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美女と賢者と魔人の剣  作者: 片遊佐 牽太
第八部 魔人の剣篇
83/117

082 回復

 誰のものとも判らない雄叫びが上がった。

 人間のものであるはずの声が、どうしても獣のものであるように獰猛どうもうに聞こえてしまう。

 その声は天井と壁に囲まれた迷宮ダンジョンの中で反響し、大きく木霊した。


 シルヴィアが解錠した扉の前の空間は、決して狭い場所ではない。

 通路が太くなったような場所ではあるが、広さとしては広間に相当する大きさがある。

 そして、その一角には妙に人口密度の高い場所があった。

 手に思い思いの武器を持った集落の住人たちが、明らかに不自然な密度で密集しているのだ。

 彼らは唸り声を上げながら、手に持つ剣を、くわを、包丁をその場で構えていく。


 住人たちは、全員『魅了』されていた。

 今彼らが採ろうとしている行動は、決して彼ら自身が意識しているものではない。

 “誰か”によって、操られた結果なのだ。

 俺は獣のような唸り声を聞きながら、改めてその事実を頭の中で反芻はんすうする。


 住民たちは声を上げたものの、その場からは動けていない。

 それに対して素早く動き始めた姿があった。

 小柄ドヴェルグの魔人――エイダだ。

「シルヴィア、後方へ」

「了解。攻撃は任せて」

 セレスティアとシルヴィアは、動き出した魔人を観察しながら冷静に対応する。

 彼女たちはお互いに声を掛け合い、魔人エイダに向かって、縦に展開した隊列を採った。

 対するエイダは左右にステップを踏みながら、機敏な動きを見せている。

 エイダは元々少女と見紛みまごうほど、小柄な姿だ。だが、魔人化によって生み出された体つきは、見方によっては大人の戦士よりも充実しているように思えた。


 その想像にたがわず、エイダは目の前に迫ったセレスティアに向けて、容赦のない勢いで斧を振るって来る。

 エイダが持った斧は、大型のなたに近い、片刃の無骨な形状のものだ。大きさだけで言えば、とても少女が軽々と振り回すようなものではない。それだけに、それを扱うエイダの膂力りょりょくが、相当なものであることが判る。

 セレスティアは気負いなく、エイダの振るった斧を聖乙女の盾シールドオブラインで受け止めた。両者の装備が激突した瞬間、ガチッという金属同士がぶつかる派手な音がして、真っ白な魔法の火花が飛ぶ。

「ハッ――!」

 激突によって動きが止まったエイダを狙って、シルヴィアが岩弾ロックボールを二連続で放っていた。

 エイダとセレスティアは至近距離にいる。シルヴィアが放った魔法は、一歩間違えればセレスティアに直撃してしまいかねないものだ。だが、シルヴィアは自信をもって、攻撃を仕掛けていた。

 エイダは自身に迫った魔法に気付くと、サッと斧を引いて回避行動をとる。後方に飛び退すさったエイダは、セレスティアが放った追撃に加えて飛来する岩弾ロックボールを器用に避けた。

 しかし二つ目の岩弾ロックボールは、完全には避けきれなかったようだ。エイダの右上腕には、岩弾ロックボールが掠った傷ができ、そこから青黒い血が流れ始める。



 一方、雄叫びを上げていた集落フェリムの住民たちは、未だに密集した場から一歩も動いていない。

 動いていない住民たちの視線は、まるで射貫いぬくように真っ直ぐ俺とグレイスを捕らえている。

 その視線と表情を見れば、彼らが直ぐにでも掴みかかって来ようとしていることは容易に計り知れた。


 ――だが、彼らは動かないのではない。“動けない”のだ。

 彼らが全く動けないでいるのは、俺が彼らに土属性の拘束魔法、蔦の手アイヴィを掛けたせいだ。

 レベルも低く、ほぼ魔法抵抗がゼロに近い彼らは、俺の魔法に全く抵抗できずにその拘束を受けた。

 蔦の手アイヴィ自体は効果範囲の決して広い魔法ではない。しかしながら、彼らが不自然な程密集していたお陰で、俺は全員残らず拘束することができていた。


 とはいえ、動きを止めたからと言って住民を救い出したことにはならない。そもそも蔦の手アイヴィの魔法には、効果時間の制限がある。いつまでも住民たちを拘束したままには出来ないのだ。

「グレイス、中年女性セルマの拘束を解く。無力化できるか?」

「はい」

 グレイスは頷くと、拘束された住民と俺の間に立った。すると、住民の視線は一斉にグレイスに向く。

 だが、目の前に居るのが旧知のグレイスであることに、魅了された住民たちは全く気付く素振りがない。

 俺が蔦の手アイヴィの魔法範囲を調整して中年女性セルマの拘束を解くと、動けるようになったセルマは包丁を振り上げて、直ぐさまグレイスに襲いかかった。

「ウアアアァァッ!」

 まるで獣のような声に、グレイスが顔をしかめる。

 グレイスは振るわれた包丁の一撃をあっさりと避け、すれ違いざまに運命の短剣クリスつかで、セルマの手を打った。セルマは一瞬で包丁を取り落とし、打たれた手を押さえながら俺とグレイスの間でうずくまる。

 俺は即座にセルマに近づくと、彼女の頭に向けて解除キャンセルの魔法を使った。

 だが、彼女の状態ステータスを確認すると、『魅了』の文字が消えていない。

「――ダメだ。

 “簡単には”解除できそうにない」

 俺が苦々しげに言うと、グレイスは表情を引き締めた。


 この世界では「状態異常」と「精神異常」は、別のものとして区分されている。

 「状態異常」というのは毒や麻痺、捕縛バインドのようなものを指していて、解除キャンセルの魔法は全ての「状態異常」を治すことが可能だ。

 一方、『魅了』は「精神異常」に区分されている。過去、教会の神父ロドニーが放って来た『魅了』を抵抗レジストできたのは、俺とグレイスの精神異常耐性のレベルが高かったからだ。

 高位回復魔法である解除キャンセルは、一応「状態異常」だけでなく「精神異常」も治すことができる。だが、全ての「精神異常」が治せる訳ではない。スキルレベルの高い者から受けた「精神異常」は治療不可能だ。なので今回、住民たちは高いレベルの『魅了』スキルを持つ者から、『魅了』を受けていることになる。

 全ての「精神異常」を治すことができるのは、レーネが使っていた水属性の高位回復魔法である水清ピュリファイという魔法だ。だが今の場においてそれは、無いもの強請ねだりでしかない。


 俺は元々、解除キャンセルで『魅了』を治せない可能性を想定していた。

 だから、治せなかった時の手段も考えてある。俺が発言した通り、“簡単には”治せないのであって、“絶対に”治せないという訳ではない。


 その手段のひとつは、住民たちを“魅了した者”を仕留めるやり方だ。

 具体的には岩壁ロックウォールなどを使って住人を物理的に隔離してしまい、その間に住民を魅了した者を倒すということになる。

 つまり、仮にエイダが住民たちを『魅了』しているのだとすれば、エイダを倒せば住民たちの『魅了』は必ず解けるということだ。

 その間、住民を上手く隔離することができれば、俺たちは住民の存在を気にせずに闘うことができる。

 住民たちはレベルが低いため、シルヴィアが岩壁ロックウォールを作れば、それを突き崩すことはできない。さらにこの迷宮ダンジョンには、魔物モンスターが見あたらないという好条件もある。なので、住民たちを迷宮ダンジョンの一角に隔離し、多少放置することになったとしても、彼らに危害が及ぶことはないと考えられた。


 だが、この手法を採るためには重要な条件が存在する。

 それは、住民たちを“魅了した者”が誰なのか、明確であるという条件だ。

 そして――俺が懸念を感じていたのは、まさにそこだった。


 魔人エイダと遭遇してからの時間は、まだ短い。

 しかし彼女は一言の言葉も発することなく、ただひたすらに敵を猛追している。

 その姿と、自分の存在を隠し続けるために住民たちを『魅了』し、密かに潜伏する姿には大きなギャップを感じるのだ。


「――ちょっと、こっち来ないでよ!!」

 上がった声に視線を向けると、エイダがシルヴィアに向けて突進チャージを仕掛けていた。

 やはり攻撃のスタイルは、飽くまで直情的だ。思惑のある行動をとるタイプとは思えない。

 シルヴィアは慌てて、エイダに向けて炎弾フレイムボールを放った。だが、エイダはそれを全く避ける素振りがない。彼女は肌が焼けるのも気にせず、ただひたすらにシルヴィアへと迫ってくる。

「させるか!」

 横からそこへ割り込むように、セレスティアがシールドブロウを放った。

 盾を鋭く横凪ぎにした一撃は、確かにエイダを捕らえる。エイダはその勢いに負け、したたかに身体を打ち据えられて地面に転がった。

 セレスティアがシルヴィアをかばったことで、彼女の立ち位置ポジションはグレイスの立っている場所に近くなる。

 そして、背中を向けたセレスティアと、彼女の背に残る傷跡を見た瞬間――俺は妙な既視感デジャヴュを感じた。

「セレス――!」

 俺の声を聞いたセレスティアが、一瞬振り返る。

 彼女の後方には――落ちた包丁を拾い上げた、中年女性セルマの姿があった。

「ああああぁぁっっ!!」

 声を張り上げて襲いかかる中年女性セルマに向けて、セレスティアは咄嗟とっさに剣を薙ぎ払おうとする。

「セレス、ダメです!!」

 そこへグレイスが割り込み、セルマを体当たりで突き飛ばした。それに気づいたセレスティアは、薙ぎ払おうとした聖乙女の剣ジャクリーンを、すんでの所でピタリと止める。

「痛っ――!」

「グレイス!?」

 セルマを突き倒したグレイスが、苦痛に表情を歪めた。

 包丁を持ったままのセルマが、自分を押し倒したグレイスに向かって斬り付けたのだ。

 その刃はグレイスの胸元に当たり、装甲が薄かった部分を切り裂いて、赤い筋を作った。

 破れた服からグレイスのふくよかな胸元が覗き見えて、彼女の肌が傷ついているのが判る。出血はあるようだが、幸いにして傷は浅いようだ。

 グレイスは倒れたセルマを残し、左手の甲で胸元をかばいながら、飛び上がるようにその場から後退した。


 この状況への対策は、まだいくつかの選択肢がある。

 その選択肢の中には、住民を力で排除してしまう――これは最悪の場合、住民を自らの手で殺してしまうことも含んでいる――そういう極端なものも存在していた。


 だが、俺はこれ以上、魔人に魅了され、利用され、餌にされてしまう人々を見たくない。

 アスリナの墓標を前にして考え、クライブを見送った時に思ったことに――今こそ忠実であるべきだと思った。


 そう考えた瞬間、俺は『魅了』された集落の住民を最も確実に救い出せる手段を、自然に選択することになる。

 しかしその選択は一方で、感情だけではない、いくつかの懸念が払拭できる選択だと思われた。


「“賢者の祝福ブレスオブセージ”を使う。

 グレイス、“回復”した住人を、開いた開門ゲートへ誘導してくれ。

 全員、無事に港町アシュベルへ送り届ける」

 俺はグレイスを見つめながら、自らの決断を伝える。

「――判りました」

 グレイスは俺の決断が意味することを認識したのか、神妙に頷いた。


 俺は立ち上がったセルマの後背へ、即座に戦闘転移バトルゲートで転移する。

 そのままセルマの背中を見ながら意識を集中し、彼女に向けて“賢者の祝福ブレスオブセージ”を発動した。

「――!?」

 突然、背中から黄金の光に包まれたセルマは、目をいたまま動きを止めている。その表情は、正に何が起こったのか判らない、という様子だった。

 濃厚な魔力の放出は、わずか五秒ほどの出来事に過ぎない。だが、あらゆる状態を回復させる“賢者の祝福ブレスオブセージ”は、セルマをあっさりと『魅了』の状態から救い出した。

「あ――あら?」

 急に正気に戻ったことで、状況が掴めなくなっているらしい。

小母様おばさま、こちらへ」

 グレイスが声を掛けると、見知った顔を見て、セルマが一瞬安堵の表情を浮かべた。

「こ、これは――?」

 今まで生きていて、空間に穴が空いているなどという状況には遭遇したことがないのだろう。旧知のグレイスがいるとはいえ、セルマは自分が置かれた状況に不安を覚えている様子だ。

 だが、残念ながらこの場において、細かい説明をしている余裕はない。

 俺は端的な言葉で彼女に結論だけを伝えると、開門ゲートに入るよう促した。

「ここに居ては危険です。

 この先は港町アシュベルに続いています。さあ、早く中へ」

 まるで俺とグレイスに押し出されるようにして、セルマは開門ゲートへと入っていく。

 彼女が確かに開門ゲートくぐるのを見届けると、グレイスは一瞬ホッとした表情を見せた。

「――次だ」

「はい」

 グレイスの返事を確認した俺は、次の住民の拘束アイヴィを解く。

 拘束を解かれた住民は、叫び声を上げながら、即座にグレイスに襲い掛かって来た。

 だがそれも、彼女によって一瞬で無力化されてしまう。

 俺はその側に近寄り、“賢者の祝福ブレスオブセージ”を使って、住民の『魅了』を回復した。

 正気を取り戻した住民は、グレイスの誘導に従って、開門ゲートくぐり、港町アシュベルへと転移していく。


 俺は、一人ずつ住民を見送る度に、自分の状態ステータスを確認した。

 ――SPの減りが、想像以上に激しい。


 確実に住民を救い出す選択として、“賢者の祝福ブレスオブセージ”は、最も有効な手段だ。

 だが、この選択肢を最優先にできなかった理由は、まさにこの“魔力(SP)の消耗が激しい”という一点に尽きる。


 俺は、時間経過によって回復する以外の、魔力(SP)を効果的に回復する手段を持ち合わせていない。

 賢者セージなどと呼ばれはするものの、一介の魔法使いソーサラーであるところの俺は、魔力(SP)を失えばただのヒトに過ぎないのだ。そうなれば、戦闘においては足を引っ張るだけの存在になりかねなかった。

 魔力(SP)を失えば、この後の闘いに大きなペナルティを負うことになる――。

 それを理解しながら、今回俺は敢えて“賢者の祝福ブレスオブセージ”を使う選択をした。それは、どうあっても住民を確実に救いたいという、ある意味自己満足に近いような感情を優先したからではない。


 俺はこの後の戦闘において、迷宮ダンジョンに留まり続ける住民の存在が、不確定要素になる可能性が高いと考えていた。

 仮に住民たちを迷宮ダンジョン内のどこかに隔離し、魔人エイダの手の届かない場所に追いやることが出来たとしても――その懸念は払拭することが出来なかっただろう。

 なぜならそれは、目の前にいるエイダが、住民を『魅了』し、グレイスの生家の隣に居座って息をひそめていたとは、やはり思えなかったからだ。


 つまり、住民を『魅了』したヤツは、“他にいる”。

 そして――潜伏する“そいつ”はまだ、姿を現していない。



 俺は最後の住民を見送り、開門ゲートを閉じた。

 これで集落の住民たちは、無事に救い出せたはずだ。

 しかしその代償として、“賢者の祝福ブレスオブセージ”は、一回の使用で一割近いSPを持って行く。

 一〇人を回復した俺のSPは――もはや、ゼロに近くなっていた。


 俺の目の前には、魔人エイダがいる。

 セレスティアとシルヴィアが勇戦しているが――俺は、このままの状態では、闘いに貢献することはできない。

「ケイ、武器を取ってください」

 グレイスが俺に近づいて言った。

 彼女の表情を見ると、いつも以上にりんとしている。


 通常であれば、俺はその提案を受け入れることはない。

 俺には『魔人の武器』を支えるだけの、魔力(SP)が残っていないからだ。

 無論グレイスも、俺の魔力(SP)が残り少ないことを理解している。

 だが、彼女がそれでもなお『魔人の武器』を取れというのには、明確な“理由”があった。


 『魔人の武器』は、どれもが強力であることと引き替えに、大量の魔力(SP)を消費する。

 ところがその中に一つだけ、消費する魔力(SP)よりも、“回復”する魔力(SP)が上回るものがあった。


 それは――『賢者の杖スタッフオブセージ』だ。


「武器を意図して選べるというのか――?」

 この状況においてグレイスが『魔人の武器』を取れと言っているのは、つまり『賢者の杖スタッフオブセージ』を選んで取り出せる、と言っているのに等しい。

 これまでの闘いで登場した『魔人の武器』は、彼女が取り出す武器を選別していたというのだろうか?

 俺は、少なくともグレイスとそういう会話を交わしたことはない。

 だが、確かにこれまで現れた武器は、比較的その状況を有利に変えられる相性のものが、多かったようには思う。

「確実とは言えません。

 ですが――必ず賢者の杖スタッフオブセージを」

 俺が吐き出した疑問に、彼女は微笑みながら頷いた。

 グレイスがそういう以上、何らかの見込みがあるに違いない。

「判った。それに賭けよう。

 ――何か注意すべき点はあるか?」

 俺がそういうと、グレイスは俺の顔をまじまじと見て、そして少し視線を外して赤面した。

 彼女は手を伸ばして優しく俺の左手を掴むと、自分の胸元にその手を誘導する。

 すると、グレイスのふくよかな胸に当てられた手の平から、彼女の早まった鼓動が伝わってきた。

「あります――。

 ――お願いですから、触れるのはここだけにしてください。

 意識の集中していない場所に触れられると、思った通りの結果にできませんから」

 過去を振り返ると、大鬼の王ジノと初めて闘った時に、俺は高揚しすぎてグレイスの胸とお尻を掴んだように思う。そして、その結果現れた武器は、氷帝の剣ヴァイオラ雷斧ジーベルトだった。

 どちらが彼女の意図通りで、どちらが彼女の意図通りでなかったのかは判らない。

 あの時は結果として、戦闘に合った武器だったように思う。

 しかし、今回ばかりは意図通りでない武器を、取り出す訳にはいかないのだ。

「判った。グレイス、頼む」

 俺は即座に決断すると、グレイスに向かい合うようにして立つ。

「ケイ――詠唱が終わる前に、触れるようにしてください」

 俺は彼女の要求リクエストに頷くと、武器を片付けて手をグレイスの胸にかざした。

 そして、彼女の詠唱が始まる前に、おもむろ治療リカバーの魔法を掛ける。

 SPが残っていないため、掛けられるのは一瞬だけだ。

 だがその一瞬で、グレイスの胸元に走った傷跡は、跡形もなく消えた。

 無論、破れた服が直せる訳ではないので、胸元が覗き見える状況なのは変わらない。

「ありがとう――」

 グレイスは微笑みながら、少し恥ずかしげに呟くと、目を閉じて呪文の詠唱を始めた。



 グレイスの向こう側には、エイダとセレスティアたちの攻防が見えている。

 セレスティアとシルヴィアは、善戦していた。いや、エイダに対して完全に優勢に立っていると言っても良いだろう。

 互いに声を掛け合いながら闘い、防御と攻撃の連携コンビネーションで魔人を追い詰める――。

 二人の息のあった攻守に対して、エイダは体中に傷を作っていた。

 だがよく見ると、傷のないところにも、いくつか外套がいとうや服が破れた箇所が存在する。

「自動体力回復か――」

 エイダは、かなりスキルレベルの高い体力回復スキルを持っているように思われた。


 戦闘に入ったことで、エイダのHPは状態ステータスとして見えるようになっている。

 外観だけで言えば、エイダは全身傷だらけだ。しかしながら、数値パラメータとして見える彼女のHPは、殆ど減少していない。

 もちろん、セレスティアとシルヴィアが、有効打を打てていないということではないだろう。

 だが今のところ、彼女たちが与えるダメージよりも、エイダの体力回復能力が上回っているのは間違いなさそうだった。



 俺は再び目前のグレイスに視線を移すと、目を閉じたままの彼女の胸元に両手を伸ばす。

 呪文の詠唱は、まだ続いていた。

 グレイスが要求した通り、俺はその詠唱が終わる前に、彼女の肌に直接触れる。

 俺の手が肌に到達した瞬間、グレイスは身体をビクッと震わせ、これまでにないような大きな反応を見せた。

 俺が彼女の胸を持ち上げるように掴むと、グレイスはそれに応えて、まるで胸を突き出すように伸び上がってくる。

 手の平からは、グレイスの魔力の高まりと共に、彼女の“興奮”が伝わって来た。

 恥ずかしげに上気した彼女の表情を見ると、どうしても俺の脳裏にあの夜の出来事が思い浮かんでしまう。

 グレイスの肌に触れるのは――あの夜以来のことだ。

 俺は何とも言えない興奮を覚えながら、その手に掴んだものを蹂躙じゅうりんした。

「グレイス――」

「あっ――んっ――!」

 詠唱が途切れ途切れになることで、むしろ集中を阻害しているのではないかと心配になってくる。

 だが、グレイスの喘ぎ声が上がる度に、彼女の興奮も高まり、彼女が込める魔力も高まっているような感覚を覚えた。

「ああっ――!!」

 そして、グレイスの喘ぎ声が一際大きく跳ねた瞬間――。


 俺とグレイスの身体を包み込んでしまう程に、俺の手元から強烈な光の束が立ち上がった。




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