としての役割だけを果たすようになる。

 ――つまりどういうことかというと、大方の場合、転移には何度も使えるが、一度破壊されると元には戻らない『転移門』が出来上がるということを意味しているのだ。

 恐らくキミがこれまで破壊したと言っていた獣人の国ロアールの『転移門』は、このタイプの『転移門』だ。


 一方、ごく一部の『転移門』は、『転移門』の造形だけに留まらない十分な魔力を充当されて生み出される。

 当然ながら、あそこまでの大規模な施設を魔法で生み出しておきながら、さらに追加で魔力供給を行うなどということは、尋常じんじょうなことではない」


 そこまで言い切るとレダは、俺の手にあるものを指さして言った。

「だが、それを可能にしてしまうのが、その『禁書』だ。

 『禁書』を用いて作られた『転移門』には十分な魔力が蓄えられ、その魔力が尽きぬ限りその場に留まり続けようとする性質がある。

 つまり、『転移門』にある魔力が尽きぬ限り、何度でも復活するということだ。

 そこから考えれば、ここにある『転移門』は――後者のタイプの『転移門』だということができるだろう」


 そこまでのレダの話を聞いたとき、ふとグレイスが俺の側に身を寄せ、耳打ちをした。

「ケイ――。

 この『転移門』はひょっとしたら――」

「ああ、恐らくそうだろう」

 俺はグレイスが言いかけた言葉を理解し、彼女の言葉をさえぎるように肯定の言葉を返した。


 ユルバンが魔人の国でその身を追われた時、彼は『禁書』を用いて『転移門』を作り、その『転移門』を通ってこの世界フロレンスに転移して来ている。

 そしてこの場にある『転移門』に併設されている石像は、アラベラの使徒がいる世界と通じていることを表すアラベラの石像だ。


 さらにユルバンとグレイスは、長らくこのフェリムの地に留まっていた。

 ユルバンは追手を避けるためにこの世界フロレンスに渡っては来たが、元々彼にはこの世界フロレンスを混乱させる意図はない。むしろ穏便に追手を払いたかったはずだ。

 だとすればユルバンは、自分が作ってしまった『転移門』の近くで敵を待ち、追いすがる魔人を倒そうとするだろう。

 同族を倒せる『魔人の武器』である『賢者の杖スタッフオブセージ』を持つユルバンなら、この世界フロレンスにおいてそれができる。


 だから、ここにある『転移門』は――実質ユルバンの置き土産と言っていい。



 俺はユルバンに関することを胸に仕舞い込むと、目の前の光景を自分の中の記憶と照らし合わせた。

「レダ、俺は似たように修復していく石像をつい最近見たことがある。

 それは、あなたの屋敷で見た――クランシーの石像だ。

 あの石像は崩れてはいたが、俺の見間違いでなければ、俺が滞在している間に徐々に修復していっているように見えた」

 レダはそれを聞いてニヤリと笑うと、一呼吸置いてから俺に答えた。

「よく気付いたな。

 ――だが、キミはもうひとつ“石像”を見たことがあるのではないかね?」

 俺はそうレダに促されて、思い当たる場所を答える。

 神々の石像自体は何か所かで見ているが、壊れずに残った石像というと、俺の頭に浮かんだのは一カ所だけだ。

「修復していくところを見た訳ではないが――。

 俺は深淵の迷宮の奥底――“深層”のレーネの住処の近くで、同じような石像を見た。

 あなたの屋敷にあったのはクランシーの石像、あそこにあったのはアラベラの石像という差はあるが」

「――そこまで判れば、そこから導き出されることはすぐに類推できるだろう?」

 レダは若干満足そうな表情を浮かべると、更に俺の発言を促す。

「ここにあるのは『転移門』だ。

 そして、あなたは門と石像をあわせたものを『転移門』と総称した。

 だとすれば、あなたの住処にあるのも、レーネの住処にあるのも――『転移門』だと想定できる」

 すると、レダがいつかのように手を打ちながら答えた。

「ご名答。

 私があの位置に屋敷を構え、あの場所に留まり続けているのには、そういう理由があるということだ。

 私の住む屋敷と、“深層”の住処である深淵の迷宮――その二カ所にはここにあるものと同じ、破壊しても復活してしまう『転移門』があるのだよ。

 よって、私と“深層”は、『転移門』を幾度となく破壊し続けるために、あの場所に留まり続けている」


 俺はそれを聞いて、レダとレーネが“住処から離れられない”と言っていた理由を、ようやく深く理解した。


 そう言えば、俺が最初に「『転移門』を叩きに行く」と言った時、レーネは何と言っていただろうか?

 確か、「“お主に壊すことができれば”壊すがいい」と言っていた。

 それはつまり――壊しても復活してしまう『転移門』の存在を示唆していたのだろう。


 ただ、だとすればそれは――。

 この場合において、絶望的な意味を含んでいるかもしれなかった。


「そうだったのか――。

 だが、だとすれば、こいつも――」

 俺が言いかけた台詞セリフをあっさり肯定するように、レダが言葉を重ねる。

「そういうことだ。

 残念ながら、私の知識においても、魔力が残った『転移門』を復活させない方法が判らない。

 よって私たちは一〇年を超える期間、毎日のように『転移門』を破壊し続けるという行為を続けてきた」


 その重苦しい事実が、俺にし掛かってしまう。

 レダとレーネは、一〇年以上もの間、この『転移門』と格闘してきたというのか――。


 だが、絶望的な話ではあるが、考え方を変えればそれは決して光明のない話ではない。

 俺はそれを確かめるために、レダに一つの質問をした。

「レダ、一つ聞きたい。

 あなたたちは、復活する『転移門』を完全に破壊するための、有効な手段を持ち合わせていないという。

 にもかかわらず、あなたたちはその『転移門』の場所に、今も留まり続けている。

 それは、あなたたちが行っている『転移門』を破壊し続けるという行為が――少なくとも『転移門』を抑えるための有効な手段として、機能しているからではないのか?」


 俺の言葉を聞いて、レダは小さく笑った。

「フッ――。

 非常に残念なことだが、キミの言う通りだ。

 復活を止めるための有効な手段は判らないが、少なくとも壊し続ければ『転移門』は抑えることができる。

 だから、私と“深層”はそうやって長きに渡って『転移門』を抑え続けて来た。


 私はクランシーの使徒が現れる『転移門』を抑え、“深層”はアラベラの使徒が現れる『転移門』を抑え続けている。

 そして、抑えているとはいえ――崩れかけた『転移門』は、時に空間の揺らぎを発生させてしまうことがあるのだ。

 その揺らぎの規模次第では、使徒との闘いになることもある。

 “深層”は同族を滅ぼす『禁書』の力を有している。だから同族であるアラベラの使徒が出てくる『転移門』を抑えることができる。

 だが、私には同族を倒す能力はない。よって私はクランシーの使徒が現れる『転移門』を抑えることはできても、アラベラの使徒が現れる『転移門』を抑えることはできない」

「それはつまり――」

 レダは側にあるアラベラの石像を指さすと、俺に告げる。

「そう、この『転移門』に併設されている石像は“アラベラ”だ。

 つまり、“アラベラの使徒”が現れることになる。

 よってこの『転移門』を抑えるためには、同族を倒せる“深層”の力を必要とする。

 だが、“深層”は深淵の迷宮を、離れることはできない。

 その理由は――キミには説明しなくても、理解できるとは思うが」


 俺の頭の中にレーネの住処の様子が浮かぶ。

 あそこには――“銀の装飾”によって護られた本棚があった。

 これまでのやり取りから、あれをレーネが護っているのは明らかだ。

 それを放棄してこちらの『転移門』の面倒を見ることなど――不可能だろう。




「――ならば、仕方ないな」

 それはその時俺の頭に、ぎった言葉だった。


 考えに、長い時間を掛けた訳ではない。

 だが、思いつきか――? と言われれば、きっと俺は否定するだろう。


 状況を見据え、り得る手段を列挙し、そしてどの手法がもっとも良い結果を導くのかを吟味する――。


 俺の本質は、元の世界に居たときと何も変わってはいない。

 そして恐らく、これからもずっと変わることはないだろう。


 そう、“ここに居続ける”間――ずっと。



「そんなに簡単に決めることとは、思わないのだがね」

 俺の小さなつぶやきを聞き逃さなかったレダは、苦笑しながら言った。

 実は「仕方ない」という言葉を口に出したつもりはなかったのだが、どうやら思わず声にしてしまっていたらしい。

 俺は今更ではあるが、追及を避けてとぼけた返事を返した。

「何のことだ?」

 レダはニヤリと笑うと、敢えてグレイスたち全員に聞こえるよう、声を大きくして尋ねてくる。

「キミは今、私たちと同じように、この地に留まってこの『転移門』を“破壊し続ける決断”をしたのではないのかね?」

 その発言には、流石にグレイスたち全員が俺の方へと注目した。

 俺は全員の視線を浴びて、今更否定しても無駄だと思いながらも回答する。

「フッ、そうかもしれないな。

 だが、途中で飽きて放り出すかもしれないぞ」

 すると、レダは俺が持つ『禁書』を指さしながら、別の選択肢を提示してきた。

「キミには他の選択肢もある。

 ジルベールが消滅した今、キミがどの世界からやってきたのかは私にも判らない。

 だが、その手にある『禁書』とこの『転移門』があれば、様々な世界を行き来することが出来るだろう。

 よって、何度も転移を繰り返せば、キミがいたであろう世界にも、いつか通じる可能性がある。

 自分の採るべき選択肢を、よくよく考えることだ」


 だが、その選択肢をレダが積極的に推奨しているとは思えない。

 その選択肢は事実上、俺がジルベールと同じ存在になるということを意味しているからだ。

「提言は、ありがたく聞いておくことにする」

 俺がそう言い切ると、レダは簡単に引き下がった。

「フッ――いいだろう。

 最終的にキミがどの道を選択するにしても、私はそれをとがめはしない。

 仮にその選択によって、キミが『転移門』を抑えることを諦めるのだとしても――それはきっと私が批難できるようなことではない。

 ちなみに一つアドバイス出来ることがあるとすれば――」

 レダはそういうと、俺たちに背を向け、急速に修復しつつある『転移門』の前に立つ。

「『転移門』は順序を知らずに中途半端に崩すと、直ぐに復活して完全な形を取り戻してしまう。

 しかしかなめの位置を先に破壊してしまうと、そこから自然に全体が崩壊し、完全に元の形に戻るまでには少なくとも、丸一日以上の時間を必要とする」

 そこまで説明するとレダは、『転移門』のかなめらしき位置を指さした。

 彼が示した先には、何やら紋章のようなものが刻印されている。

「よく、見ているといい」

 レダはそう言った直後、岩弾ロックボールらしき魔法を発して、指さした要の紋章を破壊した。

 すると、その攻撃の強さから想像できない形で、『転移門』はドミノを倒すかのように、一気に瓦解がかいしていく。

「なっ――!」

「ちょっ――そんなに簡単に――!?」

 驚く全員を見渡しながら笑みを浮かべたレダは、何でもないことのようにそのまま言葉を続けていった。

「――『転移門』は、基本的に完全な形を保っていなければ、使徒を転移させることができない。

 だが、不完全な『転移門』は時に空間の揺らぎを作り出し、何かを転移させてくることがある。

 それが――魔物モンスターなのか、使徒なのかは転移されてくるまで判らない。

 転移の兆候として、地震のような揺れを伴うから、近くにいれば何かが現れたことには気づくはずだ」


 俺は深淵の迷宮で起こっていた地震を思い返す。

 あれは『転移門』の揺らぎによって、魔物モンスターが現れた合図だったのか――。


 もはや完全に崩壊してしまった『転移門』は、今度は緩やかに修復を始めている。

 逆回し再生のように、いくつかの小さな欠片パーツがゆっくりと持ち上がり、組み上がっていく様子がうかがい知れた。

 だが、俺たちが攻撃し、破壊した時とは修復のペースが全く違っている。

 確かにこのペースの修復なら、完全な形に戻るまで丸一日以上の時間が必要になるだろう。


 レダは完全に崩壊した『転移門』の前に立つと、笑みを浮かべながら俺に向かって話し始めた。

「ケイ、残念ながら時間切れだ。私はこれ以上ここにいる訳にはいかない。

 いくつかキミに魔法の道具マジックアイテムを預けておく。私には必要のないものだが、キミがもしこの『転移門』を抑え続ける選択をするのなら――きっと役に立つだろう。

 あとは、キミの判断に任せることにする」

 レダはそういうと、俺に一つの小袋を手渡す。


 俺はレダとの別れの時を感じて、一番気になることを尋ねてみた。

「レダ、『禁書』は――。

 本当に、俺が持ったままでいいのか?」

 俺がそう問いかけると、彼は小さくクスリと笑った。

「フフフ。

 それを私が持ち去ってしまっては、それを使って元の世界に戻るという選択肢を提示した意味がなくなるではないか。

 ――では、また機会があれば会うこともあろう」


 そう言い残した金髪の魔人は、あっさりとローブをひるがえし、空間に空いた穴の中へと消えていってしまった。




 ――後に残されたのは、俺たち四人だけだ。

 緩やかに修復されていく『転移門』を前に、レダが立ち去ったのを確認したグレイスたちが、俺の元へと集まってくる。

 魔人との戦闘、『転移門』の崩壊――。

 その戦闘音や轟音が嘘のように、迷宮ダンジョンの中は静寂に包まれていた。


「ケイ――この後、どうするのですか?」

 その沈黙を破って、グレイスが俺を気遣うように問い掛けて来る。


 俺はすぐにはその言葉に答えず、円陣の形に立っていた全員の顔が改めて見えるよう、光源ライトの魔法をともし直した。


 グレイス、シルヴィア、セレスティア――。


 三人の女性があでやかに照らされ、彼女たちの真剣な表情が、俺の目にしっかりと映り込む。

 全員一様に俺の指示を待っているが、俺は無言で彼女たちの顔を眺め続けた。しばらくそうしていると、彼女たちの表情からフッと緊張の色が消える。


 だが――俺はここからまだ移動する訳にはいかない。

 いや、厳密に言えば、移動しても“意味”がないのだが。


「――もう少し、ここに留まる。

 恐らくまだ、終わっていない」

 俺の言葉を聞いた三人の表情に、再び緊張が走る。

 俺は少し笑みを浮かべると、その三人の緊張を再びほぐすように、改めて付け加えた。

「いや、心配しなくてもいい。何も闘おうという訳じゃない。

 選択を間違わなければ、敵対はしないはずだ。――多分」


 最後の「多分」はひょっとしたら余計だったかもしれないが、これまでの経験則から思わず出てしまったものだ。何しろたまに、想像外の反応をされてしまうことがある。


 だが、俺の予測が外れていなければ――。

 ――きっと間もなく、“彼女”がここに来る。




 変化はそれから数瞬も経たないうちに起った。

 俺の目の前の空間が急速にぼやけると、そこにポッカリと大きな黒い穴が開く。

 そして、穴が人一人の大きさに育つと、その奥からコツコツという足音を響かせて、闇を突っ切る存在が姿を現した。


 青く長い髪に、目鼻立ちのハッキリとした顔。

 肌がこぼれ落ちてしまいそうなほど、胸元の開いたロングドレス。

 足を進める度に胸は大きく弾み、深いスリットから覗く脚線美には、どうしても視線が吸い寄せられてしまう。


 俺を殺そうとした後に俺を導き、俺をいつもたばかりながら俺に協力する、もう一人の美女――。



 彼女レーネは登場と共に真っ直ぐ俺を見据えると、掛けている眼鏡を指で押し上げた。


 集落フェリムに向かう前に、元々グレイスたち三人には、レーネのことを口頭で伝えてある。

 だが、口頭で聞くのと実際見るのでは雲泥の差があるのかもしれない。

 彼女たちは若干圧倒されるような素振りを見せながら、レーネの姿に注目していた。


「――来たか」

 俺がそう声を掛けると、レーネはニヤリと笑みを浮かべる。

「やっと目障めざわりな男がいなくなったのでな。

 フッ――お主、私がここへ来るのを予期しておったのか」

 辺りには甘い香りと、美しい声が広がった。


 俺は自分の考えていたことを思い返しながら、レーネの問い掛けを肯定する。

「一応な。

 今のあんたには、ここに足を運ぶだけの理由がある。

 目的は――コレなんだろう?」


 俺が手に持つ『禁書』を顔の高さに持ち上げると、レーネの視線はそれを追うように動いた。

 そして彼女の視線はしばらく『禁書』の上で留まり――そのまま静かに口を開く。

「――良く判ったな」

 一瞬彼女はその『禁書』を受け取ろうとする素振りを見せたが、俺はそれには応じず言葉を続けた。

「レダはこの後、俺がこの『転移門』を破壊し続ける以外にも、俺がコイツを使って、元の世界に戻る選択肢もあると言っていた」


 恐らくレーネは俺があっさり『禁書』を引き渡すことを、期待していたのだろう。

 俺があたかもそれを拒否するように話し始めたのを聞いて、あからさまに気分を害した。

「お主――。

 よもやそれを“渡さぬ”、などというつもりではあるまいな?」

 俺はレーネからヒシヒシと伝わって来るプレッシャーに負けないよう、彼女を見返しながら言葉を続ける。

「まあ、そう焦るなよ。まだ俺は渡さないとも言っていない。

 レダは最終どの選択をするのかは、俺が決めるべきことだと言っていた。

 もし仮に――俺がコイツを使って元の世界に戻るつもりだと答えたら、どういうことになるんだ?」

 レーネは俺の言葉を聞くと、これ以上ないぐらい邪悪に、妖艶に微笑んだ。

「フッ、知れたことじゃ――。

 お主を今すぐひねつぶして、その本を回収する」

 レーネが発した言葉によって、その場の空気が一瞬で張り詰めた。


 だが――その緊張は、それほど長くは続かない。

 レーネはニヤリと唇をゆがめると、俺を見下すように横目で見て、改めて俺に『禁書』を差し出すよう促した。

「――やめておけ。

 えて無能のやからが採るべき選択肢を、真似して選ぶ必要はない。

 お主は邪気の強い下劣げれつな男ではあるが、決して阿呆あほうではないはずじゃ」

「げ、下劣――」

 俺も別に自分が上品だとは思っていないが、何もグレイスたちの目の前で断言することはないだろう。酷い。


 元より『禁書』を持ち逃げする考えのなかった俺は、一瞬だけグレイスに視線を投げかけた後、レーネに『禁書』を手渡した。


 結局レダが『禁書』を自分で回収しなかった本当の理由は、俺を試そうとしていたからに違いない。

 俺に『禁書』を自分のものにする選択肢をけしかけ、そして俺が『禁書』の力の誘惑に負けてしまうなら――。

 きっと彼らは俺を信用ならないものとして、容赦しなかっただろう。


「最初からそうすれば良いのじゃ。無駄な時間を取らせおって。

 ――それにしてもお主、何故なにゆえ私がこの場に足を運ぶと予想していたのじゃ?

 私は確かに事実上、『禁書』を護っておることは認めた。

 だが、『禁書これ』を探しておるとは、一度も言わなかったはずじゃ」

 レーネはそういうとグレイスに似た切れ長の目で、俺の顔を眺め見た。


 俺は彼女と過ごした書庫の情景を思い出しながら、その質問に答える。

「――簡単なことさ。

 揃っているものの中で、一つだけ欠けている欠片ピースがあれば、誰だってそこに当てはめるべき欠片ピースを探し求めるだろう?


 レーネの住処にある書庫の中に、一箇所だけ特別な書棚がある。

 銀造りの装飾が入った――何らかの魔法陣で封印された棚だ。

 そこに並んだ本の中に、一冊だけ背表紙の読める本があった。

 題名は、俺の記憶が正しければ――『クランシーとアラベラ』だったと思う。


 『クランシーとアラベラ』――。

 特別な場所に保管されている本の題名としては、何とも思わせぶりな本だ。

 俺もその本の中身を、何度も見てみたいと思ったしな。


 だが、実際は逆だ。

 俺はこの世界フロレンスの言語であれば、理解できる能力を持っている。

 つまり、俺が背表紙を読むことができる本は、この世界フロレンスの本だ。


 だからあの棚にある本は、背表紙の読める一冊が特別なんじゃない。

 むしろあの一冊“以外”が、特別なんだ」


 俺がそこまでを話すと、レーネは小さく笑い、それを肯定する。

「フッ――良く気付いた」

 俺は彼女の顔を見ながら、そのまま話を続けていった。

「――となると、あの棚に収められるべき本は、一冊欠けていると考えた方がいい。

 それをこの世界フロレンスで書かれた、何気ない一冊で埋めていたということだ。

 そして、あの棚を埋めるべき一冊は今――あんたの手に握られている。

 あんたがあの書棚を護っているのがハッキリしている以上、欠けた一冊を求めてあんたが現れることなど、簡単に類推できた――ということさ」


 俺がそこまで言い切ると、レーネは微笑を浮かべながら俺に近づき、おもむろに一冊の本を差し出す。

 俺が受け取った本には、『クランシーとアラベラ』という背表紙が書かれていた。

 試しに中を見てみたが――どうやら神話のようなものが書かれた、童話本のようだ。


「あの『禁書』の棚は、私の兄であるユルバンが、『宝物庫』と共にこの世界フロレンスへと持ち込んだものじゃ。

 その後、兄上は何らかの手段で、私が王都アンセルの迷宮深くに潜伏しているのを突き止めた。

 そして今から一〇数年ほど前、後にハーランド宰相となるオルガを通じて『禁書』の棚を私へと託したのじゃ」

 レーネが語ったその名前には、流石に全員が反応する。

「オルガさま――!?」

 若干前に出かかったセレスティアを押しとどめ、俺はレーネに問い掛けた。

「――オルガというのは、あのオルガなのか?」

 “あの”という修飾子も曖昧だが、意図を汲んだレーネはそのまま肯定する。

「そうじゃ。あのオルガじゃ。

 当時、兄上と親交があったらしい。

 ――もっとも、あの時のオルガの目は、惚れた男の希望を叶えようとしている女の目じゃったがな」

 レーネの言葉に、若干不満げな声色が混じった。

 俺は今更なレーネの嫉妬しっとに、思わず苦笑してしまう。


 王都アンセルで魔人カーティスとの闘いになった時、オルガは登場した賢者の杖スタッフオブセージを、確かに知っている様子だった。

 そうか――オルガはユルバンと親交があったから、彼の武器である賢者の杖スタッフオブセージを見たことがあったんだ。


「――受け取る『禁書』の棚のうち、一冊だけは使用するということで、兄上は私に託さなかった。

 故にあの本棚は、最初から一冊欠けておったのじゃ。

 私はそれをカモフラージュするために、体裁の似た本を棚に入れた」

 そう言ってレーネは、俺に手渡した童話本を指さす。


 レーネは少し間を空けたあと、今度は若干伏し目がちな様子で言葉を続けていった。

「兄上は――。

 残念なことに、私に『禁書』の棚を託した時点で、ご自身の死期を悟っておられたようじゃ。

 何しろ兄上が一冊だけ『禁書』を持ち出したのは――『宝物庫』を引き継ぐためじゃったからな。

 もちろん、考えようによっては『禁書』も『宝物庫』も、どちらも私に護らせるという考え方もあったはずじゃ。

 ――だが兄上は、それを選択されなかった。

 最終的に兄上は、私に一冊が欠けた『禁書』の棚だけを託され――。

 そして私に対して、決して『宝物庫』に近づかぬよう、指示されたのじゃ」


 その言葉を聞いて一瞬、俺とグレイスの視線が交錯する。

 交わされる視線の中に、複雑な感情が入り乱れているような気がした。


 きっとグレイスは――レーネに尋ねてみたいことが、山ほどあるに違いない。


 だが、その雰囲気を破って出てきた言葉は、側にいたシルヴィアのものだった。

「――それって、どういう意図なの?」

 レーネは微笑を浮かべると、シルヴィアの疑問に丁寧に答えていく。

「仮に『禁書』が奪われたとしても、『宝物庫』が残っていれば対処のしようがある。

 逆に『宝物庫』が奪われたとしても、『禁書』があれば対応ができる――。

 兄上は恐らく、そう考えたのじゃろう。

 つまり『禁書』と『宝物庫』の両方が、同時に敵の手に落ちる危険性リスクを回避しようとされたのじゃ」


 ユルバンは『禁書』と『宝物庫』を狙う、敵を意識していた――。


 その話を聞いたことで、俺の中で繋がったことがあった。

 ユルバンが死の淵にあった時――グレイスに家に火を掛けさせた理由だ。

 どうにもしっくり来ていなかったのだが、これで恐らくその本当の理由が、ハッキリしたように思う。


 レーネは資産インベントリに『禁書』を仕舞い込むと、再び笑みを浮かべて俺の顔を見た。

「そうそう――私がここに来た目的は、もう一つあるのじゃ」

 彼女は俺にそう言うと、カツカツと足音を鳴らしながら、グレイスの正面に立つ。

 グレイスは若干後退あとずさりそうになりながらも、レーネの顔を見上げた。

「お主が――グレイスじゃな?」

「――はい」

 グレイスは明らかに緊張の面持ちで、小さく言葉を返す。

 グレイスも決して背が低い訳ではない。だが、レーネにはそれを上回る背丈と存在感があった。


 深層の麗人。

 圧倒的な力を持つ魔人。


 恐らく、さまざまに彼女を形容する言葉はあるのだろう。

 だが、今ここにあるのは――初めて対面する、叔母と姪の姿でしかない。


 その二人の横顔は――よく似ているように思えた。


「私がレーネじゃ。

 お主の父であるユルバンの妹にして、フロレンスの深層にこもる魔人。

 そして、お主の――たった一人の“肉親”でもある」

「肉親――」

 ひょっとしたら、その言葉がレーネの口から出て来るとは、思っていなかったのかもしれない。

 グレイスは少しだけ呆然とした表情で、レーネの言った言葉を繰り返した。

「わたしは――物心つくかどうかという幼少のころ、一度だけ父に連れられて王都アンセルに行ったことがあるのです。

 小さな頃でしたし、父の空間魔法で移動しましたから、どこに滞在していたのかも覚えていないのですが――。

 ですが、わたしはその時確かに、一人の女性とお会いした記憶を持っています。

 ずっと誰なのかと気になっていたのですが――それはレーネ、あなただったのではないでしょうか?」


 レーネはそれを聞くと、目を少し伏せながら小さく首を横に振った。

「――残念ながら、それは私ではない。

 私は『禁書』の棚を託される時、直接兄上には会えなかったのじゃ。

 だから恐らくお主にも、会ってはおらぬじゃろう。


 お主が会った女性とは――恐らくオルガに違いない。

 オルガは兄上から託された『禁書』の棚を、私に引き渡して深淵の迷宮を封鎖した。

 私は『禁書』の棚を護りながら、迷宮ダンジョン奥の『転移門』を抑え、そして深淵の迷宮から魔物モンスターたちがあふれぬよう管理しておったのじゃ。

 よって私とお主は、今が初めての対面になる」

「そう――ですか」

 うつむいたグレイスの言葉には、若干残念そうな響きがある。

 レーネは少し微笑むと、改めてグレイスを元気づけるように声を掛けた。

「しかし――その身に『宝物庫』を抱え、よくここまで生き抜いてきたものよ。

 兄上がお主に『宝物庫』を委ねたのは、間違いでなかったということじゃな」

 だが、グレイスはその言葉を素直に受け入れられないように、小さく首を横に振る。

「いいえ――。

 わたしは物心ついたときから、『宝物庫』と共にありましたから――。

 確かに重荷ではありましたが、それを日常意識することはありませんでした。

 それに、闘う術ばかりを教えてくれた人でしたが、傍には父がいましたから――。


 ただ、父はわたしに『宝物庫』を引き継ぎましたが、引き継ぎに使った『禁書』の処分までは、わたしにゆだねようとはしませんでした。

 わたしに父の信用を得るだけの力があれば、今回のように『禁書』を奪われるようなことは、起こらなかったのかもしれません。

 結局、父の信用を得られなかった自分の至らなさが――わたしは残念でならないのです」

 そう言ったグレイスの顔には、深い悲しみが浮かんでいた。


 ユルバンが死に際して自分で処分しようとした『禁書』の行方は、もはや知っての通りだ。

 結局『禁書』はジルベールの手に渡り、歓迎できない使われ方をした。

 グレイスは自分に『禁書』を託されなかったことが、その遠因になっていると考えているのだろう。


 だが、俺はその彼女の――“誤解”を解いておかなければならない。


 俺はうつむくグレイスの肩に手を置くと、彼女に静かに語り掛けた。

「いや、グレイス、そうじゃない――。

 その考えは正しくないんだ。


 俺は賢者とまで呼ばれたユルバンが、家に火を掛けさせるなどという曖昧あいまいな手段で『禁書』を処分しようとしていたことを、ずっと不思議に思っていた。

 本当に危険な『禁書』を処分するなら、自分が存命の間に自らの手で焼くなりして処分すればいい。もちろん何らかの理由で自分では処分できなかったという可能性はあるが、それだとしても、もっと確実な手段はあったはずなんだ。

 もちろん、他の『禁書』と同じように、もう一度王都へ行ってレーネに預けてしまうという方法もある。

 だが、ユルバンはそのいずれの選択肢も選ばずに、敢えて火を掛けさせるやり方を採った。


 ――グレイス、俺はレーネの話を聞いて気づいたことがある。


 ユルバンは『宝物庫』と『禁書』を狙う存在を意識して、明らかにその対策を打とうとしていた。

 恐らく彼は自分の周りに『宝物庫』と『禁書』を狙う存在ジルベールが付きまとっていることに――気づいていたんだ。

 もし自分が死んで、『禁書』をそのままグレイスに託してしまえば――ジルベールは、『宝物庫』と『禁書』の両方を持つグレイスに襲い掛かってしまうだろう。


 逆にユルバンが自分で『禁書』を処分したり、レーネに預けてしまえば、確かに『禁書』は奪われずに済む。

 だが、それだとユルバンが死んだ後に、『宝物庫』を持つグレイスがジルベールに襲われてしまう。


 では、ユルバンが死んでしまう時に、家に火を掛けなかったとしたら、どうなるか?

 ――恐らくジルベールは先に『宝物庫』を持って逃れようとするグレイスを襲い、その後家に戻って『禁書』を悠々と探すだろう。そうすればヤツは、『宝物庫』と『禁書』の両方を手に入れることができる。


 そして――グレイス。

 キミのお父さんは考えた末に、『自分が禁書を持ったまま、家に火を掛けさせる』という選択肢を選んだ。


 そうすればジルベールは、そのまま放置すると失われてしまう『禁書』を先に確保しようと動く。

 『宝物庫』と『禁書』の両方を狙うヤツとしては、処分されそうな『禁書』を先に確保して、その後に『宝物庫』を追う方が、両方を手に入れられる可能性が高まるからだ。


 ――もう、何故ユルバンがこの選択肢を選んだのかが、判っただろう?

 それはこの選択肢が最も“グレイスが生き残る可能性を高める”ことになるからだ。


 ジルベールが『禁書』を確保しようとする間、キミは『宝物庫』を持って落ち延びることができる。

 ユルバンは最後に自分の命と『禁書』すらおとりにして――キミの命が助かる可能性が最も高い方法を、作り出したんだ。


 だからグレイス、ユルバンはキミを信用できないから『禁書』を託さなかったんじゃない。

 ユルバンは何よりもキミが大切だったから、敢えてキミに『禁書』を渡さなかったんだ」


 俺の話を聞いたグレイスは、即座に言葉を返さなかった。

 俺の言葉がにわかには信じがたい事実ことのように、聞こえたのかもしれない。

「そ――そんな――」

 言葉を発しようとした彼女の声が、震えながらかすれた。

 グレイスの見開いた目には、見る見るうちに光るものがあふれ始める。


 それを見たレーネは、グレイスをかばうように彼女の頬に手を添えた。

「最後の時まで、相も変わらず“身勝手”な兄であることよ――。

 ――グレイス、自信を持つがいい。

 その名は大切にされていなければ、兄上は付けぬ。

 グレイスという名は、兄上と私の――最愛の母の名前なのじゃ」

 その言葉を聞いたグレイスが、思わずレーネを見上げる。

「――お母さん?」

 レーネはこれまでに見たこともないような優しげな表情で、グレイスに笑いかけた。

「そう。

 魔人の国にあって、お日様のような方であった。

 ゆえに兄上も私もおしたいしておった。

 だから兄上はお主に、その名をつけたのであろうな。

 よほどお主のことを、気に掛けていたと見える」

「――――」

 レーネは無言になったグレイスを、そっと優しく抱きしめる。

 グレイスは少しだけ躊躇ちゅうちょを見せながら、ゆっくりとレーネの身体にしがみ付いた。


 “身勝手”な魔人によって、“宿命”を引き継ぐ目的でもうけられた子供は――。

 その実しっかりと父親の“愛情”を受けて、育てられていたということになりそうだ。




 俺が微笑ましくその光景を見守っていると、レーネはグレイスを離し、俺に向けて笑みを浮かべた。

「ケイ、これでお主との約束も果たした」

 その発言を聞いたグレイスが、いぶかしげな表情になる。

「約束――?」

 グレイスを見たレーネは、小さくニヤリと笑った。

「フッ、何、些末さまつなことじゃ。

 この男、こう見えて私とお主のことを気に掛けておってな。

 私にお主に会ってくれと、そう願っておったのじゃ」

「ちょっ――バラしちまったら、意味ないじゃないか」

 俺はグレイスの視線を感じながら、仕方なくその場で鼻を掻く。


 フェリムへ出発する前、俺はレーネのところに立ち寄った。

 そこでクランシーの制約を外した後、俺が彼女に望んだ“細やかな願い”とは――「姪のグレイスに会ってほしい」というものだったのだ。


「ケイ――そうだったのですか」

 微笑むグレイスを見ながら、俺は少々気恥ずかしそうに笑みを返した。

 だがその様子を見て、レーネが苦々しげに口を挟む。

「グレイス、感じ入る必要はないぞ。

 この男、邪気の塊のような男じゃ。気を許せばろくなことにならぬ」

「あんた、そんなことを言いに来たのか!?

 まったく――」

 俺が抗議の声を上げると、グレイス、シルヴィア、セレスティアの三人が笑い声を上げた。


 その雰囲気を楽しんだようにレーネは一つ微笑むと、いとまの言葉を口にする。

「フッ――。

 ――さて、私も長い時間は住処すみかを離れる訳にはいかぬ。

 これで戻ることにする」

「そうか」

 真剣な面持ちに戻った俺を、レーネは優しく笑みを浮かべながら見た。

 そして、いつになく真剣な言葉を俺に伝え始める。


「――ケイ、最後に一言だけ伝えておく。

 私はお主の選ぶ道を、とやかく言うつもりはない。

 我らの意図や希望はどうあれ、レダの言う通り『転移門』をどうするかは、お主次第じゃ。


 一つは、『転移門』を抑え続けるという選択肢。

 もう一つは、このまま『転移門』を放棄するという選択肢が存在する。


 先の判らぬ選択肢は取りづらく、お主が“後者”の選択をしたとしても、レダも私もお主を批判することはない。


 しかし、お主が我々と同じ、“前者”の選択を採るというのであれば――。

 互いに果たすべき役割を持った“同志”として、私はお主を歓迎する」


 俺はレーネの言葉を聞き遂げると、グレイスたちの顔を眺め見た。

 彼女たちの真剣な眼差しは、一様に俺の答えを待っている。


 そして――俺の中には、答えるべき言葉が既に存在していた。


「ありがとう、レーネ。

 ちゃんと俺の細かい願い事を聞いてくれたことに、感謝するよ。


 俺は――。

 俺は、この場に留まり、『転移門』を抑え続けるつもりだ。


 ――まあ、それを決めてからが、大変なんだけどな」


 俺が自身の決断を伝えると、レーネはパッと嬉しそうな表情を浮かべる。

 だが、俺に気を許した顔を見せたくないのか、直後にいつもの表情に戻ってしまった。


 彼女はニヤリと笑みを浮かべると、いつもの調子で口を開く。

「そうじゃ――これからが、大変じゃ。

 決めた後こそが、大変なのじゃからな。

 それに、『転移門』を抑え続けるだけではないぞ。

 まったく揃いも揃って、女ばかり囲いおって――」


 呆れた調子のその言葉に、思わずグレイスたちが困惑の表情を浮かべていた。

 俺はとぼけるように、レーネに言葉を返す。

「あ、ははは――は。

 レーネ、ひょっとして一人は寂しかったりするのか? だったら、いつでも会いに行くが」

 だが、その返答はレーネに気に入って貰えなかったようだ。

 彼女は俺に冷たい視線を向けながら、容赦のない言葉を浴びせかける。

「――お主、本当に性格は最高に悪いな。

 そこな女たちも、早めにこんな男は見切りをつけるに越したことはないぞ」

 レーネがまるでアドバイスを送るように、シルヴィアやセレスティアに声を掛けた。

 ところが当のシルヴィアは、その言葉をレーネの意図通りには捉えなかったようだ。

「フフフ――ダメよ!

 あなたそう言って、ライバルを減らそうとしてるんでしょ?

 あたしはそれぐらい、お見通しなんだから」

 シルヴィアがそう言ってフフンと笑うと、レーネは見る見るうちに苦虫を噛み潰したような表情になった。

「――チッ――」

 強大な魔人の去り際とは思えないような負け惜しみの舌打ちを残して、レーネは自ら開いた開門ゲートの穴に入り、立ち去ってしまう。

 若干、後が怖いような気がしないでもないが――今回はまあ、シルヴィアの方が、上手うわてだったということにしておこう。




 俺はレーネの姿が消えた後、少しずつ修復していく転移門を見上げながら、これからやり続けなければならないこと――そして、それを続けた時の未来に、思いをせた。


 俺は決してその場の思い付きで、この転移門を破壊し続けるという決断をしている訳ではない。

 だが、それにしてもコイツは、随分と大きな置き土産だ。


 俺は自嘲気味に笑いながらも――素直に、そう思った。




 俺とグレイス、シルヴィア、セレスティアの四人は、開門ゲートを通ってフェリムの集落へと転移した。

 少し薄暗い時間になっていたが、集落はここまでの闘いが嘘のように、様相を変えていない。

 ただそこに住まう人々は、闘いのさなかに皆アシュベルに転移させてしまっている。

 今この場にいるのは――完全に俺たち四人だけだ。


 誰が声を掛けた訳でもないのだが、四人は自然に円を描くように集まった。

 一頻ひとしきりお互いの顔を見合った後、グレイスが口を開く。

「――ケイ、あなたはこの世界フロレンスの人ではないのでしょう。

 『転移門』を破壊し続ける“宿命”を、本当に自ら抱えようというのですか?」

 ある意味、詰め寄るような一言だった。


 グレイスはフェリムの『転移門』が、ユルバンの置き土産であることに気付いている。

 身勝手なユルバンの行いによって俺まで“宿命”を背負おうとしているのが――受け入れがたいのかもしれない。


 俺はグレイスに静かに笑いかけると、その問いに答えた。

「簡単に決めるようなことでないことは確かだな。

 だが、俺は決して思いつきや後ろ向きな気持ちで、それを決めようとしている訳じゃない。

 俺は嫌々ここに留まろうとしている訳ではないことを、みんなも理解して欲しいんだ。

 俺はむしろ前向きに、ここに留まりたいと思っている」


 俺がそういうと、セレスティアがその言葉を聞き直すように問いかけた。

「前向きに? それは、どういうことだ?」

 俺はセレスティアに向き直ると、彼女に対して説明を続ける。


「これは俺の“身勝手”な、親切の押し売りというべきものなのさ。

 多分、レダやレーネもそうだろう。

 彼らだって異世界から来た魔人。

 俺と何ら変わらないはずだ。


 ひょっとしたら、馬鹿馬鹿しいお節介なのかもしれない。

 異世界人である俺が、この世界のためにそんなことをする義理も権利もないと思うかもしれない。


 でも俺はここまでこの世界で生きて、この世界で大切にしたいものをたくさん手に入れた。

 だから俺は今積極的に、この世界の人間でありたいと思っている。


 俺は、元の世界に戻れないから、ここに居続けるんじゃない。

 俺は、元の世界に戻りたくないから、ここに居続けるんじゃない。

 俺は自らの意思で、この世界に“留まり続ける”という選択を、積極的にしたいんだ――」


 若干熱が入りつつある俺の言葉を聞いて、三人は無言のままたたずんでいる。

 俺は彼女たちを見渡しながら、そのまま言葉を続けた。


「もちろん『転移門』を抑え続けるという選択以外に、この『転移門』から離れて暮らすという生き方もあると思う。

 だがそこで待っているのは、いつ現れるか判らない魔人におびえて暮らす旅だ。

 しかも壊せない『転移門』を放置する以上、この世界フロレンスの人々の生活が脅かされる可能性も放置することになってしまう。それはここまで俺たちが『転移門』を求め、破壊してきたことと、大きく理念を反する。


 だから敢えて俺は、『転移門』を破壊し続けるという選択肢を採りたい。

 無論、今から『転移門』を封じたところで、この世界に既に入り込んでしまっている魔人を全て退治できているかどうかの保証はない。

 再び俺の前に――魔人が現れる可能性は残っている。

 もしこの世界フロレンスあだなす魔人が現れれば――俺は、その魔人と闘わざるを得ないだろう。

 その意味で言えば、俺の闘いは――まだ完全に終わった訳じゃない。


 だが、俺がこの場で『転移門』を破壊し続けるという選択をする以上――。

 俺の“冒険”は、ここで一旦終わりになる」


 俺がそこで言葉を切ると、三人は神妙な面持ちでうつむいてしまう。

 “冒険の終わり”という表現が、この後の行く末を不安にさせてしまうからだ。


 “冒険の終わり”という言葉が、俺たちにとっての“別れ”を意味すると、考えているのかもしれない。





 ――ポッと薄暗かった集落の中に、光源ライトの光がともった。


 その光は煌々こうこうと、うつむいてしまっていた美女たちの顔を照らし出す。


 俺は小さく笑みを浮かべると、隠者の長剣ソードオブハーミットに、暁星の杖スタッフオブレーシュに、そして聖乙女の剣ジャクリーン光源ライトの魔法をともした。


 グレイスたちはその光に導かれるように、次第に顔を上げて俺を見る。

 俺は彼女たちが顔を上げたのを確認すると、笑みを浮かべながら言葉を続けた。

「冒険はここで終わりにはなるが――。

 実は、俺にはやりたいと思っていることがある。

 それを“新しい夢”と言ってしまうと、ちょっと気恥ずかしい思いもあるんだが」


 その言葉を聞いて三人の表情に、一気に花が咲き始める。

 互いに顔を見合わせ、笑みを浮かべるそこには、既に暗く沈んだ雰囲気の欠片かけらは存在していない。


 好奇心に満ちた視線が一気に、俺の方へと集中していた。若干前のめるようになりながら、彼女たちは俺に問い掛けて来る。

「新しい夢?」

「どんなこと? 聞かせて!」

 無邪気にはしゃぎ出しそうな彼女たちを抑えて、俺は思わず苦笑した。

 そして、少しその場を歩き回りながら、周囲の集落を見渡す。


 集落は徐々に陽を落としてはいたが、自然に囲まれた穏やかな情景を感じさせていた。

 俺はそこで三人の女性を振り返ると、集落を背にして語り出す。


「俺はレダやレーネと違って寂しがり屋なんでな。

 ただ単に迷宮ダンジョンに籠って『転移門』を維持し続けるなんて暮らしは、そう長く続けられると思っていない。

 だが、俺がここから遠く離れられなくなるのも事実だ。


 だから、俺はここに家を作って――。

 森を切りひらき、畑を作り、新たな家や店を作る。

 今はこの小さな集落フェリムに暮らす人は、わずかな数かもしれないが――。


 俺はこの場所を、“街”にしたいと思ってる。

 人が行き交い、人の温もりがある――“街”に育ててみたいんだ。


 だから、俺は『転移門』を維持するために、仕方なくここに留まるんじゃない。

 “新しい街”を作るために――前向きに、ここに留まろうと思う」


 俺がそう言うと、グレイス、シルヴィア、セレスティアの三人は、お互いの顔を見合わせた。

「へぇ――ちょっと面白そうじゃない」

 シルヴィアの目には、ハッキリと判る希望の色がある。

 俺はそれに頷くと、シルヴィアに向けて言った。

「ここはハーランド王国領じゃない。小さな自治領の一つだ。

 辺鄙へんぴな場所ではあるが、領民の理解と支持が得られれば、ハーランドの中に街を作ろうとするよりも、ずっと敷居は低いはず」

 俺の話した内容に、セレスティアが笑みを浮かべながら指摘を加える。

「それにしても随分と大きな夢だが――。

 流石に一人の手には、余るのではないか?」

 そのセレスティアに横から相槌あいづちを打つように、グレイスが更に言葉を重ねた。

「そうですね。

 夢を共有する人が必要になりそうです」

 完全に俺が言うべき台詞セリフを、促されている状態になっているが――。

 俺は苦笑しながら彼女たちを見渡して、望まれているであろう言葉を伝えた。

「大切なことだから、一人一人の意思を確認はしたいのだが――。

 それで俺としてはもちろん、付き合って欲し――」

「もちろんよ!!」

 俺の台詞セリフの終わりを待ちきれないように、途中でシルヴィアが元気のいい返事を返す。

 飛び上がるように跳ねた彼女の胸元が、大きく弾んでいた。

 その様子を横目で見たセレスティアは、流石に苦笑している。

 俺は折角の決め台詞セリフを失ったように、頭を掻きながらシルヴィアに口を開いた。

「シルヴィア、俺の話がまだ終わってない――まあ、いいか。

 一応重要なことだから、一人一人に確認したいんだ。

 もちろん俺としては街づくりに協力してほしいんだが、俺はこの話は正直シルヴィアが一番難色を示すと思っていた。

 冒険しないのはまらないと、言い出すんじゃないかとね」

 ところがシルヴィアはその言葉を聞くと、あながち俺の予測が間違っていないような反応を返してくる。

 そのアバウトさが彼女らしいと言えば、らしいのだが――。

「まあ――その時は、その時じゃない?

 もしどこかに飛び出して行ったとしても、きっとここにすぐ帰ってくるわ。

 これまでずっと闘い続きだったもんね。そろそろ腰を落ち着けるのも、悪くないと思うし。

 それに――」

 彼女はそう言うと、クライブの形見の“時計”を取り出した。

 そして、それの存在を確認するように、指でそれをもてあそぶ。

「――“アイツ”にもそろそろ、お墓を作ってやりたいから」

 そう言いながらシルヴィアは、優しく笑みを浮かべた。


 俺はシルヴィアの答えに満足して微笑むと、次にセレスティアに声を掛ける。

「セレス、キミの騎士への思いは知っている。

 もし復帰する方が良いなら、遠慮なくそちらを優先して欲しい。

 キミの力を求めている人は、確実にいるはずだから」

 俺がそういうと、セレスティアはニヤリと笑みを浮かべた。

 俺からそう言われるのは、あらかじめ予想していたようだ。

「――フフ、見くびって貰っては困る。

 もちろんオルガさまには恩義がある。一度報告を兼ねて戻らせては貰うが――。

 だが、私は私で今の状況を――結構気に入っているんだ。

 規律にも組織にも縛られず、一人の自分として生活できる環境に。

 それに――」

「それに?」

 俺が聞き直すと、見る見る内にセレスティアは顔を赤く染めた。

 彼女はうつむきがちになりながら、小さく言葉を続けていく。

「ち、小さい頃から――お、お菓子屋さんを――やってみたいと思っていたのでな。

 今はその夢に近づけるんじゃないかと、ちょっと嬉しいのだ」

 恥ずかしそうに度盛どもりながら語る言葉に、俺とシルヴィアが驚いた。

「セレスが――お、お菓子――!?」

「へっ!? お菓子屋さん? あんたが!?」

 こちらのある種過剰な反応を聞いて、セレスティアは開き直ったように俺をにらみ付ける。

「――何だ? 私がお菓子屋さんをやったら、何か貴様の都合が悪いのか!?」

「――い、いいや――」

 聖乙女の剣ジャクリーンに掛かった手が恐ろしくて、思わずってしまった。


 俺は取りあえずセレスティアとの話を穏便に済ませると、その様子を見てクスクスと笑っていたグレイスの方に向き直った。

 俺が意思を確認しようとしているのに気付いた彼女は、一瞬意外そうな表情へと変わる。

「あら――。

 わたしにく必要があったのですね」

「一応な」

 俺が若干取りつくろうようにそう言うと、グレイスは笑みを浮かべながら口を開く。

「わたしは言うまでもなく、あなたと共にいます。

 でないと――今後、同族の魔人が現れるようなことがあれば、どう対処するのですか?」

 俺は街の話とは別の痛いところを突かれて、思わずそれに苦笑した。

「ハハ――その通りだ。

 グレイス、キミは居てくれないと困る」

 俺がそういうと、グレイスは静かに満足そうな笑みを浮かべる。

 彼女は俺に近づいて来ると、俺を少し見上げるように語りかけた。

「わたしとあなたは、一蓮托生いちれんたくしょうの存在。

 あなたがここに留まるなら、わたしもここに留まります。

 それに――」


 グレイスはそう言うと、これまで見たこともなかったような無邪気な笑みを浮かべた。

 少しだけ集落を見渡すように俺から離れると、再び俺を振り返って言葉を続ける。


「ケイ、わたしは見届けたいのです。

 もう一人の身勝手な魔人の“物語”を――」



 グレイスの言葉を聞き遂げた俺は、彼女の側へと近づいていった。

 その行動に応じるように、グレイスは右手を差し出してくる。

 俺がその手を静かに取ると――近づいて来たシルヴィアとセレスティアも、ゆっくりと手を差し伸べた。


 そして、徐々に繋がっていく手が――誰もいない集落に、小さな一つの輪を作り上げる。


「何かちょっと気恥ずかしいわね」

「だが、こういうのも悪くはない」

「フフ、わたしは結構好きですけどね」

 お互いに少し上気した顔を見合わせ――、

 思い思いに口を開きながら、笑う。


 俺は光に照らし出される彼女たちの顔を見て、自分の思いを飾らずに伝えた。

「グレイス、シルヴィア、セレスティア。

 これまで俺に付き合ってくれたことを、心から感謝する。

 ここから先は、本当に長い付き合いになるかもしれないが――。

 俺と共に、歩んでほしい」


 俺の願いを聞いたグレイスが、シルヴィアが、セレスティアが――。

 晴れやかな笑顔を、返してくれる。


 するとグレイスが代表するように、俺の言葉に答えた。

「ケイ、あなたは一人ではありません。わたしたちはこれからも、あなたと共にあります。

 これはもはや、あなたとわたしたちの――『宿命』に違いないのですから」


 そうして見合わせた顔には――。

 この先の希望に満ちあふれた、四人の笑顔があった。






 この先の俺たちの未来に、何が待ち受けているのかは判らない。

 だが、俺の大切にしたいものは、確実にこの場所に存在していた。

 しかも幸いなことに俺は――この手が届く範囲なら、それを護ることができそうだ。

 ならば俺はもう何も、迷うことはないだろう。


 そして、この手に握る温もりは、俺が一人ではないことを教えてくれている。

 俺が突き進もうとする先には、寄り添ってくれる笑顔があるのだ。


 だから俺は自分自身でも驚くほど、期待と希望に満ちあふれている。

 だから彼女たちの笑顔に包まれて――ひとつの確信を思い描くことができるのだ。


 それはきたるべき未来の、予知とすら言ってもいい。



 ここは確かに人気ひとけのない、何もない集落だ。


 だが、二人の“身勝手”な魔人が到達した――『魔人の剣』で斬りひらかれた“希望”の場所でもある。



 だから、ここには――きっと近い将来、




 ――美女と賢者の街が出来る。









 美女と賢者と魔人の剣

 Beauty, Sage and the Devil's Sword


 - 終わり –




『美女と賢者と魔人の剣』読了ありがとうございました。次話からは本編完結後の追加エピソードが始まります。宜しければぜひそちらもお楽しみください。本作の書籍は現在発売中です。書籍共々よろしくお願い致します。


片遊佐 牽太

Written by Kenta Katayusa, 7/5/2015

Updated 3/5/2016

Updated 6/12/2016


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