084 敵
大規模な装飾が施された転移門は、吹き上がる土煙によってその姿を覆い隠されていた。
直前に迷宮奥を襲った音と光は、俺たちの視覚と聴覚を一時的に狂わせている。
落雷にも似た激烈な衝撃が過ぎ去ると、次第に土煙の向こうの影を認知できるようになってきた。
その影は、決して大柄には見えない。どちらかと言えば小柄な方だろう。
ただその足下は、地面にまで到達していないように見える。
つまり――その人物は、“浮いている”のだ。
時間の経過と共に、その人物の姿形はハッキリした境界線を浮かび上がらせる。
俺がグレイスたちに見せた左手の合図は、“敵対する可能性のある”クランシーの使徒を示唆したものだ。それは、ただのクランシーの使徒が現れたという意味ではない。
俺の合図の意味を理解したセレスティアは、目前の人物が見え始めたのに合わせて、俺を庇うように進み出た。グレイスとシルヴィアも、それに呼応するように武器を構えて展開する。
俺は彼女たちの戦闘態勢を横目にしながら、土煙から現れた人物を改めて確認した。
――少し離れた場所からも、白髭が蓄えられているのが見える。
髪は少し長めで薄くないが、髪色は年齢を感じさせる程に真っ白だ。
顔には深い皺が刻まれていて、その外見だけで判断すれば、やはり齢七十を過ぎているようには見えた。
だが、本当にそうなのか――?
俺は僅か数ヶ月前に、この“老人”に会ったことがある。
そしてその時は、彼が話したことをそのまま素直に聞き入れた。
その時は目で見えるものを、そのまま信じていたのだ。
しかし目の前の“老人”は、あの時俺に何を告げ、何をしたのか?
俺はこの異世界で何を見て、何を聞いたのか?
この今の状況は、誰が作り出したのか――?
それを考えれば、俺はこの場で見たこと聞いたことを、慎重に吟味する必要がある。
この“老人”が何を語るのかは判らないが――言葉をそのまま鵜呑みにすべきではない。
俺は自分自身に警戒を呼びかけながら、“見えないモノ”を確かめるために、目の前の人物を“凝視”した。
**********
【名前】
ジルベール
【年齢】
不明
【クラス】
不明
【レベル】
70
【ステータス】
H P:?????/?????
S P:?????/?????
筋 力:???
耐久力:???
精神力:???
魔法力:???
敏捷性:???
器用さ:???
回避力:???
運 勢:???
攻撃力:???
防御力:???
【属性】
なし
【スキル】
不明、不明、不明、不明、不明、不明、不明、不明、不明、不明、不明、不明、不明、不明、不明、不明、不明、不明、不明、不明、不明、不明、不明、不明、不明、不明、不明、不明、フロレンス語学
【称号】
不明、不明、不明、不明、不明、不明、不明、魔法使い、クランシーの使徒
【装備】
不明
不明
不明
【状態】
飛翔
**********
ジルベール――。
俺は心の中で、その名前を呼んでみた。
数ヶ月前に会った、不思議な不思議な魔法使いの“老人”。
そして、俺という人間を、この異世界に引っ張り込んだ張本人。
老人は正面に立つ俺の姿を認めると、ハッキリと判るぐらいに唇を歪めた。
年齢を感じさせる外見と全く不釣り合いな、妙に白く揃った歯が口元から覗いている。
「――久しぶりだな」
老人が、俺に嗄れた声を掛けた。
その言葉を聞いたグレイスたち三人は、俺を一斉に振り返る。
だが俺は、その言葉には反応を返さなかった。
俺が目の前の老人――ジルベールと出会ったのは、『世界と世界の狭間』でのことだ。
そして、ジルベールはこの世界へ転移する前に、俺と魔法を使った約束を交わした。
それは『世界と世界の狭間』で起こったことを、秘密にすること。
それを守るための『制約』を施し、その対価として俺が望む『能力』を与えること――。
俺が以前、ジルベールと会ったという事実は、『制約』の中にある。
俺は、『制約』の中にある出来事を、口に出すことはできない。
それに対して俺が、目の前にいる老人の名前を知ったのは“今”だ。
「――あんた、ジルベールって名前なのか」
老人の名前を知ったのが『世界と世界の狭間』でのことであれば、きっと俺の言葉は『制約』に引っ掛かっていたことだろう。
ジルベールは俺が状態を読んで、名前を知ったことに気づいたようだった。
「どうやら与えた能力は、ちゃんと活かせているようだな」
返ってきた言葉は、『世界と世界の狭間』の中で起こったことに触れる内容だ。
俺は両目を顰めながら左手の甲で、一瞬額の辺りを覆った。
ジルベールはそれを見てニヤリと笑うと、俺に再び言葉を掛けてくる。
「良くここまで生き残って来た。
――期待通りの成長だ」
どう期待されていたのか、思い当たるところはない。
俺はジルベールの表情を窺おうと、ヤツの姿に視線を凝らした。
そして、俺はその時になって初めて、ジルベールの両手に何かが握られていることに気づく。
離れたこの距離からでは、何が握られているのかを完全に見極めることは出来ない。
何となく左手に握られているのは、水晶玉のようなものに見える。
そして右手に持っているのは――。
「ケイ、あれは――!」
その存在に気づいたグレイスが、俺に慌てて声を掛けた。
俺はグレイスが言葉を続けようとするのを押し留めると、目を細めながらジルベールの右手にあるものを見極める。
――間違いない。
あれは、一冊の『本』だ。
俺がその存在に気づいた瞬間、ジルベールは『本』を持つ右手を高く掲げた。
すると、彼の動きに応じて『本』から鈍い光が漏れ出してくる。
何かの魔法だ――そう気付いた時には、既に強い魔力が周囲を包み込んでいた。
『本』から溢れ出した光を起点にして、無色の波が一瞬で迷宮の中に広がっていく。
俺たち四人はその魔力に抗うこともできず、一瞬で透明の膜の中に飲み込まれてしまった。
だが、魔力に包み込まれたとはいえ、直接身体に影響がある訳ではないようだ。
ただ周囲を見渡すと、迷宮の部屋全体が、何かの薄い膜で覆われているような感覚がある。
「――結界です。
恐らく、この空間に――閉じ込められました」
グレイスが俺の方へ身を寄せながら、呟いた。
ジルベールは若干得意げな表情を見せると、声の高さを一段上げながら俺に言う。
「ここから先は、無粋な者の横槍は避けたいのでな。
空間魔法を途絶させてもらった」
俺はその言葉を聞いて、目の前の老人を睨みつけた。
教会の神父戦と、似たような状況だ。あの時も結界に阻まれ、屋敷からの脱出が出来なくなった。
ただジルベールの言葉通りであれば、この結界の意図は俺たちを足止めするというよりも、外から来る余人の侵入を防ぐという意味のようだ。
この老人が、どこまで俺の周辺事情を把握しているのかは判らない。
だがこれで、開門を使ったレーネの助力は、期待できなくなった可能性が高い。
進んで彼女に手を貸して貰うつもりはなかったのだが、いざという時のことを考えると、正直歓迎できる状況ではなかった。
俺は口元を歪めたままのジルベールと、その斜め後ろに控える魔人を交互に見ながら、質問を投げかける。
「なあ、あんた。
この状況はどういうことなのか、説明してくれないか?
俺の中には、聞きたいことが山ほどあるんだが――」
そう問いかけはしたものの、実際は訊くまでもなく状況から判断できることが多い。
だが俺は、この状況に対してジルベールがどう答えるつもりなのかを、知りたいと思っていた。
「フフ――折角の機会ではあるからな。
良かろう、何でも尋ねるが良い」
ジルベールは余裕を見せ、気分良くそう言いながらニヤリと表情を和らげた。
残念なことに、笑みを浮かべた表情は相変わらず品が良くない。
俺は若干生理的な嫌悪感を抱きながらも、気を取り直して口を開いた。
「まず――この状況に対して訊きたい。
俺には『アラベラの使徒』である魔人と、あんたが並び立っているように見えている。
あんたとそいつは、どちらも俺たちの方を向いていて、向かい合っている訳じゃない。
単純に見れば、あんたたちが協力関係にあって、俺たちと対立しているように見えるんだ。
――俺の見立ては間違っているかい?」
俺はエイダとジルベールを見ながら、追求に似た質問をする。
「そう、見えるかね?」
状況的には明らかなのだが、事実を認めるつもりがあるのかないのか、曖昧な答えが返って来た。
「やっぱり、協力関係にあるんだな」
俺が追い詰めるように断定すると、ジルベールはそこで初めて抗弁らしきものを口に出した。
「お主は自分よりも高いレベルの相手の状態を、見通すことはできまい。
ひょっとしたら、そいつは、儂に“魅了”されておるだけかもしれぬ」
ヤツが話した内容は、微妙に俺の能力の特徴を突いている。
俺は警戒心を掻き立てられながら、改めてその言葉の揚げ足を取って言い返した。
「――じゃあ、あんた自身が“魅了のスキルを持っている”ことは、否定しないんだな」
老人は俺の言葉にニヤリと笑って、回答を寄越そうとしない。
俺は一向に返事が返ってこないのを確認すると、自分の左手を見せつけた。
そこには魔力の輝きを湛えた、“赤い指輪”が嵌められている。
「そいつは魅了されていない」
「――魅了の指輪か。
なるほど、凝ったモノを持っておる」
ジルベールは俺の左手に視線を移すと、観念したように吐き出した。
深淵の迷宮で手に入れた魅了の指輪は、相手のレベルに関係なく、魅了の状態にあるかどうかを教えてくれる。
魅了の指輪を通して知ったエイダの状態は、魅了にはなっていない。
そこから考えれば、エイダが自らの意思でジルベールの側に控えているのは、明らかだった。
「そこにいる魔人は魅了されてはいない。
自らの意思で攻撃をやめ、あんたの側に従っている。
つまり、あんたとそいつは、協力関係にあるんだ。
――だが、あんたが『アラベラの使徒』と協力関係を結ぶ理由は何だ?
これが――俺のふたつ目の質問だ」
俺の率直な問い掛けに対して、ジルベールは無言のまま俺を見つめている。
その姿は、答える言葉を一頻り思案しているようにも見えた。
暫く経ってから、ジルベールは俺から視線を外すと、浮き上がった状態のまま身体の方向を変える。
飛翔の魔法は初めて見るが、老人の意思に沿うように、自在に空中で動けるように見えた。
「人は――堕落するのだ」
回答として想像していなかった言葉に、思わず俺はその言葉を聞き返した。
「――堕落?」
ジルベールは俺を一瞥して、すぐに元の方向へと向き直る。
「――その昔、アラベラの使徒たちはこの世界を支配した。
人々はこの世界からアラベラの使徒たちが去って行くことを願い、そしてアラベラが去った後にクランシーを受け入れた。
人々はクランシーの教義に敬虔に従い、クランシーへ信仰を捧げたのだ。
クランシーを信仰した人々は、この世界の各地に設置されていたアラベラの石像を破壊した。
それは、『魔人』に支配されていた過去との決別とも言える。
結果として、アラベラの神殿は荒廃し、迷宮と化していくことになった。
それに引き換えクランシーの神殿は、多くの者の手を掛けて新たに建設され、美しく管理された。
――クランシーはそうして、繁栄を迎えたのだ」
ジルベールはそこで暫くの無言を挟んだ後、再び口を開いた。
気のせいかもしれないが、語り口調が次第に熱を帯び始めている。
「だが――それも長続きはしなかった。
今の姿を見よ!
まともにクランシーの教義を理解し、それに従おうとする者など、聖職者程度しかおらぬ。
人々は自らの身に迫っていた危機が去ると、信仰を忘れ、使徒を蔑ろにしたのだ。
結果、美しく保たれていたはずの神殿は放棄され、迷宮と化すまで荒廃した」
俺はジルベールの言葉を聞いて、荒野の迷宮を思い出した。
あそこは元々クランシーの石像が設置された――クランシーの神殿だったはずだ。
だが、内部はそれなりに美しい姿を保っていたものの、誰もおらず、魔物の現れる迷宮と化していた。
ジルベールは再び俺の方へと向き直ると、今度は俺に言い聞かせるように言葉を続けていく。
「人は“幸福”に偏りすぎると、守るべき教義を忘れ、信仰を捨て去り、堕落してしまう。
使徒へ敬意がなくなり、ただひたすらに増長する。
仮にこの世界に再びアラベラの使徒が現れ、自分たちの世界が蹂躙されるようなことがあれば、恐らく人々は信仰を取り戻し、クランシーに縋ろうとするだろう。
だが、その脅威が取り除かれれば、また忘れてしまう。
人々には感謝もなく、使徒など使い捨ての“便利屋”程度にしか思っていない。
人は倒すべき敵が存在し、迫り来る恐怖に苛まれることがなければ、簡単に敬意や信仰など忘れてしまうのだ」
ジルベールはそう言って、自らの発言に感じ入るように少しの間、両目を閉じた。
ジルベールは俺が放った“『アラベラの使徒』と協力関係を結ぶ理由は何か?”という問い掛けに、直接的に答えていない。
俺は使徒が“神の遣い”ではなく、ただの“人”であることを知っている。
それに対して目の前の老人が話した内容は、多分に使徒が“神の遣い”であるという概念に基づいていた。
もちろん、ジルベールが特別信心深い人物であるという可能性も無くはない。
だが信心深い人物と、『アラベラの使徒』との協力関係というのは、どう考えても綺麗に結びつかない。
それだけにジルベールの話は、単なる“言い訳”に過ぎないのではないかと邪推してしまうのだ。
仮に老人の話が“言い訳”であった場合――。
今のジルベールの話を整理すると、実はこの老人は“とんでもないこと”をしでかしているのではないかという、可能性が見えて来る。
「あんた――。
まさか、クランシーの信仰を集めるために、わざとアラベラの使徒をこの世界に呼び込んだんじゃないだろうな?
もしくはこの世界に渡ってくるアラベラの使徒を、支援したんだろう!?
あんたは人々にとっての倒すべき敵、迫り来る恐怖――つまり、魔人をこの世界に呼び込んで、それから逃れようとする人々の気持ちを利用して、信仰を集めようとした。
――違うか!?」
俺の糾弾する声を聞いて、グレイスたちも息を飲んでジルベールの表情に注目した。
だがその声に、ヤツは全く表情を変えていない。
しばらく見ていると、ジルベールはようやくポツリと、反論じみた言葉を吐き出した。
「儂は――『クランシーの使徒』だぞ」
その言葉に俺は、頭痛を堪える仕草で、目を堅く閉じて顔を背ける。
見れば俺の様子を目にしたジルベールが、薄く笑っていた。
自らが施した『制約』が働いているのを、改めて実感したのだろう。
ジルベールは俺の糾弾に、直接的な答えを返していない。
ヤツは間接的に、“クランシーの使徒”である自分はそういう卑劣な真似はしないと言っているのだろうか?
――だが残念なことに、俺は“クランシーの使徒”が、卑劣な行為を働く可能性があることを知っていた。
「使徒が神の意思に沿って動いている訳じゃないことぐらい、俺だって知っているさ。
仮にこの世界があんたの望む状況になれば、一番得をするのは誰なんだ?
この世界に魔人の危機が到来してクランシーに信仰が集まれば、誰にとって有利な状況が生まれるのか?
それは――神なんかじゃない。
人々の信仰心を利用しようとしている、あんたじゃないのか?」
いくつ目とも判らない俺の問い掛けに、ジルベールは若干開き直ったような表情を見せる。
「ならば、仮にそうだとしたら、お主はお主自身の質問にどう答えるのだ?
通常協力関係にない儂とアラベラの使徒が、何故協力関係を築いている?
儂が仮にこの世界の危機を演出し、クランシーへの信仰を集めたとしても、儂は最終的にアラベラの使徒を倒さねば人々の信仰を維持することが出来ぬ。
では、最終的に倒されると判っていて、なぜアラベラの使徒は儂に協力するのだ?
流石に殺されると判っていて協力するほど、ヤツらもお人好しではあるまい」
会話を進めるごとに、俺の中で様々な事象が繋がっていくように感じた。
これまで俺がこの世界で体験したこと、語ったこと、学んだことが、このタイミングにおいて全て一本の線の中に組み上がっていくようだ。
俺はジルベールの問いかけに、確信をもって答えた。
「協力する理由はある」
「フッ――理由を説明できぬ断定など、妄言に過ぎぬわ」
俺の言葉に、ジルベールは嘲笑を返して来る。
だが俺は再び、自分の考えを断言した。
「いいや、何度でも言ってやる。
『アラベラの使徒』たちが、あんたに協力する理由はある。
それは、ヤツらが――“死なない”からだ」
「――――」
その言葉を聞いて、明らかにジルベールの表情が変わった。
老人の表情は、明らかに“お主は何を知っている?”という表情に変化している。
俺はそれを見てニヤリと笑うと、更に真実を求めて次の言葉を投げかけた。
「――それよりあんた、いい『本』を持ってるな」
そこに話が及ぶとは思っていなかったのかもしれない。
ジルベールは訝しがるように、俺の言葉に反応した。
「お主――。
これが何であるかを知っているのか」
その話題に及んだことで、グレイスが無意識のうちに少し前のめりになっている。
「さあな。詳しくは知らないさ。
だが、その『禁書』の由来はよく知っている。
あんたが手にしている『禁書』は、二年前にこのフェリムで処分されるはずだったものだろう?
だとすれば、あんたがその『禁書』を手に入れたのが二年前。
そして、この世界に現れるアラベラの使徒の中で、オーバートの一派に転生の秘術が伝わったのも二年前だ。
これを偶然の一致と考えるか――?
オーバートの一派は転生の秘術のお陰で、この世界における“死”を意識せずに闘っている。
ただ単にこれだけの話なら、全く別の事象が偶々同じ時期に被ったという言い方もできるが――」
俺はそこで言葉を止めると、ジルベールの後方に控えるエイダに視線を移す。
「だが、今は『禁書』を持ったあんたの側に、『アラベラの使徒』がいる。
さっきからそいつは攻撃一辺倒で、死を意識しているようには見えない。
ならばこの二つの事象を、むしろ結びつけない方が不自然だ。
あんたはアラベラの使徒の一部に『禁書』にあった転生の秘術を与え――『アラベラの使徒』たちの派閥争いに手を貸す。
そしてあんたはその見返りとして、『アラベラの使徒』を倒し、人々の信仰を受ける。
それはあんたの立場からすれば、いい“取引”でしかないんだろうな。
だが、それによって闘いに巻き込まれ、煽りを喰うのはこの世界に生きる人々だ。
ひょっとしたらあんたは神への信仰を重要視しているのかもしれないが――人々からすれば自分の意思でもない、必要のない信仰を強制されているだけのことだ。
人の自由意思を阻害して、結果自分が有利な位置へと伸し上がる――。
この自分勝手な考えを“卑怯”と言わずして、どう表現すればいいんだ!?」
俺の追求を聞いたジルベールは唇を歪め、その後、堪えきれなくなったように大声を上げて笑い始めた。
自分の中の正義感を馬鹿にされたような気がして、俺の中に煮えたぎるような怒りが渦巻いてくる。
だが、ここで冷静さを欠く訳にはいかない。俺にはまだ、ジルベールに質問したいことがあるのだ。
俺は自分自身を出来るだけ冷却させるように、一つ大きく深呼吸をする。
それを見たジルベールは、再び開き直ったような言葉を吐いた。
「どれも証拠のない戯れ言に過ぎぬが――。
仮にお主の言う通りだとしたら、どうするというのだ?」
俺はできるだけ冷静に、静かにそれに対して答えを返す。
「知れたことだ。
俺は自分の気に障る卑劣なヤツを見逃すほど、寛大な心を持ち合わせていない」
闘いの開始を予期させる発言をしたことで、セレスティアが再び剣を構え直した。
だが、ジルベールは余裕の表情を崩そうとはしていない。
「儂とお主は同族の使徒だが――。
それでも闘いになると、思っているのか?」
ジルベールが、俺が手にしている『賢者の杖』に気付いていないということはないだろう。
だとすればこれは、俺が『魔人の武器』の存在に言及するのを誘っているのかもしれない。
「――同族が傷つけられないのは、あんただって同じだ」
俺が『魔人の武器』の話題を避けてそう言うと、ジルベールは微妙な含みのある答えを返した。
「自分に不可能なことが、他人にも不可能だと思うのかね?」
「――――」
『魔人の武器』以外でも、同族の使徒が傷つけられるとしたら――?
ジルベールの手には、常識外の力を持つ『禁書』がある。
――いや、これまでのジルベールの対応や話している内容は、どう考えても俺との融和を考えたものではない。
自分の悪事をひけらかし、俺の怒りを助長させて、俺を闘いに誘導しようとしている。
だとすれば、目の前の老人には、同族を傷つけることができる能力があると思っていた方が良い。
俺は、これまでジルベールの狙いが、グレイスの持つ『宝物庫』にあると考えていた。
そのために結界を張り、グレイスを逃がさないようにしているのだと思っていた。
だが、グレイスの『宝物庫』だけを狙うのであれば、あたら俺を闘いに仕向けるような状況を作り出す必要はない。どちらかと言えば俺を闘いから排除した方が、『宝物庫』を奪いやすくなるはずだ。
――いや、ジルベールの狙いが『宝物庫』であることは、間違ないだろう。
問題は、ヤツの狙いが“一つだけではない”可能性があることだ。
俺はそれを明らかにするため、ジルベールに再び言葉を掛けた。
「悪いがもう少し知りたいことが出来た。
――あんた、さっき俺に言ったよな?
“期待通りの成長だ”と。
この言葉の意味は何だ?」
俺は『世界と世界の狭間』で、この老人から『制約』という名の“加護”を受けている。
確かに秘密を守らなければならないという制限は付くが、『クランシーの制約』そのものは、俺の命を生き長らえさせるためのものだ。
そして、それに加えて俺は、“モノの状態が判る能力”という――大きな優位性まで与えられている。
だがジルベールは今、自ら能力を与えて強化した相手を嗾け、自分に闘いを挑ませようとしているのだ。
そこから導き出される答えは――。
ジルベールは一瞬の無言の後、再び堪えきれなくなったように笑い声を漏らした。
そしてその笑い声は、次第に大きくなっていく。
「ククク――ハハハハハッ!!
折角だから、教えてやらんでもない。
疑問を持ったままでは、何とも浮かばれぬであろうからな。
――お主、短期間とはいえこの世界で生きたのであれば、何をすれば自分が成長するのか知っているであろう」
ジルベールが言っているのは、もちろん水汲みや腕立て伏せのような鍛錬のことではない。
それを踏まえた上で、俺は言葉を返した。
「――敵を倒すということか」
「左様。
だが、同じ敵を倒し続ければ、成長が止まる。
これは成長していく自らのレベルに対して、倒す敵のレベルが相対的に低くなってしまうからだ。
この世界に存在する者たちのレベルは決して高くない。従ってこの世界に存在する者を倒し続けたとて、成長できる限界は知れている」
ジルベールは相変わらず品の悪い笑みを浮かべると、そのまま言葉を続けた。
「だが、使徒には別の成長の手段が残されているのだ。
異種の使徒を倒し、その力を奪うという手段がな。
しかし、異種の使徒の中には強敵とも呼べる強さを持つものも多い。
よって異種の使徒の力を奪うという行為には、非常に高い危険が付きまとうのだ。
だが――」
そこで言葉を止めたジルベールは、俺の方へ視線を投げかける。
睨め付けるような視線が、俺の身体を這っていった。
美女に見つめられるならまだしも、見ているのは老人だ。
俺は得も言われぬ、生理的な嫌悪感を抱いた。
「儂は気づいた。
力を奪う使徒が、異種でなければどうなのか?
無論、同種の使徒同士は攻撃が無効化されてしまうのだが――」
老人は、ただニヤニヤと笑うだけで結論を言わない。
だが、口に出さなかったとしても、何を言おうとしていたかは明白だった。
――ジルベールは『禁書』の力を得て、同じ『クランシーの使徒』を倒して力を奪おうとしている。
つまり、この場において狙われているのは『宝物庫』だけではない。
『俺』もまた、ジルベールに狙われているのだ。
俺はその意味を心に留めながら、手繰り寄せられる事象を確かめていった。
「じゃあ、俺がここであんたと会ったのは、決して“偶然”という訳ではないんだな」
俺の確認に対して、ジルベールは素直に肯定の言葉を返してくる。
「そういうことだ。
最初から、お主と儂は再び出会うことになっていた。
儂は同族の使徒を生み出すであろう“あの世界”から、お主を選んでこの世界に運んだ。
お主は偶然巻き込まれたと思っていたかもしれぬがな、実際はそうではない。
そして儂は、“ある程度”の成長を期待して、お主に“回数制限のある加護”と、決して“完全ではない状態を見抜く能力”という、この世界で生き抜くための力を与えた。
お主はその期待に応え、“ある程度”成長して儂の前に現れた。
そのお主には今から――、
儂の“糧”になって貰うという、大切な役割がある」
「――――」
俺は降り注ぐ言葉に、その場に倒れ込みそうになるほどの激しい頭痛を堪える仕草をしながら、その意味を理解した。
同じようにジルベールの発言を聞いたグレイスたちの表情は、流石に強ばっている。
俺の脳裏には、教会の神父に餌にされてしまったアスリナの姿が甦っていた。
最初目の前の老人は、神であるクランシーの名を告げながら、自らの正当性を主張しようとしていたはずだ。
だがもはやそんなことは、どこかへ吹き飛んでしまっている。
“知識”のレダは俺に、「クランシーの使徒であれば善、アラベラの使徒であれば悪などということはない」と断言していた。
そして俺はその言葉が、真実であることを闘いを通して認識している。
今、俺の目の前にいるのは、俺と同じ『クランシーの使徒』だ。
だがその存在は、単に自らの成長欲求を満たすために全てを犠牲にしようとする、おぞましいものでしかない。
もはや、クランシーだから、アラベラだからではなかった。
俺の目の前にいるのは――俺が倒すべき、“敵”だ。
「――さながら、あんたにとってこの世界は、餌の栽培地だったということか」
「フッ――」
ジルベールは気分がいいのか、笑みを浮かべた表情を崩していない。
もはやこれ以上の会話は、必要無いと思った。
だが、最後に一つだけ、ジルベールに訊いておくことがある。
――いや、無事なままの『禁書』をジルベールが持っている時点で、この質問の答えは判っているのだ。
これはどちらかというと――俺からの、断罪だ。
「最後の――質問だ。
あんたが持っているその『禁書』だが――、
どうやって手に入れた?」
「――どうやって、とは?」
俺が放った質問を聞いて、グレイスが俺を振り返った。
彼女にとってこの話は、とても重要なことだ。
俺はグレイスの視線を感じながら、再び言葉を重ねていく。
「その『禁書』、元々は魔人ユルバンが持っていたはずのものだ。
――二年前、魔人ユルバンは死に際して自宅と共に火に包まれ、『禁書』を処分しようとしていた。
ところがそうして処分されたはずの『禁書』は、今あんたの手元にある。
それは何故だ?」
「――――」
ジルベールは答えを返さない。
「もっと判りやすく言ってやる。
ユルバンは、自宅が火に包まれた時点で死んではいない。
ユルバンは『禁書』を、恐らく資産の中に隠し持っていたはずだ。
であれば、ユルバンが死ななければ、『禁書』は現れることがない。
――つまり、ユルバンの死と『禁書』が火に包まれるまでの時間差は、限りなく小さくなる。
ユルバン自身も、それを狙って自宅に火を掛けさせたはずだ。
ところがあんたは、完全に無傷の『禁書』を持っている。
これがどういう意味か判るか?
あんたは自宅に火が回りきる前にユルバンの自宅に侵入し――『禁書』を奪い去った。
つまり――あんたはまだ寿命が残っているユルバンを“殺して”、
『禁書』を奪ったんだ」
俺が放った言葉に、グレイスがこれ以上なく目を見開いた。
ジルベールはニヤニヤと笑みを浮かべたまま、表情を変えようとしていない。
僅かな睨み合いが続いた後、ジルベールは小さく、言葉を吐き出した。
それはここまでに繰り返されていた、実質の“肯定”の返事だ。
「――だとしたら、どうするのだ?」
俺は開き直ったジルベールに向けて、口を開く。
「どうするかは、知れたこと――」
俺はそう言った後、グレイスに視線を投げ掛けた。
このあとの台詞は――ユルバンの娘が言うべきだ。
彼女は俺の視線を感じ、その意を汲んでジルベールを睨みつけた。
「絶対に――、
許しません!!」
その叫び声を起点にして、その場にいた全員が動き出す。
セレスティアが盾を構えて前進し、ジルベールの後ろに控えたエイダが、斧を抱えて駆け出した。
「セレスとグレイスはエイダを頼む。
シルヴィ、来い!」
俺の指示に従い、三人の美女たちが二手に分かれる。
俺はシルヴィアを伴いながら、ジルベールと対峙した。
「さあ、あんたの望み通りの闘いだ。
準備はいいか?」
俺の言葉に、ジルベールは嘲笑を返してくる。
「フッ、いつでも来るがいい。
――儂を倒せると思うならな」
俺はその言葉にニヤリと笑うと、目の前の“敵”に向けて、魔弾を叩きつけた。